田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

四国今治にチョイ旅(2014/11/24~25)

2014-11-25 18:13:56 | 一本釣りの歴史
 9月に生まれ故郷の四国今治に墓参りに出かけたついでに、今治出身で、戦後の民主主義の思想的なリーダーで、東大総長にもなった矢内原忠雄の「自由平和」の碑文を探しに行き、富田公民館長にお世話になった。
 そのご縁で、11/24に今治である、矢内原忠雄についての、講演会の知らせがあり、急遽、新幹線・バスを使って、今治に。

 今治に着き、会場のホテルまでの道をテクテク。
 ここは、私が18年間暮らした町並みで、建物の多くは建て替えられているが、街の通りは、そのままで、景色を楽しみながら、歩きました。
 まず、3年間通った、若葉幼稚園。
 滑り台の上から、木切れを隣の建物の屋根に投げて、遊んでいたら、先生に叱られて、10分程、そこから降りることまかりならんと、罰を食らったことを思い出しました。(冒頭)
 続いて、我が家の「竹田メリヤス店」があった、近くに、「ドンドビ」というこのあたりの地名の由来を説明した石碑。
 このあたりは、海の水と川の水(今治タオルの発祥の地は、この川<泉川>沿いの付近で、水質がよく、木綿をさらす工場が沢山立地したもの>が混ざらないための、樋があり、この構造が優れもので、ドンドビと呼ばれたらしい。江戸時代の話し。


 講演会には、100人余りの人が詰めかけ、盛況。
講師は、西永氏という、東大名誉教授で、無教会のクリスチャン。
 わかりやすい、矢内原忠雄の、特に、戦時中、軍部におもねらず、大学を追われても、節を曲げなかった話しが圧巻でした。

 講演の後の質問も、的を得た質問ばかりで、今治での矢内原忠雄の認知が随分と広がったと驚きました。
 私が18歳まで、小・中・高校と学校で先生から矢内原忠雄について、話を聞くことは一度もなかったことを考えると、隔世の感。
 来年も、こうした講演会があれば、また、聞きに来たいと思ったことでした。


 講演の後は、この2、3年、おつきあいしてくれている、ND氏、AM氏、HG氏の3人方と、ホテルの近くのおでん屋で、ビール。


 HG氏は、私の高校時代の同学年の方で、来島海峡で、よく船を操縦して鯛やアコウを釣っておられた、万能選手。
 以前、海藻のホンダワラを、干して、鯛テンヤに結んで、鯛を釣っていたと聞いていたので、今日もその話をいろいろと尋ねました。
 ホンダワラは、初夏、流れ藻として、キス釣りをしているとよく見る海藻で、粒粒が特徴。
 これを若いときに取り、乾燥。
 それを、2本針の鯛テンヤに結び、餌無しで、水深20メートルくらいのポイントで、素早く15メートルくらい、手釣りの糸で、しゃくりあげていると、鯛がよく食いつくとのこと。
 今流行<今治でもはやってる>鯛ラバの先駆ですねと、言うと、「そう思う」とHG氏。
 色は、茶色系ですねと、言うと「そうだ」と。
 セブンスライドも鯛ラバの優れものだが、ビニールのヒラヒラは、茶色もあり、他の色より、鯛が掛かる確率が高いように思う。茶色とオレンジが良く売れている。
 今も、このホンダワラ式の仕掛けで釣っている人がいるのかと聞くと、もう、いないだろうと。
 今治の一本釣り(鯛、アコ、アラカブ)の拠点の大浜の漁師さん達が、この仕掛けを上手に作り、鯛を釣っていたが、もともと、少ない人数で、今は、もういないと思うとのこと。

 いい気分に酔って、皆さんと分かれ、街をブラブラしていると、有名な今治タオルの店。


 以前、南三陸町の楽天ショップで売られていた、大漁旗タオル(今治タオル)、30枚程買って、釣りバカに上げ、自分も、縁起かつぎで、釣りに持って行っていたが、在庫がなくなった。
 楽天市場には、もう出品されておらず、魚デザインのタオルないかなと、店に入って探すと、一軒に、金魚のデザインのタオル、もう一軒に、「村上水軍」の旗印をデザインしたタオル。
 鯛、アコ等をデザインしたタオル、作って欲しいと、店の方に話すと、メーカーに伝えますとのこと。
 あわせて、10枚程買い、今度、釣りバカどもに、土産にする予定。

