■「許されざる者」(2013年・日本)
●2013年日本アカデミー賞 最優秀撮影賞・最優秀照明賞
監督=李相日(イ・サンイル)
主演=渡辺謙 柄本明 柳楽優弥 忽那汐里 佐藤浩市
「悪人」「フラガール」の李相日監督が、クリント・イーストウッドのオスカー受賞作を同じ年の日本に舞台を移して翻案したリメイク作品。正直言うと、イーストウッドの「許されざる者」はそれ程好きな映画ではない。廃れゆく西部劇の伝統を守った作品であることはよしとしても、登場人物の描かれ方にどうも他のイーストウッド作品と違って説得力を感じなかったからだ。若造の言い出した儲け話に、経験も知恵もある年寄りガンマンが加わる流れに納得がいかなかった。娼婦に悪いことをしたヤツと悪徳保安官はやっつけられました・・・星条旗はためく下で成し遂げられた勧善懲悪。"許されざる者"はやっつけられた人たちだったのだ、と言うにはなんかすっきりしない幕切れにどうも納得いかずにいたのだ。それを日本を舞台にリメイク。正直どうなるのだろう・・・と思いながら鑑賞した。
善と悪の境目は実は非常に曖昧だったりする。悪人にだって善人の顔がある。でも2時間という映画の世界では善悪はっきり境界線を引いて描かれるのが常だ。李監督は開拓時代の北海道に舞台を移しただけでなく、登場人物の設定やストーリーの運び方についても巧みな改変を加えている。そして役者たちの見事な演技で完成された映画。オリジナル版で感じられなかった説得力が僕には感じられた。ちょうどこの「許されざる者」を観る直前に、僕は今村昌平監督の「復讐するは我にあり」を観ていた。映画序盤の殺人は千枚通しでメッタ刺しにする場面だ。緒方拳が農地の隅で何度も何度も鋭い先端を振り下ろす。「許されざる者」の冒頭は、渡辺謙演じる十兵衛が追っ手を木の枝で刺し殺す。同じような場面のはずなのに印象がまったく違う。十兵衛のそれは過去を断ち切り、生きるための決死の行為。もちろん決して肯定されるべきものではないが、倒幕の混乱の中で多くの人を殺めてしまい、人から恐れられた"十兵衛"から逃れることである。冒頭のこの緊迫感で一気に心がつかまれた。十兵衛が賞金稼ぎに再び刀を手にするまでの流れは、オリジナル版で最も合点がいかなかった部分。旧知の仲である金吾からの誘いとして、若い賞金稼ぎをアイヌの血を引く若者にしたことは、物語を一層深いものにしている。
緊張感に満ちた2時間。この映画には誰も善人と呼べる人がいないことに気付く。町を牛耳る警察署長、娼婦の顔に傷を付けた男たち、命を奪われるまでではなかったが賞金で彼らを殺させようとする娼婦たち、それに群がる賞金稼ぎ、強き側の腰巾着となる小説家、アイヌの人々を虐げる和人たち。主人公十兵衛もすべてを成し遂げた後、誰に感謝されるでもなく「地獄で待ってろ」と言い残して町を去る。オリジナル版とは違って、彼の行く先に平穏はない。雪と氷が積もった荒野があるだけ。生きていくことは厳しいこと。何が善で何が悪なのか、何が許されて何が許されないことなのか。
決して明るい気持にさせてくれる映画ではない。しかし、僕らが普段考えている正義ってなんだろう、と心にひっかかるものを残す映画であることは間違いない。それは僕らが日々を生きていく中で忘れがちなこと。一歩引いたところから他人の人生を見つめることができる、映画鑑賞という時間だからこそなせること。こういう映画を敬遠せずに観ることは大切なことだ。それは人生をより深くする。・・・ここまで書いて僕はふと気付いた。この感想って、昨今のイーストウッド監督作品を観て思う感慨そのものではないか。あの頃納得がいかなかったオリジナルの「許されざる者」、今観ると昔とは違った味わいを感じるのかもしれない。
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