正しい道を司る

八ヶ岳・小淵沢の地で『真理』を探究する

旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅~ (No004)甲斐の国(山梨県)台ケ原宿(日野春駅)から韮崎宿・甲府柳町宿間(塩崎駅)まで

2021年11月27日 | 旧甲州街道歩き旅
唐突ですが…

旧道歩きでよく目にする道祖神。
山梨県は丸石神信仰である丸い石を並べた道祖神で
長野県では男女の神様が仲むつまじく並んでいる双体道祖神が多かったです。まぁ、主観ですが…

道祖神(どうそじん、どうそしん)は、村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神である。のちには縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされ、男根形の自然石、石に文字や像を刻んだものなどがある。 wikipedia




古来より、様々な想いをを胸に人々が往来したであろうこの街道。当時の様子など、リアルにのぞき見ることはかないませんが、そこに立ち・街道を歩けば感じ得る何かが体感できるのでは…と、お江戸日本橋まで歩き旅を始めた次第です。

街道とは、
徳川家康の時代、通信や物流を強固に整える可くで主要五街道(東海道、中仙道、甲州海道、奥州海道、日光海道)の整備を進めた。※東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中へ名変。後に明治政府が甲州道中から甲州街道へ改名しています。

甲州街道の成り立ち。
徳川家康の江戸入府に際し、江戸城陥落の際の甲府までの将軍の避難路として使用されることを想定して造成されたという。危機の際、服部半蔵の手引きにて半蔵門より甲州街道へ。沿道の四谷に伊賀組・根来組・甲賀組・青木組(二十五騎組)の4組から成る鉄砲百人組を従えて八王子にて千人同心の足軽兵力と共に徳川家親藩の甲府城までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためと一説では言われています。


さて本日の行程は…

JR中央本線長坂駅横、有料駐車場へ。長坂駅より列車で移動後、日野春駅からコミュニティバスにて移動、台ケ原ポンプ小屋で降車後、歩き始めて本日のゴールは韮崎宿・甲府柳町宿間(塩崎駅)。



では、旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅
スタートです。




朝のJR中央本線・長坂駅上りホームより

南アルプス・凛とした甲斐駒。それはもう美しい!



旅の続きはここからです。

駅から直接来れば10分も掛からない距離なんだけど
ぐるっと周遊なんで乗車時間約30分~



尾白川沿いの旧街道に馬頭観音「横山道標」があります。

安永五年(1776)、寛政四年(1792)と刻まれた馬頭観音。

この時代全国で一揆打ちこわしが急増し幕府の権威が揺らいだ時代。後で言うところの三大改革をスタートさせた年代だ。

(はぃココ試験にでますよ⁉(* ´艸`)クスクス)

馬頭観音は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音としては珍しい怒りの形相である 忿怒の姿をとる。さらに、馬頭観音が馬の守護神として知られることは、人々の生活に馬が大切な存在であったことに由来。
尾白川は、花崗岩で河原が白いところに由来。



武川町上三吹き

整然とした街並みの陰に悲しい歴史も…



七里岩沿いに国道20号線を歩く

トラックの風圧なんぞに怯まず進めー!



大武川から望む南アルプス

巨石ゴロゴロ水は清涼なり。


大武川から望む南アルプス



優美な甲斐駒

見る方向によって表情が変わりますね。



懐かしや~専売公社~



そんな時代もありましたね、ダグラス・マッカーサーさん。



国道の排ガスを避け釜無川沿いにワープ!

ほぼほぼ旧街道同区間、同区間…自我のささやき。



休息は歌舞伎助六。うまし!

食べ歩きが罷り通る釜無川沿い。すれ違い人皆無!



ふじさーん!