 次男に見せると、「村上水軍」の方が、欲しいとのこと。

 今日は、雨の降る中、しまなみハイウェーの高速バスで、帰路に。
紅葉が美しい。


 楽しいチョイ旅でした。
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ビシマ道具のルーツ(2013/6/10)

2013-06-10 23:50:44 | 一本釣りの歴史
ビシマ釣り

 昨年の夏まで、木工職人のSG氏の釣りグループの山陰の汐巻での釣りは、ビシマ釣りといって、手釣りで道糸に小さい鉛の錘(ビシ)を20センチ間隔程度に締めつぶしている道具を皆さん使っていた。これで深さ80メートル程度の底をとって、鯛やらアマダイなどを沢山釣っていた。40年続いたこのグループもさすがに釣り人も船頭も高齢になり、とうとう昨年の7月で解散。そのあと、釣り人の比較的若い工務店のS氏が中心になり、今度は若松の岩屋漁港の遊漁船の船長にお願いして、月2度程度の釣りを続けている。私も汐巻は2年程、若松はこの1年釣りの仲間にしてもらっている。
 私は、深さ80メートルで手釣りの自信なく、しばらくリールで竿の道具で釣っていたが、皆さんの真似で、やがてビシマ釣りに変更。やりとりがリールより楽しく、気に入っている。
 誰が考案したものだろうと不思議に思っていたが、今日、少しわかった。一本釣りの漁船の船尾につけた三角帆(スパンカー)の発明で有名な、千葉の漁師、石橋宗吉氏の話をまとめた本の「一本釣り渡世」(筑摩書房)にその伝播の様子が描かれている。昭和6年の5月の話し。

「一本釣り渡世」(筑摩書房) P101
「どこから来た旅船だろう、見たことのない形の船だった。一隻に四人乗りのチャカ(電気着火)船で、動力を切って一人が櫓を練り、三人が釣り手であった。こうした場合、至近距離であっても挨拶を交わすことはない。お互いに無視して釣っている。
 われわれのタイ道具は鴨居式と呼ばれるものを使っていた。人造テグスの道糸に二十匁の中錘、その先に約十メートルの本テグス、先端にカブラ錘付の鉤がある。・・・・この日、午前中の潮は素直でいい漁になったが午後になると上潮が走り出した。二枚潮で上下の潮の速さが違う。それまで真っ立ちで指せた道具が上潮に押されて斜めに降下する。糸ふけが出る。当然のことながら魚の当たりがとりにくくなるし、漁獲が落ちてくる。
 ひょいと旅船を見ると、午前中と同じペースでこべりに固定した竹に糸を滑らせてタイを取り込んでいる。そこで初めて旅船の道具に目がいった。野郎どもどこの者だ、二枚潮を気にしていない。いったいどんな道具を使っているんかい。ちらちら上目づかいに見ているとおかしなことに気が付いた。私も親父もあぐらをかいて釣っているのに、旅船は全員が正座をして釣っているではないか。・・・・これが紀州のタイ釣り名人、中口佐市との初めての出会いであった。・・・私は水揚げしている旅船を浜勝浦に訪ねていった。・・・「現場で会った松部の弥惣兵衛で妙八丸の石橋宗吉であるが、タイ道具について聞かせてほしい。」多分そんなことを言ったと思う。・・・とうとう旅船の道具を見ることが出来た。名うての紀州漁師の、これがグミ道具(ビシマ道具)と称するタイの手釣り道具であった。紀州のグミ道具、こんな道具は初めてみたよ。・・・基準は24メートルと短い絹糸に柿渋をかけた道糸、これに小さいビシ(鉛の錘)が何十と圧着してある。・・・グミ道具の先端からは本テグス約十メートル。カブラがついた鉤は鴨居式と同じものだった。この紀州道具なら二枚潮でも真っ立ちで道具が底に行くから、素直な潮と同じように当たりが取れるという。さすがに漁業先進国紀州の手の込んだ道具だ。たまげてしまった。・・船の中で私の相手をしたのが、私より9歳年上の温和な中口佐市だった。紀州・雑賀崎からきた。・・・恥は一時、とうとう紀州道具をみたなあ。
 さて翌日だ。勝浦のタイ釣り船は全船が沖休みをして見てきた私の講釈で紀州のグミ道具を作り始めたよ。・・・・・この道具を使ってみると、二枚潮でもなるほど縄立がいい。当たりも十分に取れる。鴨居式の中錘を小さくばらしてつけている理屈で道具の重さは変わらない。縄立がいいだけにむしろ軽い。これはいい、そこで以後のタイ釣りは全船が紀州式のグミ道具を使うようになった。」


