意志による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

アイヌと縄文 瀬川拓郎 ****

2016年08月31日 | 本の読後感
六万年ほど前にアフリカを出た現代の人類は、長い道のりを経て35000年前に氷河期の日本列島にやってきた。旧石器時代を経て、15000年前頃からは気温が温暖化、縄文時代に移行した。本州では3000年ほど前からは弥生時代に移行するが、北海道では縄文時代が続き西暦千百年頃からはアイヌの先祖の二風谷時代に移行した。

最近のDNAによる研究によると、現代も24000人ほどいるアイヌは縄文時代の人たちの子孫であるという。ただし、本土では大陸からの渡来人と縄文人の混血が進んだ。琉球人は本土人より縄文的要素が高く、アイヌでは非常に高く認められるが、オホーツクとの混血もうかがえる。東北北部の先住民である蝦夷(エミシ)は、出雲との関係が見られ、方言の共通が見られる。つまり、朝鮮半島からの移入は、何度もあり、その流入経路は北九州経由、出雲経由、福井経由、新潟経由など多様だった。

東ユーラシアの人類の類型分析によると、アイヌはどの人類とも異なる特徴を持ち、日本列島に住み着いた人類は、当時の人類としては孤立した遺伝子を持つという。そしてアイヌの言語も、古代の言語としては独自であり、日本語の原型である可能性も高い。世界の言語の中で分類しきれないものが9つあり、アイヌ語、日本語、サハリン語、朝鮮語と4つが東ユーラシアに集中しているという。

弥生文化が朝鮮半島からもたらされたとき、日本列島に広がっていた縄文人は列島北部と南部に追いやられた。北部のアイヌとエミシ、南部に琉球と隼人である。その時、縄文人は北では、本州北部から北に追いやられたのだが、名残は、日本列島の東北北部に地名としてはっきりと残っている。川を表すアイヌの言葉「べつ」「ない」は本州の仙台と酒田を結ぶ線の北側に残っている。「ない」はアイヌの日本海沿岸グループが進出した日本海沿岸に、「べつ」は太平洋側に残っている。

現代のアイヌと古墳時代以降の文化は異なるため、筆者はこれらの古墳時代以降の時代のアイヌを「ニブタニ人」と呼ぶ。ニブタニ人の貴人が亡くなると、3年の「もがり」を行った。もがりの習俗は本州にも残っている。ニブタニ人は、妻が遺体をミイラにして三年後に埋葬した。ミイラ化の習俗は東ユーラシアでは珍しい。しかし、もがりの習俗は朝鮮半島や大陸沿海にもあった。これは儒教の影響も受けていたことを示す。

本州を大和政権が統一すると、ニブタニ人は、大和と交易を行うようになるが、物々交換を拒否し、あくまでも贈呈とその返礼、という形式に固執した。それは、交易の商品が、本来は自然からの賜り物のはずにも関わらず、それを商品とすることに抵抗があったという考え方だと。そのため、交易のための商品も、いったん聖なる場所に持ち込んで、賜り物である毛皮などのお祓いをした。こうした習俗は、瀬戸内海に海賊として生きていた村上海軍にも残っていた。つまり、山の中に山の民として残った人、海の民として残った人、これらが縄文人の末裔である可能性があるというのである。

秋田に残ったマタギは、平地に降りることなく、奈良や京都の町までたどり着けたという。山の民、海の民には、弥生文化には計り知れない世界を持っていた。

現代の日本人が、自然との共生や里山資本主義を唱えるのには、こうした縄文人の魂がまだ残っているのかも知れない。強欲資本主義の限界を乗り越えられるのは、意外にも、こうした縄文人の考え方なのかもしれないと、妄想してしまう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ポスト資本主義 広井良典 ****

2016年08月29日 | 本の読後感
人類は、火を使い文字を使いはじめてから、狩猟から農耕へ、そして物々交換から市場経済へと進んできた。本書では、資本主義とは、市場経済プラス拡大と成長を志向するシステムであると定義。これはマルクスの資本論における市場経済の定義である「商品ー貨幣ー商品」の変型で、「貨幣ー商品ー貨幣」というサイクルが最初の貨幣より後の貨幣が大きくなることを志向するシステムであると。この拡大のサイクルが、コミュニティサイズの成長が止まるとどうなるのか、これが本書のポイントである。

資本主義経済における歪みを是正する国としての方向には二つあり、ひとつは公共事業や科学技術への投資、もうひとつが、社会保障や税制による所得の再分配である。現在の世界の国でいうと、アメリカは前者優先の科学国家、欧州は後者優先である福祉国家。ローマクラブによる「成長の限界」で分析されたのが、農耕による土地の限界突破、植民地化と工業化による労働力の限界の突破であると。そしてこれも資源的限界に突き当たる。さらに生産性の限界は世界が高度な社会に到達した時点で訪れて、現代のポスト資本主義の議論に繋がる。

現代の先進国経済に共通するのは、生産性が上がるほど失業者が増える、というジレンマ。「過剰による貧困」とも言える皮肉な事態である。日本ではこれを「小泉改革の負の遺産」とも評価されるが、筆者は二つの対応策を示す。資本主義是正の方策と同様の、過剰の抑制と再分配の強化である。具体的には、時間の政策として時短、日本においては国民の休日増加、そして時間消費を提供する、商品のサービス化である。

さらに、生産性の評価基準を労働生産性から環境生産性とすることを提案。政府政策として福祉分野で労働集約的領域への投資を呼びかける。

また、税制にも産業の変化に応じた対応を提言。前産業化社会が土地への地租、産業化社会がフローの拡大を捉えた所得と法人税であるのを、ポスト工業化社会ではストックへの相続税や資本課税に移行すべきだと。また、環境課税も資源消費抑制のために必要だとする。

さらには、コミュニティ経済の展開を提唱、資本主義と社会主義の中間の緑の福祉国家を社会構想とする。本書の主張はここまで。

これは環境と福祉の融合であり、「分かち合い資本主義」や「里山資本主義」などの主張と重なる。日本における経済政策は今のところアメリカの追随であり「競争資本主義」あるいは「強欲資本主義」をなぞるような科学国家的施策である。このままでは、格差拡大からの不満増大により、いずれは路線変更が必要になるのではないか。安全保障政策の議論と並行して、前向きな経済政策の方向性に関する議論を期待したい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中国4.0 エドワード ルトワック ****

