つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

自己肯定感の高低や、個性、感情について

2024-03-28 20:15:02 | 心の癒し

暦の話。冬至から春にかけて、何かが動き出しやすいポイントがいっぱいある。わたしにとっては今年は3月10日(日)の新月が転換点だった気がしております。魚座ですね。何かが静かに始まったというか動き始めた、そんな気がしている。

みなさまはいかがでしょう? よかったら今度聞かせてください。

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そして。個人的にとても大きなことなのですが。
わたしがおもう、心について エネルギーについて、流れについて、なども書いていけたらとずっとおもっていたのですが、それも動き出した気がしていて、大切にしていきたいので綴ってちょっとずつ実績を重ねます。わたしの偏った見方ですがどなたかの参考になりましたら。そしてわたしの現在地、日記として自身のために。文章がまどろっころしくてすいません。


X(旧twitter)への投稿から編集しています。

「自己肯定感は低くても高くても健康や人生に過度なひっかかりをつくらない程度であればどちらでもよいとおもうが(そもそも健康や人生に過度なひっかっかりがあっって間違いではないわけだし)、わたしが個人的な好みとして大切にしたいのは高低どちらであれその感情に支配されて踊らされないことかな。」


自己肯定感の話。自身を肯定すること、大切におもうこと、否定しないこと、とても重要。

これがないと、体調をくずしたり、人生がしんどくなったりするとき、多いですよね。

だから個人的には、わたし自身についても含めて、みなさまがご自身のことを肯定していれば、好きでいてくれればと願います。

しかし、わたし自身の自己肯定感が高いかというと、ほかの方と比べられないからわからないけれどそうでもない、おそらく。

それは時代や国という特性、個人的な育ちなどの事情です。

自身を見つめる時間は人一倍とってきたので、慈しんだりとか、持ち直したりとかは得意かもしれません。

けれどもなんというのでしょう。過去に感じたことを、育つ事情で体得したものをまったくのゼロにすることは、身体を持っていきているわたしたちにはありえないとおもっている。
(あなたがそうおもっているからそうなんだよ、と言われれば、そうかもしれませんね、と応える)


それにゼロにしたいともおもっていない。なぜならそれはわたしの個性であり、すべての思い出と密接に絡み合っているから。わたしの場合は、エネルギー調整、占いをしているから余計その個性すら大切にしたい気持ちが強いのかもしれません。そこに芸術まで入ってきたので変態の域に達しているかもしれません。

でもこれはわたしじゃなくても、どのような背景の人にも当てはまることだとおもっている。


だから、ご自身の個性と上手にお付き合いしていっていただけたらと願っている。(もちろん強制ではない。)

自己肯定感が低くてしんどい方は、しんどさを緩和したり、あるいは自己肯定感が低いままの自分を慈しめるところまで持っていってほしい。そこから旅を続けていく。

そして旅を続けていると、疲れたり、何かしんどいことがあったりすると、かつてのように肯定感が低くなることもあるかもしれません。それはね、癖なのです。どこにお疲れが出やすいかがひとそれぞれなように(それも心のあり方が関係しているとおもっているが)、自己肯定感の低さが出やすい方もいるのです。

そうしたらまた立ち止まり、見つめる。そうやって生きていく。

わたしは、自己肯定感が低くても高くてもどちらでもよいけれど、感情に支配されない、踊らされないということだとおもっています。そもそも本当は低い、高いというはないのですよね。高いの裏には低いがある、低いの裏には高いがある。

もちろん、そこからどう感じていくか、癒していくか、創造していくか、何を紡いでいくかもちろん自由。そんなふうに思っている。だから違和感を覚えたら、癒すことを選んであげてほしい。わたしは、自己肯定感があまりに低いのは心身の健康によくないと考えているので。

どうもありがとうございました。

尻切れトンボかもしれませんが、久しぶりに綴っており、もはや初心者ということでご容赦ください。

 

どうもありがとうございました。

今日もあなたにとってよい日でありますように。

 

臼村さおり twitter @saori_u
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気づき癒され溶け込んで

2021-09-14 12:16:23 | 心の癒し

9月半ばになりました。

1年は365日あるわけですが、体感的にはそのうちの半分以上の日に、自分の既成概念を打ち壊すような気づきというか発見がある。

それはとてもうれしいこと。ただ残念なのが、記憶や考え方が上書きされてしまって、今までの概念や世界観をどんどん忘れていく。

覚えておきたくて、綴ろうとおもうのだけど、またあとで綴ればいいかなとおもって、すると忘れる。気づいたことそのものさえ忘れる。

夢みたいもの。

忘れても刻まれていますように。どうか思い出が残りますように。

いつもどうもありがとうございます。

また思い出せますように。

どうもありがとうございました。

今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。

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自己肯定感セルフイメージの低さから自滅した例

2021-05-24 14:06:22 | 心の癒し

セルフイメージ、自己肯定感を起点として自身のあり方を見つめなおすことが続いています。

今のあたしに必要な学びだからでしょう、ことあるごとに考えています。ああそうだったのかと自身のなかで気づきが誘発されて、癒されている思い出もいくつかあります。


今日はセルフイメージが低いとこうなってしまうこともあるという、ひとつの例として、あたし自身に起こった出来事を書いてみたいとおもいます。

昔、踊っていた時期がありました。踊ることに憧れがあり、けれども運動は苦手で、子どもの頃からダンスを習っていたわけでもない。

何度かクラシックバレエを習ったこともありました。

そしてこれは、即興ダンスをしていた時の話です。ある方のご縁で即興で踊るようになりました。その方はみなに評価されている方で、またみなにダンスを教えるサークルを主催してくださっていました。

