わんわんらっぱー

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φザーのコ口ナワクチソを打つべきか打たざるべきか。

2020-12-31 19:39:20 | 感染症
○ワクチソに関しては賛美両論存在するが、私は全否定する。
 私は「すべてのワクチソに効果はなく、保存料などの有害物質が含まれているので害毒でしかない」と考えている。
 ワクチンの本質は単なる毒物の静脈注射であり、全部拒否が妥当だと思う。

 ワクチン接種後に起きる脳炎などの症状はワクチンに含まれている成分によって引き起こされている可能性が高い。ワクチン接種後に脳炎を起こして急死した事例もある。

 ワクチン否定路線は安保徹先生や近藤誠医師や内海聡医師や船瀬俊介氏がいる。

 ワクチンに予防効果があるとされているが、実際の効用は殆どない、もしくは全く無いとされる。
 幾つかの感染症が撲滅されたが、上下水道の整備と公衆衛生概念の周知徹底が原因であり、ワクチンが感染症を撲滅したのではないと指摘されている。

 子宮頸がんワクチンについては、従来のワクチンとは異なり、長期に抗体を生成させる。副作用(悪作用)も抗体が生成される間続くので、健康被害も大きい。


○RNAウイスルに対するワクチンは原理的に成立しない。
 2003年に発生したSARSに対して、中国政府は再発を懸念してBSL3レベルの研究所を十数カ所設立し、相互にオンラインで結んで精力的に対策の研究を進めてきた。
 ワクチンの研究も行われてきたが、開発に成功していない。
ただし、それらの研究所で培った知見は今回のコロナ対策に生かされている。
 RNAウイルスは遺伝情報が一本鎖で構成されており、二本鎖のDNAに比べてコピーミスが起きやすい。つまり、RNAウイルスは変異しやすい。
 仮にmRNAワクチンを作れたとしても、変異種には効用がない。
今回のφザーのワクチンは摂取した人の遺伝子に作用するという。
仮に副作用(悪作用)が起きた場合、その影響は永続する可能性がある。


○なぜ、ワクチンが推奨されるのか。
 丸山ワクチンのように治癒効果があるものもあるが「予防」ではない。
ワクチン予防神話の創生は「巨大資本による利潤追求行為」に他ならない。
巨大資本は巨大であるがゆえに、常に利潤を得るのは難しい。
国家に取り憑いて、確実に利益を見込める産業へ投資する。
著名投資家ウォーレン・バフェットでさえ全戦全勝ではない。損失を計上することもある。
 ビル・ゲイツは一時期バフェットと関係があったようだ。
だが、ゲイツはバフェットの様に「成長株へ投資して~」という路線よりも、メリンダ・ゲイツ財団を使って、ワクチンにのめり込んでいる。
 人として善悪を弁えるのなら、本来必要な産業へ資本を投下して産業を発展させて、生活への利便を果たすべきなのである。
 しかし、「確実に利潤を上げる」という資本原理を追求する場合は、事の善悪は二の次となる。
 メリンダ・ゲイツがワクチンを推奨する発言を行っているのだが、FOXテレビが遂にこれに噛み付いた。
 医師でも研究者でもない人物がなぜワクチンを推奨するのか?と。単に富豪の夫人だからではないか、と。

 巨大資本は国家に取り憑いて利潤を得るようになる。
これはワクチンに限らない。
原発や戦争が起きるのも同じ理由である。


○人民による主体的選択
 そもそも、ワクチンを摂取するために医療機関に行って、静脈注射を行う過程で、コロナや他の感染症に感染する可能性がある。
 ワクチン接種によって感染症に感染した事例は多々ある。昔は注射針を使いまわしていたので、感染が発生した。
 今は衛生観念が高まっているので、そのような事は起きないだろう。
しかし、わざわざワクチンを打ちに医療機関へ赴く事自体が医療資源の無駄使いであり、感染確率を引き上げる行為である。
 総人民は主体的にワクチンを拒否するべきである。
だが、ダマスコミはワクチンの情報を垂れ流し、あたかもワクチン接種は必須であるかのような雰囲気を作っている。また、Twitterではφザーコロナワクチンに関しての否定的なツィートは削除をすると宣言を行っている。訴訟リスクを避けるためだと同情的な見方もあるが、情報統制行為であることは確かである。
 これは単に「資本の論理」によって行われる宣撫工作でしかない。
ムラの御触れでもないし、ムラの掟でもない。
 所属する組織がワクチン摂取を強要して来た場合、これを断るのは難しいだろう。
下手すると解雇となる。
その先には経済的な4が待っている可能性があるとすれば、ワクチン接種拒否には高いリスクが伴う。
ワクチンを打って悪作用を甘受するか、解雇の可能性があるとしてもワクチンを拒否するべきかの2択となる。
 感染症そのものによる厄災だけでなく、巨大資本が迫る「ワクチン接種」、経済的混乱に伴う困窮など、複合的な負の要素が我々人民に襲いかかってくる。
 総人民は最善の選択を行って窮地を脱しなければならない。