2016年08月25日 | 本の読後感
現代中国の海洋進出、相当な傍若無人さを多くの日本人が感じていると思う。これはいったいいつから始まったのか?筆者はリーマンショック後、アメリカの成長が止まり、2020年頃には中国が経済規模でアメリカを凌駕する可能性がある、との見方が出た以降だったとの分析する。2000年以降、中国は国際社会でのルールブックを遵守しながら活躍の場を広げてきたことを1.0とし、傍若無人さを表面化させた2009年頃からを中国2.0と表現。

基本的には、中国は国際感覚が持てていないと評価する。九段線という考え方など、酔っぱらいの世迷い言と評価する。尖閣諸島についても資源に関心がない時代には見向きもしていなかったとする。

その後2014年頃からはさらに、相手によって出方を変える中国3.0に進化、経済的な支援をちらつかせれば、相手は態度を変えてくる、という考え方だと。

中国指導部にとっての外交とは、国内向けのメッセージが半分以上だと分析する。習近平に下から情報を上げてくる仕組みが機能していない、との分析もあり、経済的な停滞が、習近平の強硬路線の更なる強化に繋がる可能性を示唆する。

最悪のケースとしての米中衝突の可能性にも言及、世界の誰も望まない戦争には、日本も巻き込まれるとの分析もある。

九段線の否定、世界のルール遵守宣言、これが筆者が提言する中国4.0であるが、実現するとは考えにくい。日本としては、尖閣諸島対応を油断なく進めながら、毅然たる態度で対応するしかない。

今後、G20や国連の場をどのような態度で中国はのぞむか、習近平の考え方ひとつで国の方向が決められてしまう今の体制に不安を感じながらも、圧力をかけ続けるしかないのかと思う。日本の安全保障政策の前向きな見直しは時間がないと考えるのが、現在の状勢ではないか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

偽りの保守・安倍晋三の正体 岸井成格、佐高信 ****

2016年08月15日 | 本の読後感
毎日新聞記者から論説委員、主筆となった岸井と慶応大学の同窓生だという佐高信による対談。岸井は長く自民党の担当記者で、佐藤栄作首相番記者から保守本流担当記者だった。当時の自民党主流は吉田茂から佐藤栄作、田中角栄、小沢一郎のラインと池田勇人、前尾繁三郎、大平正芳、宮沢喜一のラインがあった。前者は金の匂いが強く、後者はそれほどでもない、と評価。準主流と表現するのが鳩山一郎、岸信介、福田赳夫、三塚博、河野一郎、中曽根康弘、渡辺美智雄のラインである。

中選挙区制度であった20世紀時代の衆議院選挙には、金権政治と派閥支配という問題があり、二大政党政治を目指す、金権政治変革などを唱えて小選挙区制の導入がなされた。その時何が変わったかといえば、自民党官邸サイドの権力増大で、時の権力者に異を唱えることが難しくなり、いい意味で別の意味でも多様だった自民党の活力が奪われてしまったと評価する。

日中国交回復時に舞台裏で状況を整えたのは園田直と保利茂だったと。二人共、意見の異なる国内左派とも協力して中国とのパイプを強くしていったという。今の政権に最も欠けているのは異なる意見に耳を傾け、より良い方向性を見出すことだと指摘、今後の日本の安全保障政策はほんとうの意味での「保守の智慧」が解決策を提示できるはずだと主張。

現在の安倍政権の問題は、異なる意見には一切耳を貸さず、実利のみに執着し敵は徹底的に叩く、その典型例が原発問題と沖縄基地問題。自民党の従来の保守本流はタカ派に乗っ取られてしまい、小選挙区制の導入により力を持てしまった官邸サイドに逆らえない権力構造になっていると。

安倍晋太郎の番記者だったこともある岸井は、晋太郎が常々いっていた「護憲で平和主義」を晋三がどのように理解して咀嚼したのかに注目。岸信介は母方の祖父ではあるが、晋太郎は阿部寛の息子であり、岸信介のような右翼的な国家主義者の流れではないという。安倍晋三は、そういう流れを直に晋太郎に聞いてきた岸井のことが「目の上のたんこぶ」のように鬱陶しいのではないだろうか。

今後の流れの中で重要になるのは市民運動と既成政党との連携であると。米ソ対立から米中並立時代に、日本の安全保障政策をどのように立て直していくのか、保守、革新の左右両サイドからの智慧とアプローチが重要と考える。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

地団駄は島根で踏め わぐりたかし ****

2016年08月12日 | 本の読後感
この本、ラジオを聴いていて知った。この筆者が出演していて「急がば回れ」と「地団駄」の語源を披露していたのである。旅行するにもいろんな楽しみ方があるものだと感心して、買って読んでみたら結構面白い。

筆者は蘊蓄ともいえる語源を調べるために全国を旅しながら、その地の人たちと交流しておいしいものを食べて歩いている。こうした旅で本を書いて楽しみ本まで出しているのだ。ネタには事欠かないはず。

秋田と山形の県境にある鳥海山に近く、有耶無耶の関がある。昔、旅人を襲う山賊がいてそれを恐れた旅人がその山賊が最近出たかどうかを聞いた言葉「いるかいないか」から来たという「有耶無耶の関」本当だろうか。

江戸時代、おいしい酒は関西の伏見や灘から下ってきた酒と決まっていた。「くだらない」とはおいしい酒ではないということから。うん、これは聞いたことがある。

鹿児島にある焼酎の作り方に、蒸留するその方法から下から「チンチン」火を焚いて、上から蒸留された焼酎が「タラタラ」垂れてくる、非常に時間と手間のかかるやり方がある。これを薩摩地方では「チンタラ」するのは手間がかかるし時間がかかるという意味で使っていた。明治維新後、薩摩の人間が日本の警察や軍隊を仕切った時によく使った表現、「コラ、チンタラするんでねえ」これが全国に広まったという。

三重に関という東海道の宿場がある。そこでは京都の祇園祭によく似た山車を街中に繰り出して引き回す祭りがある。道の幅に限界があるので、山車のサイズにも限界がある、そこから大きく作ろうと思っても限界があることを「関の山」。

奈良の平城京には大極殿があった。その屋根を支える柱は4本、それが大極柱、大黒天に守られることから大黒柱と。

江戸の町に神田明神があり、その土手の土でこしらえたおちょこ、土がよくないので注いだお酒が漏ってしまう。そこでへなちょこ。江戸時代の江戸の町には牢獄があった、死刑になるのはまっぴら、その場所が「矢場」とよばれた。だからヤバイ。

