南九州旅行1日目、宮崎県高原町、霧島連山の東端「高千穂峰」を望む「狭野神社」の次は、直線距離で約2Km南にある「霧島東神社」への参拝です。
赤い鳥居鳥居の見える「霧島東神社」社務所前の風景です。
曲がりくねった暗い森の中の坂道を延々と走り、やっと着きました。
赤い鳥居は、左右の柱に小さな稚児柱が二本づつ付いた「両部鳥居[りょうぶとりい]」と呼ばれる形式で、厳島神社などで見られるものです。
「霧島東神社」近くの「御池[みいけ]」のそばにあった高原町の案内図の一部です。
標高約270mの「狭野神社」から、かつての噴火口「御池」の湖畔を通り、「霧島東神社」は標高約450mの場所にあります。
案内図の道を見ると、「霧島東神社」への道は、二子石を経由する高千穂峰登山道の一部でもあるようです。
「霧島東神社」の社務所です。
急な上り坂の山道を不安な気持ちで走り、やっとたどり着いた時、この建物を見てほっとしたのを思い出します。
案内板によると、主祭神は、伊邪那岐尊[いざなぎのみこと]、伊邪那美尊[いざなみのみこと]の夫婦神で、日本書紀に書かれている「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」と違う古事記の文字が引用されていました。
又、配祀は、主祭神に次ぐ天照大神、天忍穗耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合命、神日本磐余彦尊(日本書紀の表記)と、系譜に従った代々の神のりようです。
■社務所前に神社の案内板がありました。
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霧島東神社[きりしまひがしじんじゃ]
伊邪那岐尊[いざなぎのみこと]、伊邪那美尊[いざなみのみこと]を主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。
錫杖院を建立し、霧島六社権現のひとつとして霧島山で神意仏心を崇める修行を行う修験者たちの拠点となった。
当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、霧島修行の興隆に伴い自社ともに栄えた。
度重なる霧島山の噴火により復興造営を重ねており、現在の社殿は享保十二年(一七二二)の造営により、幾度かの改修を経て今に至る。殿内奥には雌雄一対の龍柱が祀られ、正面には寛文六年(一六六六)薩摩藩主島津光久公寄進の「東霧島座」(霧島の東に座す)の扁額が納められている。
例大祭 十一月八日・九日
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社務所の前には「御池[みいけ]」を見下ろす雄大な新緑の風景が開けていました。
直径約1Km、周囲約4Kmの「御池」は、縄文時代後期の約4200年前には噴火口だったようです。
キャンプ場のある「御池」の湖畔へ立寄りましたが、釣りを楽しむグループがのんびりと湖畔で過ごしていました。
赤い鳥居を過ぎると長い石段が続いています。
駐車場までの長い坂道の車道では、横切る石段の参道が見られ、昔の参拝はかなり厳しい参拝だったようです。
石段を登り、赤い山門から社殿に続く参道を見た風景です。
左手の建物は、「猿田彦神社」のようです。
山腹の広い境内にも見えますが、この直線の参道は、参道左側から右側へ下る山の斜面に造られていました。
社殿が建つ奥の場所は、やや広い平地ですが、参道と合わせて、地形を巧妙に利用したことがうかがわれます。
山門を過ぎ、「猿田彦神社」の前から振り返った風景です。
この場所から左下に石段の道が続いており、「猿田彦神社」の社殿内に安置された鏡を下の石段から仰ぐと何故か輝いているように見えていました。
参道から拝殿正面を見た風景です。
左右の小さな祠は、南九州の神社でよく見かけるもので、隋神門に代わるものでしょうか。
美しい「霧島東神社」拝殿の風景です。
よく清掃がされた拝殿で、気持ちよく参拝させて頂きました。
拝殿後方に続く、幣殿と、その奥の本殿です。
本殿の屋根には鰹木と、千木がそびえ、白い壁に赤い柱が映えて気持ちが新鮮になってくるようです。
本殿の左側にしめ縄が張られた遥拝所と思われる場所があり、その横に丸い棒状の石の塚がありました。
右下の写真は、社務所前の案内板にあった「天之逆鉾[あまのさかほこ]」で、写真左下の丸い棒状の石はそれを模したものと思われます。
案内板によると高千穂峰の山頂にある「天之逆鉾」は、「霧島東神社」の社宝としていることから視界の遮られた木立の先には「高千穂峰」がそびえているものと思われます。
■社務所前の案内板にあった「天之逆鉾」の説明文です。
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天之逆鉾[あまのさかほこ]
高千穂峰(一五七四m)の山頂にあり、霧島東神社の社宝として祀られている。
伊邪那岐尊、伊邪那美尊が高天原から鉾を差しおろし、かきまぜて作った国土に、逆さに突き立てたものと伝えられる。また、天孫降臨の際に瓊々杵尊[ににぎのみこと]が天照大御神から授かった鉾ともいう。実際に祀られた時期は明確ではないが、霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったとされ、少なくとも江戸時代にはその存在は広く知られていた。霧島山に対する信仰の対象であるとともに戦前までは雨乞いの神ともされ、鉾の前で祭儀を行っていたという。
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参拝の帰り道、「御池」の河畔から西にそびえる「高千穂峰」を望んだ風景です。
晴れの14時、素晴らしいと思われるこの風景も残念ながら霞んでいました。
