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昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

剣山「刀掛の松」の由来と、登山道で見た景色

2008年10月23日 | 山歩き
10月12日、はじめて徳島県「剣山」に登り、今回は「西島駅」から「刀掛の松」までの景色を紹介します。



剣山観光登山リフトの「西島駅」から登山道を登り始め、西の方向を見た景色です。
「西島駅」の南側の斜面に落石をガードする柵が、幾重にも作られていました。

向こうに見える頂上のすぐ下では紅葉が始まっています。
これから下に向かって紅葉が進んでいくものと思われます。



上段の写真と、同じ場所からの景色で、北西の方角だったと思います。
鮮やかな紅葉と、その向こうの笹に覆われた山が対照的です。

濃い緑と、紅葉のコントラストには格別の美しさがあります。



笹に覆われた斜面の間を登山道が上っていきます。

死んでもなお立ち続ける枯れ木に、いつか緑の葉が出てくるような感じを受けました。



不思議で、素敵な景色でした。
北東方向の景色だったと思われます。
雲が覆うはるか向こうの峰を見ると、別世界に立っている気持ちになります。



紅葉の斜面の向こうには雄大な緑の峰が伸び、徳島市に向かう白い国道438号線が見えます。

足元の笹、その下の紅葉、急斜面の山、谷の深さ、見下ろす景色の雄大さにしばし見とれていました。



「刀掛の松」に近づくと、急な尾根の道がなだらかになります。

一方向に伸びる緑の木の枝や、立ち並ぶ枯れ木に厳しい自然を感じます。



「刀掛の松」に到着しました。
登山道は、ここから3方向にわかれています。
直進すると尾根伝いの道、右に進むと「大剣神社」を経由する道、左に進むと修験道の行場を経由する道です。
ほとんどの人は直進する道を進んでいました。

向かって左の道端に枝折神社の祠が見えます。
向かって右に進む道にも小さな祠がありました。



案内板に「刀掛の松」とあり、枯れた木が横たわっていました。

屋島の合戦に敗れた平家が、安徳天皇と東祖谷(剣山の西)に落延び、源氏滅亡を祈願し剣山の頂上付近に宝剣を納めた伝説があります。
安徳帝が剣山へ登る途中、この場所で休んでいた時、汗だくで宝剣を持ち続けている従者に気遣い、松の枝に宝剣を掛けて汗を拭くよう言葉をかけられたそうです。
それ以来、この場所を「刀掛の松」と呼ぶようになったと言われています。

しかし、「剣[つるぎ]」と「刀」の違いを考えると、この名称の由来は素直に納得できません。
なぜ「剣掛の松」としなかったのか、私にはちょっとした謎です。



この祠は、剣山の登山道案内図で「枝折[しおり]神社」と紹介されています。
向かって右隣の石碑には「昭和四十二年」「枝折神社遷宮」とあります。

別な場所にあったものが、何かの事情でこの場所に移されたようです。

一番右に石仏がありますが、赤い前掛けの下に「・・大神」の文字が見えます。
神仏習合時代のなごりとも思えます。



「剣山山系鳥獣保護区区域図」の案内板を女性登山者が見ていました。
その脇の道を進むと「大剣神社」を経由して頂上に至る登山道です。

道の両脇に小さな狛犬が座っています。
又、女性の陰には小さな祠[ほこら]がありました。

この狛犬が、小さな祠のものか、「大剣神社」の参道としてのものかよく分かりません。
この祠には神社名の案内もなく、祠も「枝折神社」より小さなものでした。



「大剣神社」への道を進んで「刀掛の松」を振り返った見た景色です。

小さな広場に3~4人掛けのベンチが、二つあり、座って語らう人たちがいます。
向かって左には「刀掛の松」が見えています。


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