昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

油絵「夏の果物」

2013年09月28日 | 妻の油絵

妻の油絵「夏の果物」です。

葉の付いたブドウと、イチジクです。

初めて妻が描いたイチジクの絵に懐かしさを感じ、家のイチジクの木に登って食べていた子供の頃の想い出が浮かんできました。

妻にも同じような想い出があったようです。

絵の題名を「夏の果物」としましたが、夏から秋にかけて収穫するブドウや、イチジクを「夏の果物」とするのは少し悩ましいものでした。

イチジクを漢字変換すると「無花果」と出てきます。

花が咲かないのに果物となる意味でしょうか。

調べてみると、実と思って食べていたのは花だそうで、オシベとメシベは? 花粉は??

次々と疑問が湧き、題名「夏の果物」の季節と同様に、名称にも悩ましさがある植物ですね。

ドイツ・スイス旅行 10 ハイデルベルクの街並み

2013年09月26日 | 海外旅行
南ドイツ・スイス旅行2日目夕方、ハイデルベルク城の次は、ネッカー川の河畔に広がる街並みの見物です。



ハイデルベルク城から山の下の街へ下るケーブルカーです。

ケーブルカーの駅は、更に山を登った所にもあるようで、ここは上下線の車両が同時に到着する中間の駅でした。



「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)に掲載されていた「ハイデルベルク旧市街図」です。

歩いたコースを赤い矢印で表示していますが、「ハイデルベルク城」から「市庁舎」、「マルクト広場」、「聖霊教会」、「騎士の家」と歩き、お土産店へ案内された後、「カール・テオドール橋」の上でゆっくりと見物しました。



写真上段は、市庁舎の南にある「コルンマルクト(穀物広場)」で、中央に聖母マリア像が建っていました。

左に向く聖母マリア像の正面に立って見上げた風景が写真下段で、壮観なハイデルベルク城の風景をバックにキリストを抱く聖母マリア像が印象的でした。

マリア像は、四体の天使が支える黄金の球体の上に立ち、頭には後光の様な飾りが見られ、両手で抱く幼児姿のキリスト像が長い柄の旗のようなものなどを持つ珍しい像でした。



「コルンマルクト(穀物広場)」から西へ向かった先に「聖霊教会」が見えてきました。

「聖霊教会」の手前に白や、青いパラソルが並ぶ場所は、「マルクト広場」です。

前回も記載しましたが、「聖霊教会」は、この地で約500年間プファルツ選帝侯を世襲した「ヴィッテルスバッハ家」の菩提だったとされ、黒い屋根と、レンガ色の壁に重厚さを感じます。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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聖霊教会
広場の西側にある教会は、ハイデルベルク城の「ルブレヒト館」のプファルツ選帝侯ルブレヒト3世(1400年から皇帝ルブレヒト1世)によって14世紀に建てられた「聖霊教会」で、ゴシック様式である。1544年に完成した。
教会の回りにはたくさんの小さな土産店が連なっているが、これらの店の歴史も大変古い。教会の塔は82メートルの高さがあり、上ることができる。
この教会を建てさせたルブレヒト3世と妃の墓碑はこの中にある。この墓碑はフランス軍の破壊を逃れた。教会そのものは火災に遭い、18世紀に再建された。
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「市庁舎」を背景にパラソルが並ぶ「マルクト広場」の風景です。

「マルクト広場」は、「聖霊教会」と、「市庁舎」に挟まれ、ハイデルベルク街の中心となるようです。

写真右端は、広場中央にある「ヘラクレスの泉」に立つヘラクレス像で、広場の風景の左端に小さく見える像です。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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マルクト広場、市庁舎
ハィデルベルクに限らず、ドイツの都市はたいてい街の中心にマルクト広場(Marktplatz)があり、市庁舎と教会がある。マルクトとは、英語のマーケット、つまり市場のことで、昔、市が開かれていた広場である。
マルクト広場の真ん中にある噴水はヘラクレスの泉と呼ばれ、中世のころは、罪人は寵に入れてこの噴水のところに掛けられ、その龍を回してさらし者にされた。
広場の東側にある建物は市庁舎で16世紀に建てられたルネッサンス様式である。
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「聖霊教会」の横を進むと、「ホテル・ツム・リッター(騎士の家)」の建物がありました。

