意志による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

違和感の正体 先崎彰容 ***

2016年06月26日 | 本の読後感
筆者は日大教授で、著書に「ナショナリズムの復権」「個人主義から自分らしさへ」などがある。近年メディアで知識人たちがコメントを言う、webでたたかれるなどの様々な局面でちょっと感じる違和感、「なにか共感できない」と感じても自分では表現しきれない何かを、日本の思想家たちの知恵を借りて読み解いてみるという著作。そこには、善悪判断のものさしが不在であること、そして処方箋を早くほしがる社会の存在があると解いた。内容は、現在のメディアの問題で極端なナショナリズムと極端な権力批判に分かれるような単純化した二項対立をあおるようなコメントが横行しているのではないかという指摘、他者を理解するのはそんなに単純ではなく、それを言葉で補うことこそが知識人の仕事であるはずなのに、テレビで見る知識人たちにそれができていないという意見である。

「反知性主義批判」批判では、反知性主義者とは「自分の正義を疑うことができず、他人の意見に耳を傾けることができない人」のことを言うと定義。これも二項対立で、知性主義を善、反知性主義を悪、と決めつけた意見が大勢をし見えてはいないかと指摘。アメリカで知性主義とは「ピューリタニズムの極端な知性主義」であり、自分で聖書を読んで理解できる教養を持つことであったと。そのアンチテーゼがアメリカでの反知性主義であった。現世利益、努力は報われる、自由と民主主義への集団による熱狂とが英国からの独立、奴隷制度廃止、公民権運動などにつながっていった。つまり「反知性主義」とアメリカで言われる意味と現在日本で使われている意味では異なるということ。対米従属批判をする人たちは親米路線論者を「反知性主義」とレッテル付けをする場合が多いが、アメリカがこの百年間に日本にもたらした価値をどのように評価するのか、それがなければ、対米従属はもうやめるべき、などという単純な主張はできないという指摘。アメリカとの対峙のためには、そのアメリカの国としての成立背景や思想を理解したうえでなければ、「処方箋を焦る」という状況そのものではないかと。ここまでが本書の内容。

1980年代までは日本国民はGDPと国民所得増大、そして平和憲法のもとで、ひょっとしたら世界一平和で豊かな国に住んでいるのではないかという満足感と幻想を抱いていたのかもしれない。しかし、冷戦終結と日本での経済バブル崩壊後、阪神大震災、企業破たん、小泉改革に伴う非正規社員増加、リーマンショック、東日本大震災と原発事故などの出来事を経て、中国の台頭があり北朝鮮の存在も含めて安全保障上の脅威となる一方で、国民所得は世界で26位、アジアの諸国の中でもシンガポールと香港に抜かれた。日本国内では大多数の国民が向かいたい方向性、例えば経済的な豊かさ向上という目標設定の実現可能性が不明確になり、生活の質や満足度などに置き換わるように、単一の目標設定が難しくなるような出来事が続いている。沖縄の基地問題では地位協定だけではなく、根本となる日米安保条約についての議論も始まる可能性がある。1990年代までの自民党の安保維持と現憲法維持の路線が21世紀に入って目に見えて変わり、左翼勢力は軒並み凋落してしまった。保守と革新という対立状況はすっかり変貌してしまい、憲法、日米安保、エネルギー施策などの各政策論争では左右対立というよりは、各人それぞれの主張が入り乱れ、確たる価値観の軸を示しえない、という状況が現れている。

現在の自民党内部にも護憲で安保見直し論者がおり、民進党内部にも改憲で親米安保推進論者もいる。企業活力増強と小さな政府による新自由主義路線か、福祉と分配による国民の豊かさ向上という社会民主主義路線か、という選択肢があると考えるが、現在国民の前に示されている選択肢は「アベノミクス継続か分配へ政策への転換か」「護憲か改憲か」この二点であるように思う。つまり、本来日本国民が現在考える必要があるはずの安保政策と経済政策は、そのような単純な選択肢でいいのかという「違和感」を私は抱く。現在の自民党と公明党、民進党、共産党などの政党はもはや、現在の日本での判断が必要な政策の基軸に沿っては組織化されていないのではないかという疑問である。アメリカ大統領選挙でも同様の状況が出来しているのではないいか。英国のEU離脱を決めた国民投票は、経済政策や移民問題などの重要な政策判断をEU離脱という単純化した判断に集約して示してしまったことに問題があったのではないかと私は考える。判断基軸がずれた政党や候補者しかいなければ国民は選択しにくいのである。

それでも選挙はある。「違和感」を抱いて考えたうえで選択すること、これこそが国民、特に有権者全員が最低限すぐにでもできることである。

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戦後入門 加藤典洋 *****

2016年06月20日 | 本の読後感
2016年現在の安倍政権が進めようとしている安全保障法制と憲法論議に異論を唱え、護憲ではなく「左折の改憲」とも言える憲法九条の改定案と日米安保条約に代わる国連主義を提言する書。600pを超える大書であり、順を追ってではなく、まずは筆者の結論を紹介する。

憲法九条一項は現状通り。二項には日本が保有する戦力を二つに分けて、一つは国連待機軍とし平和維持活動その他に従事、もう一つは国土防衛隊とすることを明記、平時は国内外への災害救援を任務とする。更に非核三原則と外国軍隊とその施設を国内に設置しないことも明記する。この案は小沢一郎が「日本改造計画」で提唱した案と重なる部分がある。小沢案は、現状の九条に加え、三項として「ただし、前二項の規定は、平和創出のために活動する自衛隊を保有すること、また、要請を受けて国連の指揮下で活動するための国際連合待機軍を保有すること、さらに国連の指揮下においてこの国連待機軍が活動することを妨げない」を付け加えるというもの。

憲法が制定された1946年当時は、GHQの力に押される形で制定された憲法ではあったが、平和憲法は守るという大前提で自民党が進める路線を日本人は支持してきた。戦後長く日本の政治を担ってきた自民党政権が進めてきたのは、日米安保推進、軽武装、経済重視の路線であったが冷戦崩壊とバブル崩壊で前提が崩れた。1990年代以降の経済的停滞の20年を迎え、サンフランシスコ講和条約を起点とした日米安保条約で日本中に米軍基地を設置されながらも、日本人が経済大国として維持してきた国際的評価へのプライドは、すっかり緩んでしまった。それと同時にロシアと米国の国力低下、中国の台頭などの結果、ナショナリスト的主張を強める安倍政権が誕生し、支持を維持してきたと分析。

筆者は、安倍路線の問題点として次の点をあげる。
1. 安倍政権が掲げる「誇りある国づくり」は日本中心主義に根差しており、国際秩序を支える国連中心主義、平和主義、個人の人権尊重、民主主義と合致しないこと。
2. 対米協力路線と「誇りある国づくり」とが合致しない矛盾をはらむ。
3. 日米関係強化だけではロシア、中国との緊張を常にはらみ、国際的な課題の解決はできない。
4. 復古型国家主義への警戒を持つ隣国との敵対的関係が経済的な足かせになる。
5. 少子高齢化、財政問題、産業空洞化などの構造的問題にまともに対処せず金融政策中心の経済刺激策に依存するだけでは、国民が基本的に感じている「将来への不安」に応えきれない。
6. 経済政策でも米国への対応を第一優先とするため、TPPやAIIBへの参画などの大きな問題で選択肢が限定される。

