京都は1922年に水平社が設立された部落解放の発信地であり、解放活動の先進地であったはずが、解放運動の中で勝ち取ってきた同和に関する権益が既得権となり、経済的自立や困窮の問題が概ね解決されてきた1980年以降も継続され、一般市民から見れば逆の差別という状況になっていた。これをなんとか解消しようとする動きもあったが、一度獲得した権益や施策が目の前にあるのに、それを手放すことは受益者自身やその活動を推進してきた組織自身がそれを進めることは難しかった。
問題は複雑である。同様の動きは近畿では神戸や滋賀にもあって、同和行政の縮小が差別解消とともに進んでいくという理想的な動きになっている事例があったが、京都ではそうした動きにはならなかった。解放同盟と全解連の対立がそれを阻んできたのではないか、という指摘である。家賃補助、出産や育児補助、学業に関する支出支援などの金銭的補助を始め、集会所開設、病院設置、そして最大の問題は京都市への優先雇用だったという。優先雇用の枠は京都市が決めた上で、解放同盟と全解連に2対1の割合で割り当てられてきた。2つの組織は割り当てられた人数を自分の組織に貢献してくれた組織員を推薦して就職斡旋をしてきた。これはアメリカで言えば”Affirmative Action”のようなものであるが、それが組織に割り振られていることが問題を複雑にしている。同和問題は地域住民の経済的自立から、という出発点においては雇用の確保は重要な一歩であった。しかしそれが常態化し、長年の習慣化していくと、それが既得権益になる。そしてそれが2つの解放組織の組織維持活動とも連動している、これが選考雇用と呼ばれていた優先雇用の権益を放棄しにくい構造となり、解決を困難にした。
京都市職員による無断欠勤、勤務時間中のパチンコや麻雀、麻薬に絡んだ事件、事故が相次いだことは全国的にも報道され知られているが、それが同和問題に根ざしているおとはあまり知られていないかもしれない。
そして、同和に絡んだ錬金術はもっと大掛かりに行われていた。国税局による税金免除特権である。これは野中広務自民党衆議院議員により追求された事案でもあったが、国税庁はそうした特権の存在を認めていない。しかし数多くの証言からそれは確かに存在したという。最近読んだ、大阪の三和銀行淡路支店による大阪の同和活動支部長を窓口にした不正融資を描いたドキュメンタリー「同和と銀行」にも書かれていた同和免税特権である。さらに、京都市市営地下鉄建設時の京都南部の淡水漁協への「協力金」と称する補助金は、同和活動をしていると自称する組合長による、これまた実際には行われていない漁業保証であったという。
ここまでのことがわかっていて、京都市議会の自民党も共産党もこうした同和への今となっては意味が大幅に薄れてしまった補助金や施策の解消がどうしてできなかったのか。京都市役所が施策解消に抵抗していた節もあるという。差別解消、が目的であったはずなのに、一般市民から見れば逆に妬ましいまでの同和施策となっていて、同和運動が差別を解消できない原因であるという皮肉な状況になっていた。解放活動が二派に分かれていた、という状態が、差別解消を難しくしていたとも言えそうである。
外から見れば、歴史があって美しい京都の街にこのような暗部があるとは、京都市民でも気がつかないのではないか。いや、知っているのに知らないふりをしている人も多いのかもしれない。「同和は怖い」から。英語でよく言う”Elephant in the room”である。そういう私も京都出身、京都市職員にも多くの同級生がおり、友人にも多くの部落出身者がいたはずであるが、こんなことになっていたとは知らなかった、いや、気がつかなかった。自分でももう少し調べてみたい気がする。
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