意志による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

帝都東京・隠された地下網の秘密 秋葉俊 *****

2017年06月25日 | 本の読後感

なるほどと気付かされることが多い一冊。1915年にロンドンがドイツによる爆撃を受けた際、最先端国の首都、そして日英同盟の大切な相手国が爆撃されたことに衝撃を受け、日本陸軍は地下鉄による防空を考えるようになった。さらには、ベルリンからロンドンへ空爆、ということは中国大陸から東京へも空爆されかねない、とつながり、満州への進出意欲、関東軍設立、日中戦争へとつながるきっかけとなったというのだ。おどろおどろしさを出そうとして陳腐なタイトルになり、少し損をしている本ではないか。しかしこの著者の東京の地下鉄網にかける執念は、マツコであれば「少し狂気を感じるわね」と言うくらい、見上げた根性だと思う。

本書の章立ては筆者の思考の順序と同じ流れになっている。つまり読者は筆者の疑問や解決策探索にまつわる苦労などを感じながら一緒に進むことになるので、分かりやすさを随分犠牲にしていると感じる。それでも最後まで読み通した読者にとっては本書の価値は失われていないだろう。地下鉄に乗りながら、軌道の横の壁の色やふるさ加減、地下鉄駅の構造と、壁の向こうに向けた想像力など、筆者は疑問解明のためにどれほどの労力を注ぎ込んだのだろうと思うと気が遠くなる。

大前提として、国会議事堂や首相官邸、皇居、元陸海軍施設の地下には地下道が建設されていただろうということは想像できる。それがどのように計画され建設されたかは、関係者は多いはずだが公にはなっていない。また、1923年の関東大震災後の帝都復興計画で、時の東京市長後藤新平は、それまでの市電と狭い道路に代えて、地下街路と地下鉄を計画した。それが冒頭に紹介した陸軍による防空計画に上塗りされ、機密度合いが上がってしまう。戦後のGHQ占領時にはその一部が占領軍の知るところとなるが、全体ではなかったらしい。本書でもその全貌を解き明かすには至っていないが、多くの糸口が明らかになる。

比較的新しい南北線の溜池山王駅のB1は政府専用らしく、B2洗面所からB1への非常扉は存在するが一般にはシャットアウトされている。この近辺には官邸や議事堂があり多分地下道が建設されているはずだが、明らかにされていない。ひょっとしたら筆者は情報を得ている可能性もあるが、本書の発刊と引き換えにお蔵入りさせた可能性さえ示唆している。1957年に国会図書館の大改修工事があった際、国会議事堂も大工事があり、同時に衆参両院議長公邸も大成建設により工事が行われた。首都高三宅坂ジャンクション工事も同時に行われ、さらには赤坂離宮、迎賓館とすべて大成建設により行われた。創始者は大倉喜八郎、今の首都高新宿線はすべて大成建設により建設された。筆者は、東京下水道整備事業が大震災後に計画されたことと、そのごの経緯をつぶさに検証し、東京駅前から新宿までを一直線で結ぶ地下道の存在を信じているようだ。本書には、その直線状を結ぶ地図も掲載されている。確かに、東京駅前の行幸道路から皇居横を抜けて最高裁判所、日本都市センター、清水谷公園、迎賓館、学習院初等科、南元町公園、慶応大学病院、四谷第六小学校、新宿御苑、明治神宮、京王線初台から新国立劇場に抜ける地下道の存在を考えている。

地下鉄路線の不自然なカーブにも着目、銀座線が赤坂見附で約90度旋回しているのは、計画では新宿に向かうところであり、また、新橋でも本来は後に敷設された浅草線と入れ替わった可能性を述べている。銀座線のカーブの半径が182.881メートルである点に着目、その他はメートルで切りの良い数値なのに、ここだけは200ヤード、つまり設計者の意図と実際の路線が違うのではないかと疑念を呈している。また、銀座線神田のホームがB2にある点に着目、B1に今でも残る地下通路の存在を指摘する。

そして、地下鉄の上下線の真ん中の壁にも注目、帝都復興により建設された道路の地下を今でも走る地下鉄が、道路の下を走るときには壁があり、道路を外れると壁は姿を消し柱に変わるという。帝都復興計画では、道路拡幅と同時に、地下街路が建設され、その構造は地上の道路、中央分離帯の下に左右を隔てる壁、そして地下鉄と上下水道網という構造だったという。しかし陸軍の横槍により機密度が上がり、地下鉄網という資料はなく、下水道整備事業として議事録に残る。

戦前の地下鉄は銀座線しか建設されなかったことになっているが、帝都復興計画では次のような計画だったという。第一線、築地ー日本橋ー浅草橋ー浅草ー押上 これは浅草線の前身である。 第二線、戸越ー五反田ー三田ー赤羽橋ー新橋ー銀座ー日本橋ー秋葉原ー上野ー千住大橋 これも浅草線、そして日比谷線。 第三線、目黒ー恵比寿ー六本木ー虎ノ門ー日比谷ー東京ー神田ー本郷三丁目ー巣鴨ー板橋 これは日比谷線から丸ノ内線 第四線、渋谷ー高樹町ー赤坂見附ー桜田門ー日比谷ー築地ー月島 第五線、新宿ー四谷四丁目ー市ヶ谷ー五番町ー東京駅前ー永代橋ー南砂町 第六線、大塚ー池袋ー目白ー江戸川橋ー飯田橋ー九段下ー大手町ー日本橋ー人形町ー大島 これらはJR山手線、大江戸線、有楽町線、東西線、半蔵門線、都営新宿線など。つまり、多くの地下鉄は戦前に地下道網として建設が進んでおり、戦後の地下鉄建設の折に活用された。また、国会近辺では今も情報公開されずに利用されているという。

まさに、東京アンダーグラウンド情報、読んでいてワクワクするではないか。

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秋霧の街 柴田哲孝 ***

2017年06月21日 | 本の読後感

最後まで読んで、著者が「下山事件 最後の証言」の著者であることを知った。感想をまとめておくには余計な情報とも言えなくはないが、それでも私にとっては該書は印象に残る一冊だったのである。下山事件に関しては、40年も前の学生時代に読んだ松本清張の「昭和史発掘」、そして「日本の黒い霧」で初めて詳しく知った。全13巻にもなる「昭和史発掘」はその後の私の読書人生の方向を決める、といえば大げさだが大いなる影響を与えた大作であったことは間違いない。

戦後の大混乱の時代、日本の占領軍であったGHQを率いていたのはマッカーサー元帥、しかし米国本土や戦勝各国との関係はある意味緊張関係でもあった。更には、中国での共産主義国家誕生と朝鮮半島情勢の激変により、日本の非武装化と民主化の動きは、当初の方針からは大きく右旋回していった。米国では共和党と民主党の勢力争いがあり、GHQ内でもGSとG2の間でコンフリクトが起きていた。こうした動きの中で起きた数々の事件の一つが、当時の国鉄の下山総裁が殺された下山事件、犯人は不明のままである。柴田哲孝は自分の祖父と、祖父が所属していた亜細亜産業が、この下山事件に深く関わっていたことを知る。そして書かれたのが「下山事件 最後の証言」。松本清張が調べきれなかった失われたピースが柴田哲孝の調査で見つかったように感じた。

