チャオプラヤ河岸の25時

ビジネスマンの日記帳

にんじゃりばんばん

2013-03-26 16:11:11 | インポート

 キャリーパミュパミュの「にんじゃりばんばん」のCDを買った。想像を絶した日本語の使い方や、仮想空間に生身のアイデンティティーを求めるようなキャラクターが面白い。我々の世代からはとんでもない距離のある世界だが、面白いものは面白い。そもそも、リズミカルなポップスに理屈なんか要らない。

 ちんぼんじゃらしの音と共に引導を渡され、旧友は冥府にと旅立った。予想以上にダメージが残ってしまい、にんじゃりばんばんの助けでもなければやっていられない。

 今年の弥生の風情は既に春も盛り、いつもより早く花は咲き、気温も随分と上がっている。風も強い日があるけれど、例年より黄砂の空も少なく、青い空が美しい日が多い。

 無常のこの世に在って、なお美しさも面白さも求めないなら、それは一体なんだろう。今今のこの春を体いっぱいに受け止め、愛で、讃えよう。これから、周りは命の輝きで一杯になる。

 人は意味を求める存在だ。不変の価値の連鎖の中に己を置きたいと願わぬ者はないのかもしれない。それが、絶えることなく宗教が発生する理由だろう。やがては単なる物質に還元される命というもの、儚さと、その再生の季節。心象風景は重いままだが、満開の桜の下、春は無関係に力強くて。

 「にんじゃりばんばん」の出幕だ。少しく、頭を空っぽにしよう。

 

 

                                                                                           川口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                   

 

 

 

 

 

 

 

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葬送

2013-03-22 14:10:09 | インポート

 旧友の葬儀となった。言葉がない。

 東京は俄かに桜が満開となったが、故郷での葬儀を望んだ旧友はその中、長野の墓所にと戻った。納得はいかず、現実感をもって彼の死を受け止めることが難しい。

 生と死は表裏の一体、桜の下で旅立つ者に人の生の何たるかを改めて教えられることになった。

 悔しい、、、友は二人だけになった時、瀕死の病床で私にそう云って泣いた。それを伝えるために、私は最期の時に呼ばれたのだと思う。周囲に常に気遣いし、心配掛けぬためにならどんな演技でもする友の、その本音は誰かが聞き取らねばならなかった。

 軽くなど生きられない、重くても背負いきれない、いい加減に生きたかったが、それも叶わない。見事に演技に誑かされた方にも、本当の友の心を今は受け止めてほしい。感情の入れ物である肉体が滅びても、彼の無念の思いは放たれ、いつまでも私の心に生きることになる。それは無論、光栄なことだ。

 願わくば 花の下にて春死なむ あの如月の望月のころ

 とんぼ帰りの東京の目黒川、川沿いの桜並木は眩い陽に満開の花を捧げ、その生気を街中に振り撒いていた。息をのむこの美しさ、今一度友に見せたかったが、、、叶わぬ望みとなった。

 ご苦労様でした、友よ。見事なダンディズムの貫徹でした。また、彼の地で逢おう。

 

                                   川口

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旧友

2013-03-17 20:19:45 | インポート

 旧友が膵臓がんのために危篤となった。無邪気の季節を共に生き、何の因果か同じような時期に社長業を背負わされた。互いのバックグラウンドを知り尽くした友の、終わりの時。無常の思いに圧倒される。

 見舞いの為、稲城の街に始めて降りた。気分は沈むし、知らない街は二次元的にしか感じられず、よそよそしい。儚い生命を何と意味付けたらいいのだろう。陽光はうららかで常緑の木々も多かったけれど、自身の命途絶えた後、この景色に何の意味があるだろう。瞬間のような生、普段は覆い隠された誰にも訪れる終末。

 最期にお前に会いたい、電話の向こうからあまりに細い彼の声が聞こえた。

 悔しいはずだ。まだやり残したことが沢山ある。理屈なんてない。これは不当で、とてつもなく理不尽なことだ。痩せてしまった手を握ると、沢山の涙を流した。

 誰にも分らない、それぞれが背負う人生の重い荷。その大半の部分を了解している、旧友という存在。

 懸命に生きた。恥を晒すだけの若さを共に生き、家族を守り、組織を育て、日本の長期不況と闘い続けた。同じ戦線を生きた同時代の男の終焉、それを形容する言葉はない。ただ、ひたすら悲しい。

 痛みの厳しいがんだと聞いている。時折遠のく意識。もういいから楽になって欲しいとも、冗談じゃない頑張れとも。自身の感情も揺れてしまう。

 エロスとタナトス、バイオフィラスとネクロフィラス、生と死。対極の概念をどれだけ学習しても、誰にも終わりの時は来る。彼は、ちょっと先に行くだけだ。

 待っててくれ。また、あっちの世界で沢山遊ぼう。

 