まさに文字通り「下らない」のもあるが、読んでいるとそこに行ってみたくなることもあるので面白い。続編は「太鼓判は山梨で押せ」とのこと。機会があったら読んでみることにする。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

誰がこの国を動かしているのか 鳩山由紀夫、白井聡、木村朗 ****

2016年07月29日 | 本の読後感
「永続敗戦論」の著者白井聡は、「戦後政治を終わらせる」で知った。日米安保条約と日本国憲法について、上っ面の賛成、反対、護憲、改憲などではなく、その成立の歴史から、世界情勢の変化を受けて、日本国としての立ち位置を戦後70年という時間軸で見せてくれた。「米国が隠す日本の真実~戦後日本の知られざる暗部を明かす」の著者木村朗は、安保、消費税判断、TPP、原発、メディアの劣化、などにおける米国による日本支配を解説して見せた。鳩山由紀夫はご存知の元首相、「宇宙人」として知られるが、沖縄基地問題では「最低でも県外」でミソをつけた。

本書によれば、普天間の県外移設では外務省の官僚たちがその移転が無理だということを、ヘリコプターの継続運行距離や基地の位置などを根拠にする文書を示して当時の首相であった鳩山由紀夫を説得したという。その根拠がねつ造だった、というのが本書のハイライトである。極秘という印影がある文書を掲載してまでそれを示す。

戦後の政治を長く治めてきたのは自民党であるが、池田、前尾、大平、鈴木、宮沢、加藤と続いてきた宏池会に代表される護憲派であり民権派と、岸、佐藤、中曽根、小泉、安倍とつながる改憲論者、国権主義者の流れに分かれていて、小泉政権のころから加藤の乱があり、民権派の人たちが激減、今や国権派が大勢力をなしているという。現政権でも宏池会の流れをくむのは岸田、谷垣の両氏ではあるが、民権の意見を表面化させることはなくなっている。同じ自民党ではあるがこの20年ですっかりその中身は変容してしまったというのが本書での解説。

さらに、鳩山由紀夫元首相が打ち出した「東アジア地域構想」に一番反発したのがアメリカであり、あらゆる手段でそれを葬り去ろうとする力を感じたという。アメリカのアジア戦略に益がないとみなされたためである。「最低でも県外」の主張は、その入り口から閉ざされていたといえる。

原発問題では、いまだに核攻撃に対する防衛策としての「核オプション」を捨てられないために、原発廃絶ができないと解説、しかし、核による核抑止はいまや意味がなくなったという。核保有国が安保常任理事国だけではない今、無法者の一発で核戦争が始まってしまうリスクが高まっているからである。

さらに沖縄の基地問題、本土の日本人は「日米安保があるから基地はなくせないし、対中国戦略上、沖縄に存在する米軍基地はなくせない」と考えているが、沖縄人からすれば、米ソ冷戦に代わる脅威論が対中国戦略に過ぎない、と見える。テロとの戦いもアメリカの世界戦略に協力させるための一つのきっかけに過ぎない。沖縄の基地問題は、今後の日本の安全保障政策を、相変わらずアメリカとの条約継続で組み立てるのか、世界情勢変化を受けて根本から見直すのかを問いかける問題であるという。それが「永続敗戦論」での戦後レジームからの脱却の主張でもある。

冷戦に代わる中国脅威論で日米安保を継続するのか、それとも国連主導や東アジア構想などに基づく新たな安全保障政策を打ち出すのか、日本は大きな岐路に立っている、という主張である。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

池上無双 テレビ東京報道の「下克上」 福田裕昭 ***

2016年07月20日 | 本の読後感
最近の選挙開票速報は8時の時点で各党の予想獲得議席が「バーン」と画面に出て、そのあとはいかに早く当確を打つか、という報道になり、昔のように11時過ぎても最後まで速報を見てしまう、ということがなくなった。今回の参議院選挙でも8時のNHKで予想獲得議席がでて、その後は改憲勢力3分の2はどうか、に絞られていたように見えた。そこで見たのがテレビ東京の池上さんの速報報道、これは面白かった。ネットなどでは評判になっていたようだが見たのは初めて、当選したインタビューは他局では「おめでとうございます、支持者に一言お願いします」なんていう面白みのないものが多いのだが、池上さんは、タレント候補の政治的知識のなさや見識不足を燻り出すような質問を繰り出している。当選おめでとうインタビューなので、候補者も一瞬顔をしかめるなどの反応もあるが、3分ほどの辛抱で終わりなのでなんとか笑顔を維持している。

今回の参議院選挙の各党首へのインタビューでは、池上さんも党首の方も準備と覚悟があるようで、安倍さん、山口さんは終始笑顔、慣れたものであった。岡田さんは「三重県という一つの地方の結果で日本全国対応の党首が辞任する判断にするというのはいかがなものでしょうか」という池上さんのツッコミに「なんでそんな事を言うのか、地方と全国は切り離して考えています」という回答にならないような返答をしてしまう。今井絵理子さんには「沖縄出身者として選挙中もっと沖縄の問題に触れても良かったのではないでしょうか」というツッコミに「沖縄で育ったのは12年間、実はあまり知らないので、これから勉強します」なんていう正直な答えを引き出す。ビーチバレー選手出身で選出の新人議員は「スポーツ経験を活かしていきたい」と言ったものだから、逆に「それでは具体的にはどのような委員会などで専門性を発揮していきたいのですか」ときかれ「スポーツは文部科学省管轄なのでそうした分野になると思います」と回答、池上さんは専門委員会の具体名を知らなかったのですね、などと解説される始末であった。

池上さんは事前調査もさることながら、その時のインタビューの答えをすぐに逆手にとってのツッコミ質問をするところが強み、他局の局アナやタレント司会者との大きな違いとなっていた。また、各党の支持母体や関連する組織を取材するという企画、今回は自民党が日本会議、公明党が創価学会、民進党は連合、共産党が民青など、これも他局はまずはやらない内容で、面白かった。取材に深みがあるわけではないが、視聴者にそうした存在と各党との関係をお知らせする、という意味はある。

そこで、本屋で見た本書を買ってしまったという次第。内容はすべて見たことの確認ができる内容ではあったが、テレビ東京のプロデューサーが報道番組で他局との違い、特にNHKなど圧倒的なマンパワーで行っている出口調査にはかなわないことを自覚して、当確報道の速さではなく、視聴者が知りたい聞きたいことを候補者、当選者、党首にきくという姿勢を貫いていることを再確認した。テレビの宣伝を本でも行うという意味では、メディアミックスとしては正しい。

