昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

琉球王朝時代からの屋敷「宮良殿内」(石垣島)

2007年07月31日 | 沖縄の旅
八重山博物館に石垣市大川の宮良殿内の建物模型と、設計図が展示されていました。
宮良殿内を訪問した写真と合わせて掲載します。


宮良殿内の建物模型です。
一般の民家と比べると、重みがあり、屋根に美しさを感じます。


一番座、二番座、三番座が並び、裏座も三つ並んでいます。
軒下の雨端(アマハジ)が、南・東に加え、北にもあります。
東南の玄関も士族の格式を感じます。


写真の写真は、一昨年、宮良殿内を訪問した時のものです。
屋敷が一段低くなっていて、屋根が低く見えます。


④門の内側から見た景色です。
写真に向かって左側に「宮良殿内」の説明板があり、転記します。

重要文化財建造物 旧宮良殿内(めーらどうぬず)
名勝       旧宮良殿内庭園
         国指定 昭和47年5月15日
文政二年(1819年)松茂氏第八代宮良親雲上当演が宮良間切頭職(八重山最高の役職)に任命されたことを記念に創建されたといわれる。上級武士の格式を備えた構えである。建物は木造平屋づくり木瓦葺きである。
材料は総イヌマキで雨端柱(方言ハナシバーヤ)は根付丸太を使用している。屋根は琉球石灰岩の石板で囲い、南西の中央に薬医門型式の門を建て、その西端に裏門を築いてある。
表門を入ると築地塀のひんぷんがあって、中門を開ける。敷地のほぼ中央に主家を配置しその東側には石を積み築山を築いた庭園がある。南東部に築地塀で囲った便所を設け、表門と裏門の間に井戸を造っている。
庭園は首里の庭園師城間親雲上(ぐすくまべーちん)の設計指導によるもので、琉球石灰岩を主材料に五つの築山を築いている。これは日本庭園の伝統・・・・・・


門を入り、右手に回り込んだ所から門の内側を見た景色です。
ひんぷんのような壁に、二番目の門が造られています。(写真向って左の壁)


二番目の門を入ったすぐ横にはスダレを壁の上に掛けていたのが印象的でした。


正面に玄関があります。


沖縄風の枯山水庭園だそうです。
見慣れた日本庭園と違い、ソテツや、サンゴ礁の岩が沖縄らしさを感じさせてくれます。


建物の東側を北に向いて撮った風景です。
廊下


家の東から「一番座」を見た景色です。
床の間や、茶道具も見えて中国風の沖縄本島とは雰囲気が違うようです。
江戸幕府や、薩摩藩の政策もあり、琉球王朝をことさら中国風にみせ、琉球通信使が来訪して幕府の威信を高める効果を狙ったことを考えると、八重山では比較的自由に大和風を取り入れたものと推察されます。


受付におじいさんが座っていました。
おじいさんの話では、八重山は、古代から大和と往来があり、信仰も共通点が多いと聞かされました。
海流に乗るとかなり早く日本本土と往来ができたなどの話が聞けて八重山の歴史に興味を持ちました。
このおじいさんは、この家の当主のようで、確か若い頃(戦争中)に広島県に来て住んだ話もしていたように記憶しています。



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