あたしもありがたくそこのメンバーに加えていただき、学びました。そこのメンバーのひとりが病に倒れ、手術をすることになりました。

主宰の方に、エネルギー療法を依頼され、わたしはそのメンバーのエネルギー調整(ヒーリング)をしました。主宰の方はメンバーと直接コミュニケーションをとってほしかったそうなのですが、あたしは原則として依頼をくださった方としかやり取りをしません。

そのことが逆鱗に触れてしまう結果になりました。当時はSNSが使われ出したころだったのですが、コメント欄で誹謗中傷されました。第三者が読んでも、え?と思う感じだったので、本当に怒らせてしまったのだとおもう。

お見舞いに行きたいとおもっていたところだったので、そのメンバーのお見舞いに行き、事情を説明しました。彼女はわたしに気を使ってくださったのもあるかもしれませんが「エネルギーが届いていたから〇〇だったんだね」「麻酔からさめるのが早かったんだよ」など様々な話を共有してくれました。友人としても楽しい会話をして帰宅しました。

するとその夜、あるいは翌日だったかもしれません。主宰の方からメッセージが届きました。
彼女があたしのことをとても恨んでいるという内容でした。詳細は忘れてしまったのですが、苦しくてうわごとで、うなされがならあたしのことを怒っているとか、体調がまったく回復せず大変な状態だ、などそのような内容。

え?どうしたんだろう、あたし何か勘違いしたのかな…とおもいつつ、うるおぼえなのですが
「ちょうどお見舞いに行ってきたところでお元気そうでした。どこかで情報の行き違いがある気がしているのですが」という内容に返信をしたところ。

「お見舞いに行ってくださったのですね、よかったです、どうもありがとうございます」みたいな返信が来て、この件はそれっきりになりました。

そして次の稽古に行ったとき、主宰の方からは視線を逸らされ、ほぼ口をきいてもらえない状態。

それが最後となり、以後連絡は取りませんでした。


今おもうと、SNSで攻撃されてしまったことも、メッセージで非難されたことも、あたしが自身を責めるポイントではない気がします。
けれども、自己肯定感が低いとこういうとき、自分が悪い、自分がこんな人間だからだとおもいます。あたしもそうでした。

今だったら、人間関係どちらか一方に問題があることは稀で、両方だろうとおもうでしょう。
(そしてこの件については、この問題が誘発する前に、いろいろな積み重ねがあったのでしょうね。)

あるいは、パワハラ、DVなどのように、とにかく離れたほうがよかったのかもしれません。
特にこの件は敵意を持たれてしまったか、支配しようとしているか、混乱された方なのかのいずれかでしょう。
結果として離れたのですが…。

うん、離れたのはよかった。


けれどもここでもう一つ問題が、ダンスそのもの、踊ることそのものが怖くなってしまったのです。あの人にはじかれたということは、もうどこにも居場所がないだろうなという発想です。

また自己肯定感が低いと、自分が踊るという行為そのものを否定することにつながります。あたしの場合はおもいっきりそうだったなあ。

このところ書いているように、自滅していくのです。

今この記事を書きながら、「ああ、あれも自滅パターンだ」と思い出したものもあります。今のところ書く予定はないです。

セルフイメージ、自己肯定感が安定していないと、何をやっても自滅に陥りやすくなってしまう。一昨日綴った絵画の話もそうです。
自己肯定感と自滅の関係。


みなさんはいかがでしょう? 

あたし自身は、今この場に書かせていただくことによって、ちょっと浄化されました。この話はたぶん誰にもしていないです。どうもありがとうございます。

また話さない動機もね、「相手を暗い気持ちにさせたくない」「一緒の時間を楽しみたい」ならいいのだけど、「自分が悪いから恥ずかしく話せない」「巻き込まれたらいやだから近づかないようにしよう」「こんなことが起こるなんて、やっぱりさおりはダメなひとだ」とおもわれるのが怖くて話さなかった。そうやって経験した時間だけではなく、そのあとも自己肯定感が低くすることが何度も自身の中で繰り返されます。

この文章が誰かの心に響くならこういう経験をしてよかったなとおもえるけれど、でも経験していないほうがもっとうれしい。あたしみたいなことになっていなければいいなと心の底からおもいます。

しばらくセルフイメージを起点に考える旅が続きそうです。

今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。

どうもありがとうございました。

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自己肯定感と自滅の関係。

2021-05-22 23:57:23 | 心の癒し

いろいろな物事がシンクロしているなあ。人間は自分の視点でしか見られないから当たり前と言えば当たり前なのだけど、学びのタイミングをいただいています。そしてスルーせずに立ちどまれる時間があることを感謝します。