大きく見えるようになりました。



韮崎宿手前の十六石

国道20号線沿いにあります。

十六石とは、武田信玄公が治水に力を入れたのは有名だが、まだ晴信といわれた天文十二・十三年頃年々荒れる釜無川の水害から川原部村(現韮崎町)を守るため、今の一ツ谷に治水工事を行った。
その堤防の根固めに並べた巨大な石が十六石で、その後徳川時代になって今の上宿から下宿まで人家が次第に集まり韮崎は宿場町として栄えるようになったと言われている。


で、ねっ!これは何とも言えませんが…

十六石碑から50mも離れてない所の工事現場になんと、巨石がゴロゴロ!

これってもしや…



なんともわかりませんが…想像を搔き立てられるー。



韮崎宿でお昼時。
旧街道からそれること100m!韮崎で食べられる吉田のうどん屋さん
さくらへ。

吉田のうどん さくら

韮崎市役所真向かい
(何故かしら役所の近所には美味しいものが多いような…)


肉つけうどん



肉うどん


吉田のうどんとは、吉田のうどん(よしだのうどん)は山梨県富士吉田市及び同市を含む山梨県郡内地方を中心として食べられている郷土料理のうどんである。硬くてコシが非常に強い麺スリダネが特徴となっている。2007年農林水産省が各地に伝わるふるさとの味の中から選定した「農山漁村の郷土料理百選」の一つである。Wikipedia  


スリダネは店によって味が違うのでハマります!

唐辛子の辛味…ゴマの風味…癖になる…

麺バリ硬!汁は魚介・肉・ブレンドなど店独自、スリダネ・馬肉・キャベツがあればそれはもう ザ、吉田うどん。



韮崎で宝塚歌劇団

都会に住んでいる頃はよく観劇したなぁ…



七里岩先端にて平和観音

つい先頃、観音像を約30年ぶりに洗ったとのことです。



韮崎宿は両側に川あり

釜無川と塩川


鰍沢横丁

鰍沢横丁とは、信州の廻米を船山河岸に運び込む道筋で沿道には駄菓子屋、馬方茶屋が軒を連ねていた。


船山河岸の跡碑横の交差点

富士川舟運の終点。
信州から陸路で来てここから駿河湾まで舟とは…
おそるべし駿信往還。


韮崎を過ぎたら中央本線沿いを歩く

あずさに乗れば新宿から韮崎まで1時間半チョット!



おぉ!甲斐市とな

本日歩き始めて18.5km



ふじさーん!

思えば遠くに来たもんだ。



旧庄屋宅

それはもう大豪邸!



本日のゴール塩崎駅

チョットの差で乗り遅れ、次列到着まで一時間待ち…

ローカルおそるべし。



本日の行程 甲斐の国(山梨県)台ケ原宿(日野春駅)から韮崎宿・甲府柳町宿間(塩崎駅)まで
20.8km(12.97 マイル )8時間50分





そんなこんなの今日も良き日。






人生万事塞翁が馬



『清沢哲夫の詩』
この道を行けば
どうなるかと危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
踏み出せば
その一足が道となる
その一足が道である


わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ



やることを
やりきったならば
後はお任せ。


だから 大丈夫!

そう、
あなたなら大丈夫!


あなたのもとへ
今日・明日も
しあわせが訪れますように。


そなえよつねに
ありがとうございました。

旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅~ (No003) 信濃国(長野県)蔦木宿(すずらんの里駅)から台ケ原宿(長坂駅)まで

2021年11月20日 | 旧甲州街道歩き旅
唐突ですが…

旧甲州街道(下諏訪宿-韮崎宿間)は糸魚川―静岡構造線のを歩きます。
断層の上…いやはや痺れる。




古来より、様々な想いをを胸に人々が往来したであろうこの街道。当時の様子など、リアルにのぞき見ることはかないませんが、そこに立ち・街道を歩けば感じ得る何かが体感できるのでは…と、お江戸日本橋まで歩き旅を始めた次第です。

街道とは、
徳川家康の時代、通信や物流を強固に整える可く主要五街道(東海道、中仙道、甲州海道、奥州海道、日光海道)の整備を進めた。※東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中へ名変。後に明治政府が甲州道中から甲州街道へ改名しています。



さて本日の行程は…

JR中央本線長坂駅横、有料駐車場へ。長坂駅より列車で移動後、すずらんの里駅から歩き始め、本日のゴールは台ケ原宿まで(台ケ原からコミュニティバスにて長坂駅へ)。



では、旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅スタートです。



早朝の長坂駅より乗車。

車内は小淵沢で降りる学生さんでいっぱい!