窓の周囲には石像や、ギリシア風の柱などの彫刻が彫られ、ひと際格式を感じる建物です。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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騎士の家
教会からハウプト通りへと行く道に、フランスとの戦争で唯一破壊を逃れた建物がある。それは「ツム・リッター(騎士の家)」と呼ばれるもので、今はホテルになっている。
この建物は元々フランス出身のタオル商人シャルル・ペリエの館だったところで、1592年に建てられた美しいルネッサンス様式の建築である。一番上に「騎士の像」のあることから、1703年からツム・リッターという名前でホテルとして使われるようになった。
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土産店からネッカー川方面に進んで行くと、通りの向こうに「カール・テオドール橋」(別名アルテブリユッケ[古い橋])の橋門「カールス門」が見えてきました。



写真上段は、ハイデルベルク城から見下ろした「カール・テオドール橋」の風景で、写真下段は、橋門の横から見た橋の風景です。

中央に大きな5連アーチ、両岸にやや小さな2連アーチが連なり、全体が9連アーチの美しい石橋でした。

市街地が広がる南岸側には橋門「カールス門」がそびえ、対岸(北岸)や、ネッカー川側からの防衛施設としていたようです。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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アルテブリュッケ
~ネッカー川にかかる一番美しい橋が、アルテブリユッケ (Alte Bru:cke)である。アルテブリユッケを日本語に訳すと、「古い橋」 となるのでちょっと味気ない。13世紀、もともと木造の橋がかかっていた。
プファルツ選帝侯の宮廷が1720年にマンハイムに移された後、選帝侯であったカール・テオドールが1786年から1788年にかけて、はじめてこの橋を石橋に造りかえた。そのため、「カール・テオドール橋」とも呼ばれている。先ほどのワインの樽のところで説明したカール・テオドールである。
後に、カール・テオドールの記念像がこの橋に造られた。
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石畳の坂道を登り、橋塔「カールス門」へ近付くにつれ、「カールス門」の巨大さを感じてきます。

こんなにも橋塔が高く造られたのはなぜでしょうか。



橋塔「カールス門」の横に鏡を持つ不思議な猿の銅像がありました。

顔は猫のようですが、手足や体つきは猿です。

向かって左下にも小さな二匹のネズミの像があり、その横に説明板がありました。

どんな言い伝えがあるのか分りませんが、翻訳できない説明板を下記に転記します。

■説明板です。
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WAS THUSTU
MICH HIE ANGAFFEN?
HASTU NICHT GESEHEN
DEN ALTEN AFFEN
ZU HEYDELBERG /
SICH DICH HIN UNND HER /
DA FINDESTU WOL MEINES GLEICHEN MEHR.

GESTIFTET VOM VEREIN
Alt-heidelbeverg
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橋を進むと、左手にこの橋を造ったプファルツ選帝侯「カール・テオドール」(1724~1799年)の銅像が建っていました。

橋の説明文にもありましたが、1788年に木造だった橋を石橋に造り替え、お城にある大樽も造った人です。

銅像の足元に見られるギリシア・ローマ神話の神のような石像も意味不明ですが、「カール・テオドール」の石像に重厚なイメージを添えているようです。



ハイデルベルク城が見える橋の上で、ツアーでご一緒の人たちが楽しく記念写真を撮り合っている風景です。

ドイツでの観光初日、珍しい風景に感動の連続でした。

この後郊外の地ビールレストランへ向かいましたが、旅行2日目の観光はこれで終了しました。

油絵「夏野菜」

2013年09月08日 | 妻の油絵

妻の油絵「夏野菜」です。

絵のタイトルに迷い、そのものズバリのタイトルにしました。

絵には冬瓜[とうがん]、坊ちゃんかぼちゃ、タマネギがカゴに盛られ、その横にはトウモロコシ、ピーマン、トウガラシが置かれ、左にのぞいていているのはキュウリです。

生活感のある元気な夏野菜が並び、土の香りのする絵になったようです。

夏の元気を支えてくれる野菜は、猛暑で不作、熱帯夜の疲れに野菜の高騰が追い打ちをかけた今年の夏でした。

猛暑の後は、ゲリラ豪雨が相次ぎ、野菜の高騰はもうしばらく続きそうです。

口には入りませんが、この「夏野菜」をご覧になり、せめて夏の疲れを癒やして頂くことが出来れば幸いです。


ドイツ・スイス旅行 9 ハイデルベルク城(3)