 なにげなく使っているビシマ道具、こういう先人の努力があって、私のような素人も愛用できているのかと、臆せず訪ねた石橋宗吉氏と、気前よく道具を見せた中口佐市氏の二人の名人に、ありがとうございましたと、手を合わせたくなります。今度の日曜日、天気がよければ、白島沖で、ビシマテンヤの手釣りに出かけるが、スパンカーの生みの親の千葉の釣名人とその釣り名人にビシマ道具を伝授した紀州の釣り名人にお神酒のビールを供えることにしました。
 冒頭は、私のビシマ道具と先端のテンヤ(セブンスライド)
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特許を放棄した日米の発明家(2013/4/19)

2013-04-20 00:21:24 | 一本釣りの歴史
「一本釣り渡世」という本が、1996年に筑摩書房から出版されている。千葉の有名な一本釣り漁師の石橋宗吉氏の口述を記録した本。その中に、今では大抵の釣り船の船尾に設置されている、二枚帆(スパンカー)を戦前5年間の試行錯誤の末、完成させた下りがある。

「勝浦港の手前にある測候所の風力計に目がいって、あっと思った。毎日のように通っていながらそれまで気がつかなかったのだが、測候所の屋根でいつも風上を指している風力計の矢が、二枚羽でできていると気が付いたのだ。二枚羽なら矢じりは風上を向く。そうだったのか。ようやく2枚帆の理屈にたどり着いた。・・ここまで5年かかった。・・・私はスパンカーを仲間の船に付けさせた。銚子のシート屋はカタログを作って売り出した。
 戦後になるが、サバのハネ釣りの勉強に勝浦へ来られた各地の漁師がスパンカーの作り方も学んで帰られた。北海道から見えた船頭のグループは、この艫帆を装着すれば漁獲は3倍に伸びるだろうと喜ばれた。スパンカーの講習に宮崎県まで出向いたこともある。このことは裏をかえせば、全国の一本釣りの操業船がいかに風にたいして船位を安定させることに悩まされていたかだ。このようにしてスパンカーは全国に広まった。お役にたててこんな嬉しいことはない。
 特許をとったのかとよく聞かれるが、無学な漁師のすることでそんな才覚のあろうはずがない。」


 スパンカーは、船が常に風上を向いているようにハンドルの役目を果たす。そのため、エンジンの強弱だけで、風が吹いても潮にほぼ乗って静止している状態に船を操作でき、一本釣りで底が取れるようになる。大変な発明だが、漁師がこれで喜んでくれるのが嬉しいと石橋宗吉氏は特許を敢えてとらなかったとのこと。こういう漁師が居たと言うことは、日本人として誇らしい。


 ベンジャミン・フランクリンはアメリカの独立当時の指導者で、フランクリンの自伝は、アメリカでは青年が社会に出るときの必読の書とのこと。私も中学生の時、担任の先生からいい本だと教えてもらい、高校生になってから、本屋で文庫本を見つけて、何度か読んだ。また読みたくなり、今、ほぼ20年ぶりに読んでいる。フラクリンは、科学者でもあり、雷は電気と証明したことでも有名。自伝に、次の一節。

「1742年に私はオーブン・ストーブを発明した。このストーブは、新しい空気が入って来る時に温まる仕掛けになっているので、従来のものより暖房にもよく、同時に燃料も節約になった。・・・私はその需要をいっそう盛んにするためパンフレットを書いて公にした。・・・このパンフレットは非常な効果をあげた。トマス知事はこの中で説明されているストーブの構造がひどく気に入って、数年の期間中専売特許を与えようといってきた。しかし、私はこういう場合につねづね自分には重要と思われる一つの主義があったので、これをことわった。つまり、われわれは他人の発明から多大の利益を受けているのだから、自分がなにか発明した場合にも、そのため人の役にたつのを喜ぶべきで、それを決して惜しむことがあってはならないという考えである。・・・このストーブは、当ペンシルバニアでも、近くの植民地でも、非常に多くの家庭で用いられ、人々は薪の使用がごく少なくてすんできたし、いま現にその通りなのである。」岩波文庫版188ページ

