先日、年末へ向けて慌ただしい仕事の日々の中、合間をぬって、
千葉県野田市関宿町にある「鈴木貫太郎記念館」へ行ってきました。
ようやく行けた、という感じです。
鈴木貫太郎氏(1867年~1948年)は、
自分が最も尊敬する人物の中の一人、ベスト3に入る方です。
この鈴木貫太郎氏は、終戦時のときの内閣総理大臣だった方。
様々な方々の努力、苦悩、犠牲等があって、終戦となり、
今の日本があるのだと思いますが、さらに自分は、
この鈴木貫太郎氏がいたからこそ、それが成し遂げられたのだと
考えています。
鈴木貫太郎氏は、海軍の軍人で、海軍のトップに上りつめた方です。
そのこともあって、昭和天皇の側近である侍従長になり、
昭和天皇から厚い信頼を得ます。
貫太郎氏は日本の軍事力、資源、国力等を冷静に分析し、
アメリカと戦争するのは、戦争には反対の考えを持っていました。
戦争拡大、戦争続行を掲げる軍部のお偉いさんが昭和天皇に会いにきたとき、
貫太郎氏は追い返したこともあったそうです。
それらが元で、一部の思想の違う者から、
昭和天皇の近くで、昭和天皇を惑わす者というレッテルを貼られ、
昭和11年、69歳のとき、
陸軍青年将校らが起こしたクーデターである二・二六事件で、
寝ているところを押し掛けた将校らから4発の銃弾を受けますが、
一命をとりとめます。
これには、その場で行動を抑制され、全てを見ていた奥様の、
度胸と機転、止血等の実行力が大きな要因となりました。
この奥様は後妻(前妻とは死別)となりますが、
昭和天皇の養育係だった方、奥様もただ者ではない方でした。
その後、貫太郎氏は、70歳になったら侍従長を辞職すると考えていたこともあり、
8年勤めた侍従長の役職を辞職します。
しかし、日本はミッドウェー海戦を期に、戦況は思わしくない方向へ向いて行きますが、
戦争続行を掲げる一部の軍部が暴走し始めます。
いろいろな書籍を読む限り、当時、昭和天皇は戦争終結の考えの立場だったとのこと。
そこで、昭和天皇が戦争終結へ向けて、頼りにしたのが、
この鈴木貫太郎氏でした。
侍従長のときからの人柄、思想等を信頼してのことだったとのことです。
内閣総理大臣になってくれないか、と鈴木貫太郎氏に申し出ます。
当初、鈴木貫太郎氏はこれを固辞します。
何故なら、貫太郎氏は、一貫して、
「軍人は戦争に関わるべきではない。」
という考えを持っていたからです。
しかし、昭和天皇の頼みと自らの信念を曲げ、
昭和20年4月、78歳で、第42代内閣総理大臣に就任します。
戦争を終わらせるため、自らの命を犠牲にする覚悟だったとのことです。
鈴木内閣は、戦争続行の立場を表向きには取りつつ、
水面下では、戦争終結へ向けて動いていました。
昭和20年8月、日本に2発の原子力爆弾が投下されてしまいます。
同月、これから日本はどうすべきかを話し合う、
天皇参席の御前会議を開きます。
ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、
4つで受け入れるか。
戦争続行か、終結か。
話し合いは長時間に及びますが結論は出ません。
そこで貫太郎氏が取った秘策は、昭和天皇に判断を仰ぐことでした。
世に言う「聖断」と呼ばれるものです。
政治の決定は国民の代表が行わなければならないはずだったのですが、
その決断を昭和天皇に仰いだのは異例中の異例でした。
昭和天皇は、終戦への意見を述べ、軍部もこれに従い、
日本は終戦へと向かいます。
しかし、この直後、貫太郎氏は、
戦争続行を掲げる一部の軍人から東京のご自宅を焼き払われ、
命を狙われますが、家族と共に、わずかな時間差で逃れることができました。
当時、貫太郎氏は、一部の人たちから国を売った者として思われ、
焼き払われたご自宅を消火する人がいなかったとの資料もあります。
戦争を終わらせるために自ら憎まれ役になることなど、
これも貫太郎氏は覚悟していたとのことです。
昭和20年8月15日、ポツダム宣言により、
日本は連合国に無条件降伏。
昭和20年8月17日、鈴木貫太郎内閣は総辞職。
その後、貫太郎氏は枢密院議長を少しの期間勤めますが、
その後は、故郷である千葉県野田市関宿町に戻り、
地元の発展に尽力します。
しかし、昭和23年4月17日、最期まで永遠の平和を願いつつ、
自宅にて病気で永眠します。
この方の生き様、考え方、成し遂げてきたこと、
そして、様々な資料、書籍を読んで、
誰でにも気さくに話しかけ、温厚で、人を大切にする方だったとのこと、
人としても、大変素晴らしい方だったと思います。
今の政治家はどうでしょう。
日本のために、身を犠牲にする覚悟のある人はいるのでしょうか。
これから時代は、目まぐるしく変わっていくと思います。
新たな時代に突入したと言っても良いと思います。
再び保守的な思想を持ったリーダーが各国から出てきています。
日本も時代の誤った時代の流れに乗ってはいけません。
何が正しいのかは、何を基準にするか、だと思うので、
容易に何が正しいことなのかを判断するのは難しいことです。
ただ、戦争だけは決して起こしてはいけません。
かつて、軍人だった人も、戦争をやりたくて軍人になった人は
そういないのではないかと思います。
この日本という国、国民を守るために、
軍人になった人がほとんどではなかったでしょうか。
この貫太郎氏も、軍人でありながら、一貫して平和を願い続けていたとのことです。
それには、今の政治家の方々に、柔らかい発想で、
的確な判断をしていただかないといけません。
それには、選挙で国民の代表を選ぶ自分たちが、
良き政治家を選ぶことが大変重要です。
必ず、選挙に行きましょう。
話は元に戻して、鈴木貫太郎翁のことを
もっともっと語りたいのですが、長くなるので、この辺にて。