モダンローズのシリーズに入る前に、ここからバラは大きく変わったという、ジョゼフィーヌシリーズを2+1回で再掲する。バラバラに掲載したため、ドキュメントとしてのまとまりに欠けた。
このシリーズをお読みになった方は、3番目に掲載するNewからお願いします。
1.ジョゼフィーヌが変えたバラの歴史
日本で愛されている花の代表は、カーネーション・キク・バラと言ってもよい。
キクは一度取り上げたが、原産地と原種がわからないほど雑種化され園芸品種が増えている。バラも同じようで、いま手にしている豊富な色彩、花形などの美しいバラは園芸品種だ。
その園芸品種の始まりからバラストーリーをスタートする。
1813年、パリから西に20㎞のところにあるマルメゾンの庭園でダマスクローズの園芸品種が誕生した。ここからバラの世界は大きく変わることになる。世界で初めて人工交配による品種改良が行われ、幾多の新品種がここマルメゾンで育成された。
ジョゼフィーヌがバラの歴史を変えることになる。
マルメゾンの館は、ナポレオンとその妻ジョゼフィーヌが1799年に購入した。あまりにも高額でナポレオンには払えなかったが、しかし、ジョゼフィーヌは諦めなかった。“憧れの英国のキューガーデンのような自然庭園を作りたい”これがジョゼフィーヌの動機で、ナポレオンの尻をたたいて手に入れてしまった。
ナポレオンの出世とともに、世界中から高価なバラの苗木を集め、ナポレオンと離婚した1809年から彼女の死亡までの間ここに住みバラ園をつくった。
ジョゼフィーヌのバラ園には、世界中から集めた250種があったというから驚きだ。
2.マルメゾンの庭園に使ったお金の総額は国家予算レベル??
ジョゼフィーヌのバラ園には、世界中から集めた250種があったというが、一体いくらぐらい使ったのだろうか? というのが素朴な疑問としてわいてくる。
ジョゼフィーヌが、遅れていたフランスのバラ育種産業をイギリスと並ぶように育てたくらいだから相当使ったようだ。これを趣味・贅沢・浪費などというが、産業を振興した政策コストでもあり、最近の2兆円バラマキとはだいぶ違う。これは浪費でも政策コストでもなく無駄という。
この時代のヨーロッパNo1の育種業者は、イギリスの「リー&ケネディ商会」で、マルメゾン庭園のバラはここから仕入れていた。
1806年にイギリスとヨーロッパ大陸との通商を封じ込めるために“大陸封鎖令”をナポレオンが出した。イギリスと通商が出来なくて困るのはジョゼフィーヌもしかりで、特権を使い抜け道を作った。
それは、ベルギーのジョゼフ・パルマンティエを経由して苗木を手に入れたようだ。植物へのほとばしる情熱をナポレオンですらとめることが出来なかった。
マルメゾンのバラ園には、赤バラのガリカ、ダマスク、白バラのアルバ、日本産のハマナスなどオールドローズが集積しただけでなく、ジョゼフィーヌはデメス、元郵便局員のデュポンなど多くの園芸家を支援し、より美しいバラづくりに打ち込ませたという。
これらの費用は、一説によると国家財政の三分の一にのぼる負債を残したともいわれるが、ナポレオンがやった戦争ほどお金がかかるものはないので、一説とするが、かなりのものをバラのために使ったことは間違いない。
マリーアントワネットは1793年に断頭台に消えていったが、無聊を慰める庭造り・バラの収集は、マリーアントワネットから引き継いだのだろう。
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1.ジョゼフィーヌが変えたバラの歴史
日本で愛されている花の代表は、カーネーション・キク・バラと言ってもよい。
キクは一度取り上げたが、原産地と原種がわからないほど雑種化され園芸品種が増えている。バラも同じようで、いま手にしている豊富な色彩、花形などの美しいバラは園芸品種だ。
その園芸品種の始まりからバラストーリーをスタートする。
1813年、パリから西に20㎞のところにあるマルメゾンの庭園でダマスクローズの園芸品種が誕生した。ここからバラの世界は大きく変わることになる。世界で初めて人工交配による品種改良が行われ、幾多の新品種がここマルメゾンで育成された。
ジョゼフィーヌがバラの歴史を変えることになる。
マルメゾンの館は、ナポレオンとその妻ジョゼフィーヌが1799年に購入した。あまりにも高額でナポレオンには払えなかったが、しかし、ジョゼフィーヌは諦めなかった。“憧れの英国のキューガーデンのような自然庭園を作りたい”これがジョゼフィーヌの動機で、ナポレオンの尻をたたいて手に入れてしまった。
ナポレオンの出世とともに、世界中から高価なバラの苗木を集め、ナポレオンと離婚した1809年から彼女の死亡までの間ここに住みバラ園をつくった。
ジョゼフィーヌのバラ園には、世界中から集めた250種があったというから驚きだ。
2.マルメゾンの庭園に使ったお金の総額は国家予算レベル??
ジョゼフィーヌのバラ園には、世界中から集めた250種があったというが、一体いくらぐらい使ったのだろうか? というのが素朴な疑問としてわいてくる。
ジョゼフィーヌが、遅れていたフランスのバラ育種産業をイギリスと並ぶように育てたくらいだから相当使ったようだ。これを趣味・贅沢・浪費などというが、産業を振興した政策コストでもあり、最近の2兆円バラマキとはだいぶ違う。これは浪費でも政策コストでもなく無駄という。
この時代のヨーロッパNo1の育種業者は、イギリスの「リー&ケネディ商会」で、マルメゾン庭園のバラはここから仕入れていた。
1806年にイギリスとヨーロッパ大陸との通商を封じ込めるために“大陸封鎖令”をナポレオンが出した。イギリスと通商が出来なくて困るのはジョゼフィーヌもしかりで、特権を使い抜け道を作った。
それは、ベルギーのジョゼフ・パルマンティエを経由して苗木を手に入れたようだ。植物へのほとばしる情熱をナポレオンですらとめることが出来なかった。
マルメゾンのバラ園には、赤バラのガリカ、ダマスク、白バラのアルバ、日本産のハマナスなどオールドローズが集積しただけでなく、ジョゼフィーヌはデメス、元郵便局員のデュポンなど多くの園芸家を支援し、より美しいバラづくりに打ち込ませたという。
これらの費用は、一説によると国家財政の三分の一にのぼる負債を残したともいわれるが、ナポレオンがやった戦争ほどお金がかかるものはないので、一説とするが、かなりのものをバラのために使ったことは間違いない。
マリーアントワネットは1793年に断頭台に消えていったが、無聊を慰める庭造り・バラの収集は、マリーアントワネットから引き継いだのだろう。
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