最近テレビを見るときに気がついてみると、「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」「和風総本家」「WBS」ついでにいうと「Youは何しにニッポンへ」など7時のニュースはNHK、そのあとはテレビ東京を見ていることが多い。開票速報の視聴率ではNHKについで第二位、時間帯によっては一位だったとも言うが、それも頷ける。関東テレビ局は3強1弱1番外と言われていたテレビ朝日と東京12ちゃんねるが、地デジ時代になって番組表の構成が変わり、東京では新聞での番組表のチャネルの並びが1,3,4,5,6,7,8というとなり、フジの8ちゃんねるが苦戦している。フジはこの際テレビ東京の姿勢に学ぶところがあるのではないかと感じるがどうだろうか。

テレ東は京都や長野にいる時に見られないのが難点だが、自宅のテレビはREGZAの全番組録画機能でバッチリ抑えているので、1週間まとめてみているので安心。次は都知事選だが、ちょっとした矛盾は、この開票速報を見て投票には行かなかったが、初めて選挙の面白さや、争点に気がつく視聴者もきっと居るという点。選挙前に放送しても見てもらえないし、番組を見て投票しても良かったなと思ってしまう、自己矛盾である。今後の工夫はあるのだろうか。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ 中村仁一 *****

2016年07月19日 | 本の読後感
長年医療に関わってきた筆者、現在は社会福祉老人ホームの所長を務めるが、高齢者、子供を育て終わった人は無理な医療で延命などせず、ガンでも自分の免疫力を頼りにして対応すれば自然に死ねて安楽死ができて幸せな一生を終えられると提唱、筆者は「繁殖期終了の人」と表現するが、一定以上の年齢になれば人間ドックなどの受診はしないほうがいいとすすめる。筆者の介護医療や死生観に共感できるし、本書の最後に示した自分の最期にあたっての「指示書」は自分の指示書にしておきたいと思う。

本書の主な主張は、章立てに明確に現れている、それらは以下のとおり。
1. 医療が穏やかな死を邪魔している。(本人が直せないものを医療は直せるはずがない)
2. できるだけ手を尽くすというのは「できるだけ苦しめる」こと。(延命治療は患者本人にとっては苦しみの延長である)
3. ガンは完全放置すれば痛まない(自然にモルヒネ成分のエンドルフィンが分泌される)
4. 自分の死について考えると生き方が変わる。(生前葬のススメ)
5. 健康には振り回されず、死には妙にあらがわず、医療は限定利用に心がける。(年寄りはどこかが具合が悪いのは当たり前)
6. 私の生前葬ショー(終末医療への事前指示書)

筆者の終末医療に関する事前指示書は次の通り。
「医療死よりは自然死を選択するため、意識不明、判断不能に落ちいった場合には次の指示に従ってほしい。
・できるだけ救急車は呼ばない
・脳の実質に損傷があることが想定される場合には開頭手術はしない
・人工透析はしない
・経口摂取ができなくなれば寿命が尽きたと考え静脈栄養や胃瘻は行わない
・改善の見込みが無い場合には人工呼吸器は取り外す」

さらに、死後の振る舞いについても事前指示をしている。
・臓器提供はしない(臓器提供適応基準によれば、心臓、心肺同時は50歳以下、膵臓、小腸は60歳以下、肺、腎臓は70歳以下、肝臓は年齢制限なし、とのこと)
・葬儀は家族葬とする
・戒名、読経、告別式、供花、香典は不要
・死体処理は凍結完全粉砕か完全に灰にする
・年忌法要、墓石、墓参りは不要

この事前指示書の内容は、以前より私も家族に指示してきた内容とほとんどが一致する。終末医療については、保護者の義務違反には注意が必要、死後の取り扱いについては遺族の世間体や親族の意向もあるはずなので、無理強いは難しい部分もあるものの、本人の意志はあらためて家族に指示しておこうと確信した。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

テレビに映る中国の97%は嘘である 小林史憲 ***

2016年07月18日 | 本の読後感
テレビ東京プロデューサーによる中国体験レポート、タイトルに惹かれて買ってしまった。カンブリア宮殿の番組ディレクターを経て2008年から2013年まで北京支局特派員、中国共産党政府がセンシティブに感じる場所を取材するたびに21回も拘束されたという。

中国の反日デモの実体やチベットウイグル自治区の実体など、なんどかテレビでも報道されている内容であったが、筆者が自分で体験してきたことは実感がこもっていて迫力もある。尖閣諸島の国有化をきっかけとした中国政府の反応と反日デモについても、共産党が容認した、もしくは一部では動員して煽った実体も報告。外交に疎かった民主党政権と当時の石原都知事のゴリ押しをきっかけに、日中国交回復時には先延ばしにしたと言われている「尖閣問題」に火をつけてしまい中国政府の感情を逆撫でした。領土問題を外交交渉に使う口実を与えてしまったとも言える。

中国の農村に出現した「金持ち村」、先進的考えを持ち実行力もある一人の村民により、資本主義的考え方で向上などを誘致して経済的に成功した村を紹介。いまや近隣の村々も合併して発展を続けているが、そのある村民が2013年に死去、今後が心配されている。バブルの象徴のような高層ビルやホテルまで開設しているが、10年以内に廃墟になるだろうと筆者は予言している。

習近平主席が主席就任前には賄賂が横行していた。当時は役人への賄賂に茅台酒がよく使われ、その茅台酒の価格も高騰していた。茅台酒を贈られた側もそんなに酒ばかりは飲めないので再販売ルートも確立していたが、習近平政権になり、賄賂が厳しく取り締まられるようになり、茅台酒の贈答需要が激減、相場も十分の一以下に急落した。

チベット族への直接取材、毒入り餃子事件の犯人の親への取材、朝鮮国境の村での取材なども紹介、突撃取材の精神は素晴らしい。本の内容はここまで。

中国の経済は行き詰まっている、という評価と、中国はまだまだ伸びる余地がある、という評価が入り交じるような現在の中国であるが、南沙諸島問題では難問を抱え込んでしまったように見える。南沙諸島をめぐっての領土問題なので外交問題のように思えるが、実は中国にとっては内政問題、中国国民の愛国心は領土問題で燃え上がってしまっていて、仲裁裁判の結果を受け入れるなどとは決して言えなくなっている現政権、それでも国際的にはそれでは通らないことも明白。今後もG20やASEAN会議などを開くたびに必ず問題になるはずで、どのようにハンドリングするつもりなのか、南沙諸島を埋め立て始めた時にはこういう自体を想定していなかったのだろうか。大きすぎる国家を力で統治し続けるのはかなり困難、という感想を持つ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