何で展示をやめてしまっていたかというと、このところのテーマでつぶつぶタンタンに綴っていることともシンクロしていることが理由です。

先ほど書きかかった、何で展示活動をしなくなってしまったか、描かなくなってしまったかという話。
【表現】アートコンフューズ番外編8、どうもありがとうございます

このところ綴っている、セルフイメージ、自己肯定感が原因です。


ご縁でクリスマスにドイツで作品を展示させてもらったとき、作品が逆に展示されてしまったのです。あーやっぱりあたしの作品がよくなかったんだとおもって、自分が傷ついてしまいました。

それは明らかに主催側の落ち度ではありますが、自分に自信がなくて、自分を責めてしまいました。あたしの絵が変だったからだろうなあと。傷ついて絵を描くのが怖くなってしまう。そういう発想になるのは、自身のベースとなる自己肯定感の低さゆえです。

ここ数年はこの事件ついて、あの頃のあたしはまだ絵について自信も実力もなかったからだろうなあ。今はそうおもわない、とおもっていました。

でもね、それもあるけれど、そうじゃないんですよね。実力があろうがなかろうが、経験があろうがなかろうが、関係ない。もっと根本的なそのままでもまるっと自身を肯定してあげる自己肯定感の問題だなあと、気づきました。

スキルや能力、やっていることをもとにする自己肯定感は、大切だけれど、もろくもあるし、衣装なのです。もしそれを続けなくなったら、何かの拍子に評価されなくなったら、やっていることに基づく自己肯定感は崩壊してしまう。


そうじゃなくて、なにもしていなくても、ただ当たり前に存在する、自分を肯定する気持ち。そっちのほうが強いです。


こういうのは自己肯定感がないと、何かのタイミングで自滅してしまいます。

あたしの絵画もそのひとつです。

誰かから心無いことを言われてしまったときとかも、大きくとらえてしまう。

実際あたしの場合は、ちょうど同じ時期に、ある方にされたある対応に傷ついてしまいました。同じく絵画の現場です。

そして展示をやめてしまったのでした。


人生において、他にも同じようなことを繰り返してきています。

ということに気づいた最近でした。


これでもだいぶ、だいぶ、よくなった。うんよくなったけれど、いまはさらに癒してあげるタイミングなのでしょう。

 

今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。

どうもありがとうございました。

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本音が出てくるまで待つ ハートチャクラ

2021-05-21 23:24:50 | 心の癒し

カフェやファミレスで本を読んだり、考え事をしたり、ノートPCを広げたりする癖があります。

子どもの頃は家で勉強をしたことがなかったので、三つ子の魂百までで、だから家であまり何かをできないんだろうなとおもっていました。学生時代は学食やファーストフード店で勉強しました。
だから仕事をフリーで始めても、家でできることは限られていて、何かあるとファミレスやカフェに行ったりしていました。

それでもいいんだけど、そうじゃないのもいいんじゃないと思い始めた最近…。

というのはよく考えると、外に行ったり、あるいは家で何かするときも音楽をかけたり、ネット動画を流したりしながらするのって、何か自分の気持ちをごまかしている気がしたのです。

なんというか目の前のことに全力で取り組まず、ながらだよね。それもいいけれど、、、なんかちょっと目の前のことにもっと真剣に取り組みたくなった。

やる気が出ないのは、やるのがいやなのはなぜだろう? と突き詰めてみることにしました。

なんかね、やりたくないことをやるために、ごまかして、自分のやりたくない度を薄めて、やっていくのがいやになってしまったのよね。一生そうなのかな?とおもうとちょっと切ないなと。


折りしも今、あたしの住む埼玉県ふじみ野市はまん延防止の対象地区で、どこも20時に閉店してしまう。だから必然的に家で何かをすること多くなり、これはチャンスかもしれないと。


というわけで音楽もかけずに、ジ―――っと取り組もうとしています。

これやると、やる気がないから、やるまでものすごく時間がかかる。始めても途中でやる気がなくなってしまって、また戻ってくるのに時間がかかったりもする。気持ち的に苦しくなったりもする。

そういうときは、その気持ちのエネルギーを取り出して、ヒーリングエネルギーを送って癒すことにしました。これがね、効果てきめんでした。ふわぁーと、頭から不要なエネルギーが抜けていくのがわかります。

もっとも抜け切るまでに時間がかかり、いちいちそんなことをしているので、物事がなかなかはかどりません。はかどらないけれど、はかどらなくても、それでいいかなとおもってやっています。

なんか今そういう時期なのかなあと。


特にハートチャクラの通りがよくなります。チャクラとはエネルギーの通り道であり、エネルギーそのものでもあります。全部で第1番から第7番まで7種類あるという考え方が一般的で、ハートチャクラは第4番。身体の位置だと胸のあたりにあります。

やりたくないのは、過去に失敗して誰かに何か言われた記憶だったり、自分のある思い込みだったりいろいろ。なんの脈絡もない記憶がよみがえることもあれば、わからないときもある。