                                川口

 

 

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真の友

2013-03-13 16:51:28 | インポート

 

 震災二周年の政府主催追悼式典には、140ヶ国の各国政府や国際機関が参加した。昨年は出席、今年は欠席、としたのは中国と韓国のみだった。呆れてしまう、としか言いようがない。

 昨年、野田政権は断トツの支援を行ってくれた台湾代表の指名献花を断ったが、今年は国際機関・政府代表席に招き、献花を受け入れた。当然にも中国がこれに反発した、という構図だ。

 日本人は震災時の台湾の支援に深い感謝の念を抱いており、国際政治の小細工とは次元の違う道義的対応をしたまでのこと。だれもこれに異を唱える者などいない。今年が異常なのではなく、野田政権の対応が異常だった。ましてや、他国の震災追悼式典にまで自国の政治意思を貫徹させようという中国政府に、どのような意味でも味方はない。

 韓国の欠席理由は、大使への日程連絡が杜撰だった、失念していた、などと説明されているがどうでもよい。日本の感覚からはおよそ信じ難い、非礼の国と云うことだろう。

 尖閣も竹島も、日本が未曽有の大災害に見舞われたタイミングを見計らい、一方的に彼らが領土攻勢を掛けてきた。国民感情の融和をひたすら目指してきた日本の東アジア政策の甘さは、このことにより意味を失くした。東アジアの現実に正確に向き合う、その転換が次の時代には必要になる。

 中国には多様な人々がいて、様々な考え方がある。が、中国政府はその国内矛盾を、絶えず反日に誘導して逸らす必要がある。民の暴動は昨年9万件を超え、その現実は共産政権がある限り変わらない。市場主義経済を一党独裁の共産党政権が支配する、という根本矛盾。あり得ない下部構造と上部構造の乖離が、度し難い中国の対外政策の歪みを必然にする。

 日本の民度、常識や心情とかけ離れた中韓という世界、この二国との適当な距離を測りかねていた戦後史。

 脱亜入欧を説いた先人たちは、前段階として欧米列強の植民地主義者との対抗軸をこの二国と形成すべく、過剰なまでに期待し、そして失望を体験した。遅れたアジアからの脱出こそが命題となり、やがて彼らへの侮蔑の想いを抱き、遅れてきた植民地主義者となって行く。

 歴史を教訓とするなら、関わりを極力持たないことだ。日本の安寧を保証する方法として、それは重要なことだ。他のアジアをこそ日本の総力を挙げて発展させ、世界経済の牽引力を持って頂く、そのように方向性を転換すべきだ。アジアが二国ならば脱亜の必要は今も変わらずある、ということだろう。最早、時計の針が震災前に戻ることはない。

 困った時の友こそ真の友、その逆を何と呼んでよいのか良くわからない。

 

                          川口

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大震災2周年

2013-03-10 13:10:20 | インポート

 

 3・11から二年が経った。復興の遅れや進行中の原発事故のせいもあるのだろうが、もう二年も経ったのかと云う思いで、ピンと来ない。未だ災害の中、そんな思いで生きておられる方が多いはず。

 生活の基盤を根こそぎにされ、帰る場所もない、そんな被災者が未だに15万人もいる。続く悪夢の原発事故は、日本人のものの見方考え方、想定の範囲のいかがわしさを告発した。哲学や人間観にまだ深みが足りていない、それが科学の城の破綻理由だ。更に、今後のエネルギー政策を、根幹で見直さねばならなくなった。

 それにしても、巨大な災害であった。余りにあたりまえだった連続性を断絶される、それがとんでもない規模で現実に起こった。平凡な日常、という犯すべからざる景色もあっけなく消失した。

 それからたった半年、今度はタイの大洪水で自身が被災した。日本の1・5倍もある国土の、その三分の一という信じ難い面積が水没し、我々の3カ所に分散配置されていた工場は全て水没した。実際に被災してみれば、その衝撃を受け止めるのに、実はかなりの時間が掛かることが分かる。空元気で、直ちに行動しなければならないことが多すぎ、なかなか正確にダメージと向き合えない。忙しさに悲嘆を忘れてしまう、そんな身内の葬儀と同じ状況だ。

 ようやく、何が起きたのか正確に把握できるようになった。

 確かに大変なことだった。物損の経済的損失はもとより、一旦ビジネスが完全な中断という事態に至ったものを、ハードを立て直したからと言って直ぐに再開される訳でもない。タイを逃げ出した企業も無論ある。ビジネスの再構築は困難を極める。