誰が沖縄を殺すのか ロバート・D・エルドリッヂ ***

2016年07月13日 | 本の読後感
日本の神戸大学で政治学博士号を取得、大阪大学国際公共政策研究科准教授ののち2009-2015年まで沖縄の米国海兵隊政務外交部次長を勤めた筆者、日米同盟は最重要の同盟だという主張を背景に、今までの沖縄での基地反対運動の問題点を述べる。

指摘のポイントはいくつかあるが、まとめると次の通り。
1. 沖縄の二大新聞である琉球新報と沖縄タイムズは、基地反対の主張が強すぎて、中立的な報道ができていない。そのために沖縄に住む日本人たちは非常に偏った情報の上に判断を強いられることになっている。
2. 日米安保条約は民主的な手続きを経て日本がアメリカと合意した条約であり、日本の安全保障政策の根幹。歴史的経緯と対中国戦略から沖縄に多くの基地があることは事実であるが、だからと言ってアメリカ軍の基地が沖縄からなくなってしまっていいのだろうか。
3. 紆余曲折はあったが、正当に選挙された仲井間知事が一度は受け入れた辺野古移設、それは、その後政府間の交渉を経てアメリカとの約束にもなった。そののちに選挙で選ばれた翁長知事は、民意だからと言って、一度は国家間で合意した移設を反故にすると主張している。事実よりも感情論が先行した反対運動には、日本国としての安全保障ビジョンが見えず、第二次大戦後の最大のパートナーであるアメリカとの将来を見据えた良好な関係に好影響を与えない。

沖縄での議論の中には、複数の次元(関係)が存在する。日米の二国関係、沖縄県と東京にある政府という国内関係、沖縄県内での南北格差、名護市内でもひらけている西部と人口が少ない東部(辺野古のある側)の格差、辺野古の中にもある賛成派と反対派の対立、そして辺野古に暮らす各家庭内での対立、そして最後に個人の中にさえ存在する反対と賛成のせめぎあい。基地反対運動で表に見えているのは「オール沖縄が反対している」ような報道であるが、賛成派もいてサイレントにならざるを得ない雰囲気がある。基地をなくしたら沖縄の経済問題は解決するのか、教育や福祉、その他の問題はどうなのか。

日米同盟の今後の課題について筆者は次のように示す。
1. 国際安全保障の確保、テロ対策、防衛協力などで集団的自衛権行使が重要である。
2. 中国対策として、責任ある大国としての位置づけを認識させることが重要である。
3. イスラム系社会との融和対策における日米協力。
4. 国際的な経済的格差緩和における日米協力。
5. 地球環境との共生。
ここまでが筆者の主張。
筆者の主張で共感できるのは、事実に基づく報道が重要というポイントである。

沖縄基地問題は、基地の是非の前に、日本の安全保障政策をどうするのか、という判断とその上に立った政策実行が必要である。それは戦後の長きにわたり継続してきた日米安保条約を今後どのようにしていくのか、それともそれに代わる新たな安全保障政策に踏み出すのかという大きな判断であるはず。長期的にはその判断を受けて基地問題はどうする、ということになろうが、現時点では日米安保条約は民主主義手続き的には国民の判断として継続中であり、将来の安全保障政策を示さずして沖縄から米軍を追い出す、ということは非現実的である。しかし、国際情勢の変化と日本や米国の国力変化、時間の経過などの要素を踏まえた地位協定や条約本体も含めた日米交渉の継続も重要。つまり沖縄基地問題は日本の安全保障政策の問題である。

日本政府に求めたいのは、戦後国際社会と約束したポツダム宣言とサンフランシスコ講和条約を含めた歴史認識をあらためて明らかにすること、そして今後の日本国としての安全保障政策の方向性を示し、国連を中心に米国やその他の国際社会との折り合いをつけていくこと。憲法改正の議論はこうした手順の中の一つだと考える。国民の意見は二分するだろうし、こうした全体像を国民に示したうえでこれが現在の自民党政権でできるのか、はたまた民進党ならできるのかは不明瞭である。しかし中国の動きは海洋法条約に基づく仲裁裁定などもあり一層加速することも予測される。ゆっくりと時間をかけて議論したいところだが、今後数年、何が起きるかは非常に流動的とみるべきだろう。

参議院選挙は政権与党が勝利した結果とはなったが、最適な投票先が見当たらなかった末の投票だったように思える。現時点でいえば二大政党である自民党、民進党のなかから、基本的人権と民主主義を理解し、歴史認識がしっかりしたもっとバランスの取れたリーダーがでてきて、将来ビジョンを示し議論を進める素地ができないものかと期待するところである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

不愉快な現実 中国の大国化、米国の戦略転換 孫崎享 ***

2016年07月11日 | 本の読後感
元外交官の孫崎享が2011年に執筆した本。日本人が中国の大国化の現実を直視せず、同時に起きている米国の世界戦略転換をも直視できていないことを指摘、対中国戦略の見直しを、多くの日本人が潜在的に持ちたがっている中国に対する優越した意識から変えていく必要があると説く。

1. 経済面で中国が米国を凌駕するのは2020年、その時中国の経済規模は日本の約三倍。中国の国防支出は米国並みを目指しているため、日本の防衛費の12倍となる。
2. 米国はこうした変化を受け、第二次大戦後日本をアジアにおける最重要パートナーと位置づけてきたが、2020年までに中国を東アジアでもっとも重要な国と位置づけるだろう。
3. こうした状況下、米国は日本を防衛するために中国と軍事的対決をすることはない。その条件とは以下のとおり。
 ・中国の核兵器が米国を攻撃できる能力を十分持つ。
 ・日本と韓国に分散した基地しか持たない米国と全土に軍事基地を展開する中国との軍事バランスが中国優位になる。
 ・日本の少子化、高齢化が進展、経済停滞から国際競争力が一層低下する。