憲法制定時、マッカーサーの頭にあったのは、1946年2月時点で国連で議論されていた国連軍設置であった。その議論はその後の冷戦で実現しなかったが、日本の憲法制定に権限を持っていたGHQとしては、当時の国連での崇高な理想を先取りする形で憲法に取り込んだ、それが「戦争放棄、交戦権放棄」であった。この理想の前提は国連軍が加盟国からの協力を前提に各国がそれぞれ紛争解決手段としての戦争と国連軍を前提として交戦権も放棄することであった。しかし憲法は制定され、崇高な国連軍のポジションには1951年までは占領軍が、その後は日米安保条約に基づいたアメリカ軍が当てはまることになる。つまり交戦権の国連への委譲はアメリカ軍への交戦権の委譲として現在でも機能していることになる。集団的自衛権行使が大きな問題になるのは、自衛権行使の委譲先が米国軍となり、米国の方針には絶対的に反対できない立場で参戦することになる点である。米国の方針が日本国憲法より上位に来るのである。筆者が国連軍への参画を提唱するのはここからである。

55年体制と言われる自民党誕生の直前、GHQの占領政策や反共主義の意向に従ってきた自由党の吉田政権が54年に総辞職、吉田政権に反発してきた鳩山一郎、岸信介らの民主党が政権をとり保守合同をはたして自民党が誕生、鳩山・岸が目指す憲法改正の主張が掲げられた。改正ポイントは自衛軍備を整えることと駐留外国軍隊の撤退に備えることで対米独立を図ることである。しかしその路線は、60年の日米安保条約改定への国民的反発を招き、その後の池田、佐藤とつながる「憲法維持、軽武装、経済重視、安保維持」路線になり、経済発展の実現から国会議員の過半数を維持する自民党政権が継続することになる。90年代の冷戦崩壊、バブル崩壊、村山政権による「自衛隊合憲、日米安保維持」方針は、それまでの社会党支持者層離反を招き、その後、自民党のハト派であり保守本流であった勢力も後退、自民党ではタカ派的勢力が首班を占めるようになる。

筆者は、現状でどのような対立軸があり、どうふるまうべきかについても提案している。本書に掲載されている図を参照する。その上で、現行の安倍政権やさらなるタカ派勢力である図のB+Cの勢力に対抗するため、内部的には多くの主張は異なるもののA+Dの勢力がBC勢力との対立ポイントを明確にしたうえで国民の選択を乞うことが重要であると唱える。


2016年7月には参議院選挙が実施され、国民はアベノミクスの評価とともに、憲法改正についても問われているが、いったい対立軸は何なのかを、その歴史的意味をも含めて理解したうえで答える必要がある。本書は格好の参考書であると考える。

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「ニッポン社会」入門 コリン・ジョイス ****

2016年06月12日 | 本の読後感
1970年英国生まれのジャーナリスト、ニューズウイーク日本版記者、デイリー・テレグラフ東京特派員などを経て、現在は英国在住。14年の日本在住経験を、英国人の目から見るとどう映ったのか、「日本は礼儀正しく清潔で素晴らしい」というばかりの礼賛でも、皮肉交じりの批判ばかりでもなく、日本に住んで好きになるところも、やはりイギリスがいいと思うところもあった生活者でありジャーナリストでもあった筆者のレポート。文芸春秋に連載されていたので読んだことがある記事もあるかもしれない。

日本語で気の利いた言い回し。「猿も木から落ちる」、英語ならNobody is perfect、日本語のほうがずっと分かりやすいし気が利いている。「猫に小判」、単語三つで的確に意味を伝えている。独創的な言い回し、「全米が泣いた」、安っぽいアメリカ製映画の宣伝文句のようであり、これを皮肉にも使える。

日本語で外国人に伝わりにくい言い回し、「今度来てね」。「今度=this time?」、今度というのは次の回にはということはなかなか分かりにくいという。それじゃあ今週は次の週という意味かと聞き直したくもなる。

日本語にしか見られないという、母音一文字の単語。「鵜の胃と尾の絵」、少し変な文章ではあるが意味は分かる。「u no i to o no e」英語なら35文字も必要なのが十文字で書ける。「ペラペラ」「イライラ」「パチパチ」などは、国宝級の素晴らしい表現ではあるが、日本語学習者にとってはきちんと意味を学ばない限りそれが理解できない擬声語、擬態語である。

筆者お気に入りの日本語表現、ベストスリー。第三位「勝負パンツ」第二位「上目遣い」第一位「おニュー」。なぜそう思ったのはは本を本で見てほしい。

日本以外では見られない光景、山手線で爆睡するサラリーマン、新聞を縦に四つ折りにして隣の人に迷惑にならないように読んでいる人、居酒屋のトイレにある異様に深い洗面台、公園の木陰でアイドリングして寝ているタクシー運転手、プールで強制的に休憩させられる時間、ハチ公前で待ち合わせする人たち、スーパーの陳列棚を見ている自分の前を手刀を切りながら頭を下げ下げして通り過ぎる他人、公衆トイレでハンカチを口にくわえ手洗い後手についたしずくを二回振って水を切るサラリーマン、アパートのベランダでの布団干しとパンパンという布団たたき、電車で前の席が空いて二人つれが席を譲り合い座った方は立っている人の荷物を持ってあげる、こういう小さなことが日本以外では決して目にしない日本らしい風景であると。

1990年代以降の20年を「失われた20年」というのは、ビールとサッカーに関しては真逆である。自由化されたビールはバリエーションを増し、発足したJリーグをベースに実力を向上させたサッカー、いずれも世界に誇っていい。

2006年発刊の書であるが決して古びてはいない。英語版、続編、アメリカ社会版、イギリス社会版もある。





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戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ 白井 聡 ****

2016年06月10日 | 本の読後感
太平洋戦争後のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約に込められた意味と55年体制、その後の政治的軋轢と90年代の政権交代、中曽根・小泉政権以降の新自由主義政策の結果、そして現代の安倍政権が目指すもの、こうした動きを70年スパンでモデル化し可視化させてくれた。

戦後、朝鮮戦争、中国革命を経て世界は冷戦時代に突入、日本と安保条約を結んで日本全国に無期限に設置使用可能な軍事基地を手に入れたアメリカは、日本に政治的緊張を維持し、戦前の保守政治の復活を防ぎながら民主化を進めるという微妙なバランスを取るために、多数の保守勢力と過半数には届かない程度の野党勢力としての社会主義政党を容認した。ソ連はその社会党と共産党を支持し、55年体制は冷戦構造の米ソ対立にいわば担保された形でバランスをとっていた。サンフランシスコ講和条約締結を経て、社会党の左右陣営は合同し、その勢力に対応するため、吉田政権の自由党と当時の民主党が合併、これが当初の55年体制となる。さらにアメリカとしては、社会党の左翼勢力が強くなりすぎるのを防ぐために社会党右派を民社党として独立するのを支援した。これは東側勢力が朝鮮半島の北側で食い止められ、韓国というクッションを設けられたという地理的な影響が働いたという。つまり、朝鮮戦争で共産勢力が半島全部を占領したとしていたならば、GHQや連合国は日本での左翼活動や大学でのマルクス主義研究などを自由にさせたかどうかは疑問だったという指摘である。55年体制はイデオロギー対立でもあったので、政策論争で鋭く対立しても、イデオロギー批判を十分させておいて、落としどころを探ることも可能だったと。しかしアメリカの圧力下で制定された憲法改正には手が出せないという、「護憲で安保推進」が東西冷戦構造の代理戦争という形でうまくそして微妙にバランスしていたということ。自民党も社会党も傀儡(かいらい)とまでは言わなくても緩い形での東西陣営の傀儡(くぐつ)であったというのである。