すずらんの里駅よりスタート。
まだまだ元気。



前回終えた場所まで移動。

先ずは国道20号線へ。



御射山神戸八幡神社の大木。

御柱祭用の丸太が置いてありました。



推定樹齢390年の欅(ケヤキ)

社殿は宝暦12(1762)年の創建だって!



国道20号線を進む

街道筋には小川平吉氏の碑があります。
(それまで左書きだった駅名標をすべて右書きに改めさせ国粋大臣と呼ばれた鉄道大臣)



ほどなく旧甲州街道へ

カゴメ富士見工場下の道を進みます。
左手(上方)は工場で右手はトマト農場の八ヶ岳みらい菜園。



カゴメ野菜生活ファームも旧甲州街道からすぐそこに

ここ、開店前、残念…。



メガソーラーに行く手を阻まれる
旧甲州街道が…無い。寂しいね。



芓木(つたき)風除林

坂を下って来る寒冷の北風を遮断するために植林した樹齢200年以上の赤松林。



Jumpinはジビエのパン屋さん
いい香りがするも…ここも開店前。



立派な郵便局がある瀬沢村

その昔甲信境の地、瀬沢合戦跡が国道20号線横にある。



蔦(つたき))の川除古木

江戸時代初期、水害から蔦木宿を守るためにつくられた信玄堤とよばれる堤防の内側に植えられた川除け木。明治31年の大水の際には、ここの大木を切り倒して大水の向きを変え、集落を水害から守ったという。



蔦木宿本陣跡

蔦木宿は南北の入り口に桝形路(敵が攻め込みにくくするため道を鉤(かぎ)型に二度曲げてある)が今現代でもわかりやすく残っています。



応安五年(1372)の建立

この時代は室町時代…足利義満征夷大将軍…
鎌倉五山の制とか

いやはや余りにも古くて時代感つかめず。



日蓮聖人高座石



下蔦木村では悪疫が流行。聖人は三日三晩、高座石にて説法と加持祈祷を行い村人を救った。とのことです。



甲斐信濃国境・七里岩の北端

国界」でラーメンとチャーハンを食べようとワクワクしてたのに、いとかなしや定休日~。



国界橋を進む



国界橋



現代の県境

おぉ!我が北杜市ばんざい!



エネルギーチャージ

昔から大好き。歌舞伎揚げといえば「天乃屋」さん!数十年前の濃い目の味つけがなくなって昨今、往年の天乃屋の味を楽しめる「モミの木」さんのひとくち歌舞伎助六 只今、絶賛ドハマり中!



鳳来山口関跡・西番所跡

来た道を振り返り我思う…

鳳来山口関跡=武田信玄が設けた信州口を見張った国境の関。
西番所跡=「女改め」の取り締まりが厳しかった徳川幕府の番所。



みかんは最適!八ヶ岳を遠目に見ながら…
「みかん」はおやつカテゴリーに入りません!



スタートから16km…さすがに本休憩を

ケルンコーヒーにて。



13:45 はくしゅう道の駅

歩行トータル19km



今日は魔の曜日…か、

流石人気のZeikowa、商品完売…。



うゎ~ん金製軒もお休みなのね。

建物は旧旅籠。で、ここの信玄餅は絶品です!
(ここの信玄餅の方が好きです…詳しくは言いませんが)



七賢蔵元

山梨銘醸は寛延二年(1749)創業。



お酒の仕込み水も飲めます。



井戸から汲み上げた水。俗に言う「白州の天然水」だね。

明治天皇巡幸の際の行在所

入口より左手の部屋。

右手はとても危険な場所、テイスティングルーム

お好きなお酒を試飲できますよ(有料)。

ガン見する怪しい彼女

暫く不動の女。



本日はここまで!