こうした認識のもと、日本が尖閣諸島の実効支配を既得権益と考え、中国への敵対的姿勢を継続するなら、中国との軍事的衝突は避けられず、その時には米国は手を出せず、日本に勝ち目はないいだろうと予測する。米国は「領土問題には中立を唱えており、日本の施政下にある場所には安保条約が適用される」としか言っていない。つまり、軍事的に中国が尖閣諸島を実効支配してしまった場合には、その防衛は自衛隊が行うのであり、防衛に成功できない場合にはその場所には安保条約は適用されないと言っているに等しい。

ロシアとの北方領土交渉の中で、ロシアは第2次大戦で国後、択捉を含めた千島列島はロシア領となった、と主張している。つまり、日本はポツダム宣言を受け入れ、サンフランシスコ講和条約で国後、択捉を放棄したはず、だからその事実を認めないかぎり北方4島の交渉には入れないということ。日本政府はポツダム宣言受諾とサンフランシスコ講和条約締結を出発点とする限りはまずはその主張を認める必要がある、というのが筆者の主張。

竹島に対する韓国の主張にも耳を傾ける必要があり、自国の主張のみを唱える外交交渉は成立しないと説く。

ではロシア、中国、韓国という隣国との対話はどのようにするべきなのか。まずは領土問題を武力衝突にしない、という決意が必要。そして、二回の大戦を経てフランスとドイツがEUという形で手を結んだように、領土問題を勝利する、という考え方から離れ、アジア諸国との共存共栄のための戦略を平和的手段で進める方法を探る必要がある。そのためにはASEANや国連の枠組みを活用、米国はこれを望んでいないのだが東アジア共同体構想を進めることが重要と説く。鳩山元首相時代にこの構想を持ちだした時にはすぐさま米国に叩かれ首相の座を追われてしまったが、日米安保条約も含めた大きな枠組を見直す必要があるというのが筆者の認識である。ここまでが筆者の主張。

さて、日米安保条約がある時代しか経験していない多くの日本人にとって、より大きな枠組の安全保障体制を考えて、実現することは可能なのだろうか。ポツダム宣言受諾とサンフランシスコ講和条約、そして日米安全保障条約はそのすべてが現在の日本の出発点となった事柄であり、それらの否定は歴史認識を誤ることに繋がる。つまり、一部の学者や政治家のように占領下のGHQにより押し付けられた憲法だから見直しが必要だ、といっても、現憲法自体を否定することは不可能である。しかし、一方で米国との安全保障条約を見なおし、基地を撤廃してしまったフィリピンは、その後中国に幾つかの岩礁を奪い取られ、慌てて再び米国の軍隊の駐留を認める動きである。ナショナリストである安倍政権下での憲法改正議論に加わりたくはないのだが、憲法を含めた日本の安全保障の枠組みについての議論と将来ビジョンの提示が必要となっていることをひしひしと感じる。

2020年までに、と予測する筆者の言うようにならなければいいが、いざ尖閣列島での有事発生の際に、なにが日本にできるのか、それまでにやるべきことは何か、時間はもう数年しかないということである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大人にはわからない日本文学史 高橋源一郎 ***

2016年07月03日 | 本の読後感
筆者である高橋源一郎は、明治学院大学の教授だとのことだが、私にとってはNHKラジオ「すっぴん」の金曜日朝に登場するパーソナリティで、時には新聞紙上で時事評論なども展開する知識人である。「大人にはわからない・・・」というタイトルは「文学史について訳のわからない子供のようなことを言ってみる」ということらしい。作家ではあるが、文学史を何かの学問のように評論するわけではなく、自分の感性と感じ方に素直に従って考えてみたということ。

筆者によれば、日本文学が形作られたのは明治以降であり、その最初が明治17年の三遊亭円朝の「牡丹灯籠」であり、それに続いて18年に坪内逍遥の「小説神髄」、20年には二葉亭四迷の「浮雲」それに続いて「あひびき」が書かれた。最初の言文一致小説は山田美妙の「武蔵野」そして「夏木立」と続く。22年には幸田露伴の「風流仏」、23年には森鴎外の「舞姫」、24年には幸田露伴の「五重塔」26年には北村透谷の「内部生命論」、27年には高山樗牛の「滝口入道」、そして28年に樋口一葉の「にごりえ」「たけくらべ」が登場する。筆者はこの樋口一葉を明治文学の折り返し点と位置づけ、次のように評価して見せる。

「わたしは、一葉の小説の中にあるのは、明治二十年代後半という、興隆しつつある資本主義社会のもと、新しい言語による支配が確立されて行こうとする時代の、そして当然ながら男性中心社会の、そのいずれにおいても少数者であるような若く、金を持たない、教育を受けていない女性のリアリズムではないかと考えるのです。明治28年の読者たち、とりわけ女性たちは、この小説の中に私がいる、と感じたのではないかと思うのです。そして現代の読者の自分たちにとってもにごりえに登場する人物は現代小説に登場してくる人の感想や感覚とほとんど変わらないと思えるのです。」

そのあとに、現代小説の綿矢りさについて目を転じて、「蹴りたい背中」「インストール」を読んで見せる。綿矢りさの比喩を伴う複雑な修飾の多い文章を、現代文学の究極の言語表現であり、小説というのは比喩を書くことであるからその極点にまで到達していると評価する。近代文学というものはあいまいなものに明確な輪郭を与えようとして自然主義的リアリズムを生み出した。目に見えないものを目に見えるように書くことこれがリアリズムの根本である、として綿矢りさを評価する。

筆者は、小説を書く人には、小説家のOS(オペレーティングシステム)というものがある、と表現、作家はそれぞれの範囲で過去の文学作品を読んで、そのうえに自分の作品を書き上げる。現代の小説家なら少し昔から現代までの小説を読んでいるだろうし、そしてその作家が生きてきた近い過去から現代の社会環境の影響を受けている。そしてそのOSは20世紀末で新しいものに入れ替わったのではないかと表現する。つまり作家の世代交代なのであろうが、OSとは筆者独特の表現である。

現代小説を読みながら、過去の小説を思い起こし、そのつながりや比較をしてみること、単に小説の歴史に詳しい、ということではなく、小説を味わう方法について一家言ありという筆者の面目躍如ともいえる一冊である。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