その時の保守合同の立役者は岸信介、保守と革新の二大政党政治を目指していた。そして保守陣営は日本の復興と経済発展、国民生活向上のために、経済発展政策と同時に60年代には福祉国家的な富の再配分政策も実施、社会主義的な配慮までもしていた。一方の社会党は経済成長を体験する国民をしり目に、日米安保反対、アメリカの帝国主義批判を繰り返した。国民側としては豊かさを実感するにつれてこれ以上の社会主義革命など必要ないと考え、キューバ危機以降は第二次大戦以上の第三次大戦の危機も遠のく中で、左翼陣営の唱える政策に現実感を感じなくなっていく。60年代の社会党の中にも現実への展開を唱えた人物がいた、江田三郎である。62年には「アメリカの生活水準」「ソ連の生活保障」「イギリスの議会制民主主義」「日本国憲法の平和主義」の4つを江田ビジョンとして掲げたが社会党内部抗争で社会党の党是にはできなかった。冷戦構造の代理戦争という意識から自民党の資本主義に対抗できる軸はマルクス主義に基づく社会主義であることを変えられなかったともいえる。

1990年にはその冷戦構造が崩壊、55年体制にも変化が表れるはずだった。そのとき、保守陣営を従来型の自由主義と新自由主義に分けた保守二大政党制を唱えたのが小沢一郎だった。93年の細川内閣の誕生で自民党は政権を失い、小沢一郎は二大政党を実現するため小選挙区制の導入を提唱した。しかし基本的に小沢と政策の異なる社会党は政権から離脱、なんと自民党を組んで村山政権を樹立してしまう。「究極の野合」とはこのときの政権であった。安保、自衛隊、憲法すべての路線に関して戦後50年戦ってきた二つの政党が政権を組み、社会党は自民党の政策である、安保を推進、自衛隊を容認する。小選挙区制が導入されているので、アンチ自民党の受け皿だったはずの社会党の変節を見た有権者は、当時新党ブームに乗ってできた新しい勢力に乗り換え、社会党はわずか15議席に激減、その後は現在まで党勢の回復はできていない。そして、55年体制では社会福祉的政策も受容してきたはずの自民党は新自由主義的な政策をとり始め、小泉政権以降ははっきりと政策転向をしてきた。その間、野党勢力は紆余曲折を経ながら民主党、そしていまの民進党となる。しかし自民党が新自由主義的政策に転向してきた現在、対立軸が見えにくい。そして2003年の選挙からは「国民の生活を第一に」というスローガンで社会民主主義的な政策を掲げ、2009年には政権を奪取した。これがポスト55年体制の落ち着きどころのはずだった。実際には菅直人、野田佳彦と続く政権は新自由主義を何ら変わらない政策をとり、自民党との違いがなくなり、官僚との軋轢もあって政権を失ってしまう。対立軸がなくなれば支持を失う、これをもっと理解すべきであった、というのが筆者の主張である。

2011年に発刊された孫崎亨の「戦後史の正体」では、戦後の政権を「対米追随」と「自主派」に分類、対米追随派として、吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎をあげ、自主派には重光葵、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、福田糾夫、細川護熙、鳩山由紀夫などをあげている。自主派とはいっても対米従属を通じた対米自立志向ていどであり、自主憲法制定とは言いながら憲法改正には至らず、安保は堅持、アメリカの基地は現状維持という政策である。いずれの政権も60年代までは対米関係の確立、60年代以降冷戦崩壊までの対米関係安定の時代を経て、その後は日米関係維持そのものが自己目的化し、経済だけではなく政治体制まで失われた20年になってしまっている、というのが筆者の主張。対米従属の典型例が現在問題になっている日米地位協定。日本の憲法を頂点とした法制度のさらにその上に、アメリカと約束していること、という二重の法制度があるという指摘である。憲法に違反するような条約締結はできないはずが、自衛隊の設置以降、日本人の基本的人権を裏切るように、米軍機は高度何メートルで飛んでもかまわないと日米地位協定で約束され、米国軍属が日本国内で犯した法律違反でも米国軍のための行動であれば日本の司法では裁けない。集団的自衛権の行使容認と新安保法制は、憲法に抵触するが、日米同盟維持のためには必要である。つまり改憲か護憲か、という論争はピント外れであり、アメリカとの現在の関係を継続するのかどうか、という判断こそが根源的問題であることを筆者は指摘する。

日米安保条約に関して、日本国民の間、そして政治家にさえ希望的幻想があるという。それは日本が外国から侵略されるときにはアメリカ軍が出動する、これが安保条約だというもの。NATOにおける出動義務はに比べて日米安保条約の義務は、アメリカ議会に諮られ決まる。つまりその出動がアメリカの国益になるかどうかの判断が必ずなされるということ。ドナルドトランプの主張はこうした現状をさらに明確化しようというものである。そもそも安保条約はアメリカがサンフランシスコ講和条約締結の際に、日本に残留するための手段であった。じつはそれを望んだのは日本側の共産主義への恐怖、特に昭和天皇の意思があった、これが豊下氏著「安保条約の成立」による研究結果であるという。安保条約の意味は冷戦構造崩壊以前であれば、対共産圏共同防衛であったのが、アメリカが世界の警察ではないという宣言以降は、国際秩序の維持、という目的も薄らいできている。直近になると、対中国、北朝鮮、という意味合いがクローズアップされているが、アメリカにとってはもっとグローバル、シリアや中東などへのアメリカ軍出動への後方支援や東南アジア全体での秩序維持などが考えられる。麻生太郎が「ナチスの手法をまねるべき」と言ったのが数年前、ナチスのゲーリングの格言は「国民を戦争に引きずり込むのは簡単だ、外国に攻撃されるぞ、と言えばいい」というのが思い起こされる。アメリカと日本との共通の敵が冷戦構造崩壊で見えなくなった今、対中脅威論に依存するのは国民への説明としては、その意図は明確である。しかし、中国はアメリカにとって最大の貿易相手国であり、共通の脅威であるというのはある意味で一方的思い込みである可能性が高い。アメリカが日本のこうした思い込みに乗ってくれるか、それは政権をだれがとるのか、中国とロシアはどう動くのか、ウクライナ情勢・中東情勢はどうなるかなどの複雑系的要素が絡み合う。

こうした状況下での日本の状況はどうなっているか、そして世界の趨勢はどうかを考える必要がある。共通するのはナショナリズム勢力の勃興、そしてそうした勢力が実際に権力を手にし始めている現実がある。欧州での各種選挙での右翼勢力の増大、日本の安倍政権の向かう方向、アメリカ大統領選、いずれをみても、民主化勢力がどちらかと言えばインテリ左翼と類型化できるならば、右翼勢力は労働者階級の不満を掬い取り、保守の中でもナショナリスト的主張を大同団結するようなスローガンを唱えることで、従来の伝統的保守勢力には統合できなかった層までも食い込んできているという現実である。冷戦構造時代には、寅さんが「おめえ、さしずめインテリだな?」と言えば、理屈をこねている理論家を馬鹿にしながらも、物語全体としては寅さんではうまくいかない、という全体感が共感を受けていたのに対し、冷戦構造崩壊の今になってみると、寅さんの説得力が増していると感じるのは私だけだろうか。

筆者としては、TPP合意は日本の皆保険市場をグローバル資本に売り渡すに等しく、選挙を棄権することは現在の政治状況への不満がないという意思表示になり、官僚の使い方がうまいかどうかなどで現在の政権与党を選ぶなど論外で、政治家の技量の多少の巧拙を選択しているのではなく、戦後の大きな意味での日米安全保障体制とサンフランシスコ講和条約と二大政党政治への審判だと考える必要があるというのである。現在沖縄で起こっている、基地撤去論は、自民か民進か、などという選択ではなく、もっと根源的な選択を日本全体が迫られていることの象徴であると筆者はとらえている。

筆者は、本当の意味での戦後レジーム脱却のためには、政治革命、社会革命、精神革命が必要だと主張、今回の参議院選挙で考えるとしたら、立憲政治か安倍政治かの選択が、一つの判断基準となるという、これが政治革命につながる可能性がある。社会革命とは、基本的人権尊重、国民主権、男女平等などの基本的原理を再確認すること、そしてそれに沿った政策を選択し続けることである。精神革命とは99%の第三者で居続けるのか、それとも自分自身が行動者になれるかの変革であると。こうした現状を、変革は無理、難しいと逃げずに自分の行動変革で打ち破れなければ、戦後レジームからの脱却などできるはずがない、という主張である。