その著者が書いた本書は、私立探偵神山が活躍するアクション小説。ロシアマフィアが新潟で麻薬の密売を行っていて、密輸された麻薬の行方をめぐり、取引とは無関係の女性が殺された。犯人はその事件の直前に電話連絡をしていた相手で高校時代の友人五十嵐、ところがその五十嵐も行方不明だという。何故、無関係の女性は殺されなくてはならなかったのか、その謎を私立探偵の神山が問いていく。依頼者は殺されたという乙川麻利子の父だった。父親は、娘の友人五十嵐を知っていて、彼が娘を殺すはずがないと言い、娘が殺された理由と真犯人を知りたいという。紹介者は弁護士の大河原、割のいい仕事だったので引き受けることにした。

神山は事件の現場となった新潟に赴く。すると、オトカワマリコと名乗る女性から電話が入る。一体誰だ、そして何故自分がこの事件に絡んでいることを知ったのか、携帯電話番号は何故わかったのか。どうも、弁護士の大河原が情報を提供しているらしい。大河原は神山に、調べてみるべき相手として、新潟警察の金安、越後新報の記者をリストアップする。調べていくうちに、電話でオトカワマリコと名乗った女性が神山に接近、ロシア人男性と日本人女性の間に生まれた名前はマリアだという。ここから事件の核心に迫っていく。

ロシアへの中古車販売、その盛衰と背景にあるロシア本国による輸入規制強化、警察をも巻き込んだロシアン・マフィアの存在が見えてくる。どうも乙川麻利子は人違いで殺されたのかもしれないと考えるようになる神山、カギを握るマリアを問い詰めるが最後のところは白状しない。神山はトカレフの取扱にも精通、もっている車もポルシェカレラとスバルフォレスター四駆で運転技術は抜群。ロシア人が巣食っている謎のホテルへの潜入も厭わない度胸ももっているスーパー私立探偵である。マリアの父はロシアに帰ってしまい、マリアも長く会えていない。そのため、ロシア人の出入りする謎のホテルに入り込み、麻薬中毒になっていた経歴を持っていた。そこで神山はすべての謎をとくためそのホテルに単身潜入、一時は殺されかけるが、マリアに助けられ、逆に囚われてしまったマリアを救出するため再びホテルに向かうことになる。

そこに現れるのは、囚われたマリアをこちらも助けに来たロシア人の実の父親、神山と協力してロシア人マフィアと戦いやっつけてしまうというお話。筋書きを書けばシンプルだが、そこはアクション小説、パリダカールラリーにも参加経験のある著者の筆の力で最後まで一気に読ませる。神山探偵の小説はシリーズ化されているらしいが、それよりも、下山事件を題材にした「暗殺者の夏」という小説があるという。こっちのほうが私には面白そうだ。

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KAMIKAKUSHI 神隠し 長野慶太 ****

2017年06月15日 | 本の読後感

よくできたミステリーだと思う。日本の大学を出てアメリカでMBA取得して、アメリカ在住でコンサルタント、そういう作者だから書けるアメリカの問題点。タイトルからして日本舞台の小説だと思ったら、主人公はアメリカ人ジャーナリストのグレッグ、舞台はLA空港。空港で子供が行方不明になったとの知らせを受けたグレッグはLA空港に急行し、現場にいた東洋系女性のミッシェルにコンタクト、8歳の子供のケントがいなくなったが、チェックイン後で搭乗前、セキュリティチェックの間に見えなくなったという。

この後、ミッシェルの夫は二年前に亡くなっていて、その義父が登場、時々連絡を取り合う程度の間柄だが、仕送りをもらっているということを聞き取る。グレッグはこの事件を記事にするとして、ミッシェルと義父に取材を続ける。ミッシェルはグレッグに信頼を寄せ、銀行の口座確認のための委任状、クレジットカードの履歴照会委任状を提供する。履歴を確認すると、つつましい生活を送っていること、義父とは定期的に連絡を取り合う間柄であることがわかる。

チェックインをしているのに、飛行機には搭乗していない、つまり理論的にはケントはまだ空港内にいるはず、というある意味の密室状況。どうしてこの状況を突破できるのか。キーワードはミッシェルが元日本人で今はアメリカ市民権を持っていること、ケントは日本とアメリカの二重国籍を持っていること、離婚した日本人の元夫がいること。日本で取得したVISAカードはアメリカのVISAからは照会されないこと、ケントは日本人としての別名健人という日本名を持っていて、日本パスポートを取得できること、LA空港では8歳の子供なら大人の同乗者がいればチケットさえあれば搭乗できること、巨大空港では国内線と国際線の乗り換えもできること、などなどが組み合わさりパズルは解ける。ミッシェルと義父が仕組んだ狂言なのだが、結論はほろ苦い親子愛の物語である。

カリフォルニア州は財政赤字解消のための州を挙げての経費削減に取り組み、警察経費削減のため空港警備が手薄になっていると感じたグレッグは、そういう背景がないかを取材している。以前グレッグは、警察官による容疑者射殺が異常に多いことに疑問を呈した記事を書きジャーナリストとして表彰された経歴がある。司法取引が多発する問題、離婚訴訟問題、訴訟に伴う出費の多さの問題、賠償額の高騰問題などなど、作者の米国におけるコンサル活動で感じている問題意識をアメリカ社会の問題として提示している。日本人に向けては、アメリカの数多くの社会問題のいくつかを紹介できるのが本書のバリューだろう。もし、日本好きのアメリカ人が本書をよめば、「そうか、日本は違うんだ」と膝を打つこと間違いなしだがそうしたケースはまれに違いない。英語化してもアメリカ人にはまどろっこしくて受けないだろう。つまり、日本人向けの、アメリカに関心がある米在住経験者向けミステリー、と考えれば読者ターゲットは明確にできる。それ以外の日本人読者は、知日派の米国人ミステリー作家が日本名を名乗って書いた日本物ミステリー翻訳小説、と考えて読むとずっと心地よく読めるはず。

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神歌 山下卓 ***

2017年05月29日 | 本の読後感

野際昭輔はグローバル企業でグローバルリスクを対象とする保険会社PDSに勤める。以前は海外での傭兵経験もある。一線の現場から身を引く時期ではないかと会社のCEOや日本支社長の山崎からアドバイスされるが、まだ現場に未練はある。3か月の休暇をもらって考えてみろと言われ、一時帰国で日本に戻る飛行機で偶然出会ったコロンビアからの義足ダンサーの一団、その中の義足の少女リサ。飛行機の中でわずかな言葉を交わすが、非常に記憶に刻まれる。帰国後、偶然義足のダンサーのステージを目にして、助けを求められたことから事件に巻き込まれる。

 リサは、天使の羽というダンスグループに属しているコロンビアでの戦災孤児。傭兵時代に知り合った親友の妻である伊織、そしてその親友は死亡、伊織とは惹かれあっている。伊織の子の明里はすでに独立した女性。国際的ネットワークでビジネスを展開する。野際の学生時代の親友は今は警視庁に勤める青海、そして響子。三流雑誌の編集長の石神は様々なシーンで野際を助ける。

社会問題が提示されている。コロンビア内戦、そこで発生する戦争孤児、麻薬取引、政府と癒着する犯罪集団、麻薬密輸、その取引にまとわりつく日本のやくざ、子供の性的虐待、などなど。しかし何といっても本ストーリーを貫くのは女性の強さと社会的活躍。登場する女性はすべて美人で強い心の持ち主。

