探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

大久保主水の墓とその系譜

2019-01-13 02:05:28 | 会員の調査報告
会員のカネコです。

前回のカトケンさんの記事に正月時代劇「家康、江戸を建てる」の話題がありましたが、その前編の主人公で江戸上水の大恩人である大久保主水の墓は谷中瑞輪寺にあります。



大久保主水は通称藤五郎、諱を忠行といい、宇津忠茂の五男、兄に大久保忠員がおり、忠員の子には小田原藩祖となる忠世、俗に「天下のご意見番」と呼ばれた彦左衛門忠教がいます。
主水は三河一向一揆の際に負傷し歩行が困難となったため、以後は徳川家康に菓子を献上する菓子司となり、代々子孫がその役目を務めていました。

大名・旗本家の系譜集である『寛政重修諸家譜』第11巻には藤原氏道兼流として大久保諸氏の系譜が所載されています。
そこには忠茂の子として忠平・忠俊・忠員・忠久が挙げられていますが、主水忠行の記載はありません。これは主水の家が旗本ではなく御菓子司であったため省かれたものではないかと思われます。

主水の家系については森鴎外の弟である森潤三郎が「江戸幕府御菓子司大久保主水が家系」(『今昔 3(2)』)で子孫より提供された資料を基に記述しています。
森潤三郎については当ブログ森鴎外記念館で「森家三兄弟―鴎外と二人の弟」展を見るでも書きましたが、我々の大先輩とでも言うべき偉大なる掃苔家であります。

この「江戸幕府御菓子司大久保主水が家系」は兄鴎外が『伊澤蘭軒』を書く際に、伊澤家と大久保主水家が姻戚関係であることを知り、潤三郎が子孫を探したましたが、遂に鴎外の生前に見つけることができずにいたものを、大正13年(1924)の主水贈位の際に子孫である大久保忠五郎が千駄ヶ谷に居住していることを知り、さらに転居してものを捜索し高井戸に居住していることを探し当て、昭和4年(1929)に自身の耳が悪くなっていたため、友人の塩田節三郎に質問を託し、塩田が記録を写し、さらに潤三郎が文通で得た情報をまとめたものです。

これによると、大久保主水家の系図は粟田関白道兼十世の孫景綱からはじまり、主水忠行は忠茂の五男として記載されています。
主水忠行の後は忠元-忠辰-忠武-忠光-忠郷-忠著-忠英-忠宜-忠記-忠保-忠達(忠五郎)と続いています。

この潤三郎の記事では、五代忠光の時にそれまでの宗旨日蓮宗より浄土宗に改宗し、墓所が別寺院となったことも書かれており、瑞輪寺の大久保家墓所に何故子孫の墓がないのかという疑問がこれで解けました。
この記事には忠五郎の子供の事まで書かれており、昭和4年(1929)時点での大久保主水家のことがよく分かります。

さらに潤三郎は「調査余録」(『今昔 3(10)(25)』)に静嘉堂文庫所蔵の宝暦5年(1755)八代忠英提出の先祖書を載せています。

潤三郎が見たであろう主水家の系図は『東京市史稿 上水篇 第1』に「大久保惣系図」として所載されており、八代忠英までが記載され、その後、大久保忠五郎蔵由緒書及び位牌等に拠るとして、忠英から忠五郎忠達までの当主が記されています。

Wikipedia「大久保忠行」のページに「幕末の大久保主水は徳川宗家の静岡移動にも従い、娘を旧幕臣の重鎮で同族の大久保一翁の子息の嫁としている。」とありますが、大久保一翁の子には子爵家を継いだ四男業、業が早世した後爵位を継いだ五男立がありますが、主水子孫の娘を妻としたのはこの両名ではなく、旗本大久保家を継いだ三男三郎であるようですが、明確な資料まだ確認していないので、確定はできません。
尚、大久保一翁の系図は『桜園集』に所載されています。

森潤三郎が鴎外没後に大久保主水の子孫を探し出し、その家系を明らかにしたことは正に執念と言うべきでしょうか。また一つ森潤三郎の功績に触れ胸が熱くなりました。
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創業と守成と

2019-01-05 22:54:26 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。
新年あけましておめでとうございます。

楽しみにしていた正月時代劇「家康、江戸を建てる」を見て、家康が新国家建設に当たって才覚者たちを活躍させる目の付けどころに今回はスポットが当てられた(写真は静岡市にある後藤庄三郎供養塔と銅像。大久保主水の墓は東京谷中瑞輪寺にあるというが、筆者未見)。





戦争から生活にいち早く目を向ける視点は、経営者にも重ねることができよう。

だが考えてみれば、徳川政権の権力基盤は、家康時代は大坂の陣で武家の争いは収まったものの、秀忠が娘を天皇に嫁がせ、家光がようやく朝廷を抑えて軌道に乗ったと言えなくもない。

その意味では、2代・3代の守成が重要で、初代による創業をさらに盤石なものとすべき次の手がいかに大切かが改めて分かった。

そうすると、創業時の側近から守成時の側近は誰がいるか。そんな視点で掃苔を進めていくのも楽しい1年になろう。

それはさておき、今年最初の掃苔は予備校時代の同級生たちと焼津で新年会の前に1時間ほど。安政7年遣米使節団員 益頭駿次郎の墓を訪ねた。

看板はすぐ見つかったものの(=写真)、墓が見つからない。そんなに広い墓域ではないのに西日がまぶしくて苗字が読み取りにくい。



夕方に来たから無理もないのだが、やうやくのことで益頭家の墓にたどり着いた。墓域のいちばん奥に立っていた。(=写真)





探しがいのある墓だった。益頭は米国のほか欧州にも足を運んだ(竹内遣欧使節)。一度派遣されて、また行く機会を得た1人である。このやうな人が何人かいる。

1人ひとり墓を探していくのも面白い。今ちょうど新年会のメンバーが解散したところだ。三島や富士から来てくれた。ありがたい正月である。

本年もよろしくお願いします。
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新年のご挨拶

2019-01-01 00:00:00 | 日記
会員のカネコです。

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の出版や11月に開催した流星忌の谷中巡墓会などの活動があり、皆さまには大変お世話になりました。
探墓巡礼顕彰会にとっては大きな1年となりました。

今年は既にお伝えしています通り、幹事メンバーの「ソロ活動」となりますが、引き続き各人の活動や調査について当ブログにてお伝えできればと思っております。

本年が皆様にとって良い1年になることを祈念いたします。
引き続き、当会へのご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
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