田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

松浦竹松氏から江藤翁の父上への手紙(2009/7/16)

2009-07-16 23:36:16 | Weblog
竹田農園の隣にお住まいの江藤正翁(元南海ホークスのエース)から、江藤翁が南海ホークスに入団当時の球団代表で大阪球場の初代社長にもなった松浦竹松氏のことをよくお聞きしていた。
プロ野球に入って一番お世話になったかたとのこと。
1927年のテニスの極東大会で、日本代表の4人の一人にも選ばれたスポーツマン。
この松浦氏から江藤翁の父上宛ての手紙を見せていただいた。(冒頭の写真)
中を拝見すると、流麗な筆致で、昭和24年、阪神と南海の江藤翁争奪戦にともなう経緯を報告したもの。
丁寧に便せん5枚。達筆で、私は7割は判読できるが、よく読めない箇所も。
拾い読みすると次のとおり。

「・・・場所は甲子園で、しかも階段の途中で、若林の山本に対する・・山本君に江藤より手を引け、江藤を譲れとという事だったのです。これに対し山本は従来より本件に関し再三若林より話があったらしいが山本としてはもちろん譲る意思なく、うるさき余り「勝手に動きなさいよ」めったにのらないからと云ったこの様に云った記憶があるが・・対し、若林はその事を放棄したと主観的に認めたというのが若林の主張なのです。・・その後水掛け論に終わり・・・4月15日東京で若林、山本の会談となりました結果は話まとまらず、これは相互の球団の代表者に一任しよう、4月18日阪神、?代表と小生の会談となり
・・・連盟に斡旋方を以来しようといことになり、・・しかし去る5月4日一応提訴したから了解してくれという申し出がありましたので、当方としても放置する訳にいかず、5月4日付正規の登録申請をしました。・・・以上が概略の次第であります。・・誠意と正義で事を進めて居りますから・・・いかなることになるとも十分責任をもちますから、ご安心くださる様にお願いしておきます。・・都合でお邪魔するもしれません。・・・ご本人は日常・・元気でやって居ります。なにとぞご安心下さい。・・

 5月12日  堺市百舌鳥○○町297 松浦竹松 生

江藤茂様」



(上は、手紙)
 誠実なお人柄が、ひしひしと伝わってくる。
江藤翁が今も尊敬してやまないのも理解できる。
手紙に「いかなることになるとも十分責任を持ちます。」と。
肩を壊し、代表が変わり、高橋、東映と資金稼ぎでトレードされた後も、何かと声をかけてくれ、最後プロ野球を引退してNTT関西の野球チームのコーチになったときも、NTTの取締役(理事)のホープの遠藤正介氏(作家の遠藤周作の兄)にくれぐれもよろしく頼みますと、挨拶に行ってくれたのも、この責任を果たしたもの。
また、この手紙を書いたあと、豊津駅から、今の江藤翁の自宅まで、歩いて父上に挨拶に見えたと(6キロ余りの田舎道)、江藤翁から尊敬を込めて話してくれました。
昭和20年代、このような優れた人材が社会の表舞台で活躍した日本の勢いがしのばれます。


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2 コメント

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王子公園テニスサークル (世良 康雄)
2018-08-13 01:55:10
 (月)(水)(金)王子公園テニスコートで、松浦さんのサークルに参加させて頂いておりますが、松浦竹松故人親戚の方らしく、詳しくお話しをうかがいたく思っています。

facebook 【世良康雄(Casshern)】
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はじめまして (takeda)
2018-08-13 08:08:34
コメントありがとうございます。松浦氏が豊津駅から江藤正氏のご両親に会いに、6キロの道を歩いた同じ道を、江藤正氏が戦後すぐ、門鉄に就職し、歩いて通っていたそうです。車両は貨物車両と聞いたようにおもいます。また、今は私が農園に電車~自転車で通勤するとき、この道を走ります。松浦氏、人柄も頭も優れた方とお聞きしています。テニスも日本でも指折りの方だったそうです。そういった方のご親族でしたら、気持ちの暖かい立派な方かと想像します。いいお話が聞けるといいですね。
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