これは考えさせられる。ある意味では、日米安保条約の根本的見直しを含めた、そしてその先には健全なる憲法改正をもにらんだ提案であるからだ。国民が納得できるビジョンを現在の政党が示せるのかは疑問だが、単なる安保論議や憲法論議に一点集中していては打破できないということ。舛添知事の薄汚い疑惑解明は重要ではあるが、そのことに使っている時間などよりももっと重要なことがあるはず。舛添疑惑のワイドショーを見て騒いでいる視聴者を、陰で「もっと騒いでくれればいい」とほくそえみながら見ている人たちがいるのではないかと感じざるを得ない。

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京都ぎらい 井上章一 ****

2016年06月08日 | 本の読後感
京都嵯峨生まれで宇治在住の筆者、本当は京都愛にあふれていることが担保された上での「京都ぎらい」、京都は上京生まれで宇治育ちの自分に重なり共感点多し。

いろいろな方が実名で登場してくるところが本当らしくかつ若干いやらしい。京都の町中にある杉本家、下京で300年以上続いている旧家で、今は見学料を取って内部を公開している。公開前に筆者が杉本家の見学に大学生として訪れた際、当主の杉本秀太郎さんに言われたのが、「君は嵯峨の子なんか。昔はあのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥えをくみにきてくれたんや」。感謝しているような文脈の中に、洛中で暮らしている名家の当主が京都の中では田舎に属する嵯峨の百姓を下に見ている意識がいけずとしてもろに表れている。こういう言い方は実は京都に暮らしている人間ならだれでも一度や二度は耳にするものである。上京に生まれた私も、中京や下京の友人から、祇園祭の鉾町こそが京都であるとか、室町沿いの下京が京都の真ん中だ、などと言われたこともあり、宇治に引っ越してからは、洛外扱い、昔の別荘地扱いで、「わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」の通りの感覚で、都の東南の憂し山里で鹿なんかが住んでいる場所である。関東人から見ればそんな、どちらも観光地京都でしょ、という違いでしかないが、現代でも東京でいえば港区と川口、志木くらいの違いはある。

1980年代、京都で結婚適齢後期の中京に住む女性の一言、「とうとう山科の男から結婚話があったんや、もうかんにんしてほしいわ」「山科のどこが問題ですか?」「そやかて、山科なんかに行ったら東山が西に見えてしまうやんか」。京都の東の大津との中間点に山科はあり、桜の時期には山科疎水や毘沙門堂などはたいそう美しく、山科駅からその道すがらなどは立派なお屋敷が並んでいるのだが、そんなことなどこの女性には関係なかったのだろう。こういう人には自分が実は宇治に住んでいることなど言えるはずもない。おまけに、結婚話があったことも同時に自慢しているようでもあり、できればこれ以上のかかわりは持ちたくないと考えるのが洛外ものの考え方としては適切なのだろう。

筆者は考える。これは差別的発言なのかと。差別とは自分が優位に立ち劣位の他者を見下そうとする感覚であり、身体的不具合や人種、民族などを理由にする差別的発言や行為は許されるものではない。しかし、デブ、ハゲ、チビ、などは不具合とまでは考えられないので軽い揶揄の表現などとしてからかいの対象になることがある。洛中から見た洛外へのこうした発言はハゲ、デブ、チビに相当する軽い揶揄的発言なのであろう。言われる側の気分がいい訳はない。ヘイトスピーチや賤民蔑視が許されない時代に、ちょうど手ごろなうっぷん解消相手を見つけたという程度なのかもしれないと。

この後、京都での僧侶たちの祇園での遊び具合を紹介し、百人一首の坊主めくりになぞらえて、京都のキャバクラに僧侶が大勢押しかけているさまを「姫坊主姫坊主姫坊主・・・」と揶揄する。また寺社への古都税問題で京都の有力観光寺院が一斉に拝観停止のストライキを10か月ほど実施した時のことに触れ、その後京都市側が折れて古都税が廃止になり、市民に寺社の力の強さを再度思い出させたと紹介している。寺は戦国時代当時から武士層への食い込みを図るため、寺に侍たちを宿泊させていたという。「本能寺の変」もこうした文脈で理解できる。庭の美しさを競ったのもそのころからで、南北朝以降の寺社の庭の発展はこうした慰安施設としての寺社の位置づけが関係しているはずというのが筆者の主張である。和食の味付けに寺がふるまう精進料理の貢献も大きいという。肉なしで客に満足を与えるためには、寺の歴史、庭の蘊蓄、そして禅の思想などを総動員してもてなした。それが現代の和食文化、ブームの礎になっているというのである。

筆者はさらに、靖国神社、日の丸、君が代も1000年の都の視点から評価して見せる。靖国神社の前身は招魂社、明治政府に盾突いた勢力は排除されていた靖国神社、京都から見れば明治政府が定めた以降のたかだか150年の歴史しか感じられない君が代と日の丸にも反発を感じている。明治維新以前にいくつもあたはずの日本各地の、そして都であった京都の象徴にこそ長い歴史と伝統が宿っているのではないかという主張である。

最後に、筆者はこの本の出版社にも反旗を翻している。「ひち」つまり七のこと。京都では七条は「ひちじょう」、上七軒は「かみひちけん」であるのは当たり前なのだが、明治以来の東京政府は「ひち」を「しち」と書き直してきた。京都を走る京阪電車の駅に「七条」があるが、この読み仮名は「しちじょう」とわざわざ書いてある。京都人なら「ひちじょう」、七五三は「ひちごさん」であり、七面鳥は「ひちめんちょう」、七福神だって「ひちふくじん」でしょう、と。本書の発行元朝日新聞社書籍も索引を作る際に、七条をサ行に入れようとして、筆者と小競り合いになったという。鎌倉の七里ガ浜を「しちりがはま」とするのは勝手だが、七条は「ひちじょう」としておいてほしい、というのが筆者の願いである。

京都のことが本当は大好きな筆者、そのことが端々に表れるので、京都の洛中人もにこにこしながらこの本を読むことだろう。


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日本会議の研究 菅野 完 ****

2016年06月03日 | 本の読後感
「日本会議」に関する情報が本として出版されてきている。現在の閣僚の18人中15人が属しているという日本会議は何を目指している組織なのか、いったい安倍政権は何を目指しているのか、右傾化政権と言われて長いのに支持率を保っていられるのはなぜなのか、憲法改正の狙いは何なのか、どんな国を目指しているのか、その中身を知りたいと思って本書を手に取った。2016年7月の参議院選挙の前に読んでおいてよかったと思う。

著者は、ダイアモンドオンラインなどWebで評論を発表している元サラリーマンのジャーナリスト、1年をかけて調査したという記事の集大成である。書いてあるポイントは次の通り。

