意志による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

天災から日本史を読み直す 磯田道史 ****

2016年04月25日 | 本の読後感
「武士の家計簿」を書いた筆者が、日本史の裏に潜む地震や台風などの天災について書いている興味深い一冊。

先日のNHK大河ドラマ「真田丸」を見ていたら家康が秀吉から攻撃されるの恐れているその時、大地震が起こって命拾いした、というトピックスがあった。これが1586年の天正地震。家康討伐のため明智光秀が築いた坂本の城にいた秀吉はそこで天正地震に被災、家康討伐をうっちゃって飛ぶように大阪に帰ってしまった、とルイス・フロイスが書き残しているという。家康討伐のために大垣城に備蓄しておいた兵糧米は地震のためにお城もろとも焼け落ちてしまう。徳川討伐軍の先鋒を期待されていた山内一豊の長浜城も倒壊、城下では出陣どころではなかった。この時の近江、伊勢、美濃、尾張の震度が5から6と想定される一方、家康のいた三河以東は震度4以下だった。この時、地震が起きていなければ秀吉は家康を討伐し、徳川政権ではなく、豊臣長期政権が誕生していた可能性が高い、と筆者は書いている。今般の熊本地震で熊本城が大きく損壊しているが、天正地震時代のお城はもっともろかったのだと推測できる。天正地震では若狭湾にも津波が発生、福井、高浜地方では4-5メートルの津波が発生していたのではないかと推測、高浜原発の安全性議論にはこうした歴史的事実の検証も重要だというのが筆者の指摘である。

1596年には伏見地震が発生、秀吉は伏見に城を建設したばかりであったが、現在のJR桃山駅の南にあった指月城は倒壊、死者は集められていた美女ばかり700名、丈夫なお城にではなく、簡易的なつくりの長屋にいたため多くが圧死したという。この時倒壊したお城の瓦が重く、そのあとに作られた伏見城では軍事施設は瓦ぶき、それ以外の御殿などはこけら葺き、檜皮葺だったため、その後甲賀忍者が関が原前夜に放った火であっという間に焼け落ちたという。江戸時代に建設された多くのお城はこうした反省の上に設計建設されたと考えられる。熊本城はどうだったのだろうか。こうした地震被害は秀吉を支える大名たちの人心を徳川に移らせるという影響があった。朝鮮出兵で疲弊していた大名たちは地震で被害を受けながらもさらなる出兵やお城の建築を命じられ、こうした地震を契機に潮目が変わったというのが筆者の考えである。

富士山噴火と南海トラフ地震の連動性について過去の事実を確かめると、南海・相模トラフの大地震が9世紀以降13回起きていて、そのうち5-6回は富士山も25年以内に噴火している。富士山の最後の噴火は宝永噴火で1707年11月、1703年には相模トラフを震源とする元禄関東地震が発生している。元禄地震以降5年間は地震が継続的に発生、宝永大噴火へとつながった。1707年10月にはM9の大震災が関東を襲っていて、11月23日に富士山が噴火、江戸の町には12日間火山灰が降り続いた。江戸の町では眼病が多発したという。火山灰はガラス質であるため今ならゴーグルが必需品となる。関東地方に住む方には、富士山噴火対策として食糧と水以外にゴーグルも買っておくことをお勧めする。宝永地震による津波は大阪の街も襲った。その高さは5-6メートル、標高2-3メートルの今宮戎神社や低地に広がる大阪の街はその大半が水没の危険があるということになる。東南海トラフを震源とするなら、津波到達までは1-2時間、その間に減災、避難がどこまでできるかである。

神社のある場所は津波にはあわない、という話があるがどうもそう簡単ではないようだ。神社の場所も様々な事情で移転させられているためである。今般の熊本地震、大きな被害が出ているが、不幸中の幸いとでも言えるのが津波被害がなかったこと。しかし、頻発する余震、大分に広がる地震域、中央構造線沿いに地震が広がっていく様子を見ていると、決して安心はできない。薩摩川内原発はその運転を止めずにいるが、本来リスク回避を考えるなら、まずは停止してから様子を見るのが正論ではないか。歴史から学べることは本当に多い、というのが本書を読んでの強い印象である。



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おじさんの功罪

2016年04月11日 | 日記
四十を越えるとおじさんだ、とも言えるだろうが、ここでは六十歳を越えて、特にサラリーマンの定年後の人生を過ごしているまだまだ元気、しかし多くの自由な時間を持つ男性のことである。

電車通勤がなくなり、アホな上司もいないので、この歳で会社をやめて良かった、と思う一方、可能なら世の中のためになることをしたい、と力を入れようとしても、そんなことはそうそう向こうからは来てはくれない。お金と健康な体さえあれば、リタイアメント後に必要なのは自己満足も含めた生き甲斐、と言うのが通り相場。NHKのシニアの特集などを見ていれば反論ができないほどの正論が大多数であるかのように感じてしまう。それは皆の本音なのだろうか?

おじさんは、今まで長く働いてきたのだからと言い訳しながら、時に学生時代の仲間と酒をのみ、会社時代の同僚達とも情報交換と称する飲み会で楽しんだりもする。年に数回は妻と旅行だってする。人によっては少年野球のコーチ、バンド活動、お遍路の旅やオートバイで温泉ツーリングにも行くだろう。

ひまなおじさんの時間潰しと言われても、こうした楽しみだって、健全な消費活動であり、ある意味でのシニア世代から現役世代へのの所得移転であるし、ひょっとしたらちょっとした経験談や若い人との会話の中から新たなビジネスのアイデアが生み出される可能性だってある。

自宅で邪魔者扱いされないようにできることは、地元のボランティア活動に力を入れるのもよし、水道の水漏れ修理、照明をLEDへ変更、たまには夕食の用意、窓のお掃除などなど。しかし、ボランティア活動にも流儀や主張があったりしてやりにくい。自宅の台所の主導権は私にはなく、しょせんはお手伝い。なんとか自分にしかない価値を発揮したいと考える。