前半部分の物語のプロット提示ではその後の展開を期待させて引き付けられるが、後半は、野際の父の栄光に神がかり的な効果があり、リサの超能力もとってつけた感ありで、主人公に都合よすぎる展開があり、ストーリー的には若干しりすぼみ感も同時にある。それでも、物語全体としては、作者の筆の力もあってか最後まで読ませてくれる。

山下卓ファンには、こうしたハードボイルド感はたまらない魅力だろうと思う。

 

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B面昭和史 半藤一利 ****

2017年05月08日 | 本の読後感

A面とは政治経済外交軍事、B面は庶民の生活を記述。通常の歴史書ではA面中心の記述で、昭和史に関して言うと、「なぜ無謀な戦争に突入してしまったのか、人々は反対しなかったのか、どう思っていたのか」などという疑問を持つ。親や祖父母の世代が戦争を経験していても、苦しい経験やつらい思い出などを聞いて、戦争は決してしてはいけない、という訓話を聞くばかり。政府に騙されたのか、新聞は何を書いていたのか、庶民も戦争に賛成していたのか、などを本書ではB面から記述する。

昭和は1925年に始まる。その頃の人々の感覚は、その10年前に第一次大戦で獲得した太平洋と中国でのドイツの権益の記憶、20年前に日露戦争で獲得した樺太と満州、朝鮮半島権益、さらには30年前の日清戦争での台湾や朝鮮半島などでの権益などの記憶から、「戦争をすると国家はなにかを獲得をする」というもの。ロンドンやワシントンでの軍艦建造交渉で米英の力に抑えられて追従しようとする政府の外交方針に、弱腰外交と迫る軍部の勢いに同調する論調が新聞にも増えてくる。こうした中で起きる政治家暗殺事件に、暗い論調の新聞の裏にも、欧米との穏健的外交姿勢への反発を感じ取るのが人々の心理にあったのではないか。

張作霖爆殺事件から満州事変へとつながる中国進出に、多くの国民は「暴支膺懲」という軍部のプロパガンダに乗せられていく。国際連盟からのリットン調査団は満州国の独立性と日本の謀略を非難、植民地を多く持つ欧州なら日本の立場や言い分を理解してくれるのではないかという、都合のいい考え方は、軍部による政治の利用を日本政治の未熟と評価され、簡単に否定された。国際的孤立に不安を抱きながらも、このままでは日本が明治維新以来獲得してきたアジアでの権益を英米にかすめ取られるかもしれないという不安や、日常生活での不満を日本国の発展という幻想で紛らわしてしまいたい、という庶民の淡い期待が、こうした不安を上まわってしまった。

ドイツが欧州で侵略戦争を始めるころ、そのあおりを受けてフランスやオランダはアジアでの権益どころではなくなってくる。アメリカからの経済的締め付けに苦しんでいた日本は、「バスに乗り遅れるな」として、フランス領であったインドシナへの進出を決め、多くの国民の支持を得る。ソ連への対抗戦略として、北方侵攻方針も同時に実施、軍事力の南北同時拡大方針を実施することになる。庶民はドイツとの同盟に期待を寄せながら、米英とソ連との同時対立に大いなる不安を抱く。インドシナへの侵攻によりアメリカとの決定的対立が明確になり、石油需要のほとんどを依存してきたアメリカからの石油禁輸措置を宣言されるにあたり、英米との戦争は事実上避けられないものとなる。この時点でアメリカと日本との経済力格差は20倍、それでも初戦突破とドイツの勝利、ソ連による和平交渉、などという一方的な思い込みと期待の中で戦争に突入する。

戦争が始まってしまうと、多くの国民は大本営発表の戦勝報道に踊らされる。1941年12月に始まった太平洋戦争は1942年6月のミッドウエイ海戦での大敗北以降は、海軍力で圧倒されていく。同年8月のガダルカナル島での戦闘では、圧倒的物量の差から、一方的な敗北を喫する。このころのアメリカ兵の感想からは、戦況は「太平洋の七面鳥打ち」と言われるほど一方的であり、日本軍の戦いは無謀であり無力に映った。それでも日本国内では戦勝報道が続く。ガダルカナル5か月の戦闘でその時点で太平洋地区で持てるほとんどの航空力と駆逐艦をせん滅され、ガダルカナル島からの撤退を余儀なくされるが、日本国内での報道では、戦略上の転進と伝えられる。

1944年になるとアメリカ軍はソロモン諸島伝いにフィリピンへというマッカーサー大将指揮の陸軍と、ニミッツ大将の海軍は中部太平洋の島伝いに攻めあがるという遠大な二面作戦を進めていた。日本にとっては絶対国防圏とされていたサイパン、テニアン、グアムなど中部太平洋がニミッツ大将率いる海軍の猛攻を受けて陥落、本格的な本土への空襲が始まる。このころ日本陸軍はインド侵攻のためのインパール作戦を実施、10万を超える歩兵が二週間分の食料を持って山岳地帯を進み、補給のない進軍は、そのほとんどが餓死するという悲惨な結果をもたらす。この時点で日本軍の勝機は完全に失われたと思われるが、大本営は絶望的な状況にも、レイテ島防衛戦を実施、国家の全力を傾けた戦いではあったが、ここでも大敗北、1944年度の軍事費は国家予算の90.5%を占めた。庶民は「本土に引き付ける作戦、そうすれば必ず神風が吹く」と妄想ともいえる作戦を信じた。

1931年の満州での戦闘開始からはずっと戦争が継続している状態であったが、庶民の感覚を年とともに追って行っても、ここからが戦争、という切れ目ははっきりとしない。こうして歴史を通して読んでみると、1936年の「陸海軍大臣現役武官制」の復活あたりから、報道統制、隣組による庶民への言論統制が強化されていった様子もうかがえるが、実際に日常の暮しを庶民からすれば、いつのまにか、という感覚であったと感じられる。報道統制の法律的背景には1925年制定の治安維持法があり、その実際の運用が現場の警察に丸投げされていた現実もある。とすると、報道期間の自主的報道抑制が一つの目安とも考えられる。もう一つさかのぼると、朝鮮統合や満州侵攻などからくる民族的優位感、これが庶民感覚に根付いてしまう時期、これが多くのその後の出来事のベースになっているという気もする。

歴史は繰り返すのだろうか。現在の状況にも、北朝鮮による軍事力強化、中国の領土拡大戦略、宗教対立に根差す国際的緊張、難民問題、保護主義、すべてがエネルギー資源確保という国家戦略が背景に見える。日本国内においては民族差別的感覚、ヘイトスピーチ、報道の自由と抑制、共謀罪の議論などがあるが、庶民の一人としてなにを考えなければならないのか。歴史の認識を正しく持っていない政治家たちに、大切な判断を任せていいのか、今の我々にもできることはたくさんあると思えるが、B面昭和史を読むと、「唇寒し」時代の流れの中でも自分の意見を口に出して言うことの重要性を強く感じる。

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沈黙のレシピエント 渥美饒児 ***

2017年05月01日 | 本の読後感

退職目前の叩き上げ刑事武藤、妻に先立たれ独身だが、刑事としてはそのほうが無心に働けると自己満足している。指定暴力団の桑原を暴力団組織内での通報協力者として使いながら、桑原が組織内で窮地に陥ったときには体を張って救う、これが物語の終盤で生きてくる。