ただチャクラの状態が変わっていくのがわかる。第4番チャクラが気持ちいいです。物質として触りはしないけれど、手で触って不要なエネルギーを抜いたり、バランスを整えたりしていると、手のほうは痛い。


こんな感じなので、あまり物事が進まないのだけど、できる限り、そういう状態に自分を持ち込もうかなと思っている今です。

そして睡眠はとても大切で、眠って起きることによって、癒しが進んでいくのを実感します。夢もみるのですが、内容は覚えていないのですが、今までと展開が違うのです。どんどんと新しいことが起こる。


もちろんそうしなきゃいけないわけではないけど、今のあたしのブームなのだ。


ところで、今チャクラのことを書いていて、ずいぶんチャクラの話を書いていないと気づきました。機会を見つけて書きたいなあ。

今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。

どうもありがとうございました。

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心と庭の植物模様は似ている

2021-05-20 14:51:01 | 心の癒し

今日も雨がパラパラしている埼玉です。

自己のイメージや自身を好きかどうかなど、このところまたテーマになってきています。自己肯定感がしっかりしている方が周りに多いからかもしれません。彼らがあたしに見せてくれるのがそういう面だからという部分もあるのですが、学ばせていただいております。

あたし自身は、もともとあまり自己肯定感が安定しているほうではないです。

けれどもそこから回復してきた過程があって、だからこそ自分にできることがあるかなとおもって、エネルギーサロン・タンタンを始めた。

いま再び初心にかえって、考える機会をもらっている。


草むしりをしているとき、よくおもうのだけど、あたしたちの心と似ているなあと。

メンテナンスが必要なのです。ドクダミとかクマササとか雑草とか、どんどん生えてくる。そこに除草剤を使って一網打尽したり、黒いシートをはったりするのも一つの手。

また生えてくるのを承知でメンテナンスし続けるのも一つの手。生えない季節もあるし、ドクダミは薬草になることもあるし、メンテナンスして豊かな大地からほかの実りを得ることもできる。

とおもうと、草がぼうぼうしてきても手を入れればいいし、また生えたらまた手を入れようとおもう。

また手入れしているときに学ぶことも多い。


なんかね、草をむしっていると、違うのかもしれないけれど。
成功者と思われている方たちが、トイレを好んで掃除していたとか、公衆トイレを掃除していたというのがわかる気がします。

感謝をして繰り返す。


草木は気持ちがよいし、大地は癒してくれて、植物が成長するのを見るのは楽しく、花は美しく、収穫もあるから、全然違うのかもしれないけれど、そんなふうにおもうときもあります。

とってもとっても生えてくる雑草を自分の心だとおもうと、丁寧に丁寧にメンテナンスしようとおもえるのでした。

今でも疲れが蓄積してきたり、エネルギーのメンテナンスを怠ると、ダメ出しスパイラルに落ちるときはあります。けれども生きるってそういうことだし、それがあたしでもあるよねと。

今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。

どうもありがとうございました。

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心の自律神経のようなもの、無意識の存在大きい

2020-06-09 15:54:11 | 心の癒し

先日も読書交換会をオンラインで開催いたしました。
読書交換会オンライン、お会いしてのオフライン開催へのタイミングも探りつつ・・・

普段の読書交換会では本を交換していたのですが、オンラインになってからは読書体験を交換しているから、1冊について話す時間が長くなり、また話を聞くときも本そのものと同時に、紹介してくださる方がどう読んだかに興味を持つ傾向がある気がする。

だから本の紹介を通して、自分もあらためてその本と自分の関係を考えたり、また準備のために読み返したりするから(強制ではない)、自身の読解も深まる気がしている。

あたしはジョン・A・サンフォード著「見えざる異性-アニマ・アニムスの不思議な力」(創元社)を紹介させていただいた。

この本、好きなんですよね。アニマ・アニムスはタロットカードをするうえで、一番影響を受けた考え方です。

アニマは男性のなかにある女性性、アニムスは男性のなかにある男性性。自分の中にあるもうひとつある影、その影とともにどう生きていくか、どう取り扱っていくかという話が書かれている。

この本が出版されたのは日本語版で1995年で20年以上前の話です。そしてアニマ・アニムスの考え方を深めていたエンマ・ユングとカール・ユング夫妻の生きていたころとはさらに時代が異なります。

今は多様な性別が尊重されるようになってきて、当時とは時代が異なるでしょう。

とはいえ、ひとりの人格がどうように影響を受けるかということを考えるときの指南書としては、示唆に富んでいる。

抽象性の高い本ですし、「〇〇しよう」みたいなわかりやすいことは書いてないです。ただよく出ているビジネス書、自己啓発書、さらには小説のもとになっている、原液のような濃い本です。とあたしはおもっています。


今回、再読して、あらためてハッとさせられたのは、心の自律性の話でした。

人間とは、自分にも理解できない内部の不可解さに容易に支配される存在である証拠を数限りなく突きつけられながら、なお自分が自我と自我の世界によってのみ成りたっている、と執拗に信じ続ているからです。ユングはこのように述べています。「われわれは無意識の心についての知識を欠き、他のすべてを排除してまで意識信仰を追い求める。われわれの宗教はほかならぬ意識の一神教であり、……しかもそれは、心に自律的な部分がある事実を否定しようとする、狂信的な拒絶と連関している。」
自分自身に語りかけることが可能になるのも、実は、心がこうした自律的で部分的なさまざまな人格の構成体であるからにほかなりません。
(ジョン・A・サンフォード著「見えざる異性-アニマ・アニムスの不思議な力」 創元社、105ページ6行目~13行目)


