歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

谷川岳天神平 と 史跡 水上石器時代住居跡

2016年05月01日 | Weblog
先週の月曜日(4/25)に、谷川岳天神平に行きました。
天気が素晴らしくよく、爽やかな風が心地よかったです。

天神平展望台よりパノラマ写真

天神平からの帰り道、カーナビに石器時代の史跡が目に入ったので行ってみることにしました。県道から脇道に逸れて登ったところにありました。

石器時代の遺構は、小屋(写真左)の中に保存されており炉跡もありました。(写真中央) 小屋には説明板が掛けられており、下記のように記されています。
「山地上にありて二箇所存す。一は字坂上にあり、昭和10年に発見せられ地下約3尺の處に位置す、河原石を以て略々楕圓形に敷き東西徑約4尺7寸南北徑約6尺4寸を有するものにして稍々中央に長さ約1尺3寸幅約1尺1寸深さ約6寸の石圍ひによる長方形の爐阯を存し南方約2尺3寸離れて甕形土器埋沒せり、一は字大久保にあり昭和12年の発見に係り地下約6尺の下に位置し河原石を以て東西徑約12尺6寸南北徑約10尺の楕圓形に敷き同じく中央に長方形の爐阯を具ふ。両遺構阯及附近より石器、縄文土器を出せり、山地に存する石器時代住居阯として顯著なるものとす。」

また、小屋のそばに別の説明板が立てられており、下記のように記されています。
「史跡 水上石器時代住居跡
今から約3500年前の縄文時代の後期、私達の祖先達はこの周辺に小さな集落を造って暮らしていました。このころは、まだ金属の道具が使われる前の時期で、主に石や土で作れた道具を使っていたことから「石器時代」ともいわれています。このころの人々は、山や川からの豊富な獣・魚・植物などを狩猟採集しながら大自然の中で生活していました。当時の家は竪穴住居が一般的ですが、ここ大字大穴字大久保と字坂上から発見された住居址は、石で囲った炉を中心として、周囲の床面に河原石をきれいに並べて置いた「敷石住居址」と呼ばれるものです。大きさは長径2mと4mほどの楕円形の住居址2軒が、沢を隔てた位置に見つかっています。当時の人々が使っていた深い鉢形の土器や石斧・石皿・矢尻などの石器が出土しています。ここは、太平洋戦争より前に発見されたこと、石を敷いた特別な住居が山奥の中に2軒も隣接してあることによって、国の史跡に指定されました。
昭和19年11月13日指定 みなかみ町教育委員会」

小屋の近くの小高い丘に登ってみると、「開運 大穴琴平神社」と扁額の掛かった神社がありました。(写真右)
斜面には珍しくムスカリが咲いていました。周辺にある石碑には阿部さんの名前が多く刻まれていました。通って来た道にも阿部さんのお墓がありました。家に帰って調べると、湯檜曽温泉は室町時代の始め、奥州の豪族・安部氏の末裔、阿部孫八郎貞次によって発見されたとの伝承があるようです。群馬県には阿部姓がさほど多いわけではないですが、群馬県内ではみなかみ町が一番多いのです。

コメント
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