1. 現在の安倍政権が目指す政策は、日本会議が掲げる政策の実現を目指している。日本会議が目指すのは、皇室を中心とした社会の確立、そのためには個人の尊厳、男女平等を定めた現憲法を見直すこと。祭政一致を基本とし、靖国神社や伊勢神宮参拝など国家の名誉を最優先する政治を目指す。また、こうしたビジョン実現を担う新たな世代を教育するため、歴史認識を見直し、国防力を強めたうえで自衛隊の積極的な海外派遣を行って世界の平和に貢献する。
2. 憲法改正は、最近の国際情勢などから、取り組みやすく賛同が得やすい「緊急事態事項の創設」から着手するというのが日本会議の政策、安倍政権も同様である。その後、憲法24条の「個人の尊厳」を見直し「家族の価値」条項と書き換える。そして本丸の憲法9条第二項の改正へと進むのが日本会議の示す道筋。
3. 現憲法は日本の自主的制定過程を経ていないため、そもそも認められない。よって、96条の改正には3分の2が必要という条項に従う前に、反憲法の姿勢を示し、解釈で実質的な改憲を目指せ、というのが日本会議の方針。
4. 日本会議の推進役は「日本青年協議会」という右翼団体である。
5. 日本青年協議会の会長である椛島有三や日本政策研究センターを率いる伊藤哲夫が安倍晋三総理のブレーンだといわれているが、いずれも1983年以前の「生長の家」出身、谷口雅春の薫陶を受けていた。現在の生長の家は別路線である。
6. 生長の家原理主義ともいえる1983年以前の主張をもとに国会に出てきたのが村上正邦、そして現在それを引っ張っているのが衛藤晟一、稲田朋美、学者では百地章、高橋史郎などの保守派言論人、その淵源には安東巌という生長の家出身者がいる。
7. 戦後70年談話は、50年談話の時に自民党幹事長だった加藤紘一や自治大臣だった野中広務が「太平洋戦争は日本による侵略戦争だったこと」ことを認めてしまったことへの意趣返しの意味合いが強かった。それでも認めなければアメリカや中国からの反発が明確なので、支持者向けに侵略を認めない意思を示すためには主語を曖昧にするしかなかった。

つまり、安倍政権は自民党政権ではあるものの、長く自民党主流派だった宏池会やその他今まで主流だった「安保推進で護憲」という考え方とは全く異なる政治を目指している、ということ。閣僚が靖国参拝にこだわる理由は何か、なぜサミットは伊勢志摩で実施したのか、安倍政権が家父長制を軸に据えたような家族観を憲法に反映したがる理由は何か、男女共同参画に反対する理由は何か、その背景がよく分かった。

本書内容は、極めて政治的な内容であり、記述内容に反発する人もいると思うが、参議院選挙で改憲勢力で3分の2を占めた時に何が起きるかを明確に示す内容であり、選挙前に一読する価値がある。日本会議に関する著作は最近多数発刊されている。




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日本占領史 1945-1952 福永文夫 *****

2016年05月26日 | 本の読後感
安倍晋三首相がよく言う「戦後レジームからの脱却」とは何を意図した発言で、その背景は何かを考えたくて、この本を手に取った。戦後の政治的争点がよくわかった。

戦後日本の政治対立は、主には安保と日本国憲法であった、と言える。単純化すれば、保守本流は護憲で安保推進、保守でも戦前回帰派は憲法改正して再軍備推進、左翼は護憲で安保反対である。しかしそもそも、象徴天皇とは、連合国の強硬派から天皇を守る国体護持のための方便であり、それと引きかえに、二度と戦争は引き起こしませんから、という約束を東京裁判の前に新憲法制定という形で担保しておくというのが戦争放棄の第九条だった。憲法は占領軍に押し付けられた、という見方かあるが、敗戦国として必死の交渉の結果、勝ち取れた最善の成果だったと考えられる。安保条約はサンフランシスコ講和条約とのペアであり、その大前提は現行憲法であった。

実質的にはアメリカ軍を主体とした占領軍は、軍国日本の徹底した非武装化と民主化の浸透を主眼に、マッカーサーの五大改革(労働改革、財閥解体、教育改革、農地改革、選挙改革と民主憲法制定)を占領後二年間で一気に実行した。そうした改革への評価は、1951年にマッカーサーが解任されて日本を去る際に、銀座から羽田空港迄道の両側に見送りの人垣が切れ目なく続いた、国会ではマッカーサー元帥への感謝決議が行われた、などという事実から推し量れる。更に東京湾にマッカーサーの像を建てようという提案まであったというが、マッカーサー帰国後の、「日本は十二歳レベル」発言で一気に人気は萎んだという。

憲法草案を検討する際に、人権尊重、地方分権、男女平等、労働者の権利、言論の自由などという基本的理解が当時の日本政府にはなかった。ここまでの理解不足を予測していなかったGHQは、検討指示後に毎日新聞が日本政府の憲法草案をすっぱぬいた時にはじめてこのままではまずい、と悟ったのだが、天皇を戦争犯罪人にすべきという極東委員会の発言力が強い東京裁判の前に制定というには時間がなかった。そこで九日間で作成した下書を日本側のメンバーに示して、それを日本政府の草案として発表させたのである。当時の日本政府にも強い抵抗があったが、天皇の地位を守る、ということを最優先事項と考えていた幣原内閣はこれを受け入れた。進歩、自由両党は、天皇制維持、基本的人権尊重、戦争放棄は自党案と一致すると評価、共産党以外の政党は賛成に回ったのである。

しかし、その後の世界的状勢は変化し、朝鮮戦争、中国革命、米ソ対立とアメリカにとっての日本の位置づけが変わってくる。日本の再度の軍備推進を進めたいアメリカに吉田茂は当時の社会党を使って抵抗した。経済的復興優先のため、軍事力は最低限に抑えたいと。GHQは朝鮮戦争への支援のために警察予備隊を結成させた、しかし日本の再軍備に敏感に反応するオーストラリア、ニュージーランド、フィリピンへの配慮も重要だった。アメリカはダレス国務長官が連合国を訪問してポツダム宣言をベースにしたサンフランシスコ講和条約を日米安保条約と戦争放棄条項のある日本国憲法、東京裁判の受け入れを前提にして締結することを説いて回った。

米ソ対立、共産主義への警戒感、北京政府未承認などから、サンフランシスコ講和条約には、連合国49ヶ国が参加したが、ソ連、中国、その他の東側の国は参加しなかった。講和条約締結により、日本は独立を勝ち取り、国連への加盟も認められたが、その代償は、台湾政府を中国として国交回復する、安保条約の実行のため期限の定めなく米軍に基地の提供をすること、沖縄はアメリカの施政権下におくことであった。中国とはその20年後に国交回復、沖縄も返還されたが米軍基地はたくさん残っている。

ここからが現在の問題である。基地の問題に憲法改正、などが選挙の争点になろうとしている。我々が今考えるべきなのは、こうした歴史的背景を知った上で日本の安全保障をどうするのか、そして国際社会で信頼されながら貢献できることは何かであろう。平和が第一、これに反対する人はいない。しかし、ドナルドトランプが大統領になり、尖閣諸島に人民軍が上陸してしまってから考えるのでは遅すぎるはずだ。憲法と安保、性根を据えて考え直すときが来ている。

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天災から日本史を読み直す 磯田道史 ****

2016年04月25日 | 本の読後感
「武士の家計簿」を書いた筆者が、日本史の裏に潜む地震や台風などの天災について書いている興味深い一冊。

先日のNHK大河ドラマ「真田丸」を見ていたら家康が秀吉から攻撃されるの恐れているその時、大地震が起こって命拾いした、というトピックスがあった。これが1586年の天正地震。家康討伐のため明智光秀が築いた坂本の城にいた秀吉はそこで天正地震に被災、家康討伐をうっちゃって飛ぶように大阪に帰ってしまった、とルイス・フロイスが書き残しているという。家康討伐のために大垣城に備蓄しておいた兵糧米は地震のためにお城もろとも焼け落ちてしまう。徳川討伐軍の先鋒を期待されていた山内一豊の長浜城も倒壊、城下では出陣どころではなかった。この時の近江、伊勢、美濃、尾張の震度が5から6と想定される一方、家康のいた三河以東は震度4以下だった。この時、地震が起きていなければ秀吉は家康を討伐し、徳川政権ではなく、豊臣長期政権が誕生していた可能性が高い、と筆者は書いている。今般の熊本地震で熊本城が大きく損壊しているが、天正地震時代のお城はもっともろかったのだと推測できる。天正地震では若狭湾にも津波が発生、福井、高浜地方では4-5メートルの津波が発生していたのではないかと推測、高浜原発の安全性議論にはこうした歴史的事実の検証も重要だというのが筆者の指摘である。