違和感の正体 先崎彰容 ***

2016年06月26日 | 本の読後感
筆者は日大教授で、著書に「ナショナリズムの復権」「個人主義から自分らしさへ」などがある。近年メディアで知識人たちがコメントを言う、webでたたかれるなどの様々な局面でちょっと感じる違和感、「なにか共感できない」と感じても自分では表現しきれない何かを、日本の思想家たちの知恵を借りて読み解いてみるという著作。そこには、善悪判断のものさしが不在であること、そして処方箋を早くほしがる社会の存在があると解いた。内容は、現在のメディアの問題で極端なナショナリズムと極端な権力批判に分かれるような単純化した二項対立をあおるようなコメントが横行しているのではないかという指摘、他者を理解するのはそんなに単純ではなく、それを言葉で補うことこそが知識人の仕事であるはずなのに、テレビで見る知識人たちにそれができていないという意見である。

「反知性主義批判」批判では、反知性主義者とは「自分の正義を疑うことができず、他人の意見に耳を傾けることができない人」のことを言うと定義。これも二項対立で、知性主義を善、反知性主義を悪、と決めつけた意見が大勢をし見えてはいないかと指摘。アメリカで知性主義とは「ピューリタニズムの極端な知性主義」であり、自分で聖書を読んで理解できる教養を持つことであったと。そのアンチテーゼがアメリカでの反知性主義であった。現世利益、努力は報われる、自由と民主主義への集団による熱狂とが英国からの独立、奴隷制度廃止、公民権運動などにつながっていった。つまり「反知性主義」とアメリカで言われる意味と現在日本で使われている意味では異なるということ。対米従属批判をする人たちは親米路線論者を「反知性主義」とレッテル付けをする場合が多いが、アメリカがこの百年間に日本にもたらした価値をどのように評価するのか、それがなければ、対米従属はもうやめるべき、などという単純な主張はできないという指摘。アメリカとの対峙のためには、そのアメリカの国としての成立背景や思想を理解したうえでなければ、「処方箋を焦る」という状況そのものではないかと。ここまでが本書の内容。

1980年代までは日本国民はGDPと国民所得増大、そして平和憲法のもとで、ひょっとしたら世界一平和で豊かな国に住んでいるのではないかという満足感と幻想を抱いていたのかもしれない。しかし、冷戦終結と日本での経済バブル崩壊後、阪神大震災、企業破たん、小泉改革に伴う非正規社員増加、リーマンショック、東日本大震災と原発事故などの出来事を経て、中国の台頭があり北朝鮮の存在も含めて安全保障上の脅威となる一方で、国民所得は世界で26位、アジアの諸国の中でもシンガポールと香港に抜かれた。日本国内では大多数の国民が向かいたい方向性、例えば経済的な豊かさ向上という目標設定の実現可能性が不明確になり、生活の質や満足度などに置き換わるように、単一の目標設定が難しくなるような出来事が続いている。沖縄の基地問題では地位協定だけではなく、根本となる日米安保条約についての議論も始まる可能性がある。1990年代までの自民党の安保維持と現憲法維持の路線が21世紀に入って目に見えて変わり、左翼勢力は軒並み凋落してしまった。保守と革新という対立状況はすっかり変貌してしまい、憲法、日米安保、エネルギー施策などの各政策論争では左右対立というよりは、各人それぞれの主張が入り乱れ、確たる価値観の軸を示しえない、という状況が現れている。

現在の自民党内部にも護憲で安保見直し論者がおり、民進党内部にも改憲で親米安保推進論者もいる。企業活力増強と小さな政府による新自由主義路線か、福祉と分配による国民の豊かさ向上という社会民主主義路線か、という選択肢があると考えるが、現在国民の前に示されている選択肢は「アベノミクス継続か分配へ政策への転換か」「護憲か改憲か」この二点であるように思う。つまり、本来日本国民が現在考える必要があるはずの安保政策と経済政策は、そのような単純な選択肢でいいのかという「違和感」を私は抱く。現在の自民党と公明党、民進党、共産党などの政党はもはや、現在の日本での判断が必要な政策の基軸に沿っては組織化されていないのではないかという疑問である。アメリカ大統領選挙でも同様の状況が出来しているのではないいか。英国のEU離脱を決めた国民投票は、経済政策や移民問題などの重要な政策判断をEU離脱という単純化した判断に集約して示してしまったことに問題があったのではないかと私は考える。判断基軸がずれた政党や候補者しかいなければ国民は選択しにくいのである。

それでも選挙はある。「違和感」を抱いて考えたうえで選択すること、これこそが国民、特に有権者全員が最低限すぐにでもできることである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

戦後入門 加藤典洋 *****

2016年06月20日 | 本の読後感
2016年現在の安倍政権が進めようとしている安全保障法制と憲法論議に異論を唱え、護憲ではなく「左折の改憲」とも言える憲法九条の改定案と日米安保条約に代わる国連主義を提言する書。600pを超える大書であり、順を追ってではなく、まずは筆者の結論を紹介する。

憲法九条一項は現状通り。二項には日本が保有する戦力を二つに分けて、一つは国連待機軍とし平和維持活動その他に従事、もう一つは国土防衛隊とすることを明記、平時は国内外への災害救援を任務とする。更に非核三原則と外国軍隊とその施設を国内に設置しないことも明記する。この案は小沢一郎が「日本改造計画」で提唱した案と重なる部分がある。小沢案は、現状の九条に加え、三項として「ただし、前二項の規定は、平和創出のために活動する自衛隊を保有すること、また、要請を受けて国連の指揮下で活動するための国際連合待機軍を保有すること、さらに国連の指揮下においてこの国連待機軍が活動することを妨げない」を付け加えるというもの。

憲法が制定された1946年当時は、GHQの力に押される形で制定された憲法ではあったが、平和憲法は守るという大前提で自民党が進める路線を日本人は支持してきた。戦後長く日本の政治を担ってきた自民党政権が進めてきたのは、日米安保推進、軽武装、経済重視の路線であったが冷戦崩壊とバブル崩壊で前提が崩れた。1990年代以降の経済的停滞の20年を迎え、サンフランシスコ講和条約を起点とした日米安保条約で日本中に米軍基地を設置されながらも、日本人が経済大国として維持してきた国際的評価へのプライドは、すっかり緩んでしまった。それと同時にロシアと米国の国力低下、中国の台頭などの結果、ナショナリスト的主張を強める安倍政権が誕生し、支持を維持してきたと分析。

