探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

第3回会合報告

2009-05-31 22:55:46 | 会合報告
本日、第3回目の会合を開きました。

前回同様、会長の釣先生、歴史研究会吉成主幹、会員のカトウさん、カワチさん、クロサカさん、カネコの計6人によって話合われました。

今回は、歴史研究会の全国歴史研究会墓碑研究部会との運営・活動方法について決めました。会員の自由な活動を促進するとともに、歴史研究会会報『歴史研究』への寄稿計画や11月に予定している青山霊園巡墓企画などについて話合いました。

今後の活動は『歴史研究』誌上でも紹介されます。
(文責 カネコ)
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5月24日 谷中霊園調査

2009-05-25 22:43:10 | 会員の調査報告
会員のカネコです。5月24日(日)は谷中霊園を調査しました。天候不順のため30分程度の調査でした。

谷中霊園は私が掃苔をするきっかけとなった場所で、何度も訪れていますが、まだまだその全貌は把握できていません。

今日は佐藤泰然(写真)の墓域をもう一度1基ずつ確認したり、神田家、尾張藩士丹羽賢、数学者宮川保全、大審院長玉乃世履などを確認しました。

新選組隊士で後に御陵衛士となった新井忠雄の墓を見た後、裏側に交代寄合の岩松新田家の庶流の墓を見つけました。本家の新田家も天王寺墓地にあり、数年前に墓地が縮小されています。

谷中霊園に関しては『谷中過去帳』末武芳一著という名著がありとても参考になります。
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5月23日 池袋寺院・雑司ヶ谷霊園・護国寺調査

2009-05-24 23:30:19 | 会員の調査報告
会員のカネコです。5月23日(土)に雑司ヶ谷霊園近辺の調査に行きました。

法明寺で軍学者小幡景憲などを見ました。江戸期の古い墓碑が多く、大名の内藤家や旗本の成瀬家等の墓碑が点在してます。
墓地最奥には落語家の3代目柳家小さんの墓もあります。
ここでの発見は私が調査している二本松藩関係で、藩主丹羽家の一門とみられる墓碑です。家紋は藩主と同じ直違紋で通字も歴代藩主と同じ「長」の字が使われていました。

雑司ヶ谷霊園は区内4大霊園の一つで、作家など文化人の墓が多いことでも知られています。
この霊園でも無縁墓の改葬が予定されていて、幕末に活躍した公卿澤為量の墓にも改葬予告の立て札が立っていました。
その他にも山陵研究家の谷森善臣や国学者で神官の落合直澄などの墓を見ました。

その後護国寺へ移動しました。
護国寺共葬墓地には講談社創業者野間清治があります。共葬墓地内では最大の墓域です。
一つの墓域に野間清治夫妻の墓が2基存在していました。巨大な角柱墓とその前に小さな角石墓がありました。これは参り墓と埋墓なのかよく分かりませんが、珍しい光景でした。

この雑司ヶ谷・護国寺一帯も近代史に重要な人物達が眠っています。引き続き詳細の調査を続行します。
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久保山墓地について

2009-05-24 22:50:49 | 会員の調査報告
会員のカワチサダヨシです。
明治初年の警視庁関係者と、丹南藩関係者を中心に調査をしています。
幕末明治の墓と旅が大好きなので、四十七都道府県幕末維新掃苔をライフワーク的に続けております(現在までに四十四都道府県で幕末明治の墓を掃苔してきました)。
昨日、横浜市西区の久保山墓地に行ってきました。 
三年ほど前にも西南戦争で戦死した警視官の墓を探しに行きましたが、三万といわれる見渡す限りの墓の中から見つけることはできませんでした。
山城屋和助の墓もあるようなのですが、案内板もありません。
管理事務所で聞きましたが、わからないとのことでした。
久保山墓地の墓について書かれた本はないのかと聞くと、ないとの返事でした。
ローラー作戦を採るとなるととても1日では終わらないので、半ばあきらめかけながら探墓を始めました 
二時間ほど墓地を歩いていると、見覚えのある名前を見つけました
渥美友成という明治時代の少警視の墓です。明治七年の警視庁では上から八番目に名が書かれている人物です。 
渥美については、警視庁の資料にも人名辞典にもでておらず、どのような人物かもほとんどわかっていませんでした。 
捜し求めていた墓に、思ってもいなかった場所で偶然出会い、とても驚きました。
その後、墓地内で出会った人に巡査や長州藩土佐藩の官修墓地の場所を教えていただけ、たどり着くことができました。
しかし久保山墓地は青山や谷中と違って区画番号が分かりやすく表示されて無いので場所が伝えずにくいです。
久保山墓地を専門に調べておられる方はいないのでしょうか? 知られざる幕末明治の墓が相当ありそうなのです。
マップつきの調査書があれば、ぜひ読んでみたいものです。
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5月16日 青山霊園調査

2009-05-19 07:37:35 | 会員の調査報告
はじめまして。探墓巡礼顕彰会会員のクロサカです。

5月9日にカネコさんと青山霊園に二人で調査をしましたが、
先週の土曜日である5月16日にもう一度単独で調査をしてきました。
先日カネコさんの記事にて都内の4大霊園について触れられておりましたが、
この4大霊園は、最近かなり環境が変わってきています。
それは、貸付料金未払いによる多くの著名人の墓碑の改葬が活発化して
きていることです。
寺院や神社に墓碑がある場合は、たいてい史跡指定がなされて保存に積極的
であるが、特に都内にある霊園にある墓地については、膨大な数に及ぶため
広大な墓地を誇っていようが誰でも知っている著名人でも例外ではありませ
ん。最近でも青山霊園にあった槙村正直男爵が青山霊園から消滅しています。
このままでは、墓碑が知られる前に無くなってしまうという現象が起きてし
まいます。私たちは、それを調査し、ここにあったという記録を残せていけ
たらいいと思っております。

さて、16日の調査の件ですが、先日国立国会図書館で『東京青山共葬墓地明
細案内図』という霊園の詳細な地図を発見しました。
この地図は、1908年発行のとても古いものですが、地図には、膨大な情報が
掲載されています。
例えば、カネコさんの記事でも紹介されていましたが、西郷従道侯爵や浅野
侯爵家、川村従義伯爵のほか同じく多磨霊園に改葬されている壬生伯爵家、
竹屋子爵家、棚倉阿部子爵家も掲載されています。港区曹渓寺に改葬されて
いる山内豊誠子爵も掲載されています。
霊園内で位置が変わっているだけの松方公爵家等もあります。

今回この地図を基に山地元治子爵、鈴木大亮男爵、四條侯爵家、滋野井伯爵
家、小川又次子爵家、北小路俊昌男爵を調査しました。
結果小川又次子爵家のみ発見してその他は、空地か新たな墓碑が建っており
ました。
この発見出来なかった5家の墓地ですが、改葬先等知っている方がおりまし
たら情報提供していただければ幸いです。

今後も青山霊園や他の霊園調査も続けていきます。
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