昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

沖縄の稲作発祥伝説の地「受水・走水」

2008年10月06日 | 沖縄の旅
沖縄で初めて稲作が行われた伝説の地「受水走水」に行きました。
今回の沖縄旅行では、昔からの沖縄の泉を数ヶ所訪れる計画でしたが、その中でも「受水走水」は、期待していた場所です。
アマミキヨの伝説や、稲作が始まった地ということで、歴史的には興味をそそられる場所です。



車を路上駐車して畑の間の小道を入って行きました。
青いネットが張られていますが、畑で何か野菜の収穫期になっているのでしょうか?



小道を進むと、道は一段高くなっていきます。

■道の突当りに「受水・走水」の案内板があり、転記します。
案内板の冒頭には沖縄南東部の聖地を廻る「東御廻い[あがりうまーい]」のマークがあります。
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受水 走水[うきんじゅ はいんじゅ]
(神明・ホリスマスカキ君ガ御水御イベ)
ここは沖縄の稲作発祥の地として伝えられている。
『琉球国由来記』(1713年編)によれば昔、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持ってきて玉城親田、高マシノシカマノ田に植えはじめた。又、伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原村の「カラウカハ」という所に落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツによって受水走水の水田(御穂田)に移植されたという。
 この地は東御廻いの拝所として霊域になっていて、旧正月の初午の日には、田植えの行事「親田御願」が行われている。
  昭和52年7月21日指定
  玉城村教育委員会
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道の突当りの左側に小さな水田がありました。
案内板の説明にもあった沖縄最初の水田「御穂田[みふーだ]」と思われます。

その先に小さな岩場と、二つの石碑が見えます。
沖縄では歴史的な場所の多くには拝所があり、このような石が置かれているのを見かけます。
向って左は「御穂田[みふーだ]」に関わるお祈りをこの石に向かってするのでしょうか。



この小さな水田は、佐賀県唐津市の「菜畑遺跡」にある縄文時代晩期の水田遺構です。
「御穂田」を見てふと思い出し、掲載しました。

この復元された水田は、畳3枚程度と「御穂田」と比べても小さなものでした。
「菜畑遺跡」にある4枚の水田の横には「御穂田」と同様に水路があり、灌漑技術が未熟だった縄文時代に小川の流れを利用して造られたものと推察されます。

この沖縄では地質が琉球石灰岩のため水田を造るには大変な苦労だったものと思われます。



道の突当りの右側の一段低い場所にも小さな水田があります。
旧正月の初午の日には、田植えの行事が行われる「親田御願[うえーだぬうがん]」と思われます。

田んぼの畦にクワズイモか、里芋のような葉が見えます。
沖縄では田で育てる「田芋」と呼ぶ里芋があると聞いたことがあり、「田芋」かも知れませんが、私にはクワズイモと見分けがつきません。



T字路を右に進むと行き止まりになっています。
向って左に拝所のような石が置かれています。

石の後ろには、きれいな水が湧き出る泉があります。
こちらが二つある泉の一つ「走水[はいんじゅ]」と思われます。

湧水の水量が多い上、細い溝を流れるため、流れが速く「走水」の名はこの早さに由来するのではないかと思いながら見ました。



T字路を左に進むと岩の間から水が湧き出る場所があります。
向って右の石碑のある岩の裏から水が湧き出ていたようです。

こちらの泉が、案内板にある「受水[うきんじゅ]」と思われます。


岩の隙間の穴の奥から水が湧いていました。
水田に湧き水が流れ込み、水田が水を受ける様子から「受水[うきんじゅ]」と呼ばれるようになったのかもしれないなどと勝手な想像をしながら見ていました。

見物前の期待が大きすぎたせいか、いま一つ感動の少ない史跡でしたが、水田の歴史を少し実感できたようです。


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