身体を制御するのが自律神経であるように、心も自律的な動きのほうが大きいです。体と心はそんなに変わらないし、つながっていて、連関しているから、よく考えれば当たり前のことかもなのだけど、心に「自律性」という言葉を当てはめてみようとおもったことがありませんでした。

手を前に出そう、咀嚼しようと意識して実行する体の動きもあるけれど、あたしたちが生きる上で必要な体の動きは、勝手に動いている自律性がほとんど。

ということは心もだよね。「よし、あの人に向かって笑おう」「今をうれしいとおもおう」「過去を気にしないようにしよう」と意識を持つことはできるけれど、ほとんどは無意識の領域であり、その無意識・信念・思想があたしたちのあり方を作っている。

さらにいうならば、昨日、たまたま友人とその話をしていたのだけど、その無意識が実際の現実を引き寄せることも結構多い。

あたし自身については、無意識の領域を癒すこと大切だなと、あらためておもいました。読書交換会の前日からこの本を読んでいて、自分にぐさりと刺さりすぎて、結局読書交換会が終わるまで、ほとんど何もしなかったのだ。

だからこそ読めてよかったし、そのときの気持ちを忘れないようにここに綴っている。

本はすばらしいですね。そして抽象性の高い本は、そのときどきによって、何かを毎回与えてくれる気がしています。

無意識の領域に、心を向けてまいります。

よろしければみなさまもぜひ。

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悲しみはヒエラルキーではない 比べる必要ない

2020-05-27 14:57:22 | 心の癒し

先だって、英字週刊紙New York Times Weeklyをまとめ読みしていて、はっとさせれる記事に出会いました。

悲しみにヒエラルキーではない、という記述でした。

悲しいことがあったととき、その悲しみは人と比べる必要はないという指摘がありました。

「ほかの人に比べて自分の悲しみはたいしたことないから、悲しむべきじゃない」だとか、「もっと大変そうな人がいるのに悲しむのは図々しい」とか、「あなたの悲しみの対象よりも、世の中にはもっと大切なものがあります」とか関係ない。感情には、上下関係、順位、ヒエラルキーはないとのこと。

あたしたちは社会で生きているわけですから、必ずしもそうではないかもしれません。けれどもあたし自身は、悲しみにヒエラルキーはない、という言葉に救われたのだ。


3月13日、4月29日と相次いで、2匹いた猫が亡くなった。

もう失意のどん底です。とても悲しい。悲しみにもいろいろあって食欲がなくなってしまうという段階は過ぎた。涙が止まらないという段階も過ぎた。いない日常が、進行しつつある。でも悲しいなあ。


そして、「いないのがずっと続くんだな」とまざまざと感じております。なんというか亡くなったというのが非日常だったから、どこかで期間限定のような気がしてしまっていて、でも死んで肉体が亡くなってしまったというのが常態なんだなあと。
これが日常わけだから、あたしは生きていかなければならないのだなと。うん、蓮ちゃん、太陽君、ありがとうね。がんばるよ。

それと同時に、心のどこかで「今、世の中が大変な時期だから、猫の死で悲しんでいるのは図々しいのではないか」ということを始め、世界のニュースをみたり、いろいろな方の話を聞いたりしたときに、少し自分の悲しさに罪悪感を覚えてしまっていた。

相手には寄り添うように心がけます。だけど何もあたしが自分の悲しみまで、感情まで遠慮することがないのだなとあらためておもえたのでした。

これは、あたしがほかの方に言ったことがあることでもあるのに、いざ自分のこととなるとやっぱり同じことをしてしまいますね。

そして、そういうふうになったということは、誰かの悲しみを目撃したとき「そんなのたいしたことない」「あたしのほうがもっと大変だ」とおもっている自分がいるということなんだとおもう。

気をつけようとおもったのでした。そういうのは好みではないと、身をもって知りました。

ということを、忘れないようにここに書いてみた。

ではまた

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いじめる人は自分を守るためにやっているのかも

2020-05-21 00:13:11 | 心の癒し

数日前に引き続き、地元にあるファミレスに朝食を食べに行っていた。

実は数日前に行ったとき、怖かった。ほかのお客様に対して、恐怖感を覚えた。

席はそれほど混雑しているわけではなく、むしろ空いていた。だけどコーヒーをセルフサービスで入れるドリンクバーゾーンが混んでいた。
距離をとったほうがよいかなと、ドリンクを入れている方のうしろあたりに立って待つ。すると、次々と追い越されて、そのゾーンはずっと人がいる。

