竹田ゆかりのブログ

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教育問題や時事問題に関する思いなど 

「子どもたちがのびのびと自分らしく育つまち鎌倉条例」の制定について

2020-03-15 22:49:01 | 日記
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
コロナウイルス対応により、鎌倉市議会は3月9日まで休会としておりましたが、
9日より再開し、12日日本会議が行われました。
陳情3件、議案15件のうち、私は議案2件について反対討論を行いました。

その一つが、「子どもたちがのびのびと自分らしく育つまち鎌倉条例」の制定について
です。
なぜこんな素晴らしい条例に反対したのか…と思われるかもしれませんね。
以下私が反対した理由について述べた反対討論の内容です。
長い文ですが、最後までお読みいただけることを願っています。

昨年は国連総会で「子どもの権利条約」が採択されて30年を迎えました。
この条約は、子どもを保護の対象としてではなく、独立した人格と尊厳を持つ「権利の主体者」
として位置付け、子どもの基本的人権を尊重することを目指す条約です。
日本は国連での採択から遅れること5年後の1994年に158番目の「子どもの権利条約 批准国」となりました。
さて批准してから25年、この条約にのっとり、日本の子どもたちの基本的人権は守られてきたのでしょうか。
比較的豊かであるとみられる日本では、子どもの虐待・いじめ・不登校・貧困・ネット依存等々、
子どもを巡る深刻な課題が社会問題となっています。
そして、少なからずの子ども達が、大人の鑑賞なしには生きていけない受け身の状況におかれ、
自由に自分の気持ちを言い出せない状態にあるのではないでしょうか。
日本政府は条約批准後、繰り返し、国連の「子どもの権利委員会」から厳しく「改善勧告」を受けてきました。
昨年2月に行われた審査では、特に子どもへの体罰・虐待問題・とりわけ、
条約の4原則の一つである「子どもの意見の尊重」については、深刻な懸念が表明されています。
一方これまで、自治体レベルで「子どもの条例」の制定が少しずつ進んでいますが、
深刻化する課題には、十分に対応できていないのが実情です。
2001年に施行され、全国のモデルとなった「川崎子ども権利条例」を皮切りに、
全国に徐々に増えつつある「子どもの条例」は、その目指すものは自治体によって様々です。
大きく分けて二つあります。
一つは、従来進められてきた「子ども子育て支援」や「青少年育成の子ども施策」の中に、
子どもの権利の視点を盛り込むことにとどめる条例と、更に、
「子どもの権利を尊重するための子ども施策」を具体的に明記し、まちづくりを総合的に推進して
いくような条例とがあります。
国連の勧告を真摯に受け止めるのであれば、「子どもの権利を尊重する」ことを中心に据え、
子ども施策を具体的に展開することが掲げられた条例であるべきと考えます。
しかし本条例の中には、条例制定による新たな具体的な施策が述べられていません。
本条例案は、市長の3期目立候補にあたって掲げられた福祉政策マニフェスト17
「仮称・子ども総合支援条例の制定」にむけて、策定がすすめられてきました。
昨年2月議会・教育こどもみらい常任委員会で報告された条例案に対する私の初発の感想は、
そもそも市の「子ども感」が、子ども権利条約の理念と大きな差異があったこと、
子どもを、権利の主体者として捉えていない文言に驚きました。その後、複数の委員から
「子どもは権利の主体者として捉えられるべき」等々の意見が出され、
前文に書き込まれることになりました。
またその後、基本理念についても大幅な修正がなされ、条文も整理されていきました。
しかし、度重なる文言修正、新たな言葉が付け加えられても、「子どもをどうとらえるのか」、
条例策定にあたって、子どもと大人がどのように向き合うべきかという点で、
その温度差が埋まることはありませんでした。
それはなぜなのでしょうか。
「子どもの条例」が鎌倉市の子どもにとって、なぜ必要なのか…というところからスタートしたのではなく、
「条例を作ることありき」からスタートしたからではないでしょうか。
本気で、鎌倉市の子どもたちが「のびのびと自分らしく育つまちであってほしい」と願うのであれば、
「鎌倉市の子どもたちの現状は今どうあるのか」、「これまでの子どもに関わる施策に、何が欠けていたのか」