色々とトライするが、自宅で過ごす多くの時間帯に、生産的な活動を継続することは家庭菜園などの農作業以外にはなかなか見つけられない。料理を習って、ワインにも凝って、お出汁の蘊蓄を傾けるのも悪くはない。学生時代にやっていた音楽も老化防止には効果的だ。特に楽器演奏なら、成果の披露も可能。

しかしいずれも文化的活動ではあるものの、プロのレベル迄いかなければ、生産的な活動ではない。そう、アマチュアながらも何かを作り出して、世の中のためにならないのかと考えているおじさんは私以外にも多いのではないかと私は考えている。

野菜、家具、お客様にお出しできる料理、素人でも可能なさまざまな生産的な活動があるはずだ。一次産業なら自宅で消費ができるので、手っ取り早い。二次産業では、販売ルート開拓のハードルが高いがやりがいは大きいだろう。三次産業なら、家庭教師や小さなレストランが思い付く。

こうしてテレビでよく紹介される「人生の楽園」が理想的、と考えたこともあったが、本当にそれをやり抜くにはパートナーの協力と相当の実行力が重要である。

ここで再度考える。おじさんでも自分にしかできないことがあるのではないか。実家の母から電話をもらい気がついた、それは親のこと。2ヶ月に一度、家族をつれて行き二三日過ごすのではなく、もう少し一緒にいられるのではないかと。

義理の母は三年前から介護施設に入居し、昨年来は自分の子供の顔さえ認識できなくなってしまった。自分の親はいつまでも元気でいると思い込んでいたが、親がまだ心身ともにそこそこ健康でいるなら、まずは年老いた親の実家で、家の片付け、病院への送り迎え、可能な範囲での食事の世話、お花見に連れ出すなど、これは確かに自分にしかできない活動である。

実行力不足から、家庭菜園での作業に終始しているのなら、まだ家にいる親との時間を有効活用すること、ここから始めたらどうかと考え、今年の初めからは自宅から遠く離れた実家で大半の時間を過ごしている。

自宅に私がいなくても、残る家族は何の問題もなく、かえって喜ばれているし、実家の近所の人達も息子が家に居てくれれば安心だ。親戚の皆さんも、親孝行じゃないか、と少し私の株も上がる。

農作業開始までのしばらくは、焦って生産活動をしなくとも自己満足はできるし、実家の狭い庭にだってその気になればトマトくらいなら作れるかもしれない。首から上はまだまだ元気な親なので、ずっと一緒にいるとうるさがられるし、付かず離れずでマメに顔を出す、ということにしようかと思う。おじさんの功罪についても、これでしばらくは結論の先のばしができると考えている。

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世界を変えた10人の女性 池上彰 ****

2016年03月28日 | 本の読後感
お茶の水女子大学で行った講義をまとめたもの。アウン・サン・スー・チー、マザーテレサ、マーガレットサッチヤー、ナイチンゲール、マリーキュリー、緒方貞子、ベアテシロタゴードンなど10人の女性を選んだ。

それぞれの人達については、知っていることもあるが、知らないことも多い。池上彰の良いところは、単に10人の女性を紹介するだけではなく、例えばスーチーさんであれば、田中眞紀子さんとの比較、マンデラさんとの違い、韓国での政権交代との相違点などについての自分の考えを付加しているところ。

シロタゴードンさんは、日系人かと早とちりしていたが、父親はウクライナ生まれのユダヤ系ロシア人でピアニストだった。日本で育ったベアテシロタさんは、終戦を留学先のアメリカで迎えた。日本女性が抑圧されていることを知るシロタゴードンさんは、GHQに職を得て憲法検討チームのメンバーとなリ、女性の権利を保護する条項の組み込みに努力する。

GHQの主力は民主党支持だったために、大きな政府を意識した憲法草案を立案した。ちなみに、イラクの占領は共和党政権下だったため規制の撤廃を進めたために海外製品が溢れたという。

現在の憲法の基本的人権の尊重や男女対等の考え方はシロタゴードンさんが組み込んだものといえる。しかし第12条にはこうある。「憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の普段の努力によって保持しなければならない」憲法を守るのは政権党の責務であるが、その権利を守るのは国民自身である。

現在進められようとしている憲法論議は、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を基本として、戦後の状況変化を踏まえてされることになるが、こうしたシロタゴードンさんの理想がどのように実現できたのか、守るべき、変えるべきものは何か、どのような国を目指すのかをしっかりと頭に描くことが重要。

またまたこうしたことを考えさせられる一冊であった。

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調弦ツールは超便利 ****

2016年03月07日 | 日記
1月中旬からずっと実家の京都に行っていた。冬の京都は寒いというが、今年は暖冬という始まりから急に寒くなったためか、より一層寒く感じた。そこで、実家の家の中を整理、中学生の時に買ってもらい高校生以来ずっと実家にあったウクレレを発掘、調弦のためチューナークリップ(ギター・ウクレレ・ベース・バイオリン)というものを手に入れた。これが便利だった。

噂は知っていた、便利なツールがあることは。「そんなものを使わずとも音を合わせることは演奏のプレリュード」と知らんぷりを決め込んでいた。ウクレレは「ソドミラ」、合わせてみるとなんだか妙な違和感があった。40年も遠ざかっていたのだからと考えたが、それでも音合わせに自信がなかった。amazonで検索してみると意外な安さ、買ってみた。

みんなは使っているのだろうか、こういうツール。ピアノ用は使ってみたことはある。調律師ではないので合っていることの確認用だ。ギターでも使ってみた。カーナビと同じ感覚になるのだろうか、道を覚えなくなると。それ以前に、ウクレレを弾いてみて、あまり楽しくない、冬だからだろうかと考えてみる。中学時代にはこれでずいぶん楽しませてもらった記憶があるのだが。夏が近づいて来たらまた弾いてみようととりあえずかたずけてしまった。

それよりも、実家で発掘したものはそれ以外にたくさんあった。本、アルバム、成績表、文集、とりあえず今はこちらのほうに気が向いている。


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交換インク2回分のプリンター EPSON EP-707A ****

2016年01月17日 | 日記
昨年末、年賀状印書のために6年ぶりにプリンターを買った。前機種のインクづまりが悪化してにっちもさっちも行かなくなったためである。