警察組織では、よく描かれるエリート官僚の署長と叩き上げ刑事との確執があり、エリート医師である容疑者が政治家を使って自らがターゲットにされた捜査を妨害しようとする。警察組織もそうした政治力に屈する形で捜査を打ち切ろうとするが、武藤とその上司の頑張りで容疑者逮捕にまでこぎつける。

タイトルは内蔵移植を受けようとしていたが、透析を受けていて不自然な心不全で死亡と診断されたが、殺されてしまったのではないかと疑われた犠牲者から。臓器売買が広く行われているというフィリピンと日本の医療機関のエリート医師をつなぐ糸は、医療ジャーナリストが見つけ出す。日本の医療現場での臓器移植の問題点と、アジアの発展途上国の問題点を描いている。

実際に起きた2500万円の詐欺・殺人事件からの物語だと言うが、物語性よりも取材に従ったドキュメントという色合いが濃いように感じる。上記のような問題提起のドキュメンタリー小説として読めばそれなりに楽しめる。

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歌舞伎町のこころちゃん 権徹 ****

2017年04月29日 | 本の読後感

 歌舞伎町でアル中の父親と暮らしている4歳のこころちゃん、2008年の発刊なので今は中学生になっているはず。母親が働き父親と毎日を過ごしているこころちゃん、キムタクの娘の心音ちゃんから1字もらったという。路上生活者仲間から食べ物をシェアしてもらいながらこころちゃんは暮らしている。少しの現金収入があっても、父親はアルコールを入手するために使ってしまうため、仕事を紹介しても、住む場所を斡旋しても、アルコールが手近にあり、食料にも困らない歌舞伎町から離れようとしない父親。しかしこころちゃんはいつも一緒に暮らしている父親になついていて離れようとはしない。ある日、母親がこころちゃんを児童保育施設に入所させるため連れて行ってしまう。

著者は、取材対象者との距離感を保てず、度々父親に説得を試みたり、こころちゃんに食事を与えたりするが、基本的生活態度を変えようとしない父。先進国と言われる日本にどのくらいの同じような境遇の子供たちがいるのか。両親がいても、病気、怪我、アル中、事故、失業、詐欺、うっかりからくる持ち金喪失、ほんのすこしの手違いで路上生活の境遇に陥ってしまうことがあるという。ちょっとした個人的善意で一人の可哀想な境遇の子供を救えたとしても、同様の子供たちは数万人規模で日本中にいるという。家があって、定期収入があり、家族もいる私達には、身近の誰かを救う以外になにかできることはあるのだろうか。

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油摂取過剰、砂糖摂取を止めればまずガンになる事は無い! 佐野千遥 ***

2017年04月27日 | 本の読後感

Webで見つけたキーワードを辿って、Kindleで読んでみた。相当怪しげな感じも漂うタイトルだし、著者も聞いたことが無いが、書いて有ることはすでに知っている知識を強化することも多く、また新たな情報もあり、健康志向にこだわりがある方には有益だと感じた。著者はロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派数理物理学・最高責任者という肩書。主張の科学的背景には地球上に生命が誕生した原因を取り上げ、地球の地磁気がタンパク質に与えた影響から生命は誕生したとの仮説から、生命が根源的に持つ物理的性質から考えて、世の中の状況を分析するというもの。主張の主なものを列挙してみる。

1. 携帯、スマホは電磁波を発生、特に男性精子生成に悪影響のため、携帯・スマホをズボンポケットに入れると精子激減、老化促進、白髪激増。携帯普及時期とガン激増時期をマッピングしてみると明白である。

2. 抗癌剤治療、放射線治療は百害あって一利なし。体温を高く保つことこそが健康維持に重要。にんにくが含むアリシン、スコルニジン、生姜のジンゲロールが有効。

3. ごま油、キャノーラ油などのリノール酸、荏胡麻油などのαリノレン酸よりもオレイン酸を含むオリーブ油を取ることを推奨。

4. トランス脂肪酸は発がん性を持つため、油の加熱はトランス脂肪酸を発生させる。パンにはトランス脂肪酸を含むマーガリン、ショートニング、ファストスブレッドを含むため食べてはいけない。

5. 生野菜をミキサーで砕いて摂取、ビタミンc、葉酸摂取のため海藻を摂取すること、玉ねぎ摂取はがん対策としても放射能体外排出にも有効。ブロッコリーのブロリコはフコイダンやアガリスクよりも数百倍有効。

6. 腸の消化能力、造血能力向上のため、毎日少しでも運動、ウオーキングをすることが有効。

7. 脳神経の健康維持のためカルシウム摂取、プレーンヨーグルトを食べる。豆乳ヨーグルトや低脂肪ヨーグルトはカルシウム摂取ができないため有効ではない。

8. 砂糖、はちみつ、アルコール、脂肪の過剰摂取を止める。

9. ニコチンは青酸カリの5倍猛毒、排気ガスとキャノーラ油、リノール酸は遺伝子組み換え食品であり、現代人の花粉症などアレルギーの原因物質。

こうしたことが気になる方は、Googleで本筆者名を検索してみることをお勧めする。

 

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生命の逆襲 福岡伸一 ***

2017年04月07日 | 本の読後感

AERAに連載されたという生物学エッセイ。面白かったエッセイを紹介。

単細胞生物に死はあるのか。われわれ人間は多細胞生物、単細胞生物は一つの細胞が分裂を繰り返し増えていく大腸菌やアメーバなど多くの微生物が対応する。多細胞生物では各細胞は分裂後にそれぞれの役割に分化、目や心臓、皮膚、骨などになるが、単細胞生物では分業はせず、一つ一つが生き物として生きていく。その一生とは細胞分裂からその娘細胞が生まれるまでとすると20分ほど、それが一生だとすると相当短い。DNAはコピーされ娘細胞に引き継がれているので、遺伝子はそのままずっと引き継がれる、細胞の記憶ともいえるもの。そう考えると単細胞生物は死はない、ともいえる、なにか不思議な話ではないか。

コモド諸島に住むコモドオオトカゲ、大きいもので3メートルもあり、肉食で、島に住む水牛を食するという。いくらコモドオオトカゲが大きいといっても水牛は巨大な体を持つ。その水牛をコモドオオトカゲが倒す戦略とは、近くから様子を伺い一瞬のスキをついてヒトかみする、というもの。かんだ後は細菌などが侵入して化膿して、数日後には感染症のために巨大な水牛も倒れる。コモドオオトカゲは倒れた水牛を食する、という。本能的に大きな水牛を倒す方法を知っているのか、それにしてもコモドオオトカゲは水牛をヒトかみしてから数日間は水牛のそばにいて、倒れるのを待っているということ、つまり水牛は感染症で倒れることを予想できるということになる。爬虫類のコモドオオトカゲが将来の出来事を推定し待てるということで、そのきっかけは自分の行動なのである。わなを仕掛けて狩りをする、という行為に匹敵するインテリジェントな行動ではないか。