 災害は今がピーク、という方も多いはず。もしあれがなければ、という想いは捨て去り、今今の現実のみを相手にするしかない。

 最悪を想定して準備を進め、冷静に為すべきことを実行していこう。結果起こることは、最悪より少しはましなものになるから。新しい現実以外には何もない。タイの大洪水も、未だ終息とは云い難い。ここから始める。月並みだが・・・、頑張る。

 

                           川口

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タイと云う国

2013-03-05 01:14:27 | インポート

 タイ南部のトランで先月驚くべきことがあった。民家に体長4メートルもの毒蛇、キングコブラが居座っているのが見つかり、地元民に捕獲された。そんなことが2軒で起こった、というのだ。ニシキヘビのサイズのコブラが家の中に居る、ちょっと考えたくない風景だが本当のことだ。

 ここからがタイらしい話になる。捕獲したキングコブラを地元民は山に担ぎ上げ、また放したのだと云う。タイは仏教の国、殺生はとても嫌がる。だが、4メートルもの毒蛇を担いで山に戻す、というのは凄すぎる。また道や民家で出会う可能性もかなり高いはず。

 タイはタイ。何があっても驚いてはいけない。日本の何処が標準だと言い切れるのか?違うからと云って、いちいち驚いてはいけない。

 そんなタイだが、凶悪事件というものも結構ある。黄金の三角地帯に近く、薬物取引が多いからだ。それに、何といっても恨みつらみの世界は底が知れない。その痴情のもつれから、凶悪事件にと発展するケースはとても多い。

 タイ人のジェラシーは冷やかしの対象にはならない。男女は互いに所有するものではないはずだが、とにかく半端ではない。情念の世界や性愛に絡めとられた場合の処理能力は大人げないことが多い。安倍定事件は珍奇な犯罪ではなく、タイでは日常の風景に過ぎない。是非、気を付けていただきたい。

 タイはタイ。好きになる人も、嫌いになる方も、惑溺する人もいる。そんな中、他人の評価自体に関心を持たない、いつものタイ人が悠然と暮らしている。愛すべきタイ。裏切りも献身も打算も、何もかもが生身で分かり易い。人生は人に見せる為に生きるものではない、そんな確かな哲学。ここは、だから良い国なのだ。

 

                         川口

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アベノミクス・再開

2013-03-03 03:12:07 | インポート

 意外にもブログの閉鎖に反響が大きく、再開とした。拙文にも関わらず、毎週訪問下さる方もいて感謝するほかない。

 どん底の日本経済にアベノミクスが薄明をもたらしている。希少価値のあった円を、無制限の金融緩和で正常な為替水準に戻す、それが第一歩だった。インフレ・リスクを云う者もいるが、デフレの最中に懸念すべきことではない。過去、致命的な不況は全てデフレであった。

 中国、韓国は早々に為替操作とクレームを付けているが、無制限の緩和ならリーマン以降、日本を除くほぼ全ての国が実施した。円の独歩高を3年も許容したのは民主党政権の経済音痴の為せる業、亡国の政権が去れば正常に戻って当然だ。中韓になめられた中韓の友、民主党の政権復帰は次世紀になってもあり得ない。

 手遅れだ、と云う方も多い。日本の製造がこの間のハイパー円高で受けた損傷はそれほどひどい。重ねて震災、タイ大洪水、ユーロ危機と続いた。民主党政権は、それでも為す術を知らず無策を貫いた。この、とてつもないダメージを立て直すには膨大なエネルギーを必要とする。果たして、その力が残っているのだろうか?製造の正念場が延々と続く。

 無きに等しかった外交も俄かに動き出した。TPPもFTAも動かし、日米同盟の修復に加え、ASEAN、インド、ロシアも包摂し、意味不明な反日国家の暴走を抑え込む必要がある。安倍はそんな地政学的な、筋目の通った対応策を着々と進めている。静かな外交などあり得ない。友愛などというロマンで世界に向き合うなら、世界は戦だらけになる。アルジェリアでどんな友愛が可能か教えて欲しいものだ。反論、反撃が無ければ、厚顔が正義となってしまう。とにもかくにも、悪夢の素人政権の時代は、明確に終わった。

 第一次安倍政権のスローガンは「美しい日本」という意味不明なものだった。今回はすっきりし、「強い日本を取り戻す」、だ。挫折の政治家の成長を感じる。驚異的な支持率は暫く続くだろう。農協、労組、官僚などの既得権益集団に屈せず、当たり前のTPP、円の大量印刷、巧妙な外交などを雑音を排して前進させることだ。いずれ既得権益層こそが、民主党のように孤立し、やがて消えていく。

 日本には最後のチャンスになる。リフレ派の日銀に変われば、まともな経済が動く。その時、やっと製造の正確な力が測られることになる。まだ我々は、終わってはいない。

                                川口

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