インクづまりというのはたちが悪い。しばらく使わないと詰まるのは、多くの人が経験していると思う。インクづまり解消の操作をすると、インクを使ってノズル洗浄ということをするのだが、この時に消費されるインクの量がちょっと気になるほど多いのである。しかし詰まっていては打てないので操作をして、試し印書というのをして、規定の模様が出るとOK、ダメだともう一度ノズル洗浄をする。3回ぐらいするとインク残量が半分くらいになっていて絶句することになる。そこで、互換インクというのにするが、どうも純正品よりも詰まりやすいのではないかと疑心暗鬼になる。さらにインクヘッド洗浄液というのを試してみるが、一度詰まってにっちもさっちも行かなくなったのはどうも綺麗にならないので、結局たくさんインクを使ってしまいうんざりして、新機種導入に踏み切った。

もっと早く買えばよかった。それは、新しいプリンターは当然スムーズに印書できて、安いのに思ったよりも印書品質も良いから。おまけにプリンターの買値は安く純正品インク大容量2セット分弱程度だったから(年が明けて高くなっているが年末は7500円だった)。ノズル洗浄で消費した分で買えたではないか。この機種よりも安い機種はあったが、そこまでいくと印書速度が遅すぎて年賀状を100枚以上印刷するのに時間がかかりすぎる。かと言ってこれ以上高い機種は液晶パネルが大きい、紙の入口が二箇所ある、などあまり年賀状だけを考えれば不要な機能ばかり。

次にノズルが詰まった時にはジタバタせずに次機種を買うつもりだ。
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図説 不潔の歴史 キャスリン アシェンバーグ ****

2016年01月14日 | 本の読後感
筆者のアシェンバーグという人、著者紹介によればラジオ局のプロデューサーを経たのち、『ザ・グローブ・アンド・メイル』紙の芸術・書籍欄の編集委員に。現在はフリーランスのライターで、『ニューヨーク・タイムズ』紙と『トロント・ライフ』誌で執筆するほか、大学で教鞭もとっている、とのこと。

本書は図書館で見ていかにも面白そうだと借りてきた本。不潔の歴史ではあるが、アメリカやヨーロッパの視点からの記述で、日本のことも西欧人から見た清潔好きの日本人として書かれていて興味深い。日本人が最初に欧州人と接触したのは16世紀ころの火縄銃とキリスト教伝来時代で、長い航海のあとの西洋人はさぞや臭かったと思うが、それを迎えた日本人はどうだったのだろうか。平安時代の貴族たちは入浴はせず香をたきしめていたというが、一般の漁師や農民はどうだったのだろうか。

今の日本人の感覚でいえば、朝起きれば顔を洗い、食事の後には歯を磨く、朝シャンする人もいるし、食事の後は必ず歯を磨く人もいる。夜にはシャワーか入浴、トイレではウォシュレットが当たり前になった。

そんな日本でも100年前はどうだったろうか、そして明治維新前の150年前はどうだったか。1915年にはたっぷりのお湯を毎日沸かすのは大変で、都会の庶民は週に一二度銭湯通い、田舎の農民漁民はそれもなかった。150年前の日本に旅で訪れた英国人女性のイザベラ・バードは人々が愛想がよく親切だとほめてはいるが、公衆衛生の概念がないため不潔な手で目をこするために眼病が多く失明者も多いと観察している。それでも日本には男女混浴の銭湯があった。

古代ローマの大浴場で人々は入浴を日課にしていた。水浴びや湯あみ、蒸し風呂を2時間以上続けてから、かいた汗や皮脂を道具で掻き落とし、仕上げにオイルを塗っていたとのこと。

しかし中世に入るとそうした清潔感はキリスト教の教えと共に変化、毎日の入浴はおろか、体を洗うこともなくなり、日本の平安時代の貴族並みになる。町でも自宅から出た糞尿は道に捨てられていたという。ペスト流行時には湯あみで開いた毛穴からペストが体に入ってくると信じられ、誰も湯あみや洗顔さえしなくなった。17世紀のフランス貴族は、毎日下着を替えれば清潔と考えていた。こうした状況は欧米では19世紀末ころまで続く。

しかしアメリカでは19世紀末にはシャワーと温水器の普及で、現代のような清潔感が広まっていく。あとからアメリカにやってくる欧州からの移民はまだまだ以前のように体を洗わない習慣であり、アメリカ人は清潔感の異なる移民たちに生活の大切さを教えることになる。

日本でもアメリカでも石鹸やシャンプーを使って体をきれいに、臭いもなくすることは重要視されているが、それはここ100年以内のこと、日本では50年程度ではないだろうか。

筆者は日本のことも書いていて、「日本では同じ職場の人間が就業中扱いで集団で入浴することがある」などと記述、誰に聞いたのだろうか、本当にそんな会社もあるのかと思ってしまう。社員旅行を出勤扱いにする会社、ということか。

逆に現代の清潔過ぎる環境が、アレルギーや喘息を助長するという仮説がある。本書によれば、清潔すぎる環境により、糖尿病や関節リウマチ、心臓疾患を引き起こす減となる可能性もあるとのこと。

とすると、またまた逆に戻ってあまり体や顔を洗いすぎないこと、歯も磨かない、などということになるかもしれないし、実はこんなに清潔好きになってしまった現代人、特に日本人は、CMの見すぎ、影響を受けすぎなのかもしれない。時代によってまた国によっても清潔の概念、感覚は大きく異なるということ。


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日本史の一級資料 山本博文 ***

2016年01月13日 | 本の読後感
歴史はその再現フィルムなどはなく、インタビューして歴史上の人物に裏を取ることもできないため、現在書かれている歴史は、文書、遺跡、遺物など「史料」とよばれる歴史に残された証拠から憶測して成り立っているもの。つまり、歴史は新たな史料が発見されその発見史料に高い信ぴょう性があり今までの史料を上書きすることもあるということ。「一級史料」とはそうした歴史上重要で歴史を上書きできるほどに信ぴょう性の高い、もしくは偽文書であっても既存の歴史史料の間違いが裏打ちできるものなどを指す。「歴史認識」はこうした現存する歴史史料を自分としてどのように認識して理解評価するかという見解表明である。