○トイレでの感染に気をつけたほうが良い。
 香港では高層マンションの排水管から縦方向に感染が広がった事例があった。
便座を消毒するとか、排水溝に水を流すとか、いろいろ対策し方が良い。
 匂いがするということは、匂いの発生源によるウイルス暴露の可能性がある、と言われている。
 多人数が使用するトイレの使用は避けるべきである。公衆のトイレを使用せざるを得ない場合は感染しないように、なるべく対策をするべきである。



○イギリスや南アフリカで報告された変異種は「感染させやすく」「感染しやすい」
 SARS-CoV-2の新規変異株B.1.1.7は感染者のウイルス量が10倍?100倍(Ct値で4低下)。
変異株がより重症化を招くという証拠は見つかっていない。
感染性に関しては、56%高いとのことだ。
ウイルス量が多いので、「感染させやすい」上に、ACE2への親和性が高いので「感染しやすい」のである。
日本でも変異種の感染が増加していけば、必然的に感染者数はより一層加速して増加すると予想される。


○食生活と生活スタイルの見直し
 コロナ対策として、過労を避けて、睡眠時間を通常よりも1時間増やし、海藻類やお茶を摂取すると良いと言われている。
 適度に運動したり、日光を浴びることも重要だろう。

『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』の紹介

2020-12-06 22:35:30 | 哲学
The Swerve: How the World Became Modernの邦訳
著者スティーヴン グリーンブラット, Stephen Greenblatt

 著者スティーヴン・グリーンブラット(Stephen Greenblatt)はシェークスピアやルネサンス研究の専門家。

 1417年・15世紀、教皇の秘書でありブックハンターであり、優秀な筆写人でもあったイタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニがドイツのフルダ修道院で、古代ローマ詩人ルクレティウスの『物の本質について』を見つけ出し、世に送り出す経緯が「推測」も含めて描かれている。そして、『物の本質について』に影響を受けた人たち、キリスト教の呪縛から解き放たれてルネサンスを作り出していくのである。
 ポッジョは教皇秘書として古典写本の収集翻訳に携わっていた。
当時は移動そのものに制限がかけられており、関所の通行料など多額の旅費を必要とする時代であった。
 フルダ修道院で『物の本質について』を見つけ出したというのは著者の推測であり、ポッジョがドイツ南部のフルダ修道院に立ち寄った履歴から、写本をした可能性が高い場所として「決め打ち」している。
 
 活版印刷発明以前においては正確無比な写本術は極めて重要な技術であった。ポッジョは自身の高い写本術を駆使するとともに、ブックハンターとしてもすでに著名であり、古典で「読むに値する」として示唆されていた「ルクティウス」の著書を探していた。ポッジョによってルクティウスの著書は歴史の泥流から拾い出されたが、他に挙げられていた人物たちの書籍は1冊も見つかっていない。
 多神教時代の書籍を僧院で閲覧する事自体が極めて難しい時代において、教皇の秘書という立場は優位に働いたと推測される。著書は加えてポッジョの優れた交渉人としての能力を挙げている。
 ポッジョ自身が『物の本質について』の真意、つまり、古代ギリシャのエピクロス学派の系譜に連なる原子論が唱える世界観についてどの程度理解していたのか定かではない。
 ブックハンターとしては同時代のニッコロ・ニッコリが有名であり、ポッジョは『物の本質について』はニッコリに長く貸し出している。「早く返してくれ」と督促の手紙が残っている所見ると「写本の写本」は作っていなかったようであるし、ポッジョ自身が内容を深く吟味する工程については本著作内では見受けられない。