千葉の一本釣り漁師の石橋宗吉氏もベンジャミン・フランクリンも、特許をとれば莫大な金が稼げるにもかかわらず、発明を公開して、特許を取らなかった。自分の工夫が人の役にたつのが嬉しいとの理由。海で釣りをする漁船のスパンカーや、フランクリンストーブとも言われている現在の薪ストーブを目にするたびに、偉人の徳とその恩恵に思わず手を合わせてしまいます。
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セブンスライドの偽物(2013/3/23)

2013-03-23 22:18:47 | 一本釣りの歴史
 鯛ラバのエース、セブンスライドの偽物が出ているとのこと。
発明者の、宮崎船長のブログを見ると、そっくりだが、これでは、釣果は知れているとのこと。私でもいくつか、致命的欠点は分かるくらいだから、釣りの好きな人が作ったのではなさそう。それにしても、ひどいやつだ。この偽物を置いている釣り道具屋では、買わないことにした。上が、本物。下が偽物



明日はコーラル丸で釣り。
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関門アラカブ釣り(2009/12/23)

2009-12-25 00:41:14 | 一本釣りの歴史
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
23日、休日、久しぶりにコーラル丸で関門にアラカブ釣り。

(タイ仕掛けが特許に)
コーラル丸の近くに、小さいモーターボートが係留されている。
よく釣りで一緒になる若園セブンイレブンのオーナーのM氏のご子息のボート。
今日も一緒のおでん屋のS氏、ルアー釣りにはまって、今では、堂々たる釣り師。
このS氏が、尊敬しているのがM氏のご子息。
ルアー釣り仲間では、有名な方らしい。
M氏のご子息、子供の頃から釣りバカで、疑似針を作るのに熱中、鳥の羽根やら、猫の毛やら集めては疑似バリ作り。
ある日、近所の猫の尻尾を紐で結んで先を切り取り疑似バリの毛に用いて、飼い主から父上のM氏に厳重抗議があったとか。
コーラル丸の川端船長の長年のかわいい釣りの弟子。
釣りを極めるため、素潜りも始め、タイ・タカバ・チヌ・クロ・青物の生態やら、ポイントを観察、頭に叩き込んでいるらしい。
そのため、Mジュニアのボートは釣り予約客が引きも切らず。
乗れば必ず大物との評判。
このMジュニアが丁度この日、小倉港の波止場におり、川端船長に何やら渡している。
聞くと、Mジュニア考案のタイ仕掛けで、よく釣れるらしい。
今は釣りのポイント店に置いているそうな。
これを特許出願、認められてその証明書を見せてくれたとのこと。
仕掛けは数個、川端船長に寄贈で、見せてもらう。
どこが特許に該当か分からなかったが、30年間の実践と工夫の結晶らしい。
一つことに、打ち込むと、本物になり、人に教えれるまでになるの見本のような話。
コーラル丸出港直前に、この特許のタイ釣り仕掛けをパチリ(冒頭の写真)

(アラカブ釣り名人)
一年前の今日、おでん屋のS氏、一人で62匹のアラカブを釣りあげ、周囲の釣り自慢を唖然とさせたのは、記憶に新しい。
今日もS氏、久しぶりに登場。
薩摩隼人の0氏、工務店のS氏、冒険家のM先生に私の4人、今日は鼻をアカシテやると意気込む。
しかし、終わってみるとS氏は22匹のアラカブ、他の面々は5匹前後にタコ少々でお見それ。
下はアラカブを釣って得意のS氏とあきらめ顔の面々。


(源平合戦もかくや)
関門海峡ではアラカブ釣りまっさかり。
休日、潮も小潮で釣り日より。
関門橋の方を見ると、釣り船また釣り船。
関門海峡の源平合戦のようだと、感心。
下の写真。


 今年の釣り納めは12/27に決定。

 帰宅、夕方になり、冒険家の先生のお宅におよばれ。
私の妻が2週間程、徳島の長女夫婦の第一子を見に留守で、次男と二人、しばらく縁の無かった御馳走食いたさに、M先生のお招きに飛んでいったもの。
タコ、アラカブ汁、オデン、ヤーコンサラダにビールでご機嫌な夕食でした。
M先生の釣り友達のY氏ご夫妻も一緒で11時過ぎまで話題が尽きず。


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