ようやく空いたかなとおもったから行ったら、途中ですごいそばに近寄られ、やはり怖かった。

怖かった。他人が怖かった。少し他人を恐れ過ぎではないかとおもった。恐怖を感じてる自分の感情に少し驚いた。怖かった。


ソーシャルディスタンスという言葉はあまり好きではない。
なんとなく社会的に離れないといけないように感じる。最初この言葉を聞いたとき、なんとなく村八分とかいじめを連想した。

かくいうあたしはいわゆるいじめられっこだった。だいたい小学校6年生と中学校時代。暴力をふるわれたり、ゆすられたりはなかった。ただ避けられた。

だから、仲間外れをしたり、何かを避けたりすることには、人一倍敏感だとおもっている。自分がやられて嫌だったから他人にはやりたくない。


なのに、フィジカルディスタンス(physical distance)として身体と身体の間の距離をあけることはもちろん、心理的にも怖がり、近づいてくると「来ないで」とおもう。

ショックでした。


話が少し飛躍するけど、報道やニュースをみていても、世界の少数民族の話に人一倍アンテナが立つのは、おそらく同じ理由だとおもう。独自の文化を持っている少数派を応援したくなるし、そういう方たちが自分らしい生き方をできる世の中になればいいなとおもっている。


このままにはしておけん。

このままファミレスに行くのが怖くなるのも嫌だし、自分の気持ちを見つめたかったりもしたので、今朝ふたたび同じファミレスに参りました。

前回より空いている。常連っぽいお客様もそんなにいない。だから雰囲気が前回とは異なるのかもしれない。だけど、前回ほどは怖くなかった。

けれどもやっぱり少し怖かった。


そこで過ごしながら、あれこれと自分の心を見つめ直し、気づいたのです。


誰かを避けるという行為の基準点は、相手が嫌いだからという「相手基準」ではなく、自分を守るという「自分基準」のこともあるんだなと。

いい意味でも悪い意味でも、相手に人格はない。相手のことをおもってないし、あるいは相手を憎んでではない。(嫌っているというのはあるかもだけど。)

そして学校のいじめや、場合によっては社会でのいじめは、いじめる側の多くは自分も守るためにやっているのであって、いじめられる側が悪いわけではないのかもしれないと。

きっかけや原因はあるのかもしれないけど、こてんぱんにいじめられなければならないほどものではないと。

よく言われている話だけど、腑に落ちたというか、納得したというか、なるほどとおもいました。

湊かなえさんの小説「告白」を読んだときにも同じようなことを考えていた。
湊かなえ著「告白」(双葉文庫) 読書感想 エンタメと孤独


極端なことをいうと、いじめの相手は誰でもよい。「自分を守る」ことに立脚して、自分のことを軸とした記憶だから、相手のことは重視していない。

だからよくいじめた相手は、いじめたことを忘れてしまうといわれているんだろうね。

いじめられるほうはそうではないのは、あたしがよく知っている。


とはいえ、ねたみといじめは異なっていて、感情の強さとしては、いじめよりもねたみのほうが強いんだなあともおもった。

妬みは自分ではなく相手のことが気になり、ある意味、相手は誰でもいいわけではない。相手に個性を認めている。相手軸、相手基準だったりする。

だからって、もちろん、ねたまれるよりいじめられるほうがいいと言いたいわけではない。

ねたみについては、また今度書けたらいいな。


そんなことを考えていた朝でした。


夜になって少し冷え込んでいる。今ふと嫌な予感がして、エアコンのリモコンみたら、暖房じゃなくて冷房をつけていました。寒いわけだ。

みなさまも心身ともにどうぞあたたかくお過ごしください。

ではまた

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感情や癖の雪だるまを癒しました

2020-05-18 05:49:55 | 心の癒し

とても夢見が悪かった。何層にもわたって、「わー嫌だなあ」「失敗したよ」という夢をみた。

具体的な内容をほぼ忘れている。忘れているけれど、「わわわ、やらかした」という感覚だけは残り、自分に残っている気がする。当たり前か、おそらくもともとは自分のなかから出てきたものだものね。


運動して帰ってからつぶつぶタンタンに吐露しようとおもって出かける。この時点ではメモをとらなくても覚えているとおもったのよね。ええ、あまりに強烈だったものですから・・・。しかしながら、歩いているうちにすっかりと忘れました。

内容としては、「わ、ごめんなさい」「わ、ごめんなさい」がどんどんと雪だるまになって、対処できずなかったことにしようとする。だけどずっとずっとそのことを考えているから、何か他の小さなことがやってきたときに、大きく解釈してもっと落ち込む、みたいはスパイラルでした。

この文章だけ読むと、現象の違いはあれど誰の人生でも起こりがちなことですね。とおもうけど、実際の感情の動きはなかなかしんどいものだった。

そして内容は忘れても、感情は残っている。おーよしよし自分、大変だったねぇ。


朦朧としたけど、糸口をみつけた素晴らしい機会でもあるので、気を取り直して、エネルギー調整、自身を癒しました。エネルギーを調整すると、自分ではわかってもいない深いところまで作用させて自然と変わっていける。だから優しい気がしている。マイルドがいいのだ。
エネルギー調整の技術という意味でも、経験値をあげて、共有していきたい。