「史料」は幅広い用語で、遺物や遺跡も含むが歴史学者よりも考古学者が扱う対象、「文書」はモンジョ、「古文書」は古い文書、「日記」は記録で史書、実録、覚書なども記録の一部。「伝承」でも史料といえる場合があるが、史料とはならない場合のほうが多い。「絵画」「建築」なども史料になる場合がある。史料は歴史上研究の材料になるものであり、資料は一般的な研究材料。

宮本武蔵に関する史料(対象に関して直接記述された文書など)は、小倉郊外にのこる石碑と五輪書だけといわれる。石碑には「小次郎が真剣勝負がしたいといった、武蔵は自分は木のほこでお相手すると答えた。小次郎の真剣は三尺あまり、武蔵は木刀の一撃で小次郎を仕留めた」と書かれこれを書いたのは武蔵の養子である伊織、顕彰碑に書かれた内容なので美化されている可能性はあるものの大きな嘘はないはず、というのが歴史的評価らしい。吉川栄治は長編宮本武蔵全8巻を書いたが、何をもとにそんな長編を書いたのか。

武蔵の没後約百年の1855年に肥後の豊田景英が書いた武蔵の伝記「二天記」、景英の先祖は武蔵の庇護者であり、小次郎のさや当ての逸話はこれによるもの。つまり景英が実際に見たり聞いたりしたものとは考えられないため、小説のようなものであり二次史料とも言えないとの評価。熊本藩の記録で武蔵が登場する「沼田家記」という書きものがある。これによれば双方とも弟子を連れてこないで仕合をしようと約束したのに武蔵は弟子を連れてきていて隠れていた。武蔵が小次郎に一撃を与えたのちに武蔵の弟子たちは蘇生した小次郎にとどめを刺した、とある。

五輪書は武蔵が書いたのかどうかの疑念があるとされ、武蔵の死後に書かれた「葉隠」を下敷きにした記述がみられ武蔵の自筆だというには無理があるとのこと。しかし史料にはこのようなケースは多く、五輪書も武蔵の弟子が書いた可能性が高いとも言われ、立派な史料としての価値があるという。そもそも武蔵が死んだ後にも五輪書や二天家記が書かれたこと自体が、武蔵の二天一流の流派の広まりや流派創始者の精神を広めていこうという弟子の思いが感じられる社会の様子が感じられるということ。史料としての扱いは、弟子によるものは美化されている、一部はねつ造されたものと理解しながら活用することだというのが筆者の考え。

歴史学者である筆者は歴史史料を探訪して地方を旅する。旧家にはまだまだ埋もれた史料が残っているケースもあるという。江戸時代の各藩には3種類の史料がある。一つは藩政史料で家老、江戸藩邸、町奉行、勘定所などの日記や裁判記録、会計帳簿などがある。二つ目は大名家の史料で、系図、将軍からの手紙、他大名からの書状など。三つめは藩史で後に編纂されたものとその材料となった文書など。明治21年に明治政府は江戸時代の旧大名島津、毛利、山内、水戸、伊達、池田、黒田、鍋島、細川に旧藩の歴史史書編纂を命じたため、その史料を集めた際の写本や家史の原稿などが残ったのだという。

その中でも一級史料といえるのが島津家史料、西南の役の際には重臣の東郷重持により大切な文書として避難させたという。島津家文書は秀吉や家康からの手紙や江戸時代の史料が多く含まれているために、この文書からだけでも江戸時代の歴史が書けるほどだという。筆者の修士論文はこの島津家文書、この本、歴史好きには参考になる著作である。

1467年の応仁の乱では京都の建物のほとんどが焼失、史料も多くは消失してしまったため、内藤湖南は応仁の乱以前の歴史はその後の歴史とは区別すべき、と述べたという。また古事記と日本書紀についても、編纂当時の政権者であった者たちによる歴史の書き換えがなされたという説があり、蘇我氏や聖徳太子の事跡の見直しも必要だとする説も多い。同様のことは現代であっても起こっていると考えたほうがいいだろう。事実や証拠と自分の理解、評価は分けて述べたうえで、検討や議論は進める必要があるということである。


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年賀状の整理にスキャナー導入 ScanSnap iX500 *****

2016年01月12日 | 日記
数年分たまった年賀状、なかなか捨てられないので年別に保管してきたが、いつまで持っていても仕方がないので過去2年分以前は廃棄することにしたのだが、それでもなくなってしまうのは気が引けるし、過去の年賀状を見たい時もある。複合機にもスキャナー機能はあるが、一枚ずつのスキャンはやってられない。

そこで、一気に読み込めるドキュメントスキャナーを導入した。各機種を検討したが性能と評判、価格、そして付属ソフトウェアから総合判断し、富士通のScanSnap iX500に決定、年末にポチって早速使ってみた。

早くてスムーズ、過去4年分、500枚以上を読み込んで保存は終了した。もっと早く導入すべきだったのかもしれない。付属するソフトウェアで年賀状全部と一枚ずつや表裏を並べてみるなどの一覧性もよく、あとからの追加削除並び替えなども簡単にできる。読み込みは25枚ずつ程度にしておいたほうがスムーズ、きっちり並べることでつまりもなく、懸念していた重ね読み込みや読み飛ばしは一切なかった。おかげで過去の年賀状をしっかり読んで新年分を書くことができた。

一方、このスキャナーを使って本の「自炊」をしている話もwebには紹介されている。しかし本を切る必要があり私には心情的にできないし、図書館で借りた本を切断することはできないため、こちらにはScanSnap SV600というのを使っている。

図書館で借りた本は、この富士通 ScanSnap SV600でスキャンして、Kindle Fire HD 8.9で読むが全く問題なくスムーズに読める。図書館の本は大きく重いので気軽に読むには不適と敬遠していた。スキャンするのに300枚で60分、平均すれば、本書であれば2P分をまとめて一回でスキャンするので、約150枚で30分かかる。これを面倒と思うか、便利と考えるか。SV600は45000円、Kindleは20800円、簡単にはモトは取れないと思うが、最近では本屋で買うよりは図書館で買うほうが多い。図書館通いでまったく新たなジャンルの本にも出合えてなかなか面白い。