2013年09月06日 | 海外旅行
南ドイツ・スイス旅行2日目夕方、ハイデルベルク城の中庭の次は、ワインの大樽と、テラスの見物です。



「フリードリヒ館」の正面から地下へ続く通路を進み「大樽棟」へ向かいました。

城の北側の城壁や、建物は、山の斜面の地形を利用して造られており、城の中庭から緩やかなスロープを下ると地下室へつながる構造です。

戦時に大勢の兵士が素早く移動する場合を考慮して、階段ではなくスロープとしたものと推察され、スロープに降った雨水も山の傾斜を利用して排水されているようです。



ハイデルベルク城の見取り図と、ハイデルベルクの市街図(下段)です。

「大樽棟」と、「テラス」への通路を赤い破線の矢印で表示しています。

市街図(下段)ではネッカー川の南岸(左岸)にハイデルベルクの街が広がり、ハイデルベルク城は街の東端にあります。



「大樽棟」の地下で最初に見た大きなワインの樽です。

左の小さな樽が一般的な大きさのようで、比べるとかなり大きなものです。

しかし、これは目当ての大樽ではありません。



次の部屋へ進むと、更に大きな樽がありました。

しかし、これも目当ての大樽ではありませんでしたが、造られた時には最も大きな樽だったようです。

1592年、「ヨハン・カジミール」(フリードリヒ4世の摂政)によって初めて大樽が造られ、その後、代々のプファルツ選帝侯が次第に大きな樽を造ったとされ、その歴史を物語っているのがこれらの樽でした。



一番奥の部屋に最も大きな「大樽」があり、その部分写真を組み合わせたものです。(全景写真が撮れてなかったので・・)

樽の右側に作られた木製の階段から樽の上のステージに上り、樽の左側の螺旋階段から降りる一方通行の見学コースがあります。

右上の写真は、大樽の横の階段を登っている風景で、左上の写真は、反対側の階段から見下ろした風景です。

下の写真は、大樽の上のステージから見下ろした風景で、左端に登りの階段、右端に下りの螺旋階段が見えます。

この大樽は、1751年にプファルツ選帝侯カール・テオドール(1724~1799年)が造らせたとされ、約22.17万リットルもの容量で、750ml瓶に換算すると約30万本に相当します。

実に巨大な樽で、毎年これだけのワインを醸造して、納める領民の苦労も大変だったものと思われます。



大樽を一巡する階段を降りると、右手の壁にワイン樽の見張り番「ベルケオ」の人形と、その横にビックリ箱がありました。

ツアーのメンバーKさんがびっくり箱を指さし、箱を開けようとしている場面です。

好奇心が旺盛なKさんに周りの皆さんもかたずをのんで見つめていました。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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一回りしたところにある人形は、「ベルケオ」と呼ばれるワイン樽の見張りをしていた人の等身大である。
このベルケオさん、チロルの人で、とてもワインが好きだった。「酒を飲むか」と尋ねられるといつも、イタリア語で「ペルケノ」と答えた。英語の「Whynも」とおなじで「なぜ飲まない?=飲まないはずがない=飲みます」 つまり「はい」と答えるのと同じ意味である。そのベルケノがなまってベルケオと呼ばれるようになったらしい。
ところが、ワインの代わりに飲んだ一杯の水で命を落としてしまった。
そばにはベルケオが作ったびっくり箱のような仕掛け時計がある。これで女性を驚かせることが好きだった。
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Kさんがびっくり箱の下のレバーを引っ張ると、鐘の音と同時に動物のシッポのようなものが飛び出してきました。

予め認識していたので、余り驚きはありませんでしたが、不意打ちだと、ビックリするものと思われます。

横に立つ「ベルケオ」の人形は、左手にワイングラスを持ち、大きな鍵を左の腰にぶら下げており、どう見ても勤務中にワインを飲んでいる姿です。

ワインが好きだった「ベルケオ」に大切なワイン樽の見張り番をさせ、好きなだけワインを飲まれたとしても、この巨大な大樽では影響がなかったのかも知れません。

ポケットにおつまみを忍ばせてワイン樽の見張り番、想像するだけでも憧れる仕事ですが、「ベルケオ」の本職は、宮廷道化師だったようです。


次は、ハイデルベルクの街を一望する「テラス」へ向かいました。


「フリードリヒ館」の建物を抜けて裏手に出て左側を見た風景です。

左の建物が「フリードリヒ館」、正面の建物が「大樽棟」、右手に「テラス」が伸びています。

「大樽棟」に向かって下りのスロープになっていますが、「テラス」の下をくぐり、城外の砦などが見学できるようです。



上段の写真は、ネッカー川に架かる「カール・テオドール橋」から見上げた「ハイデルベルク城」の東側(左側)部分を拡大したもので、見学した「テラス」の部分を黄色い波線で囲んでいます。

