昔に出会う旅

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いよいよ「兜跋毘沙門天立像」「成島毘沙門堂」を拝観

2008年04月16日 | 東北地方の旅
小雨の中、岩手県花巻市東和町北成島の「兜跋毘沙門天立像」を拝観に、安置されている収蔵庫へ行きました。



写真は、JR東日本の雑誌「トランヴェール」に掲載されていた「兜跋毘沙門天立像」です。
この旅行で、最も見たかった仏像です。
平安時代の仏像とは思えない古さを感じない木の色でした。
激しい形相の毘沙門天が静かな顔立ちの地天女の肩に立ち手のひらで支えられていました。

■拝観の受付で頂いた「木造日本一 毘沙門堂 参拝のしおり」に説明文があり、転記します。
「兜跋毘沙門天」(重要文化財)
坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ、桓武天皇の命令により、東北の蝦夷を鎮撫平定し、日本国北方鎮護の守護神として、この地(成島)に毘沙門天を祀ったと伝えられ、無量の神徳が授かると信奉されている。
御丈4.73m(約1丈六尺)欅(けやき)の一木調成仏としては、国内唯一と称され、活気あふれる名大作で、平安朝中期の作品とみられ、大正九年には国宝に指定。昭和二十五年国の重要文化財に指定され、文化庁の文化財保護の方針により収蔵庫が造営され収納されている。



「兜跋毘沙門天立像」が安置されている収蔵庫に上る坂道の脇に「毘沙門天と味噌のかかわり」と、「宮沢賢治の詩碑」書かれた案内板がありました。

■案内板を転記します。
「毘沙門天と味噌のかかわり」
◎曽(か)ってひそかな民衆信仰として毘沙門天立像の脛(すね)に味噌を塗り思い思いの祈願をしたという。
この情景を見た宮沢賢治は詩碑に刻まれてある詩にあるように「・・・・毘沙門天に味噌たてまつる・・・・」とよんだ。
◎この祠に(ほこら)に納めてある脛は実物と同型で言わば分身です。
あなたも毘沙門天の脛に味噌を塗って家内安全、無病息災、商売繁盛、交通安全を祈願しましょう。



坂道の途中に「兜跋毘沙門天立像」の脛(すね)と同型のものが祀られている祠と、宮沢賢治の詩碑がありました。
「兜跋毘沙門天立像」の脛(すね)と同型のものが祀られている祠と、宮沢賢治の詩碑がありました。
参拝者は、「兜跋毘沙門天立像」の脛に味噌を塗りつけてお祈りをするそうです。

■宮沢賢治の詩碑を転記します。
「毘沙門像に味噌たてまつる」
アナロナビクナビ 睡たく桐咲きて
峡に瘧の やまひつたはる
ナビクナビアリナリ 赤き幡もちて
草の峠を 越ゆる母たち
ナリトナナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に 味噌たてまつる
アナロナビクナビ 踏まるる天の邪鬼
四方につつどり 鳴きどよむなり



坂を登りきった場所に「兜跋毘沙門天立像」の安置されている収納庫の近くに拝観受付の案内板があります。



参道に立つ「兜跋毘沙門天立像」の絵が染められている幟です。
「兜跋毘沙門天立像」がうまく描かれていますが、悪役が付けているようなヒゲが気になります。



「兜跋毘沙門天立像」の安置されている収蔵庫の中の様子を撮った写真です。
「兜跋毘沙門天立像」の足もとの両側に「二鬼坐像」があり、その両脇にも仏像が安置されています。


JR東日本の雑誌「トランヴェール」に「二鬼坐像」や、「吉祥天」などの写真が載ったにが掲載されていました。

■拝観の受付で頂いた「木造日本一 毘沙門堂 参拝のしおり」に説明文があり、転記します。
■二鬼坐像(重要文化財)
藍婆、毘藍婆と称し、毘沙門天の侍仏として左右に安置され、刻りは簡潔素朴、量感が豊かで、然も気迫のこもった仏像で、大正九年国宝に指定、昭和二十五年には毘沙門天と共に重要文化財の指定を受ける。

■伝、吉祥天(重要文化財)
御丈1.76m(約五尺八寸)頭に透かし刻りの象頭の冠をいただき、欅の木目が顔の面や胸の部分に表われ、稀にみる勝れた作品として、大正九年国宝の指定を受けた。国内においても数少ない御像と高く評価され、特に象頭の冠は類を見ないとされている。平安朝初期の名作とみられている。昭和二十五年、国の重要文化財の指定を受ける。

■阿弥陀如来(重要文化財)
胎内に、承徳二年に記された祈願文がある。
又江戸中期享保年間、頭部後補(すげ替え)の記録がある。平安朝後期の稀しい仏像で、昭和四十九年県重要文化財の指定を受ける。


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