 活版印刷以前の時代は本の複写は写本をする以外の方法はなく、パピルスは「虫による侵食」に長い年月を耐えることができなかった。僧院では羊皮紙を写本としていたが、羊の皮を使っているので、費用も高く貴重なものであったが、長い時間に対する耐久性には優れていた。羊皮紙は貴重であったが故に、小刀で全文字を削って上書きして再利用されており、削り取れた文字を判読して発掘された著作が幾つも存在する。

 著者は中世キリスト教の現世否定来世礼賛から西欧が抜け出した起因を(ギリシャ時代)エピクロス-(ローマ時代)ルクレティウスの原子論の発見によるものであり、「死後の世界は存在しない」とする現世肯定思想の伝搬によるとする。著者は近代社会の到来は「原子論の再発見」によるものと推論しているのである。

 原子論とは、万物は原子で構成され、人も動物も山も海も星も同じもので出来ていると主張したのである。人は死ねば、原子に戻り、その原子が今度は他の動物や植物を構成することになる、という考え方である。
 加えてエピクロス学派は、人が死ねば霊魂など残らないし、来世のことなど思い悩むのではなく、生きている人生の充実、楽しみをこそ最大にするように生きるべきだと主張した。

 エピクロス思想家を「エピキュリアン」と呼称し、通俗的には「エピキュリアン」は快楽至上主義とされている。しかし、エピクロスは前述の通り、堕落や怠惰や退廃的な快楽を主張したわけではない。
 エピクロスの思想は時を経て蘇り、研究者の間では復権を遂げ、まさに「時による救済」とはエピクロスのための言葉であるとまでも言われているが、一般的には意図的な誤解がまかり通っている。

 一つには、キリスト教とエピクロスの思想が相容れる事がなく、エピキュリアンは「肉体の復活」や「魂の不滅」を唱えるキリスト教を根底から否定する以前に、全く考慮に値しないと「冷笑」したのである。
 これに対し、キリスト教側はエピクロス思想に対する徹底的な封殺を行ったのである。
 後に溶岩流に埋まったポンペイの別荘から『物の本質について』が記述されたパピルスが発掘されるのであるが、極一部しか解読できなかった。
 グリーンブラッドは(信仰の熱波は)「ヴェスヴィオス火山の溶岩流ほどは優しくなかった」と揶揄している。
 つまり、それほどに徹底的なエピクロス思想の殲滅が行われたのである。

 修道院では頻繁に「折檻」が行われていた。金具を付けた鞭で幾度も折檻し、隣にいた司祭に飛び散った血が顔にかかることもあったそうだ。
 おそらく「過剰な折檻」で寿命を縮たり、そのまま死に至ることもあったと推測される。
 これはエピクロス的な苦痛は避けて快楽的な状態に身を置く、という思想と対極的な行為である。
 死後の世界に重きを置くキリスト教と、現世をより良く・より心地よく生きることを主張したエピクロスは対向概念とすら言える。

 この事がエピクロス的思想が長い間隠匿された最大の理由と思われる。

 ポッジョ自身は『物の本質について』の発見により名声を高め、教皇庁内部での役職の階段を登っていくが、後に『物の本質について』は印刷が禁止され、ルクレティウスの世界観を公然と語ったものは火あぶりにされた。

 しかし、原子論的世界観はラファエルやボッチチェリをはじめとするルネサンスの芸術家に影響を与え、ニュートンに影響を与え、トマスジェファーソンのアメリカ独立宣言に影響を与え、そしてダーウィンの進化論にも影響を与えた。

 マキャベリが所有していた『物の本質について』には多量の書き込みが残されており、相当に読み込んだ痕跡が伺える。触発されて『君主論』を著したとされる。
 マキャベリはチェーザレ・ボルジアと親交があり、レオナルド・ダ・ビンチは一時期チェーザレをパトロンとして従軍を経験している。
 ダ・ビンチがラテン語を習得すべく、単語を繰り返し書いたノートが残されており、私はダ・ビンチも『物の本質について』の影響を受けている可能性があると推測している。


ルクレチウスと科学 寺田寅彦
現代科学にそのまま適用はできないが、2000年も前に近代の物に即した見方に通じる科学精神が存在していた、という評価。


雨だれが石を穿(うが)つのは、
激しく落ちるからではなく、
何度も落ちるからだ。
(ルクレティウス)

(おすすめ)
Stephen Greenblatt on Lucretius and his intolerable ideas
https://www.youtube.com/watch?v=mXqHOF1B808&ab_channel=GettyMuseum