不要なエネルギーが抜けて、だんだんと浄化されていく。もっと早くやればよかった。このやり始めるまでがけっこう長い。慣れているところから脱して、変わりたいという欲求をもつにはパワーがいる。

どんな感情もきっと必要があってやってきたことだから。今までも感情や心の使い方も、どうもありがとう。

最近、あたしが自分について気になっていたこととも関連する分野でもある。だから意味があって夢をみたのでしょう。苦しかった。ぜんぜん安らげなかった。


日本ではマザーテレサの発言として知られている一節がある。


Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
思考に気をつけて。思考はいつか言葉になる。

Be careful of your words, for your words become your actions.
言葉に気をつけて。言葉はいつか行動になる。

Be careful of your actions, for your actions become your habits.
行動に気をつけて。行動はいつか癖になる。

Be careful of your habits, for your habits become your character.
癖に気をつけて。癖はいつか性格になる。

Be careful of your character, for your character becomes your destiny.
性格に気をつけて。性格はいつか運命になる。

-- Chinese proverb, author unknown

Be Careful of Your Thoughts: They Control Your Destiny
https://www.huffpost.com/entry/be-careful-of-your-though_b_5214689

夢でこの雪だるまのように増殖するプロセスを疑似体験したのであった。

あたしをつくっているのあたし自身。人生を癒し、創造していこう。今日もどうもありがとうございます。

みなさまにとって、今日も佳い日でありますよう。

臼村さおり twitter @saori_u
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歌声に感動 愛を感じた

2019-07-18 03:03:06 | 心の癒し

持病のある愛猫が体調を崩し、入院した。1泊で帰っていてひとまず一緒にいられてうれしい。本当に人生考えさせられるよ。

獣医師さんと話したかったこともあり、夜に友人たちと約束があったのだけれど遅れていくことにした。

無事に話をして、その後に世界堂で紙を買ったら、ご親切にしてくれるがゆえに若干手間取り、友人たちに会うのがかなり遅れてしまった。店員さんから描き方の新しいアイディアをいただけたのはよかった。


短い時間だけれどみなに会えてすごいよかった。元気になった。

よい気分転換になったし、キャピキャピしていると心が明るくなる。キャピキャピというお年頃でもないのは承知しているけれど、それにしてもあたしは普段あまりにキャピキャピしないので、彼女たちに会うととてもリフレッシュされる。

今日は気持ちを切り替えたかったから遊びに行ったのと同時に、実は友人のひとりにどうしても伝えたいことがあった。

先だってあるイベントの中で彼女の歌を聞かせていただいたとき、とても感動したのだ。胸に響いた。そのことをどうしても直接伝えたかった。

あたしは歌うのが苦手。カラオケも数えるほどしか行ったことないし、行ったとしてもほぼ歌わない。下手だし、相手にどうみられるかすごい気になるし、歌っていて、自分で自分の歌声を聞くのも、緊張しているさまをみせているのも、すべてが恥ずかしい。

けれども彼女の歌を聞いたときその歌声が胸に響いて癒された。
それと同時に、あたしってなんて狭量なんだろうとおもったのだよね。
何というか、「歌いたくない」という気持ちは自分本位のもの。自分が中心になっていて、自分が相手からどう見られるか、そのときの自分の気持ちがどうなるかということに重きを置いている。

一方、彼女の歌は、自分のすべてを賭けて歌っていて、なんというか相手に任せていたんだよね。相手への愛、歌うという行為への愛、そして自分自身への愛をすごい感じた。あたしは出すよ、受け取ってくれればうれしいなという感じ。でも聞き手に何も要求しない。押し付けない。表現ってそういうもんだよねとおもったのだよ。

もちろんこれはあたしの勝手な見方であり、ほかの方が聞いたら違うように感じただろうし、彼女自身もまったく別のことを意図していたかもしれない。でもそうおもったの。

あたしがどう思われるかなんて、どうでもいいよー、何やってんだろう、とおもったのだ。

彼女の歌声に心底癒された。すばらしい。


今日はたまたま帰り道がみな同じだったから、お気に入りのスポットにみなを案内してみた。ものすごいスピリチュアルだから引かれるかもなという気持ち半分、でも好きそうな気もしていてだから何かお礼がしたいなという気持ち半分。

楽しんでくれた、、、ようだからよかった。

案内することにけっこう緊張したらしく、帰宅してからずいぶん長い間、テンションが高かった。

このスピリチュアルな面を出さないようにする生き方はいったいいつからなのだろう。昔からずっとのものと、ここ数年でかえってもそうなったものと両方あるから、時間を見つけてひも解きたいなあ。

ではまた

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感情や記憶は魅力に、しこりに、つながり続ける=影響

2019-07-10 02:17:10 | 心の癒し

時間があればいくらでも飽きずに自身の感情を見つめていられる。

今の気持ち、過去の出来事が今にどう影響を与えているか、臓器に蓄積する感情、そのうちの意識できているもの、自分さえ忘れているもの、忘れたと思い込んでいるもの。

じーーーーと見つめている。

掘っては埋め、埋めては掘って、ふたを裏返したりする。何かの刺激でもやっとしたときは、それをメモをしておいて、時間があるときにひとつずつ内省したりする。

趣味、たぶん一番の趣味。

見つめて、しこりやわだかまりが解消されたり、ひも解かれたり。自身のエネルギー体の中に格納された歪みが浄化されていく。

こういった感情はときには肉体的不調になるけれど、個性でもあり、必ずしもなんとかしなくてはならないものじゃないとおもっている。すべての存在はただありのままで魅力的。