1596年には伏見地震が発生、秀吉は伏見に城を建設したばかりであったが、現在のJR桃山駅の南にあった指月城は倒壊、死者は集められていた美女ばかり700名、丈夫なお城にではなく、簡易的なつくりの長屋にいたため多くが圧死したという。この時倒壊したお城の瓦が重く、そのあとに作られた伏見城では軍事施設は瓦ぶき、それ以外の御殿などはこけら葺き、檜皮葺だったため、その後甲賀忍者が関が原前夜に放った火であっという間に焼け落ちたという。江戸時代に建設された多くのお城はこうした反省の上に設計建設されたと考えられる。熊本城はどうだったのだろうか。こうした地震被害は秀吉を支える大名たちの人心を徳川に移らせるという影響があった。朝鮮出兵で疲弊していた大名たちは地震で被害を受けながらもさらなる出兵やお城の建築を命じられ、こうした地震を契機に潮目が変わったというのが筆者の考えである。

富士山噴火と南海トラフ地震の連動性について過去の事実を確かめると、南海・相模トラフの大地震が9世紀以降13回起きていて、そのうち5-6回は富士山も25年以内に噴火している。富士山の最後の噴火は宝永噴火で1707年11月、1703年には相模トラフを震源とする元禄関東地震が発生している。元禄地震以降5年間は地震が継続的に発生、宝永大噴火へとつながった。1707年10月にはM9の大震災が関東を襲っていて、11月23日に富士山が噴火、江戸の町には12日間火山灰が降り続いた。江戸の町では眼病が多発したという。火山灰はガラス質であるため今ならゴーグルが必需品となる。関東地方に住む方には、富士山噴火対策として食糧と水以外にゴーグルも買っておくことをお勧めする。宝永地震による津波は大阪の街も襲った。その高さは5-6メートル、標高2-3メートルの今宮戎神社や低地に広がる大阪の街はその大半が水没の危険があるということになる。東南海トラフを震源とするなら、津波到達までは1-2時間、その間に減災、避難がどこまでできるかである。

神社のある場所は津波にはあわない、という話があるがどうもそう簡単ではないようだ。神社の場所も様々な事情で移転させられているためである。今般の熊本地震、大きな被害が出ているが、不幸中の幸いとでも言えるのが津波被害がなかったこと。しかし、頻発する余震、大分に広がる地震域、中央構造線沿いに地震が広がっていく様子を見ていると、決して安心はできない。薩摩川内原発はその運転を止めずにいるが、本来リスク回避を考えるなら、まずは停止してから様子を見るのが正論ではないか。歴史から学べることは本当に多い、というのが本書を読んでの強い印象である。



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おじさんの功罪

2016年04月11日 | 日記
四十を越えるとおじさんだ、とも言えるだろうが、ここでは六十歳を越えて、特にサラリーマンの定年後の人生を過ごしているまだまだ元気、しかし多くの自由な時間を持つ男性のことである。

電車通勤がなくなり、アホな上司もいないので、この歳で会社をやめて良かった、と思う一方、可能なら世の中のためになることをしたい、と力を入れようとしても、そんなことはそうそう向こうからは来てはくれない。お金と健康な体さえあれば、リタイアメント後に必要なのは自己満足も含めた生き甲斐、と言うのが通り相場。NHKのシニアの特集などを見ていれば反論ができないほどの正論が大多数であるかのように感じてしまう。それは皆の本音なのだろうか?

おじさんは、今まで長く働いてきたのだからと言い訳しながら、時に学生時代の仲間と酒をのみ、会社時代の同僚達とも情報交換と称する飲み会で楽しんだりもする。年に数回は妻と旅行だってする。人によっては少年野球のコーチ、バンド活動、お遍路の旅やオートバイで温泉ツーリングにも行くだろう。

ひまなおじさんの時間潰しと言われても、こうした楽しみだって、健全な消費活動であり、ある意味でのシニア世代から現役世代へのの所得移転であるし、ひょっとしたらちょっとした経験談や若い人との会話の中から新たなビジネスのアイデアが生み出される可能性だってある。

自宅で邪魔者扱いされないようにできることは、地元のボランティア活動に力を入れるのもよし、水道の水漏れ修理、照明をLEDへ変更、たまには夕食の用意、窓のお掃除などなど。しかし、ボランティア活動にも流儀や主張があったりしてやりにくい。自宅の台所の主導権は私にはなく、しょせんはお手伝い。なんとか自分にしかない価値を発揮したいと考える。

色々とトライするが、自宅で過ごす多くの時間帯に、生産的な活動を継続することは家庭菜園などの農作業以外にはなかなか見つけられない。料理を習って、ワインにも凝って、お出汁の蘊蓄を傾けるのも悪くはない。学生時代にやっていた音楽も老化防止には効果的だ。特に楽器演奏なら、成果の披露も可能。

しかしいずれも文化的活動ではあるものの、プロのレベル迄いかなければ、生産的な活動ではない。そう、アマチュアながらも何かを作り出して、世の中のためにならないのかと考えているおじさんは私以外にも多いのではないかと私は考えている。

野菜、家具、お客様にお出しできる料理、素人でも可能なさまざまな生産的な活動があるはずだ。一次産業なら自宅で消費ができるので、手っ取り早い。二次産業では、販売ルート開拓のハードルが高いがやりがいは大きいだろう。三次産業なら、家庭教師や小さなレストランが思い付く。

こうしてテレビでよく紹介される「人生の楽園」が理想的、と考えたこともあったが、本当にそれをやり抜くにはパートナーの協力と相当の実行力が重要である。

ここで再度考える。おじさんでも自分にしかできないことがあるのではないか。実家の母から電話をもらい気がついた、それは親のこと。2ヶ月に一度、家族をつれて行き二三日過ごすのではなく、もう少し一緒にいられるのではないかと。

義理の母は三年前から介護施設に入居し、昨年来は自分の子供の顔さえ認識できなくなってしまった。自分の親はいつまでも元気でいると思い込んでいたが、親がまだ心身ともにそこそこ健康でいるなら、まずは年老いた親の実家で、家の片付け、病院への送り迎え、可能な範囲での食事の世話、お花見に連れ出すなど、これは確かに自分にしかできない活動である。

実行力不足から、家庭菜園での作業に終始しているのなら、まだ家にいる親との時間を有効活用すること、ここから始めたらどうかと考え、今年の初めからは自宅から遠く離れた実家で大半の時間を過ごしている。

自宅に私がいなくても、残る家族は何の問題もなく、かえって喜ばれているし、実家の近所の人達も息子が家に居てくれれば安心だ。親戚の皆さんも、親孝行じゃないか、と少し私の株も上がる。

農作業開始までのしばらくは、焦って生産活動をしなくとも自己満足はできるし、実家の狭い庭にだってその気になればトマトくらいなら作れるかもしれない。首から上はまだまだ元気な親なので、ずっと一緒にいるとうるさがられるし、付かず離れずでマメに顔を出す、ということにしようかと思う。おじさんの功罪についても、これでしばらくは結論の先のばしができると考えている。

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世界を変えた10人の女性 池上彰 ****

2016年03月28日 | 本の読後感
お茶の水女子大学で行った講義をまとめたもの。アウン・サン・スー・チー、マザーテレサ、マーガレットサッチヤー、ナイチンゲール、マリーキュリー、緒方貞子、ベアテシロタゴードンなど10人の女性を選んだ。