露天風呂のサルは湯冷めしないのか。これは有名になった地獄谷温泉のサルに関して前から気になっていたこと。サルの体毛は皮脂を含んでいてお湯にはぬれず、皮膚に汗腺が少ないので、湯上りにも汗をかかない。霜焼けにもならないとのこと。温まった後雪の積もったねぐらに帰り着くまでに湯冷めするのではないかと、他人事、いや他猿事ながら気になっていたこと。そう、数年前の真夏に地獄谷温泉に宿泊した。駐車場にバイクを止めてから細い山道を登り歩くこと数分、小さな温泉宿についた、そこが地獄谷温泉、後楽館。建物は民宿風、食事も山菜中心で、それでも有名になった宿は一泊二食で12800円だったと記憶するが、物好きそうなドイツ人のバイクライダーと話をした。有名なsnow monkeyが入るという露天風呂を見に来たとここと。まさかまさか、ドイツからツーリングしてきたという。これを見にはるばる1万キロ以上のバイク旅をしてまで来る、すごい観光効果である。しかし夏なのでサルはおらず、その露天風呂には人間が入れた。ところが虫だらけ、とても長時間入っていられない。そこでもう一つ気になる、サルは虫が平気なのか。そうか、真冬に虫はいないだろう。そもそも一生裸で外で暮らしているのだからきっと平気なはず。そういえば人間だって1万年以上前には旧石器時代で外で裸同然の暮らしをしていたはず。体毛が少ない人間は虫にとっても格好の獲物。蚊のお役に立っていると、そこで蚊の食生活について。

きわめてデリケートな蚊の食生活。蚊に刺されやすい血液型があるというのは信ぴょう性が低い。血液型は血球表面の糖鎖構造によって決まるので、刺す前から血液型を判別してターゲットを決めるのは難しいとのこと。人が吐き出す二酸化炭素をたどって人間に近づく。人間に近づくと乳酸、短鎖脂肪酸、汗のにおい、熱により皮膚に着地するので、体温が高い子供は刺されやすい。皮膚の上から熱により毛細血管の場所を探り当てる。蚊の口吻には7つのパーツからなる針がついていて、鞘に保護されている。一対のギザギザのナイフ状のメスで皮膚を切開、巧みに神経を避けて刺激を与えないように穴をあけていく。そこに唾液を注入する別の管を挿入、唾液には血液凝固防止成分が入っている。最後に血液を吸い上げる管を差し込んで、凝固しないうちに血液を吸い上げるという、これだけの作業を数秒以内に完了する。血液は産卵のために必要な栄養素となるため、メスの蚊だけが吸血し、オスは植物の汁などを吸って生きているという。蚊だって必死に生きている。

こうして考えてみると、地球上の生命はそれぞれが他の生物に相互に依存しあって生きている。2001年ころからミツバチの大量死があるという。農薬に含まれるネオニコチノイドが原因物質として特定されたので、フランスでは早速使用禁止になったが、日本では企業、政府、JA、生協も人には無害だとして動きは鈍い。単独の物質の害ではなくて、複合的な作用が考えられ、環境全体として環境変化に繊細な影響を受けたミツバチが被害にあっているのではないと推定されている。生物多様性は環境問題の主要課題だが、どんな小さな生物でも、その他の生物や環境のなかで一つの役割をはたしているかもしれない、と考えると、絶滅危惧種のニュースを聞くときにもう少し深刻な理解が必要となる。

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日本銀行を創った男 小説・松方正義  渡辺房男 ***

2017年04月05日 | 本の読後感

日本史の時間に習った「松方デフレ」、日本銀行設立のために松方正義が、財政健全化と物価安定のために断行した、この男の半生を描いた小説である。

 明治維新直後の日本政府で大蔵次官にあたる大蔵大輔だったのが松方正義、西南戦争のための戦費を調達する必要に迫られた。戊辰戦争遂行のために不換紙幣が大量に発行され大インフレが起きてしまった反省があった。しかし当時は通貨や紙幣の発行と経済の連動が正しく理解されていなかった。結局西南戦争遂行を第一義としていた軍に押切られ、地方の有力者に持ち掛けて、民間銀行が紙幣を発行することを実施、第一銀行から約150もの民間銀行を認可し、資本に応じた紙幣の発行を行った結果、インフレを招いてしまう。

大蔵卿だった大隈重信は、銀価格の安定によりこうしたインフレは収まると主張していたが、松方はフランス留学の経験から、不換紙幣では景気は安定しないと確信、その後の日本銀行創設を政府重臣たちに働きかける。その後、大隈重信は下野、松方が大蔵卿に任命され、インフレ退治のための努力を続ける。政府予算の削減や所得格差是正のための税制改革、物価安定策の遂行など、なにか現在の経済状況を思わせる状況でもある。

政治家には世の中をよりよくしたい思い、政治信念と実行力、それに正しい経済知識が必要であることを痛感させてくれる小説、現在の財務大臣にも読ませたい。

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吉田茂とその時代(下) ジョン・ダワー ****

2017年04月04日 | 本の読後感

歴史上の人物だった吉田茂がよく分かった。イギリスびいきの現実主義者で天皇崇拝者。戦前は中国、イギリス駐在の外交官として日本が戦争に突入しようとするのをなんとか食い止めようとしていたが、一外交官の立場では無力であった。太平洋戦争中はこれ以上の被害を避けて、ましな条件で終戦させようと協力者を募ったが、これが特高の目に留まり1945年4月には逮捕、これが反戦主義者と解釈され戦後の政権奪取につながった

マッカーサー改革の第一歩であった新たな日本国憲法は、吉田にとっては「とんでもない」存在であったが、天皇自身がアメリカ案を支持することで、吉田もこれを受け入れることに同意したという。新憲法案は幣原内閣から吉田第一次内閣に引き継がれ、日本政府案として国会に提出された。吉田としては「国体の護持」が最重要であったので、マッカーサー案の「天皇制維持なるも、憲法の制限内に置かれ、国民の究極の意志に従うこと。戦争の否定と封建制度の廃止」という内容は維持されていた。憲法の制定は、その直後に予定されていた戦勝11ヵ国による極東委員会における天皇の犯罪検討を待たずして天皇制維持を確定するものとして1946年5月に行われた。この時に憲法に組み込まれたもう一つの重要項目「戦争放棄」は、サンフランシスコ講和条約を見据えた時、日米条約との組み合わせによって、日本の独立をアメリカの監視下に置くことを意味し、その他の条約締結国の納得を得るためのものでもあった。

吉田としては英米との協力が日本の平和と繁栄につながるという信念があった。理想は1902-1922年の日英同盟だったが、戦後はこの伝統外交の新版として日米同盟を歓迎することになった。いずれもロシアを対象とした安全保障条約だったが、日米同盟では反共主義が鮮明になった。占領直後の「マッカーサー改革」は経済非軍事化と民主化だったが、アメリカの政策は日本資本主義に関しては自立、そして日米経済協力、そして軍事同盟強化、アジア戦略との統合へと進展し、旧財閥寡占復活と軍事関係の再生産、再軍事化への動きへとつながった。この体制は見方を変えれば、皮肉なことにアメリカと東南アジアを加えた「大東亜共栄圏」とも思える構想でもあった。

マッカーサーの五大改革の中で、地方自治に関しても、昭和29年には戦前の中央権力による官僚機構は復活し、税金、補助金、行政改革などマッカーサーが試みた改革はすっかり骨抜きにされていた。