ただあたし自身は趣味なので、見つめて解放していく作業が好き。だからよく見つめている。もっともどんなに趣味にしても、あるいは不遜ながら特技と言ったとしても、一生見つめることはなくならない気がする。無尽蔵に感情や気持ち、記憶、癖がある。

ここ数日、いつも以上に自身の感情を見つめていた。

自分の感情を見つめて、分析したり、解析したり。浄化したりいろいろしていた。

他人様のことだったら、ざくって手を入れようと思えば入れられるのかもしれないけれど、あたしは自分に甘いから、自分の見たくないところをみるのはなかなか難儀。

猫はあたしにあまりに多くのことを教えてくれている。感謝している。その猫が体調を崩した。
猫の投薬にピルガン採用、情報更新の大切さを思い知る

猫の体調が悪いのはあたしにとって非常事態だから、追い込まれた。だからこそできるわけであって、この機会を少しありがたいとおもっている。避けられないというかもう起こってしまったなら今できるベストをするし、それに向き合えてうれしい。

自分だと優先順位をつけるのが難しく、ただひたすらに片っ端から見つめる。・・・本当にいろいろなことにこだわっているなあ、あたし、よしよし、というのにいっぱいだったなあー。

そして、ヒーリング、調整していく。

これをやるときは、つぶでマーキングするときもあれば、イメージで見ていくこともあったり、ノートで言葉にしてラインをつくるときもある。テーマがあれば絵を描くプロセスを利用することもある。いろいろ。
自分の感情をひとりで見つめて解放する方法 セルフセラピーの勧め

とても気持ちよく気分がすっきりしたのだった。

ではまた

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ペットロスの経験を持つ人と分かち合う つぶつぶ

2018-02-28 21:33:04 | 心の癒し

ゆめねこふたり展 悠幻 x 臼村さおり、残すところ明日の店休日をはさみ、一日。3月2日で終了となります。お越しくださりとてもありがたいです。本当にどうもありがとうございます。
遠方からお越しくださった方も少なくなく、どうもありがとうございます。そしてこのブログを読んでくださっている方も、どうもありがとうございます

書いていたかどうか、今回の作品は今までの中で一番よくできたとおもっております!(自分比)正確には、先だって急遽出品させていただいた銀座の作品も気に入っているのですが、なんというか、自分の腕の成長を感じさせていただきました。自画自賛で申し訳ございませんが、でもうれしい。今後とも精進してまいります。


これは絵だけに限定した話ではないのですが、ペットロスと向き合えたという意味においても、貴重な1か月でした。一昨年の9月3日、愛猫由芽が16歳で死んだとき、悲しかった。世界が終わりました。彼女を返してくれるなら何でもやるとおもった。
もちろん今だって悲しいですし、この哀しさが完全に消えることはないでしょう。でもなんというか、彼女が亡くなったということを会期中けっこう話したんです。同じことを経験したことがある方たちと話すのって大事ですね、癒されます。

ゆめねこふたり展は、練馬区大泉学園のカフェモフリーさんの店内壁面でやらせていただいています。モフリーさんは、猫をもふもふする(もふる)という名前からも連想されるように、LOVE FOR ALL CATS (すべての猫に愛を)というメッセージを掲げられているカフェです。

だから猫好きの方が多くやってくるのですよね。愛猫や愛犬を亡くされた経験を持つ方も多いです。作品の説明をしているとき、なぜ猫を描くのかとか、猫が好きかとかお客様と話すとき、ごくごく自然に自身らの猫や犬の話となり、愛する猫や犬を亡くした経験の話になることがあります。貴重な時間。

同じ経験を持つ方と語り合うのが癒しになると感じさせていただいたのは、久しぶりの経験でした。(もちろんカフェは、猫のお葬式をやっているわけではなく、くつろげて明るくて、居心地のよい場所です。お近くの方はぜひお運びください。⇒café Mo.free


日常会話で、猫が死んだことや、その猫のことを思い出すこと、いなくて寂しく思うことを話題にすることはあまりないです。。。それに加えて、話すと感情がこぼれちゃいそうで、口にするのを意識的に避けているところあります。そこまでは言いにくいわけじゃないし別に暗くならずに話すこともやろうとおもえばできるのですが、あえて目を向けないようにしている。

今回、ちょっとお話ができて、もうちょっともろもろ、オープンマインドでもいいのかなというか、オープンマインドでありたいな、とおもいました。あたしにとって大切なことというのは変わらないですから。湿っぽく語るつもりはないですが、もうちょっと自然にだせる気がする。

人生、いつ死ぬかわからないですし、意味のないところでひるむのもばからしいのかなと、おもう宵です。

昨日も似たようなことを書いておりました。いまのあたしに必要なメッセージなのかもしれません。

ではまた~

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