「子どもに関わる市民等の取り組み状況」などをふまえて、条例の必要性から立ち上がるべきではなかったでしょうか。
そのためには、今、鎌倉市の子どもたちが胸に抱えている思いを、
丁寧に救い上げることからスタートすべきであったと思います。
川崎市の場合は、条例づくりにあたって、公募による児童生徒で構成する「子ども委員会」が2年間で、
23回にわたって開かれ、子どもたち自身が条例づくりに参加しています。
鎌倉市の場合は、教育委員会から校長会に依頼され、協力校となった学校の一部の児童生徒から、
一回限りの意見聴取を行って、子どもの声を反映したとしています。
このような作りこみ方で、子どもたちに向かって、
「あなたたちのためにつくられた条例です」と、胸を張って言えるのでしょうか。
鎌倉市のほとんどの子どもたちは、自分たちに関わる条例案が今日、
この本会議で提案されていることさえ知りません。
市は、条例制定後に、「子どもの権利条約」及び、「本条例」について子どもたちや、市民に周知をしていく…
と繰り返し答弁しています。言わでもがなですが、順番が逆であり条例がめでたくできたとしても、
子どもや子どもにかかわるあらゆる人々が、真に納得したものとなりえません。
先に述べた川崎市の取り組みは、2年間で200回を超える会議・集会がもたれ、さらに、
半年の条文整理の末に議会に提案されており、まさに理想形に近いものです。
そこまでを、求めるつもりはありませんが、少なくとも、
本条例案 第5条で保護者の役割、第6条で地域住民等の役割、第7条で育ち学ぶ施設関係者の役割、
第8条で事業者の役割を、規定するならば、子ども代表・学識経験者はもちろんのこと、
それぞれの関係団体代表・市民代表・学校関係者代表・それぞれの地域活動団体代表等が
条例策定に加わるべきだったと思います。
条例制定過程での参加があってこそ、条例内容の実施段階で「市民協働」が促進され、
条例の効果的な実施につながるのではないでしょうか。
また、市側の「条例関係部局」に、教育委員会が入っていないことも、問題ではないでしょうか。
総合教育会議での数回の意見聴取をしたから良いとする市の姿勢は、
日々、子どもの育ちに深くかかわる「教育委員会」を軽視したものと言わざるを得ません。
また、「条例ができたのち、子どもの施策に関わるものについて、今後検討する時に、
子どもに投げかけ公募とする。自らの夢を語れる場を作る…」等々説明されてきました。
そもそも、「意見表明権」とは、子どもに関わることだけに限りません。
また夢を聞いてもらえればいい…ということでもありません。
意見表明権は、日常のあらゆる場面において、子どもであっても、考えを述べることができる、
聞いてもらえる、尊重される権利です。
子どもであっても、おとなであってもですが、話に耳を傾けてもらえた時に、人は「大切にされている」と
感じるのではないでしょうか。その結果、自分がありのままでもいいのだと感じられ、
自己肯定感が生まれ、エンパワーメントが促進されるのではないでしょうか。
基本理念4からは、そのような捉えが感じられません。
また、理事者質疑の中で、市長は「条例の名称にはこだわらない」「子どもの権利条例でもよい」と答弁しました。
その答弁こそが、市の条例制定の趣旨が、あやふやであることを、証明しています。 
市長が「子どもの権利条例でもよい」と明言するならば、国連の権利委員会から毎回下される「改善勧告」の意味を
かり受け止めて、条例を作る意味を改めて市民のみなさんや、子ども達ととともに、構築していくべきと考えます。
また、理念を掲げて、それに向けて努める…という条例からは、実効性が保障できるのだろうかという不安はぬぐい切れません。
今後、市長が変わろうとも、担当が変わろうとも、「これをやります」という、子どもの施策が、
の中に盛り込まれてこそ、市民と子どもと市との、永続的な約束となるのではないでしょうか。
様々、問題点を指摘させて頂きました。
これまでの、市の2年間の取り組みが、無駄であったとは思いません。
鎌倉市の子どもたちが真に「のびのびと自分らしく育つまち」を、
市民や関係者とともに作り上げていくために、今一度立ち止まって、時間をかけて、更に実効性のある条例とするために、
議論を深めて頂くことを願って、反対討論と致します。

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