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敗北を抱きしめて(上・下) ジョン・ダワー *****

2016年01月11日 | 本の読後感
1999年に書かれ、日本では2001年に出版された著作。1945年に太平洋戦争が終わり、進駐軍として日本を占領したアメリカ、アメリカ人は日本人と日本をどう見ていたのか、日本人はそうしたアメリカとアメリカ人をどう見ていたのか。アメリカ人のジャーナリストで日本人の妻を持つ筆者は、双方の立場と見方を様々な事実や参考文献から分析する。両国にはそれぞれ愛国的な見方もあり戦争中はそれが人種差別的なフレーズになってキャンペーン的に利用された事実もあった。終戦後はそのような見方はどうなったのか。両国人は終戦後も急にそうした態度は変えられるものだったのか、筆者としての見方を解説している。

戦艦ミズーリで終戦の手続きのため日本に来ていたアメリカ人たちはそこに敗戦国の日本人を初めて間近に見た。そこに来ていたのは日本代表は重光葵、アメリカ人の中には天皇は来ないのかと疑問に思った兵隊も多かったという。1853年にぺりー提督が江戸幕府に開国を迫ってから93年、その時には資源もない小さな国であった日本を見た欧米人たちは、巨大な国土を持つ隣国中国を「眠れる巨人」と呼んだが、200年の鎖国で眠っていたこの小さな国が、将来隣国やアメリカまでもを脅かす巨人になるとはだれも思わなかっただろう。

侍たちが明治維新を起こし作り直した国は、欧米から見れば「セリフ覚えのいい俳優」のようだったという。維新後の日本は平時の統治手法、戦争時の近代的戦闘手法、帝国時代に生き延びるすべを身に着けていった。日清日露戦争を経て第一次大戦を戦勝国の五大国の一国として戦った日本は、日清戦争以降、澎湖島、台湾を手に入れ、満州の権益と朝鮮半島の実質的な支配を手に入れ、第一次大戦の敗戦国ドイツからは中国の権益と太平洋諸島の統括権を手に入れていった。ここまでが「セリフ覚えのいい俳優」としてのふるまいだったが、この後はさらに巨大化する欲望を止められなかった。

シベリア出兵からしばらくは極東の国の振る舞いを黙認していた欧米列強の強い警鐘がリットン調査団の報告書であった。「日本は満州をはじめとして多くの権益を手に入れるために数知れないほどの犠牲を払ってきた。日本にとっての満州は生命線である」と主張する日本、このとき日本の指導者たちは、欧米諸国にも植民地があり生命線であるはずだ、とも思いがあり、多くの植民地を持つ英国人にも理解されるはずとの期待もあったがそれは否定された。「日本にも守りたいものがあるかもしれないが、欧米諸国も民主主義と自由平等という価値観を守るために、日本以上の犠牲を払ってきたことを日本は知る必要がある」と日本の立場を否定した。

1920-30年代、世界が恐慌と同様の時代に入ったころ、日本はアジア市場と資源を手に入れるため世界の混乱に乗じて中国に侵攻、南部仏印に進駐した時に発火点に到達した。ペリー提督が開けた瓶からは妖精が出てきたとその時には思われたが、その妖精は血にまみれた怪物になったとアメリカ人は表現したという。「一億玉砕」という日本におけるキャッチフレーズは、アメリカ人からは狂気にまみれた怪物との戦いを思わせていた。

終戦後の占領は1945年8月から1952年4月まで、6年8か月続いた。太平洋戦争の約2倍の期間、アメリカは日本を占領したのである。占領期間、日本は国家主権を失い、外交関係もなかった。アメリカの承認なしには政治、行政、経済の重要決定はできなかった。アメリカ人が日本に対して行おうとしたのは徹底的な非軍事化と民主化であった。アメリカ進駐軍を指揮したマッカーサーには巨大な権限が与えられた。日本政府の上の上主のような立場であり、日常的な立法、行政、司法は日本の仕組みを使いながら、GHQの意向は実質的には「命令」であった。マッカーサーは当初から理想的な民主主義を日本に植え付けようとした。アメリカ以上の労働者の権利や女性の権利が認められた。しかしマッカーサーは決して日本人を直接的に知ろうとはしなかった。マッカーサーと2回以上話をした日本人は政府の主要閣僚16名しかいなかったという。

労働運動の高まりから戦後釈放された左翼陣営の力が急激に台頭した結果、GHQはこれを弾圧、逆コースと日本では言われたが、マッカーサーは結局日本に戦後も温存された官僚機構と保守層と手を組む結果となった。こうしてマッカーサーのやや理想とは離れはしたが、平和主義と民主主義は日本に根を下ろしたかに見える。

現在の日本には新ナショナリズム的な強い主張が復活している。こうした敗戦後の日本の民主化と平和主義について、自由な選択が制限され外国モデルが強要されたという主張を、当時の屈辱感とともに思い起こしているようである。問題は、押し付けられたとも表現されるこうした歴史のなかで、日本人はどう考えどのようにふるまってきたのか、どのように納得してここまでの戦後70年を過ごしてきたのかということである。「平和と民主主義」これは多くの日本人にとっては金科玉条、侵してはならないマントラであり、これはなにも日本だけに限ったものではないはずである。「一億総活躍」というキャッチフレーズにNYタイムズが過剰反応する理由はこうしたところにあること、歴史から理解する必要があり、リットン卿が報告書で書いたこと、それを今もう一度思い出す必要があるはずである。本書はこうした終戦後の歴史を客観的に振り返らせてくれる。


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My Little Lover(ピアノ譜) ****

2016年01月09日 | 本の読後感
昨年11月にNHKのSONGSに「My Little Lover」が登場したのを見ていた。1995年にデビューした時に出したアルバムが「evergreen」、その中でも「Hello,Again〜昔からある場所〜」は好きな曲だったのを思い出して、神保町に行った時に楽譜を探してみたがどこにもなかった。Amazonでみたらやはりあった。探しものをするのに神保町は最適な場所ではなくなって、ブラブラしていたら面白い本を見つける場所になってしまった。曲集にはHello, againの他にも全36曲がおさめられていて、知らない曲がほとんどだが、SONGSで久しぶりに聞くakkoの声は、いわば独特だった。高音のキレはあまり無いが、声は一つなのに3人位の声が混ざっているような、不思議な声音である。CDもTSUTAYAで借りてこようと思っている。