1952年4月占領が終わった時、アメリカ政府が日本に期待することは次のような内容だった。1.アジアの非共産国の経済安定にとって重要な商品とサービスの提供。2.アジアの原料資源開発におけるアメリカとの協力。3.低原価の軍事物資の大量生産。4.アメリカ太平洋戦略のなかで対共産圏防衛の盾となり、アメリカ兵力の再配備を可能にする、日本自身の軍事力拡充。これに対して吉田茂がアメリカ政府に示した日本の方針は次の通り。1.自国の労働力と未利用工業能力活用による増産。2.日本の生活水準向上と自衛力の漸次強化。3.増産の隘路となる電力不足を補うため、アメリカ資金援助を得て電力供給を増加する。

警察予備隊、保安隊と実質的な再軍備を進めてきた日本政府は、アメリカから軍事力強化目標として示された陸上部隊35万人に対して、18万人を示した。日本としては憲法を楯にとって、経済成長を担保する方針であり、アメリカ政府としても憲法改正は日本国内問題であるとしてこれを認めた。しかしその後ニクソンは副大統領として日本を訪問、日米協議会主催の昼食会席上700人の来賓を前に「憲法9条は誤りであった」と述べた。吉田は、外交上の方針として護憲の立場をとり、再軍備にかんしても漸次的に対応する立場をとったが、党内別勢力であった鳩山一郎からの「憲法改正調査会」の設置要求にこたえ、これを設置、のちに首相となる岸信介を調査会会長に任命した。これが自由民主党の改憲の動きの始まりとなった。

吉田茂の戦後の最大の貢献は、上記対応を踏まえた上でのサンフランシスコ条約体制を進めたこと、同時に漸進的、断片的再軍備の形を設定したことであった。しかしその置き土産は現在の日本にも残存することになっている。1.安保条約とアメリカ軍の駐留。2.台湾を中国とする。(これは後に逆転された)3.漸進的再軍備は憲法範囲内という解釈。

ここまでが本書の内容。現在進められようとしている憲法改正論議においては、こうした歴史と自らの歴史解釈をもう一度国民の前に示したうえで、改正ポイント案を示すこととしてほしいと考える。

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京都 魅惑の町名 高野澄 ***

2017年03月22日 | 本の読後感

京都の町名は郵便番号簿のページ数から分かるという。右京区の太秦青木ヶ原町から始まって山科区椥辻池尻町まで19ページ、、東京都は足立区の青井から目黒区の祐天寺まで3.5ページ、大阪市は2ページしかない。多いからいいというものではないとは思うが、町名統合などで古い歴史のある町名がなくなるのは寂しいもの。京都はそうした古い歴史を守ってきたともいえる。京都の町名といえば河原町四条上るとか西入るとかではないの、と考える人もいるかもしれないが、それとは別に町名はちゃんとある。長刀鉾町は四条東洞院西入るではあるが烏丸通と東洞院通の間の四条通の両側にひし形状に位置するのが長刀鉾町、その起源はもちろん祇園祭が始まった後で、1500年の絵図にはまだ記載はなく、1637年の洛中絵図には記載があるという。秀吉の全国制覇後に京都の町を改良したときにつけられた町名が多い。それもお上からつけられたというよりも、住人自身がつけたものが多いというのも京都らしい。

びっくりするような町名に堀川五条西側の「天使突抜」がある。私の叔母が住んでいるので存在は知っていたが、秀吉が新たに南北に通りを整備しようとしたときに弘法大師ゆかりの五条天神を串刺しにするように作られた。町民はそのこと自体に逆らうことはできなかったが、その場所を「天使突抜」と命名することで抵抗を示したことから町名として残った。このほかにも甲斐守突抜町、釈迦突抜町、真如堂突抜町、大原口突抜町があったが今は「突抜」はついていない。

「二帖半敷町」は烏丸綾小路下ルにある。伏見区の大亀谷には万帖敷町というのがあって、そこに住んでいた誰かが「わしの家は広い」といったことに反発したという話がある。二帖半敷町のほうは、畳が五帖しか敷けない狭い家を二人の兄弟に贈与したので、二帖半敷町となったとか、昔真言宗の五条寺がここにあって、住職が亡くなった時に二人の弟子に寺を二つに分割して譲渡したので五条の半分で二帖半敷町としたという説もある。筆者は2.5は二合五勺からきていて、半分は「なから」その半分は「こなから」、万帖敷町が広い家を自慢しているなら、それに反発してこっちは「こなから、二帖半敷だ」と名付けた。

これら以外にも病気を治してくれる蛸薬師があるので「蛸薬師町」、全国にも多い常磐町、「トコイワ」からトキワと発音するらしいが、京都は義経の母常盤御前からつけられた「常磐町」、スサノオノミコトに由来する悪王子町と元悪王子町、閻魔様を本尊とする千本閻魔堂があるので閻魔前町、平安京に遷都したのは桓武天皇、その子にちなむ嵯峨や、淳和院町、五条ではなくなぜか三条にある弁慶石町、比叡山延暦寺の結界の境目にあった「下り松町」、源融の庭にあった塩竈から名付けられた「塩竈町」、建仁寺ゆかりの饅頭から「饅頭屋町」、春日町と腹帯町が合併して春帯町、商人の立派な屋敷の見事な釘隠しから「釘隠町」、大酒のみの怪獣がいたという「猩々町」。

京都の町を散策するときには町名札も見て歩くことにしよう。

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吉田茂とその時代(上) ジョン・ダワー ****

2017年03月02日 | 本の読後感

 吉田茂が生まれたのは1878年、第2次世界大戦が終わったのが1945年、吉田茂が死んだのは1967年、本書が発刊されたのが1981年、上巻のカバー範囲は誕生年の明治10年から終戦までである。吉田茂は亡くなったときには国葬にまでなった偉人であるが(これはよく覚えている、学校が一日休みになったので中学生だった僕達は喜んだ)、米国人が見るとどう見えるのか、つまり、米国人が日本という国を明治維新から経済発展の戦後までを振り返ってみるとどのように見えるのかがよく分かる一冊といえる。

吉田茂の認識によれば、明治維新以降は、日本政府は欧米の「伝統的外交」をまねた。1894年日清戦争、1904年日露戦争、1910年日韓併合、1914年山東占領、1915年対華21か条要求、1918年シベリア出兵。ここらへんがどうも分岐点で1921年のワシントン会議で日英同盟が廃止され国際協調という理念がそれに代わった。1927年山東省派兵、1931年の満州事変は、「日中は相互に満足すべき方法で問題を解決する」という伝統的外交手法から逸脱した第一歩だった。これ以降の日本政府は「帝国主義的外交」に舵を切る。しかし、ダワーによれば、吉田はその外交官としてのキャリアの最初から中国大陸がいわば本拠地であり、20世紀に入ってからの日本政府の動きは中国で得た新たな特殊権益を正当化し維持拡大するものだったと。日英同盟は当時東洋にも大きな権益を持っていた強国との相互条約であり、日本海を越えて目標を達成しようとする国にとっては安全を保障するものであったと同時に、大英帝国は日本のお手本であった。20世紀に入り大英帝国の力がやや衰える一方、米国の力が増大していく中で、米国は日本への圧力を強め、吉田はその米国への尊敬を英国ほどには持ち得なかった。それでも日本が帝国主義的外交により破滅への路を進んでしまった反省は、吉田をして戦後の日米軍事同盟締結推進に強い影響を与えた。

