会田誠椹木野衣「戦争画とニッポン」でその存在を初めて知った久保克彦。東京芸大工芸科図案部を主席で卒業し、1944年中国の戦場で側頭部を撃ちぬかれ25年の生涯を閉じた画家。
この薄さと軽さが戦前からあったモダンなデザインの中にあっても新しいと会田誠が言っていたが全くその通りでこんなに洗練された戦争画は見たことがないし戦争画以外の作品も今の作家が描いたと言われたって納得してしまうデザインセンスだと思う。
作品数は多くなく、山口県徳山市の実家も戦災にあい多くの作品が失われたという。生き延びていたら戦後の世界にどのように反応しどんな作品を創っていただろうか。