それぞれの人達については、知っていることもあるが、知らないことも多い。池上彰の良いところは、単に10人の女性を紹介するだけではなく、例えばスーチーさんであれば、田中眞紀子さんとの比較、マンデラさんとの違い、韓国での政権交代との相違点などについての自分の考えを付加しているところ。

シロタゴードンさんは、日系人かと早とちりしていたが、父親はウクライナ生まれのユダヤ系ロシア人でピアニストだった。日本で育ったベアテシロタさんは、終戦を留学先のアメリカで迎えた。日本女性が抑圧されていることを知るシロタゴードンさんは、GHQに職を得て憲法検討チームのメンバーとなリ、女性の権利を保護する条項の組み込みに努力する。

GHQの主力は民主党支持だったために、大きな政府を意識した憲法草案を立案した。ちなみに、イラクの占領は共和党政権下だったため規制の撤廃を進めたために海外製品が溢れたという。

現在の憲法の基本的人権の尊重や男女対等の考え方はシロタゴードンさんが組み込んだものといえる。しかし第12条にはこうある。「憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の普段の努力によって保持しなければならない」憲法を守るのは政権党の責務であるが、その権利を守るのは国民自身である。

現在進められようとしている憲法論議は、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を基本として、戦後の状況変化を踏まえてされることになるが、こうしたシロタゴードンさんの理想がどのように実現できたのか、守るべき、変えるべきものは何か、どのような国を目指すのかをしっかりと頭に描くことが重要。

またまたこうしたことを考えさせられる一冊であった。

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調弦ツールは超便利 ****

2016年03月07日 | 日記
1月中旬からずっと実家の京都に行っていた。冬の京都は寒いというが、今年は暖冬という始まりから急に寒くなったためか、より一層寒く感じた。そこで、実家の家の中を整理、中学生の時に買ってもらい高校生以来ずっと実家にあったウクレレを発掘、調弦のためチューナークリップ(ギター・ウクレレ・ベース・バイオリン)というものを手に入れた。これが便利だった。

噂は知っていた、便利なツールがあることは。「そんなものを使わずとも音を合わせることは演奏のプレリュード」と知らんぷりを決め込んでいた。ウクレレは「ソドミラ」、合わせてみるとなんだか妙な違和感があった。40年も遠ざかっていたのだからと考えたが、それでも音合わせに自信がなかった。amazonで検索してみると意外な安さ、買ってみた。

みんなは使っているのだろうか、こういうツール。ピアノ用は使ってみたことはある。調律師ではないので合っていることの確認用だ。ギターでも使ってみた。カーナビと同じ感覚になるのだろうか、道を覚えなくなると。それ以前に、ウクレレを弾いてみて、あまり楽しくない、冬だからだろうかと考えてみる。中学時代にはこれでずいぶん楽しませてもらった記憶があるのだが。夏が近づいて来たらまた弾いてみようととりあえずかたずけてしまった。

それよりも、実家で発掘したものはそれ以外にたくさんあった。本、アルバム、成績表、文集、とりあえず今はこちらのほうに気が向いている。


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交換インク2回分のプリンター EPSON EP-707A ****

2016年01月17日 | 日記
昨年末、年賀状印書のために6年ぶりにプリンターを買った。前機種のインクづまりが悪化してにっちもさっちも行かなくなったためである。

インクづまりというのはたちが悪い。しばらく使わないと詰まるのは、多くの人が経験していると思う。インクづまり解消の操作をすると、インクを使ってノズル洗浄ということをするのだが、この時に消費されるインクの量がちょっと気になるほど多いのである。しかし詰まっていては打てないので操作をして、試し印書というのをして、規定の模様が出るとOK、ダメだともう一度ノズル洗浄をする。3回ぐらいするとインク残量が半分くらいになっていて絶句することになる。そこで、互換インクというのにするが、どうも純正品よりも詰まりやすいのではないかと疑心暗鬼になる。さらにインクヘッド洗浄液というのを試してみるが、一度詰まってにっちもさっちも行かなくなったのはどうも綺麗にならないので、結局たくさんインクを使ってしまいうんざりして、新機種導入に踏み切った。

もっと早く買えばよかった。それは、新しいプリンターは当然スムーズに印書できて、安いのに思ったよりも印書品質も良いから。おまけにプリンターの買値は安く純正品インク大容量2セット分弱程度だったから(年が明けて高くなっているが年末は7500円だった)。ノズル洗浄で消費した分で買えたではないか。この機種よりも安い機種はあったが、そこまでいくと印書速度が遅すぎて年賀状を100枚以上印刷するのに時間がかかりすぎる。かと言ってこれ以上高い機種は液晶パネルが大きい、紙の入口が二箇所ある、などあまり年賀状だけを考えれば不要な機能ばかり。

次にノズルが詰まった時にはジタバタせずに次機種を買うつもりだ。
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図説 不潔の歴史 キャスリン アシェンバーグ ****

2016年01月14日 | 本の読後感
筆者のアシェンバーグという人、著者紹介によればラジオ局のプロデューサーを経たのち、『ザ・グローブ・アンド・メイル』紙の芸術・書籍欄の編集委員に。現在はフリーランスのライターで、『ニューヨーク・タイムズ』紙と『トロント・ライフ』誌で執筆するほか、大学で教鞭もとっている、とのこと。

本書は図書館で見ていかにも面白そうだと借りてきた本。不潔の歴史ではあるが、アメリカやヨーロッパの視点からの記述で、日本のことも西欧人から見た清潔好きの日本人として書かれていて興味深い。日本人が最初に欧州人と接触したのは16世紀ころの火縄銃とキリスト教伝来時代で、長い航海のあとの西洋人はさぞや臭かったと思うが、それを迎えた日本人はどうだったのだろうか。平安時代の貴族たちは入浴はせず香をたきしめていたというが、一般の漁師や農民はどうだったのだろうか。

今の日本人の感覚でいえば、朝起きれば顔を洗い、食事の後には歯を磨く、朝シャンする人もいるし、食事の後は必ず歯を磨く人もいる。夜にはシャワーか入浴、トイレではウォシュレットが当たり前になった。

そんな日本でも100年前はどうだったろうか、そして明治維新前の150年前はどうだったか。1915年にはたっぷりのお湯を毎日沸かすのは大変で、都会の庶民は週に一二度銭湯通い、田舎の農民漁民はそれもなかった。150年前の日本に旅で訪れた英国人女性のイザベラ・バードは人々が愛想がよく親切だとほめてはいるが、公衆衛生の概念がないため不潔な手で目をこするために眼病が多く失明者も多いと観察している。それでも日本には男女混浴の銭湯があった。

古代ローマの大浴場で人々は入浴を日課にしていた。水浴びや湯あみ、蒸し風呂を2時間以上続けてから、かいた汗や皮脂を道具で掻き落とし、仕上げにオイルを塗っていたとのこと。

しかし中世に入るとそうした清潔感はキリスト教の教えと共に変化、毎日の入浴はおろか、体を洗うこともなくなり、日本の平安時代の貴族並みになる。町でも自宅から出た糞尿は道に捨てられていたという。ペスト流行時には湯あみで開いた毛穴からペストが体に入ってくると信じられ、誰も湯あみや洗顔さえしなくなった。17世紀のフランス貴族は、毎日下着を替えれば清潔と考えていた。こうした状況は欧米では19世紀末ころまで続く。

しかしアメリカでは19世紀末にはシャワーと温水器の普及で、現代のような清潔感が広まっていく。あとからアメリカにやってくる欧州からの移民はまだまだ以前のように体を洗わない習慣であり、アメリカ人は清潔感の異なる移民たちに生活の大切さを教えることになる。

日本でもアメリカでも石鹸やシャンプーを使って体をきれいに、臭いもなくすることは重要視されているが、それはここ100年以内のこと、日本では50年程度ではないだろうか。

