歴歩

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鳥取市・青谷横木遺跡 古代「山陰道」から平安時代の柳の街路樹跡が見つかる

2017年02月22日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは21日、青谷横木遺跡(鳥取市青谷町)の古代官道「山陰道」跡から、平安時代のものとみられる柳の街路樹跡が見つかったと発表した。
 古代山陰道に並行した10世紀後半の盛り土約100mの区間で、18本の木の根や大量の木製の杭が2015年8~9月に見つかり、このうち8本の種類を調べたところ全てが柳と判明。さらに2本を放射性炭素年代測定したところ、9世紀後半~10世紀後半のものと分かった。木々は0.5~2m間隔で並んでいた。

 奈良時代の歌人・大伴家持が読んだ歌に、
「春の日に はれる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ」(万葉集巻第19 4142)
があり、平城京の朱雀大路には柳の並木が植えられていた。地方の街道にも街路樹が植えられていたことを裏付ける。実際に樹木が発掘されたのは全国で初めてという。

 青谷横木遺跡は青谷平野を流れる日置川の下流域にある。律令国家で敷設された山陰道の遺構約300mのほか、条里遺構や倉庫と見られる建物跡、出挙に関する木簡木製、祭祀具2000点以上も発掘されており、古代に官衙(役所)があったと考えられている。
 今月25日から鳥取市歴史博物館(同市上町)ので始まる発掘調査展で現地の様子を写したパネルや古代山陰道のイメージ図を展示する。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

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 青谷横木遺跡
2013.9.6 古代「山陰道」とみられる幅9mの道路遺構が確認され、交通の要衝だったことがうかがえる。
 山陰道


平安時代の街路樹か 狭い間隔で並ぶ柳の木の根


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