一方、NHK BSではCoversという番組もあって、他人の曲をカバーするのだが、SONGSとCoversはいずれも録画しておいて見逃せない番組になっている。Coversに昨年暮れにでていた水樹奈々は中森明菜のsecond loveをカバーしていて、紅白で見ていた時と全然印象が違った。演歌の香りがする80年台アイドル、という歌い方で、その声色と雰囲気に今になってファンになった。そこで神保町では水樹奈々の楽譜も探してみたがアニソン以外には一切見当たらず、Amazonでもピアノ譜はアニソンばかりである。アニメの声優がメインなのかもしれないが、80年台アイドルのカバーをしてDVDをだしたら、May Jよりも徳永英明よりも売れると思うのだが、どこかの音楽プロデューサーの目に止まらないのだろうか。


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百代の過客(上) ドナルド・キーン ****

2016年01月08日 | 本の読後感
昨年末、神保町の本屋で見つけた上下巻、1983年から84年にかけて朝日新聞で連載されていたという、日本人による平安初期から幕末までの日記をドナルド・キーンが読むという企画。キーン氏はそもそも太平洋戦争時には兵士として太平洋戦争に参加し、日本兵が書いて戦場に遺棄された日記を翻訳し、日本軍の動きを知ろうという役割だったとのこと。船に被った被害状況や戦局見通しへの不安などが絶望的な感情とともに記述されているのを見て日本兵の士気の低下などの評価材料としていたという。日本軍はこうした日記情報が敵にわたれば不利益な情報提供になると気づいていたはずだが、それでも日本の伝統の中での日記をつけるという行為が優っていたのではないかとキーン氏は考えている。そうした日記の中にはアメリカ兵が自分が死んだ後で拾って読んでくれることを期待したように、英語で書かれたものもあった。どうか日本の家族に送って欲しいと。これは違法であったが何冊もの日記をこっそりと持っていたところ、沖縄戦線にいた頃に没収されたという。

キーン氏がアリューシャン列島に赴任するときには紫式部、和泉式部、孝標の女などの日記の英訳書を持って行った。今から実戦に赴くのにどうしてそのような典雅な内容の書物を持って行ったのかが思い出せないという。しかし、そうした日記は、当時アメリカ軍ですすめられていた日本人研究や日本人の性格分析などよりもずっと本当の日本人のことを学べたと。日記は日本文学の表現の一潮流をなしているとも氏は評価している。他のどんな文学作品よりも日本人の思考と感情をよく伝えてくれるからである。

上巻は平安時代から鎌倉時代まで。なかでもキーン氏は蜻蛉日記を高く評価する。書き手は自分を客観視する気持ちなどかけらほどもなく、この世に自分より深く悲しんだものは誰一人としていないと確信し、読者にも自分の不幸をたっぷりと味わせようとしているという。土佐日記は女性のふりをした紀貫之によって書かれ、悲しみには遠回しにしか触れていないとの好対照である。藤原道綱母と言われる蜻蛉日記の筆者、地方長官の娘で大納言にまでなった藤原兼家の二番目の妻でもあった。彼女は自分自身と夫、そして息子にのみ強い関心を抱くものの、周りで起きているはずの政治的事件にはほとんど関心を示していない。日記は自分の思いや経験を書き込むもので、何月何日に何が起こった、などは関係がないと考えている。

キーン氏の推測によれば、色男業平の伊勢物語を念頭に置いて、わびしい自分の生活と伊勢物語のような華やいだ生活を対比させれば、宮廷で女性が送る毎日が読者の関心を引くと考えたのではないかと。なりふり構わず自分をさらけ出すこと、自分の不幸を読者に知らせることにおいて道綱母の右に出るものはないのではないかと。

紫式部日記、これを読む読者は期待を高めるはずだが、その文学的な価値は高くないという。しかし、この日記では、源氏物語の中で描かれているような高貴な貴族ではなく、実際には卑猥な戯ごとを言いちらしたり女性にみだらなことをする泥酔貴族を描いている。紫式部はこうした現実から逃避するようにあのように典雅な源氏物語の世界を理想的な姿として描いたというのがキーン氏の推測である。

日記の中で、同時代の和泉式部と清少納言を評価したくだり。和泉式部は、「何気なく気軽に書いた手紙に才能がある人で、なんでもない言葉でも光って見えるのに、優れた歌人とは思えない」。清少納言は、「気取りぐせが付いた人はひどく面白みのないところでもいやに感じを出し、どんな些細な興味でも見逃すまいとして、自ずから馬鹿げて浅薄に見える」。自分自身の評価は、「他人からは鈍い女と見られているけれども、本性に合わせて振舞っているのであり、中宮からも打ち解けられない人だと評価されているかもしれない。本当に敬っている方を不快にさせずに済めば良いのだけれども」

キーン氏はこのような紫式部の性格が源氏物語のような長大な小説を書き得た理由だとする。他の女房たちが宮廷内の権謀術数や恋の鞘当てなどに夢中になることから距離をおいて大小説をかきえたのだと。

上巻ではこのように平安時代の入唐求法巡礼行記から土佐日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、更級日記、紫式部日記、讃岐典侍日記など、鎌倉時代では建礼門院右京大夫集、明月記、十六夜日記、弁内侍日記、中務内侍日記、とはずがたり、など合計29の日記を読んでみている。

そういえば、昨年BS-TBSで小澤征爾とキーン氏の対談が放映され、交響曲やオペラについての二人の会話があった。キーン氏の記憶力は素晴らしく、1941年のニューヨークでの公演やマリア・カラスの1950年台の公演などについて思い出話を語っていたが、小澤征爾はそのように年月日などは覚えていない、と言っていた。文学の評価をする、ということは過去に自分が読んだ他の作品との比較や検証が必要であり、こうした記憶力は大いに関係しているのではないかと思う。