筆者は、安倍路線の問題点として次の点をあげる。
1. 安倍政権が掲げる「誇りある国づくり」は日本中心主義に根差しており、国際秩序を支える国連中心主義、平和主義、個人の人権尊重、民主主義と合致しないこと。
2. 対米協力路線と「誇りある国づくり」とが合致しない矛盾をはらむ。
3. 日米関係強化だけではロシア、中国との緊張を常にはらみ、国際的な課題の解決はできない。
4. 復古型国家主義への警戒を持つ隣国との敵対的関係が経済的な足かせになる。
5. 少子高齢化、財政問題、産業空洞化などの構造的問題にまともに対処せず金融政策中心の経済刺激策に依存するだけでは、国民が基本的に感じている「将来への不安」に応えきれない。
6. 経済政策でも米国への対応を第一優先とするため、TPPやAIIBへの参画などの大きな問題で選択肢が限定される。

憲法制定時、マッカーサーの頭にあったのは、1946年2月時点で国連で議論されていた国連軍設置であった。その議論はその後の冷戦で実現しなかったが、日本の憲法制定に権限を持っていたGHQとしては、当時の国連での崇高な理想を先取りする形で憲法に取り込んだ、それが「戦争放棄、交戦権放棄」であった。この理想の前提は国連軍が加盟国からの協力を前提に各国がそれぞれ紛争解決手段としての戦争と国連軍を前提として交戦権も放棄することであった。しかし憲法は制定され、崇高な国連軍のポジションには1951年までは占領軍が、その後は日米安保条約に基づいたアメリカ軍が当てはまることになる。つまり交戦権の国連への委譲はアメリカ軍への交戦権の委譲として現在でも機能していることになる。集団的自衛権行使が大きな問題になるのは、自衛権行使の委譲先が米国軍となり、米国の方針には絶対的に反対できない立場で参戦することになる点である。米国の方針が日本国憲法より上位に来るのである。筆者が国連軍への参画を提唱するのはここからである。

55年体制と言われる自民党誕生の直前、GHQの占領政策や反共主義の意向に従ってきた自由党の吉田政権が54年に総辞職、吉田政権に反発してきた鳩山一郎、岸信介らの民主党が政権をとり保守合同をはたして自民党が誕生、鳩山・岸が目指す憲法改正の主張が掲げられた。改正ポイントは自衛軍備を整えることと駐留外国軍隊の撤退に備えることで対米独立を図ることである。しかしその路線は、60年の日米安保条約改定への国民的反発を招き、その後の池田、佐藤とつながる「憲法維持、軽武装、経済重視、安保維持」路線になり、経済発展の実現から国会議員の過半数を維持する自民党政権が継続することになる。90年代の冷戦崩壊、バブル崩壊、村山政権による「自衛隊合憲、日米安保維持」方針は、それまでの社会党支持者層離反を招き、その後、自民党のハト派であり保守本流であった勢力も後退、自民党ではタカ派的勢力が首班を占めるようになる。

筆者は、現状でどのような対立軸があり、どうふるまうべきかについても提案している。本書に掲載されている図を参照する。その上で、現行の安倍政権やさらなるタカ派勢力である図のB+Cの勢力に対抗するため、内部的には多くの主張は異なるもののA+Dの勢力がBC勢力との対立ポイントを明確にしたうえで国民の選択を乞うことが重要であると唱える。


2016年7月には参議院選挙が実施され、国民はアベノミクスの評価とともに、憲法改正についても問われているが、いったい対立軸は何なのかを、その歴史的意味をも含めて理解したうえで答える必要がある。本書は格好の参考書であると考える。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ニッポン社会」入門 コリン・ジョイス ****

2016年06月12日 | 本の読後感
1970年英国生まれのジャーナリスト、ニューズウイーク日本版記者、デイリー・テレグラフ東京特派員などを経て、現在は英国在住。14年の日本在住経験を、英国人の目から見るとどう映ったのか、「日本は礼儀正しく清潔で素晴らしい」というばかりの礼賛でも、皮肉交じりの批判ばかりでもなく、日本に住んで好きになるところも、やはりイギリスがいいと思うところもあった生活者でありジャーナリストでもあった筆者のレポート。文芸春秋に連載されていたので読んだことがある記事もあるかもしれない。

日本語で気の利いた言い回し。「猿も木から落ちる」、英語ならNobody is perfect、日本語のほうがずっと分かりやすいし気が利いている。「猫に小判」、単語三つで的確に意味を伝えている。独創的な言い回し、「全米が泣いた」、安っぽいアメリカ製映画の宣伝文句のようであり、これを皮肉にも使える。

日本語で外国人に伝わりにくい言い回し、「今度来てね」。「今度=this time?」、今度というのは次の回にはということはなかなか分かりにくいという。それじゃあ今週は次の週という意味かと聞き直したくもなる。

日本語にしか見られないという、母音一文字の単語。「鵜の胃と尾の絵」、少し変な文章ではあるが意味は分かる。「u no i to o no e」英語なら35文字も必要なのが十文字で書ける。「ペラペラ」「イライラ」「パチパチ」などは、国宝級の素晴らしい表現ではあるが、日本語学習者にとってはきちんと意味を学ばない限りそれが理解できない擬声語、擬態語である。

筆者お気に入りの日本語表現、ベストスリー。第三位「勝負パンツ」第二位「上目遣い」第一位「おニュー」。なぜそう思ったのはは本を本で見てほしい。

日本以外では見られない光景、山手線で爆睡するサラリーマン、新聞を縦に四つ折りにして隣の人に迷惑にならないように読んでいる人、居酒屋のトイレにある異様に深い洗面台、公園の木陰でアイドリングして寝ているタクシー運転手、プールで強制的に休憩させられる時間、ハチ公前で待ち合わせする人たち、スーパーの陳列棚を見ている自分の前を手刀を切りながら頭を下げ下げして通り過ぎる他人、公衆トイレでハンカチを口にくわえ手洗い後手についたしずくを二回振って水を切るサラリーマン、アパートのベランダでの布団干しとパンパンという布団たたき、電車で前の席が空いて二人つれが席を譲り合い座った方は立っている人の荷物を持ってあげる、こういう小さなことが日本以外では決して目にしない日本らしい風景であると。

1990年代以降の20年を「失われた20年」というのは、ビールとサッカーに関しては真逆である。自由化されたビールはバリエーションを増し、発足したJリーグをベースに実力を向上させたサッカー、いずれも世界に誇っていい。

2006年発刊の書であるが決して古びてはいない。英語版、続編、アメリカ社会版、イギリス社会版もある。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加