「テラス」後方の建物が「フリードリヒ館」、その左隣が「ザール・バウ(集会室)」、一番左の高い建物が「鐘楼」、「フリードリヒ館」の右隣が「大樽棟」です。

下段の写真は、上段と同じ「ハイデルベルク城」の全景です。



「テラス」に出て西側を見た風景です。

正面が「大樽棟」、右手にハイデルベルクの街の風景が広がっていました。

工事中で、部分的に柵で仕切られていますが、意外に広い施設でした。

写真の左にはカメラで床を撮っている二人の姿が写っていますが、観光案内にあった足跡のような窪みだったのかも知れません。

足跡のような窪みは、選帝侯の妃と浮気していた騎士が窓から飛び降りて逃げる時に出来た足跡と言われているようで、帰国後に写真を見ていて気付いたものです。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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テラス 売店の隣にある通路を抜けるとフリードリヒ館の裏側のテラスに出られる。
このテラスからの眺めは最高で、今回もツアー参加の全員が歓声を上げた。目の前に、これから訪力るハィナ几ベノーウ旧小机とネッカー川、そして川の対岸のハイリグンベルクの緑の山とその中腹にある哲学の道を一望できる。
テラスの中央付近の石畳に、ちょうど足跡のような大きなくぼみがある。
言い伝えによると、選帝侯の妃が若い騎士をベッドに引き入れて浮気をしていると、狩りに行ったはずの選帝侯が突如帰ってきて、あわてた浮気相手の騎士は、靴だけはいて妃の部屋の窓から飛び降りた。そのときの足跡がこのくぼみだと言われている。
ガイドが「このくぼみに足がぴったり合う男性は浮気性だと言われています」と説明すると、夫婦で参加している男性陣はみんな奥さんにせかされて足をおいていた。
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「ハイデルベルク城」のテラスから北西方向に素晴らしい街の風景が広がっていました。

上に掲載したハイデルベルクの市街図と対比して見るとよく分りますが、ネッカー川に架かる橋が「アルテブリユッケ(古い橋)」(別名カール・テオドール橋)、左端の鐘楼のある大きな建物が「聖霊教会」、その右隣に長い屋根が白く光る建物が市庁舎のようです。

橋の別名「カール・テオドール橋」は、建設を命じた選帝侯「カール・テオドール」にちなむもので、彼は城の「大樽」と、「カール・テオドール橋」と、ハイデルベルクの名物二つを残した人だったようです。

又、「聖霊教会」は、この地で約500年間プファルツ選帝侯を世襲した「ヴィッテルスバッハ家」の菩提寺だったようで、ルプレヒト3世(1352~1410年)により建てられとされています。

ルプレヒト3世は、神聖ローマ皇帝に上り詰め、前回掲載したハイデルベルク城の「ルプレヒト館」(門塔を入り左手の建物)を建てた人でした。



「ハイデルベルク城」のテラスから西に広がる街の風景です。

市街図で見ると、右端(1)の建物は、前述の「聖霊教会」で、左(2)の高い塔のある建物は、「イエズイーテン教会」、その右(3)の建物は、ハイデルベルク大学の旧館(1712年築)のようです。

ハイデルベルク大学(正式名:ルブレヒト・カール大学)は、1368年にルブレヒト1世(1309~1390年)により創立されたドイツ最古の大学で、この建物の中には1778年から1914年まで使用された「学生牢」があることでも知られているようです。

1368年の創立から約650年経た現在でもドイツ有数の大学として続いており、人口約14.5万人のハイデルベルクの約2割が学生といわれる大学の町でもありました。

明治維新後に日本もお手本としたヨーロッパの長い大学教育の歴史には改めて感心します。