意思による楽観のための読書日記

神田堀八つ下がり 宇江佐真理 ***

江戸時代のお江戸を舞台にしたちょっと心があたたまるような話、短篇集。山本一力の小説「あかね雲」にも通ずる物語が多くて、時期的にも江戸の中期から後期か。あかね雲では京の老舗豆腐屋で修行を積み、江戸にくだった豆腐職人が深川の長屋に豆腐屋の店を出すが、この短篇集の舞台は、江戸の河岸、御厩(おうまや)河岸、竃(へっつい)河岸、佐久間河岸。「どやの嬶」は御厩河岸は浅草は浅草寺の南、三好町にある。そこに神田須田町で繁盛していた水菓子屋が火事になって父親が死に、焼け出されたおちえの家族が引っ越してきた。たくさんの奉公人を雇っていた大きな店だったが、焼け出されてついて来てくれたのは番頭の卯之助だけだった。卯之助は焼け出されたおちえと母の鈴、弟の13歳になる民次に家を見つけて住まわせてくれるだけでなく、新たに店を開ける手はずまで整えてくれたのであった。卯之助は38歳になっていたがまだ独り者で母の鈴のことが好きだったらしい。御厩河岸には舟宿がたくさんあり、川藤もそのうちの一つであった。その店の跡取り息子の若者勘次はおちえをひと目で気に入った。新しく出した店に勘次は度々顔を出すようになった。そのうち、勘次はおちえに川藤の家に遊びに来るように誘った。おちえは川藤には声の大きな女性がいるのを知っていた。それが勘次の母、近所では「どやの嬶」と呼ばれる名物女将お富士であった。おまけに川藤には勘次以外にもたくさんの子供達が同居しているという話だった。どやの嬶は捨てられている子供を育てているという話だった。ちょっと怖気つくような状況ではあったが、おちえは勘次の家のこともちょっと関心があったし、弟の民次もつれて行って見ることにした。そうすると民次は勘次の弟分で同い年の竹蔵と顔なじみだった。大家族の川藤の雰囲気は雑然としていたがおちえには楽しく悪い気はしなかった。そこにお富士が酔っ払って帰ってきた。出て行ってしまった息子の佐助を迎えに行ったのが、連れて帰れなかったので大酒を飲んで帰ってきたのだった。お富士は勘次が連れてきたおちえに事情を説明して聞かせた。そして片肌を脱いで家族にも構わず、おちえの目の前で乳房をほりだして飲みだしたのである。びっくりするおちえ、しかし家族もお富士にはやめてほしいなどとは言わなかった。これは珍しいことではないらしい。勘次はこんな家族のそのままの姿をおちえに見せたかったらしい。それでもおちえは悪い気はしなかった。勘次はおちえに求婚するが、おちえは答えをすぐには出さなかったが、こんな家なら一緒にやっていけそうに思えた。こんな感じで短編は終わるのだが、中途半端な印象はなく、余韻を持ってほんのりとした良い印象を持って終われる。これが宇江佐真理のテクニックなのだろう。

続く短編も同じような終わり方であるが、印象は同じように良いのである。「浮かれ節」では竃河岸で役職にあぶれている侍の三土路保胤は端唄の稽古に励み、ちょうど流行りだした都々逸にも興味を示す粋で貧乏な小普請組の武士だった。声の良い保胤は売り出し中の都々逸師と競争をすることになり、賞金の25両を手にするが、それは娘のちひろが奉公に上るときの衣装代に使うつもりだった。賞金よりも自分が歌う「黒髪」が評判をとったことのほうが嬉しい保胤であった。

京都の公家の娘で9歳の姫様がお供と江戸に向かう間に追い剥ぎにあって最後は江戸の町に一人で置き去りにされて、岡っ引きの家族に拾われる話が「身は姫じゃ」、大きな問屋の跡取り息子が遊び呆けた上に家に迷惑をかけたために房総の先に奉公に出されて行方不明になってしまった。親父が死んで跡取りに困ったところに帰ってきた息子には、年増の女が一緒にいた。悪い性格ではなかったが情が深い、跡取り息子は困ってしまったがここは別れなければと別れ話を持ちだしたところ、情の深い女は跡取り息子を包丁で刺してしまう。愛想尽かしをした跡取り息子ではあったが、一緒に暮らした情の深い女が妙に愛おしいのであった。「愛想尽かし 行徳海岸」。

ホッとしたい人にはオススメの一冊。


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