1928年、田中義一内閣時代にスウェーデン公使を務めていた吉田、伝統的外交から帝国主義的外交に切り替わる頃の吉田メモである。「明治維新以来、日本政治経済の安寧は日清・日ロ戦争、世界大戦によりもたらされた。日本の人口増加により、食料原料入手と製品販売のためには帝国領が必須である。従属民の感情と配慮のための理想主義的スローガンは的外れであり重要なのは力である。日本は中国人の欲求と関係なく、アジア大陸に立場を広げ強化する機会を捉えるにあたり、植民地における英、米、仏の例に従うのみである。海外領土支配の鍵は交通と財政にある。これまで日本が大陸政策に失敗したのは、主として決断の不足であった」。当時は欧米協調の幣原外交から対英米強行の田中外交への移り変わり時期であったが、どちらかと言えば幣原外交寄りとも見られていた吉田のメモがこれである。当時の日本政府外交のスタンスの本音であろう。

このあと満州事変で日中戦争に突入することになるが、世界的不況はこの頃の日本にも経済的危機をもたらしていた。それにたいして欧米諸国は膨張傾向にある日本に対して輸出品への関税制限をかけてていたため、吉田はアメリカ政府に対して次のような点を強調していた。「日本の人口膨張により、日本国民が満足できる形で生存するために多くの領土を必要としている。また、日本が貿易販路を確保し、原料、特に石油供給源を確保することは不可欠である。日本のアジアへの意図は平和的浸透のみであり、戦争云々は馬鹿げている。日本の軍備増強はいかなる特定の国に対するものでもないので、欧米諸国からの日本軍国主義懸念は幻想である。日本国内の軍国主義者とバランスをとる自由主義分子への肩入れや、穏健な軍首脳部もいることを強調する。日本が安定的役割をはたすことで中国を安定させ、共産主義的勢力の防備が可能となる。日本と英米は友好的提携を必要としている」これに対しアメリカのグルーは論評を加えず、ハルはあからさまに懐疑を示し、日本への軍事的、経済的制裁を示唆した。日本外交の努力は単なる軍事的行動への時間稼ぎだと見られていた。

1936年に英商務参事官のジョージ・サンソムは日本のジレンマと手詰まりについて次のような内容の査定文書を提出していた。「日本の経済計画の故障は貿易上の困難から生じる。その原因は英帝国に起因する。一部の日英関係に感情的つながりをもつ両国人は日英友好の可能性を信じるが、政治的現実はそれが無意味であることを知らしめる。日本における経済諸問題解決は、アジア大陸での新たな冒険の形で現れ、暴発が発生すれば日本は英を非難するであろう。総合的解決は極めて困難である」。吉田の外交官としての努力はこうした見方の中で完全に空回りしていた。その後、開戦直前までこうした努力は継続されたが、虚しく時は過ぎていったことは知られる通り。それでも英米外交官のなかの吉田フェイバー達には吉田の好意は伝わっていた、これが戦後の吉田首班の遠因となっていたことは面白い。

開戦後は終戦を目指す日本国内における努力が存在した。その一つが吉田反戦グループ、略称「ヨハンセン」と特高からは呼ばれていた。そのメンバーは近衛文麿をトップに、鳩山一郎、鈴木貫太郎、牧野伸顕、池田成彬、若槻礼次郎、小畑敏四郎、真崎甚三郎など。みんなが同じ意見であったわけではないが、状況分析の要点は次の通りであった。「日本が軍国主義に走ったのは統制派策謀によるもの、和平のためには統制派から政治権力を取り戻す必要がある。1930年台の軍事的諸事件は一部軍閥とその支持者による陰謀であり共産主義に基づいている。対ソ対応が重要になる。統制派打倒は226事件で駆逐された皇道派メンバー(ヨハンセングループ)により政治的に遂行可能だが、天皇からの支持が不可欠。日本の脅威は内的には共産主義的革命である。アメリカが日本敗戦後とるであろう占領政策は天皇制維持であり、アメリカの目的は民主化と非軍事化になる」。皇道派およびヨハンセングループは英米との戦争を誤った戦争と認識し、日中戦争と太平洋戦争に反対、反ソ軍事行動を支持したことになる。

こうした背景から1945年2月に近衛文麿は天皇に拝謁、近衛上奏文を提出した。天皇は近衛上奏文に関心を示したが、その5日前には梅津美治郎が、戦争完遂を柱とした正反対の内容の上奏文を提出している。天皇は近衛文麿に梅津の上奏文について意見を問うた。それには米英との講和が必須と回答、「朕もそう思う」と答えたという。しかし、具体策については真崎甚三郎、宇垣一成首班による皇道派復活と近衛が答えたことで、226事件当時の記憶から天皇は一歩前に踏み出し得なかった。吉田は近衛上奏文作成の責任者、反戦主義者として逮捕されたため、東京裁判の対象者にはならずにすんだ。ここまでが上巻。

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不整脈、心房粗動のため入院、カテーテルアブレーション施術

2017年02月27日 | 日記

2017年2月23日、前夜から朝まで動悸が止まらないためホームドクターに相談、心房粗動との診断、即時入院施術を勧められ、即日入院。翌日カテーテルアブレーション施術、施術は成功、施術翌日には退院できた。病気自体やカテーテルアブレーションについてはすでに多くの記述があるので、その前後の自分の動きや感想などを備忘録として記録しておく。

会社を2015年3月定年退社後ストレスのない平和な生活を送っていて、時折動悸を感じることがあったが、通常1-2分、長くても数分で正常回復していたのであまり気に留めていなかった。それでも運動と心拍数の関係には関心があったので、2015年6月から腕時計型Fitbitを購入、歩数と睡眠時間、心拍数は記録しモニタしていた。2016年夏以降は、就寝前に動悸がすることが増え、週に1-3回動悸を感じていたが、これも数分で回復して安眠できていたため大丈夫だろうと考えていた。2016年11月には毎年受診している人間ドックで心電図を確認、問題の指摘はなかった。

2017年2月17日(金曜)に会社時代の仲間との泊りがけの飲み会があり、静岡で宴会、午後自宅の埼玉から車で移動、夕方6時ころから食事会で宴会は夜11時半まで。その日の心拍数は増加傾向はあったものの、飲酒時の心拍増加範囲内にとどまり、夜は熟睡した。その翌日土曜日は京都に車を運転して移動、朝からの移動で途中三重辺りから動悸が始まり、京都到着まで継続、翌日は法事のため、母を車で滋賀県の比叡山坂本のお寺まで連れて行く必要があり、若干心配があったが、動悸はとぎれとぎれになった。就寝前には1時間ほどの動悸があったものの治まったため就寝、翌朝は何事もなく目覚めたので、日曜日は朝から車で坂本に移動、11時から法事、12時半から食事会で3時ころまで歓談、4時半には帰宅した。日曜日夜には以前から予定の高校時代のミニ同窓会があり、夕方6時から飲み会、少しは気をつけながら飲酒して、夜は11時過ぎに問題なく就寝。翌日は月曜日、高校時代の友人宅を訪問、昼食をともにして歓談、その夜缶ビール一本、問題なし。火曜日には日本酒200cc飲酒、就寝時動悸はあったものの1時間以内に治まり就寝。水曜日夜にも日本酒200cc、就寝時は動悸が止まらず一晩中寝たり起きたりで、翌朝9時に木幡実家近くのKクリニックを訪問して、心房粗動との診断を受け、実家のそばにある京都石田にあるT総合病院に入院することになった。実家に短期滞在中であることをK先生に告げると、「まだ若いのだからこれからもお酒を飲んだり運動もしたいでしょう。投薬治療もできますが、根治したいのなら、今日今から入院して、午後にでも施術を受けられれば、金曜か土曜には退院して日曜日には自分で運転して帰れます、N先生に緊急性を強く訴えることですよ」とのこと。T総合病院のN先生はカテーテルアブレーションの豊富な経験を持つ医師であり、Kクリニックからの紹介状をもらった。この間も動悸は分150回が継続、疲労感や吐き気などは感じない。自分で車を運転し、病院に向かった。