コミュニティバスで長坂駅へ。(一律200円)



駅と言えば「えきそば」ですよね!?

すっごい遅い(14:55)お昼をいただきまーす。


そうです、丸政のご当地名物「山賊そば」。

うまし!


めでたしめでたし。



本日の行程 信濃国(長野県)蔦木宿から甲斐の国(山梨県)台ケ原宿(長坂駅)まで。
20.5km(12.74マイル)8時間半。


あぁ、お腹いっぱい!ではー



そんなこんなの今日も良き日。






人生万事塞翁が馬





『清沢哲夫の詩』
この道を行けば
どうなるかと危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
踏み出せば
その一足が道となる
その一足が道である


わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ








やることを
やりきったならば
後はお任せ。



だから 大丈夫!

そう、
あなたなら大丈夫!



あなたのもとへ
今日・明日も
しあわせが訪れますように。



そなえよつねに

ありがとうございました。


旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅~ (No007) 甲斐の国(山梨県)黒野田宿(笹子駅)から 鶴瀬宿・駒飼宿(甲斐大和駅駅)まで

2021年11月16日 | 旧甲州街道歩き旅
唐突ですが…

その昔、旧甲州街道の最大の難所と言われたのが笹子峠。なので真冬が来る前に越えなくちゃ…




いゃーほんと、今年も後わずか…いゃまだか。

我がチンタラブラブラ歩き旅にとって最大の懸案事項であるこの区間。



だって、最大の難所でっせ、旦那。





あっ
…聞こえます…自我の声が聞こえます。



「あぁー早く笹子峠を越えなきゃ…」

「雪が積もったら危ない…」

「峠越え区間まであと5日はかかる…」

「冬の峠道はそりゃ恐ろしい出来事が」


とかなんとか。





(。´・ω・)ん?



「心配御無用」

竹中秀吉さんも言いました。




おーっ!心我の声と一緒だ!


そう、そうなのよ。
心配ご無用!大丈夫!あの手があったじゃない!




「美味しいところ先取歩き」

ってね。





それでは本日の行程をお知らせいたします。

車でJR中央本線 甲斐大和駅周辺の駐車場へ。ここから僅か5分で着く笹子駅で降車、歩き始めます。矢立の杉や最大の難所 笹子峠を越え、スタート地点の甲斐大和駅に戻ります。




古来より、様々な想いをを胸に人々が往来したであろうこの街道。当時の様子など、リアルにのぞき見ることはかないませんが、そこに立ち・街道を歩けば感じ得る何かが体感できるのでは…と、お江戸日本橋まで歩き旅を始めた次第です。
街道とは、
徳川家康の時代、通信や物流を強固に整える可く主要五街道(東海道、中仙道、甲州海道、奥州海道、日光海道)の整備を進めた。※東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中へ名変。後に明治政府が甲州道中から甲州街道へ改名しています。




では、旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅 
再開です。




やって来ました笹子駅。

初めての駅はワクワクするぞぉー。


駅でトイレを済ませたら、出発進行ー!
と、その前に…。



笹子と云えば そう、みどりやさん

やってるかなぁ?


時は八時過ぎ…
どれもこれも好み~


もしや出来立てほやほや?ってなくらいの品々。
店主曰く「朝の時間帯に購入されていく方が多いね」とのことで、笹子餅は山登りなど休憩時の糖分補給にうってつけ!おススメの和菓子屋さんです。



やっぱりコレ!甲州名物・笹子餅。

名物にうまいものあり!ですよね。


では、ほんとうに出発!



