今朝のNHKテレビの一場面。風刺画の掲載の是非についての市民の感想だ。
表現の自由を主張して映画の制作・上映、風刺画を巡って対立が深まっている。
そのために多くの犠牲者を出し、さらにその対立が深刻さを増している・・。
しかし自由とは際限なく行使できるものではないと思う。
自由の行使・・と言えば聞こえはいいが、昨今の自由は、その意味をはき違え
金科玉条のごとく掲げて行使する様が蔓延しているような気がしてならない・・。
先に挙げた表現の自由だと某国の指導者をパロディ化して映画に仕立てたり、
彼らにとっての預言者と仰ぐ人物をおもしろおかしく風刺画にして頒布することだ。
それはいたずらに彼らを刺激する『ペン(自由?)の暴力』にほかならないと思う。
ボクには空を飛ぶ自由がある!・・と言って、崖から飛び降りるものはいない。
家族の中にあっては子どもたちが親を無視して自由奔放に振る舞えるものでもない。
国民であるのならその国の法律を守ることを求められる・・。
自由とは放任された状態を意味するのではなく一定の枠の範囲内に限られるもの。
規律や秩序を保ちつつ周囲(彼らも含む)に対する気遣いも求められると思う。
冒頭に取り上げた事件の舞台となったパリの一市民が話していた
『(風刺画は)挑発だと思う。・・・火に油を注ぐようなことをしてはいけない』
・・というのはもっともなことであり、主義主張の真偽・正邪はともかく
いたずらに刺激しあうことは暴力の行使とさほど変わらないだろうし
事態を改善することには何の役に立たないばかりか障害でしかないと思う。
それは冗談が通じない人に冗談だよといいながら、本人がいやがるのを承知で
話しかけるのと同じように、決していい結果を伴うものでないと思うのだが・・。
●関連日記です。
◎自殺に見せかけるマスコミによる他殺 2012年09月18日
●参考:関連するツィッターのRTです→
表現の自由については、イタリアの地震で家屋が崩壊して人が下敷きになった時、仏の雑誌が「ラザニアの具になったイタリア人」の風刺画を掲載した時、「私は表現の自由を尊重する。そしてこの風刺画が最低だと発言する自由が私にもある」と言ったイタリア上院議長が正しいと思います。
— MASA🌈🕒 (@masa_0083) August 6, 2019
【ジュネーブ共同】ジュネーブに本部を置き、ジャーナリストからなる非政府組織(NGO)「プレス・エンブレム・キャンペーン」(PEC)は13日までに、フランスの週刊紙シャルリエブドの14日の最新号発売について「火に油を注ぐ行為だ」と反対を表明した。
14日発売号は涙を流すイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載。PECは「全ての関係者が緊張緩和に努めなければならない時に配慮に欠ける」と批判。「プロのジャーナリストは中傷や侮辱をしてはいけない」と付け加えた。
同組織は、紛争地でのジャーナリストの法的保護や安全確保などに取り組んでいる。
2015/01/14 10:42 【共同通信】