入院時、心拍数は分150回程度で、心房から心室に心拍信号が伝えられるのが2回に1回という2:1の心房粗動と診断された。事前にN先生にカテーテルアブレーションの経験を聞いたところ、10年前から経験し、ここ1年間で80事例ほどを経験しているとのこと、T総合病院を紹介されたのは、実家にたまたま来ていたという偶然であるが、N先生は本施術の京都府一で全国でもトップクラスのベテランだった。右心房由来であれば施術は、右足付け根静脈からと右鎖骨下からのカテーテル挿入で可能なため、比較的容易で1時間程度でできるが、左心房由来の場合には、左足付け根からもカテーテルを挿入する必要があり、また右心房から左心房へのカテーテル挿入も必要となり施術に4時間ほどかかる。そのため麻酔は全身麻酔で4-5時間ほどの予定。心房粗動には通常型と非通常型があり、不整脈の回路の回転方向が反時計回りが通常、私の場合には時計回りで非通常型との診断。心房粗動が左心房由来である可能性も完全には否定出来ないため、施術前に造影剤を血管に入れた後にCTスキャンにより心臓の3次元イメージを撮影、左心房へのカテーテル挿入時にも、3次元イメージを見ながら複雑なカテーテル操作をするための準備をした。造影剤には吐き気など気分が悪くなるという副作用があり、体質によっては不快感あり。私はその時には不快感なし。血液検査、胸部レントゲン撮影、心エコー検査により、心臓内部の血液凝固がないことなども確認し施術前日の準備は終了。

就寝時には心電モニターを装着し、施術時に邪魔にならないため、鼠径部から下腹部の剃毛を行う。看護婦が「やりましょうか」と言ってくれたが、「自分でできます!」と風呂場で剃る。血圧測定では通常130-90程度なのが、118-90という弱めの値を示す。血圧が下がりすぎないために点滴と飲み薬を処方された。夕食はすき焼き、十分な量。4人部屋で、お隣は苦情を言いがちなおじいさん、夜11時ころまで文句を言いながら過ごしているので少々うるさい。T総合病院には救急車も来るので、夜は寝られない、と思ったが熟睡した。

翌日は5時ころに目覚める。心拍数は相変わらず150回、血圧は若干低下、90-110程度。施術は9:15から開始とのこと。朝食後、尿道からの尿排出のためのパイプを挿入するとのことだが、これは痛いと聞いていた。痛いのはできるだけ避けたいので、麻酔後にしてほしいとリクエスト、聞いてくれた。施術着に着替え、歩いて手術室に移動、手術台に横たわり麻酔が始まると5秒程度で意識を失い、気がついたときは午後1時半、病室のベッドで横たわっていた。午後2時には連絡を受けて埼玉から飛んできた妻が到着、一緒に先生の説明を聞く。説明によれば、右心房から右心室への三尖弁周辺の5箇所にアブレーションを実施、不整脈の回路を離断、通電中は頻脈停止を確認しながら施術したとのこと。今回の施術に伴う心配なことは、1心タンポナーデ 2施術後の血液クロット発生 3心房粗動再発 とのこと。2に関しては、長期間の心房粗動ではなかったと診断され、施術中以外は、ワッファリンなどの血液サラサラ薬の投薬はしていないとのこと。施術後も投薬は不要で、カテーテルと点滴の跡がありしこりのように固くなることがあるが、経過を見てほしいとのこと。施術後は喉が渇いたので500ccほどお茶を飲むが、気分が悪くなり全部戻してしまったが、これでかえって気分が良くなる。しかし食欲はあまり出ず、結局昼食は食べなかった。施術後は1時間毎に血圧を測定、2時ころには50-70、その後60-80、70-90と徐々に高くなっていった。夕食後、尿管への挿入パイプを一刻も早く抜いてほしいと看護婦にリクエスト、「はいOK」とすぐに抜いてくれたが、これが今回の施術では一番痛い、二番目は造影剤注射かな。2日も経てば痛くなくなるとのこと(これは本当だった、痛いのが嫌なら術後慌てて小便などしないこと)。翌朝には90-118で、これで少し安心だと看護師に言われた。

土曜日は退院予定日、心電図、心エコー検査、レントゲンにより状況を確認し、先生は退院OKの判断、午前11:30退院した。退院後は1ヶ月ほどは血圧をモニターし、2週間は飲酒を避け、軽い運動で様子を見ること。入院費用は3割負担で合計35万円の請求、しかし、健保の限度額適用申請をすれば標準報酬月額に従い、自己負担限度額が設定されるとのこと。暦月精算で計算されるとのことで、私の入院は2月23-25日、2月暦月に収まっている。さらに私は退職していて所得区分は5区分の上から4番目、自己負担額は57,600円、格安となった。入院まで日がある場合には事前に健保に申請しておくらしいが、私の場合には緊急だったため、健保とはFAXでやり取り、病院にも対応してもらった。しかし駐車した車の駐車料金は600円引きで4400円、タクシーで来ればよかった。

翌日日曜には朝9時から車を運転し、妻と一緒に埼玉に移動、途中バス事故で2時間の足止めにあったが、買い物などしながらゆっくりと帰り、6時前には帰着。翌日朝には散歩も再開できた。Fitbitの心拍履歴を改めて振り返ってみると、2016年夏頃から、何回か分150回以上の心拍数上昇が見られ、直前の昼間も数回継続した心拍数上昇が見られ、昼間の上昇はあまり意識できていたかったことが分かる。やはり今回のきっかけは飲酒、今後は飲酒には気をつけて地味な暮らしを心がけるつもり。月曜日には"All Free"を箱買いした。

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幻日 市川森一 ****

2017年02月25日 | 本の読後感

天草四郎率いるキリシタンによる反乱の物語。作者は大河ドラマの黄金の日々、山河燃ゆ、花の乱や、異人たちとの夏なども手掛けた脚本家。

江戸時代の初期、寛永年間に、まだ関ヶ原の戦いの生き残りも存命する各藩が命じられたのは、約25000人のキリシタンによる反乱の鎮圧。侍たちの野心とキリシタンたちの純粋さを際立たせた作品。

宗教弾圧がどのような結果をもたらすのか、幕府老中として派遣された松平信綱が何を考え幕府軍125000人にもなる大軍を指揮するのか、390Pの物語は一気に読めてしまった。

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