しばらくの間、国道20号線を進みます。

吐息が白い…



国道20号線を離れいよいよ旧甲州街道峠道へ
旧甲州街道歩き旅 笹子峠越え  


おっかなびっくり丸太橋
旧甲州街道歩き旅 笹子峠越え



9時20分 矢立の杉到着


二代広重『諸国名所百景 甲州矢立の杉』 笹子峠の大月市側にある 杉 の木で、笹子峠を通って合戦に赴く 武士 が必勝を祈願して、この杉の木に 矢 を射ったことが由来と言われている。 根周りは14.8m、高さは約26mで、幹の中は空洞になっている。 wikipedia


旧甲州街道歩き旅 笹子峠越え 矢立の杉



矢立の杉から尾根道を登ります。
旧甲州街道歩き旅 笹子峠越え 尾根道  



県道「日影笹子線」に合流し暫く上ると笹子隧道に。(10時20分)
旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅 笹子隧道(大月方より)

笹子隧道
旧甲州街道の笹子峠を越えるために開削された隧道。
両脇の2本並びの柱形装飾など、建築的な装飾を用いたトンネルポータルのデザインに特徴がある。
昭和33年に新しいトンネルが完成するまでは幹線として利用されていた。
(大月市観光協会)




このままトンネルを使えば…
いやいや、峠で笹子餅…笹子餅笹子餅



トンネル横の峠道へ
旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅 笹子峠へ




ほどなくして掘割のような笹子峠に到着。(10時30分)


見晴らしの良い場所は…



おやつタイム。峠で食べる笹子餅なのだぁー

千代紙的な色、デザインがいいぞ!



峠を眼下に陣取り 喰らうべし!

お団子ころりん要注意です。


おぉ!経木に包まれているぞっ!

経木の香りがたまらなくイイ!うまい!


つぶあん大好き!

しっとりモチモチ 餡も良い塩梅! うまい!



…餅を食べていてなんなんですが…
通り道のような峠では休憩する場所がないのでそそくさと峠をくだりましたとさ~。(10時30分)


 
甲州市側・隧道トンネル口
旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅 笹子峠を下る



甲州市側のトンネル口





見晴らしの良い場所で…(10時50分)

さっき餅を食べたのにね。



痺れまっせ、丸太橋(11時30分)

見た目より十分痺れる丸太橋


丸太橋
旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅 笹子峠丸太橋  



終盤、旧甲州街道は通行不可のため県道を下って行きます。


県道をてくてく 山々の紅葉を愛でながら
旧甲州道道歩き旅 笹子峠越え



駒飼宿に入りました。


松尾芭蕉句碑(12時06分)

「秣(まぐさ)負ふ人を栞(しおり)の夏野哉」
明治四十年(1907年)の大出水にて流失した馬蹄石の句碑を再建したもの。

芭蕉って、幕府方の忍者だったと思うのですが…



橋はくぐるもんだ!(12時19分)

中央高速道の下をくぐる。



駒飼宿と鶴瀬宿の境にて本日の笹子峠越えは終了!
この地は武田勝頼や有馬晴信、甲陽鎮撫隊の新選組など歴史渦巻くムネアツの地。
後日、鶴瀬宿通過の際に詳しく記したいと思います。


次回は信濃国に戻り、蔦木宿から歩きます。



甲斐大和駅へ戻る道すがら軒先から美味しそうな匂い。
国道20号線へ戻ると…



やみつきハムカツ とな!「さはんじ」。

ええ、呼ばれちゃいましょう。


揚げたて熱々~

衣サクサク~


トロぉ~り卵に極太ハム!

上あご・やけどに注意して喰らうべし!



甲斐大和駅到着。(12時55分)



いや~面白かった笹子峠越え。
で、帰り道・釈迦堂PA(下り)に立ち寄り…



黒蜜・黄な粉・信玄餅入りの
桔梗信玄ソフトを食べて帰りましたとな。




めでたしめでたし。



本日の行程 甲斐国(山梨県)阿弥陀海道宿(みどりや)・黒野田宿(笹子駅)から駒飼宿(甲斐大和駅駅)まで12km?-4~5時間。


あぁ、お腹いっぱい!ではー




そんなこんなの今日も良き日。






人生万事塞翁が馬





『清沢哲夫の詩』
この道を行けば
どうなるかと危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
踏み出せば
その一足が道となる
その一足が道である


わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ








やることを
やりきったならば
後はお任せ。



だから 大丈夫!