「霧島」の名は、このように霞むことから呼ばれるようになってしまったのでしょうか。
赤い鳥居鳥居の見える「霧島東神社」社務所前の風景です。
曲がりくねった暗い森の中の坂道を延々と走り、やっと着きました。
赤い鳥居は、左右の柱に小さな稚児柱が二本づつ付いた「両部鳥居[りょうぶとりい]」と呼ばれる形式で、厳島神社などで見られるものです。
「霧島東神社」近くの「御池[みいけ]」のそばにあった高原町の案内図の一部です。
標高約270mの「狭野神社」から、かつての噴火口「御池」の湖畔を通り、「霧島東神社」は標高約450mの場所にあります。
案内図の道を見ると、「霧島東神社」への道は、二子石を経由する高千穂峰登山道の一部でもあるようです。
「霧島東神社」の社務所です。
急な上り坂の山道を不安な気持ちで走り、やっとたどり着いた時、この建物を見てほっとしたのを思い出します。
案内板によると、主祭神は、伊邪那岐尊[いざなぎのみこと]、伊邪那美尊[いざなみのみこと]の夫婦神で、日本書紀に書かれている「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」と違う古事記の文字が引用されていました。
又、配祀は、主祭神に次ぐ天照大神、天忍穗耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合命、神日本磐余彦尊(日本書紀の表記)と、系譜に従った代々の神のりようです。
■社務所前に神社の案内板がありました。
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霧島東神社[きりしまひがしじんじゃ]
伊邪那岐尊[いざなぎのみこと]、伊邪那美尊[いざなみのみこと]を主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。
錫杖院を建立し、霧島六社権現のひとつとして霧島山で神意仏心を崇める修行を行う修験者たちの拠点となった。
当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、霧島修行の興隆に伴い自社ともに栄えた。
度重なる霧島山の噴火により復興造営を重ねており、現在の社殿は享保十二年(一七二二)の造営により、幾度かの改修を経て今に至る。殿内奥には雌雄一対の龍柱が祀られ、正面には寛文六年(一六六六)薩摩藩主島津光久公寄進の「東霧島座」(霧島の東に座す)の扁額が納められている。
例大祭 十一月八日・九日
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社務所の前には「御池[みいけ]」を見下ろす雄大な新緑の風景が開けていました。
直径約1Km、周囲約4Kmの「御池」は、縄文時代後期の約4200年前には噴火口だったようです。
キャンプ場のある「御池」の湖畔へ立寄りましたが、釣りを楽しむグループがのんびりと湖畔で過ごしていました。
赤い鳥居を過ぎると長い石段が続いています。
駐車場までの長い坂道の車道では、横切る石段の参道が見られ、昔の参拝はかなり厳しい参拝だったようです。
石段を登り、赤い山門から社殿に続く参道を見た風景です。
左手の建物は、「猿田彦神社」のようです。
山腹の広い境内にも見えますが、この直線の参道は、参道左側から右側へ下る山の斜面に造られていました。
社殿が建つ奥の場所は、やや広い平地ですが、参道と合わせて、地形を巧妙に利用したことがうかがわれます。
山門を過ぎ、「猿田彦神社」の前から振り返った風景です。
この場所から左下に石段の道が続いており、「猿田彦神社」の社殿内に安置された鏡を下の石段から仰ぐと何故か輝いているように見えていました。
参道から拝殿正面を見た風景です。
左右の小さな祠は、南九州の神社でよく見かけるもので、隋神門に代わるものでしょうか。
美しい「霧島東神社」拝殿の風景です。
よく清掃がされた拝殿で、気持ちよく参拝させて頂きました。
拝殿後方に続く、幣殿と、その奥の本殿です。
本殿の屋根には鰹木と、千木がそびえ、白い壁に赤い柱が映えて気持ちが新鮮になってくるようです。
本殿の左側にしめ縄が張られた遥拝所と思われる場所があり、その横に丸い棒状の石の塚がありました。
右下の写真は、社務所前の案内板にあった「天之逆鉾[あまのさかほこ]」で、写真左下の丸い棒状の石はそれを模したものと思われます。
案内板によると高千穂峰の山頂にある「天之逆鉾」は、「霧島東神社」の社宝としていることから視界の遮られた木立の先には「高千穂峰」がそびえているものと思われます。
■社務所前の案内板にあった「天之逆鉾」の説明文です。
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天之逆鉾[あまのさかほこ]
高千穂峰(一五七四m)の山頂にあり、霧島東神社の社宝として祀られている。
伊邪那岐尊、伊邪那美尊が高天原から鉾を差しおろし、かきまぜて作った国土に、逆さに突き立てたものと伝えられる。また、天孫降臨の際に瓊々杵尊[ににぎのみこと]が天照大御神から授かった鉾ともいう。実際に祀られた時期は明確ではないが、霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったとされ、少なくとも江戸時代にはその存在は広く知られていた。霧島山に対する信仰の対象であるとともに戦前までは雨乞いの神ともされ、鉾の前で祭儀を行っていたという。
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参拝の帰り道、「御池」の河畔から西にそびえる「高千穂峰」を望んだ風景です。
晴れの14時、素晴らしいと思われるこの風景も残念ながら霞んでいました。
「霧島」の名は、このように霞むことから呼ばれるようになってしまったのでしょうか。