筆者は日本のことも書いていて、「日本では同じ職場の人間が就業中扱いで集団で入浴することがある」などと記述、誰に聞いたのだろうか、本当にそんな会社もあるのかと思ってしまう。社員旅行を出勤扱いにする会社、ということか。

逆に現代の清潔過ぎる環境が、アレルギーや喘息を助長するという仮説がある。本書によれば、清潔すぎる環境により、糖尿病や関節リウマチ、心臓疾患を引き起こす減となる可能性もあるとのこと。

とすると、またまた逆に戻ってあまり体や顔を洗いすぎないこと、歯も磨かない、などということになるかもしれないし、実はこんなに清潔好きになってしまった現代人、特に日本人は、CMの見すぎ、影響を受けすぎなのかもしれない。時代によってまた国によっても清潔の概念、感覚は大きく異なるということ。


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日本史の一級資料 山本博文 ***

2016年01月13日 | 本の読後感
歴史はその再現フィルムなどはなく、インタビューして歴史上の人物に裏を取ることもできないため、現在書かれている歴史は、文書、遺跡、遺物など「史料」とよばれる歴史に残された証拠から憶測して成り立っているもの。つまり、歴史は新たな史料が発見されその発見史料に高い信ぴょう性があり今までの史料を上書きすることもあるということ。「一級史料」とはそうした歴史上重要で歴史を上書きできるほどに信ぴょう性の高い、もしくは偽文書であっても既存の歴史史料の間違いが裏打ちできるものなどを指す。「歴史認識」はこうした現存する歴史史料を自分としてどのように認識して理解評価するかという見解表明である。

「史料」は幅広い用語で、遺物や遺跡も含むが歴史学者よりも考古学者が扱う対象、「文書」はモンジョ、「古文書」は古い文書、「日記」は記録で史書、実録、覚書なども記録の一部。「伝承」でも史料といえる場合があるが、史料とはならない場合のほうが多い。「絵画」「建築」なども史料になる場合がある。史料は歴史上研究の材料になるものであり、資料は一般的な研究材料。

宮本武蔵に関する史料(対象に関して直接記述された文書など)は、小倉郊外にのこる石碑と五輪書だけといわれる。石碑には「小次郎が真剣勝負がしたいといった、武蔵は自分は木のほこでお相手すると答えた。小次郎の真剣は三尺あまり、武蔵は木刀の一撃で小次郎を仕留めた」と書かれこれを書いたのは武蔵の養子である伊織、顕彰碑に書かれた内容なので美化されている可能性はあるものの大きな嘘はないはず、というのが歴史的評価らしい。吉川栄治は長編宮本武蔵全8巻を書いたが、何をもとにそんな長編を書いたのか。

武蔵の没後約百年の1855年に肥後の豊田景英が書いた武蔵の伝記「二天記」、景英の先祖は武蔵の庇護者であり、小次郎のさや当ての逸話はこれによるもの。つまり景英が実際に見たり聞いたりしたものとは考えられないため、小説のようなものであり二次史料とも言えないとの評価。熊本藩の記録で武蔵が登場する「沼田家記」という書きものがある。これによれば双方とも弟子を連れてこないで仕合をしようと約束したのに武蔵は弟子を連れてきていて隠れていた。武蔵が小次郎に一撃を与えたのちに武蔵の弟子たちは蘇生した小次郎にとどめを刺した、とある。

五輪書は武蔵が書いたのかどうかの疑念があるとされ、武蔵の死後に書かれた「葉隠」を下敷きにした記述がみられ武蔵の自筆だというには無理があるとのこと。しかし史料にはこのようなケースは多く、五輪書も武蔵の弟子が書いた可能性が高いとも言われ、立派な史料としての価値があるという。そもそも武蔵が死んだ後にも五輪書や二天家記が書かれたこと自体が、武蔵の二天一流の流派の広まりや流派創始者の精神を広めていこうという弟子の思いが感じられる社会の様子が感じられるということ。史料としての扱いは、弟子によるものは美化されている、一部はねつ造されたものと理解しながら活用することだというのが筆者の考え。

歴史学者である筆者は歴史史料を探訪して地方を旅する。旧家にはまだまだ埋もれた史料が残っているケースもあるという。江戸時代の各藩には3種類の史料がある。一つは藩政史料で家老、江戸藩邸、町奉行、勘定所などの日記や裁判記録、会計帳簿などがある。二つ目は大名家の史料で、系図、将軍からの手紙、他大名からの書状など。三つめは藩史で後に編纂されたものとその材料となった文書など。明治21年に明治政府は江戸時代の旧大名島津、毛利、山内、水戸、伊達、池田、黒田、鍋島、細川に旧藩の歴史史書編纂を命じたため、その史料を集めた際の写本や家史の原稿などが残ったのだという。

その中でも一級史料といえるのが島津家史料、西南の役の際には重臣の東郷重持により大切な文書として避難させたという。島津家文書は秀吉や家康からの手紙や江戸時代の史料が多く含まれているために、この文書からだけでも江戸時代の歴史が書けるほどだという。筆者の修士論文はこの島津家文書、この本、歴史好きには参考になる著作である。

1467年の応仁の乱では京都の建物のほとんどが焼失、史料も多くは消失してしまったため、内藤湖南は応仁の乱以前の歴史はその後の歴史とは区別すべき、と述べたという。また古事記と日本書紀についても、編纂当時の政権者であった者たちによる歴史の書き換えがなされたという説があり、蘇我氏や聖徳太子の事跡の見直しも必要だとする説も多い。同様のことは現代であっても起こっていると考えたほうがいいだろう。事実や証拠と自分の理解、評価は分けて述べたうえで、検討や議論は進める必要があるということである。


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年賀状の整理にスキャナー導入 ScanSnap iX500 *****

2016年01月12日 | 日記
数年分たまった年賀状、なかなか捨てられないので年別に保管してきたが、いつまで持っていても仕方がないので過去2年分以前は廃棄することにしたのだが、それでもなくなってしまうのは気が引けるし、過去の年賀状を見たい時もある。複合機にもスキャナー機能はあるが、一枚ずつのスキャンはやってられない。

そこで、一気に読み込めるドキュメントスキャナーを導入した。各機種を検討したが性能と評判、価格、そして付属ソフトウェアから総合判断し、富士通のScanSnap iX500に決定、年末にポチって早速使ってみた。

早くてスムーズ、過去4年分、500枚以上を読み込んで保存は終了した。もっと早く導入すべきだったのかもしれない。付属するソフトウェアで年賀状全部と一枚ずつや表裏を並べてみるなどの一覧性もよく、あとからの追加削除並び替えなども簡単にできる。読み込みは25枚ずつ程度にしておいたほうがスムーズ、きっちり並べることでつまりもなく、懸念していた重ね読み込みや読み飛ばしは一切なかった。おかげで過去の年賀状をしっかり読んで新年分を書くことができた。

一方、このスキャナーを使って本の「自炊」をしている話もwebには紹介されている。しかし本を切る必要があり私には心情的にできないし、図書館で借りた本を切断することはできないため、こちらにはScanSnap SV600というのを使っている。

図書館で借りた本は、この富士通 ScanSnap SV600でスキャンして、Kindle Fire HD 8.9で読むが全く問題なくスムーズに読める。図書館の本は大きく重いので気軽に読むには不適と敬遠していた。スキャンするのに300枚で60分、平均すれば、本書であれば2P分をまとめて一回でスキャンするので、約150枚で30分かかる。これを面倒と思うか、便利と考えるか。SV600は45000円、Kindleは20800円、簡単にはモトは取れないと思うが、最近では本屋で買うよりは図書館で買うほうが多い。図書館通いでまったく新たなジャンルの本にも出合えてなかなか面白い。




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