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日本の蝶 日本チョウ類保全協会編、 昆虫記 今森光彦 *****

2016年01月07日 | 本の読後感
田淵行男の本を読んでからは蝶々から昆虫へと関心が広がり、一年を通して昆虫を観察するにはどこを探せば良いのかという疑問からこの本にたどり着いた。子供向けに編集された本ではあるが、写真と絵が多用されていて見ていて楽しく飽きない。取り上げられているのは日本ではだいたいの田舎で見かけることができそうな昆虫で、4月から3月まで毎月の昆虫の見どころ、探しどころが写真付きで解説されている。

4月。花で獲物を待つハナグモ。チョウや蛾の幼虫の顔、アリとアリマキの友情関係、など。
5月。モンシロチョウの変身、カマキリの兄弟は300匹、菜食主義者のハムシ、など。
6月。擬態とカムフラージュ、ギンヤンマのヤゴによるマジックハンド、光るゲンジボタル、など。
7月。モンシロチョウの孵化、虫の排泄、水辺の観察、ニイニイゼミの求愛、など。
8月。キリギリスの産卵、網を張る蜘蛛、ゲンゴロウのダイビング、プロの殺し屋のハチ、など。
9月。夏の終わりの虫の住所、蜂の自尊心、糞に集まる虫達、用心深い母トノサマバッタ、など。
10月。餌を土で隠す蟻、オオカマキリの産卵、家庭内昆虫、虫の卵連想ゲーム、など。
11月。イラガのまゆ作り、冬への準備、短い一生。
12,1,2月。冬の虫ごし、虫の古巣、冬の隠れ家、アゲハの蛹、ナミてんとうの冬越し、など。
3月。ひなたぼっこする昆虫たち。早春と虫と花。

これらが農家の周りのどんなところで見られるのか、琵琶湖の近くに暮らす筆者の家を例に紹介されていて、ずっと見ていても飽きない。蝶々の図鑑とともに春を待つ間にじっくりと研究するつもりだ。



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「在日特権」の虚構 ネット空間が生み出したヘイト・スピーチ 野間易通 ****

2016年01月06日 | 本の読後感
テレビを通してではあるが、在日コリアンが多く暮らす町中で大声を張り上げた大勢に人間たちが「朝鮮人、出て行け、死ね!!」と叫んでいる報道を見て、なぜそういうことをしているのかと疑問に感じた。報道によれば、京都の朝鮮人学校の前にも現れた集団が、子どもたちを相手に同様の活動をしているとのこと、これは果たして座視していて良いのかと思った。そして彼らの主張の中に「在日特権を許さない」というものがあるのを知り、それはなにかと思って調べてみたときたどり着いた本の一つが本書だった。まず第一に、人種や国籍を理由に「死ね、出て行け」ということは許されるはずがない、これは論外であるが、在日特権、というものがもし存在するならそれはなにか調べる必要があるだろう。

「在日特権」でgoogle検索してみると、wikipediaなども含めて特権があるとの主張ばかりで、「雑音」も多くてどれが事実なのかがよくわからない。結構検索できるということは、在日コリアンに特権があるのだという主張がネット上にはびこっていることの証明ともいえる。特権、という単語は特権階級とか政治家の特権などと使われる文脈が多いと思うが、権力を握ったひとかたまりの人たちが一般人にはない権利を行使して得をしているので許せない、ということだと思う。こうした特権に反対するとして、ヘイト・スピーチと言われて報道されるような行為は果たして許されるのであろうか。問題は大きくは2つにわけられる。人種や国籍、性別、宗教、信条などを理由とした差別発言は許されない、そして特権があるのなら事実を解明する必要がある、この2つ。

「在日」で検索すると比較的ニュートラルになる。検索してみると在日コリアンが提供しているwebサイトFAQサイトが有り比較的わかりやすい。特権としてあげられれいるものにはいくつかある。

‘段民塀算餝
年金
D面召叛験菠欷郢抖
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在日特権がある、との主張のサイトを見ると如何にそれらが事実であるかを事例を通して証明しようとしている。特権などない、という主張では在日コリアンの歴史的背景や太平洋戦争終結以前に旧日本の植民地であった台湾や朝鮮半島、中国などから強制的に徴用されてきて日本に居住を続ける人たちへの年金や支給適用の理由、創氏改名を強制された経緯、差別の実態、通名継続の理由などを説明していて、それらはそもそも日本政府が日本国民に説明すべき内容であるとも感じる。

本書を通読し、各種のWebサイトも読んでみて思うことは、特権というよりも歴史的背景から太平洋戦争後も日本に居住を続ける外国人への日本国としての配慮とも言える措置ばかりである。こうした権利付与、というより措置に反対するのであれば、その相手は措置や特例を認めている日本国であり、スピーチやデモの相手を間違えているのではないか。

日本と韓国の間にはさまざまな歴史的経緯による感情的軋轢が存在するのは事実であるが、対立を生み出すことは前向きで生産的な活動ではなく、プラスもマイナスも含めた相互理解こそが重要、と考えれば在日コリアンに特権がある、などという攻撃する相手を間違えた主張にはつながらないと思う。

明治維新以降の日本が、国内で不足する資源を外国に求め、台湾、朝鮮半島、満州と侵略を繰り返し、その果てになぜ太平洋戦争に突入してしまったのか、この反省の第一は、欧米並みの一等国になりたいという強い思いから生まれ出た「過剰なナショナリズム」であったことよく考える必要がある。戦後「12歳の民主主義」と評価された日本は、民主主義国家として未だに成人もできていないのだろうか。


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江戸・東京の地理と地名 鈴木理生 ***

2016年01月05日 | 本の読後感
年末に神保町をうろついている時に見つけた本、江戸城ができる前は湿地帯であった、というくらいの知識しかない私には非常に興味深い本だった。

1540年ころの東京は日比谷入江が大手町まで入り込んでいて、今の皇居、霞が関、愛宕山を結ぶラインが海岸線で、その向こうに江戸前島という半島が新橋辺りまで突き出していた。今の東海道線は東京、有楽町、新橋辺りまでが陸地で江戸前島、その先はまだ海であった。飯田橋の北側には白鳥池、上野の西には不忍池、東には千束池、秋葉原と神田の間にはお玉が池、その東に今の隅田川である入間川が流れていた。