そう、
あなたなら大丈夫!



あなたのもとへ
今日・明日も
しあわせが訪れますように。



そなえよつねに

ありがとうございました。

旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅~ (No002) 信濃国(長野県)金沢宿(茅野駅)から蔦木宿(すずらんの里駅)まで

2021年11月09日 | 旧甲州街道歩き旅
唐突ですが…
江戸時代の方々は日に30〜40km歩いたそうな…

で、いまだに13km歩いただけの我がコンビ…。
いやはや、昔の人は健脚です。





古来より、様々な想いをを胸に人々が往来したであろうこの街道。当時の様子など、リアルにのぞき見ることはかないませんが、そこに立ち・街道を歩けば感じ得る何かが体感できるのでは…と、お江戸日本橋まで歩き旅を始めた次第です。

街道とは、
徳川家康の時代、通信や物流を強固に整える可く主要五街道(東海道、中仙道、甲州海道、奥州海道、日光海道)の整備を進めた。※東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中へ名変。後に明治政府が甲州道中から甲州街道へ改名しています。




さて本日の行程は…

JR中央本線すずらんの里駅の無料駐車場へ。列車で移動後、茅野駅から歩き始め、本日のゴールはすずらんの里駅です。

では、旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅スタートです。



旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅 御射山神戸の一里塚 




本日天気晴朗なれども風強し。でも暖かい陽射しのおかげでグングンと歩けます。

紅葉真盛りの駅前通り


デバイスでルートを確認。便利便利〜

昔は端末やら機器とか言ったもんだ!なにがガジェッ…言うまい言うまい。


宮川沿いに歩く。

入笠山に源を発し流末は諏訪湖に流れる。


国道20号線に合流したり国道沿いの農道を進んだりの区間
国道を少し外れるだけで良い雰囲気です。


最短ルートの国道ですら…

旧甲州街道で歩くとなると…考えるまい考えるまい…


このエリア最大の見どころ!御射山神戸の一里塚。

両塚を残している大変珍しい一里塚。この西塚のケヤキは往時のもので樹齢400年超え!東塚は、明治時代にエノキが枯死したためケヤキを植樹。


東塚のケヤキ

江戸日本橋より四十八里目。


歩き始めて早3時間、まだまだ行けそうなのですが、
とある所に行きたいがため本日の行程終了!

すずらんの里駅到着。



時はバッチリお食事タイム!
ならばと長野県が誇るソールド、みんなの「テンホウ」さんへ。

うまし!



1956年創業・長野県発祥のラーメンチェーン。
創業当時「つるの湯 餃子菜館」時代は、まだラーメンはなく、「チャーメン」「タンメン」「餃子」が主力商品だったとのこと。

タンメン♪

野菜の旨味と絶妙な塩味。うまし!

チャーメン♪
野菜炒めに麺を絡めた汁なしラーメン。
卓上の豆板醤やニンニク、酢、練りがらしで味変!うまさ超弩級なのだ!


テンホウのぎょうざ♪

月並みですが…外はカリッと!モチモチの皮の中はやわらかジューシー!


うまし満足満足!


本日の行程 信濃国(長野県)金沢宿(茅野駅)から
蔦木宿(すずらんの里駅)まで10km-3時間。


あぁ、お腹いっぱい!ではー





そんなこんなの今日も良き日。






人生万事塞翁が馬





『清沢哲夫の詩』
この道を行けば
どうなるかと危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
踏み出せば
その一足が道となる
その一足が道である


わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ








やることを
やりきったならば
後はお任せ。



だから 大丈夫!

そう、
あなたなら大丈夫!



あなたのもとへ
今日・明日も
しあわせが訪れますように。



そなえよつねに

ありがとうございました。