家康が入城し江戸普請が行われた1590年ころには江戸前島を横切る道三堀が作られ、日比谷入江の埋め立てが始まる。1607年までには日比谷入江が埋め立てられ、北の丸、西の丸、そして本丸の周りに溜池、外堀が構築された。秀忠に代替わりして1615年ころまでには八丁堀から外堀にかけての水路が整備され、石神井川の放水路としての神田川の原型が形作られる。1635年までには江戸城の外堀に城門と石垣が築かれ、外堀からは当時の大砲の射程距離でも本丸には砲弾が届かない設計になっていた。この当時の江戸の街鳥瞰図が残っているが、それはスカイツリーからみたような江戸の町で、どうやってこれを描いたのかが不思議な気がする。

そのさらに昔、石器時代の地形は貝塚の跡によってほぼ推測できる。今の東武東上線と京浜東北線の間はずっと東京湾から入り込んだ入江になっていて高崎あたりまでは海。霞ヶ浦近辺も全部海で今の川の流域は全部入り江だったと考えてもいいほど。しかしその時代からも人は住んでいた。海岸では多くの魚介類が採れたはずである。

大和政権時代には地方の街道が整備されたが、東京は単なる通過点で相模の国の高麗から北上し、平間、当麻、多摩、狭山、入間、児玉ときて利根川を渡り群馬(くるま)、そこから東西に別れ、西には吾嬬、浅間、千曲とつながって、東は足利に向いているが当時の街道。面白いのは相模の高麗からずっと地名の最後の音は「マ」であること。そういえば地図を見ると、座間、鶴間、埼玉などこの沿線には「マ」が多い。

武蔵野の自然、とよく言われるがそれはどこを指していたのだろうか。実は城郭が存在していない地域がある。それは中央線より北側、西は福生、東は練馬北は所沢、この地域には雑木林ばかりがあり農地がなかったためそれを守る砦も必要がなかった。この辺りの開発は江戸時代も後半で、享保期以降。そして近代的な水道設備の整備とその後の鉄道開発により一気に東京圏となった。国木田独歩の「武蔵野」で描かれているのは現在の渋谷、世田谷あたりの旧荏原郡で上記武蔵野範囲とは少しずれている。

江戸時代から明治維新以降の話も多くの絵図とともにたくさん紹介されていて楽しい。


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グレート・トラバース 日本百名山ひと筆書き 田中陽希 ****

2016年01月04日 | 本の読後感
2014年、BS NHKで放映され、一年を通して見ていた番組がこれ。深田久弥の「日本百名山」は山登りをするものなら誰でも知っている名著だが、その百名山すべてに登ることは容易ではない。その百名山を4月1日から約半年かけて、自力で、動力を使わず、一気に登るという試みで、南の屋久島から宮之浦岳をスタートに、そこからカヤックで鹿児島に移動、開聞岳、霧島岳と九州を北上、九重山のあとは関門海峡を歩いて渡り中国の大山まで徒歩移動、しまなみ海道を渡って石鎚山と剣山、紀伊水道を再びカヤックで渡り、そこから近畿中部地方へ。南アルプスから北アルプスへ、ここはまだ残雪がある6月で山小屋も開いていないところもある。恵那山から3000m級の山々を南の赤石岳、北岳、甲斐駒ケ岳と北上、噴火前の御岳を6月11日にクリアして、乗鞍岳、穂高岳、常念岳、槍ヶ岳、黒部五郎岳ときて、剱岳、立山ときて、今度は五竜岳、白馬岳とここまでで6月28日とアルプスを一ヶ月で踏破した。

ここからは比較的低い山が続く。雨飾山から妙高山、草津白根山、浅間山、美ヶ原、霧ヶ峰ときて八ヶ岳を一日で縦走する。瑞牆山から金峰山、甲武信岳をへて富士山にも登る。ここから神奈川、東京、埼玉、茨城を徒歩で北上、北関東から東北の山々を7月から8月の真夏期間に北上、八甲田山から岩木山に到達したのが9月10日。ここでカヤックに乗り津軽海峡を北上、北海道は羊蹄山から利尻山までの9座を10月26日までかけて登り切った。

放映を見ていると、田中陽希はもちろんだが彼を追っているNHKの撮影班の大変さを思う。撮影班は田中陽希の完全に黒子となる約束で、登山はもちろん移動を手伝わない、荷物運搬を手伝わない、命にかかわる危険以外では絶対に助けないという約束。宿泊や移動、食事も田中陽希は自分持ちである。スポンサーは田中陽希が務める会社が負担するという約束。

本書は番組を見ていなければ感動はないと思う。まずは番組を見て感動した人が、感動の追体験をするための本といえる。2016年の正月にこの番組の再放送がありまたまた見てしまった。実は2015年は二百名山に今回は北から南へ挑んでいる田中陽希、これもNHKが追っていて順次放映されている。挑戦の様子はHPで公開されていて、1月1日に最後の一座への登頂に成功したとのこと。この放映は1月下旬の予定である。録画予約してゆっくり見るつもりだが、とにかく田中陽希の明るさ、前向きさがあり、31歳という若さがみていて清々しい。また、最初はあまり知られていなかった彼の挑戦が、BSで放映されるに従って登山者の間で有名になり、近畿やアルプス、関東を通過するときにはあらゆる山で「ファン」に遭遇、多くの山では頂上でファンに囲まれるようになる。悪天候でも頂上でまつファンを気遣い、徐々にその責任を感じて気が重くなる田中陽希。しかしそれもエネルギーに変換して気を取り直す様子も好ましい。徐々に精神的に成長していく様子がわかってこれも好印象。

百名山の挑戦を伝えるプログラムでは間寛平が茶々を入れるのがちょっと付け足し風だったのが、二百名山ではももいろクローバーと登山家の田部井淳子が解説するのでこちらは良くなったと感じる。とにかく、山登りに関心がなかったという人にもおすすめするこの挑戦、一見の価値ありである。




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