好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

築こう心に平和の砦を!100人実行委員会 設立趣旨

2005-03-24 17:17:57 | 心に築こう、平和の砦!
戦争は人の心の中で起こるものだから
人の心の中に
平和の砦を築かなければならない


(ユネスコ憲章 前文より)



 
築こう心に平和の砦を!100人実行委員会 設立趣旨


 <築こう心に平和の砦を!100人実行委員会>は、あなたの心の中に創られます。あなたの心に平和の種を蒔き、平和の種を育ててください。その種が育ち、花を咲かせるエリアがあなたの<平和の砦>です。
 あなたがあなたの<平和の砦>を創り、あなたが<平和の砦>を守り育てる人たちとつながりたいと望めば、あなたは<平和の砦100人委>(<築こう心に平和の砦を!100人実行委員会>の略称)のメンバーです。
 <平和の砦100人委>には規約も綱領も組織もありません。
 あなたからはじまり、共鳴・共振する人とあなたがつながる運動です。
 あなたの願いとあなたの心を伝えて、広げていってください。仲間ができたら又仲間のことも伝えてください。学び合い、支え合い、平和を願う心をつないでいく運動です。
 自分にできることは何か、そして何ができたか伝え合いましょう。
 小さなことを一つひとつ、こつこつと。自分にできることを大切にしましょう。
 仁は『BLOG心に築こう!平和の砦』でみなさんの報告やメッセージを紹介していきます。みなさんも交流広場を創ってネットワークできたらいいですね。ゆっくり、ゆっくり、
<築こう心に平和の砦を!100人実行委員会>が創られていくことを夢見ています。

 HP『築こう心に平和の砦を!100人実行委員会』へどうぞ

みんなで築こう!!一人ひとりの平和の砦   by 佳奈恵

2005-03-24 11:28:15 | 心に築こう、平和の砦!
 この言葉を聞いて、自分にとっての平和の砦について考えたけど、よくわからなかった。 でも自分にできることはたくさんあるんじゃないかと思った。例えば募金やノート鉛筆等を送ってあげて、全世界の人が学校に行けるようになったり、勉強ができたら、私も幸せだなぁって思った。誰かのために自分が役に立つなんて、そんなことができたらいいなぁって思う。
 「戦争は人の心の中で起きるもの」、「実際に人と人が戦っちゃいけない」そういっているように思う。心の中で起きちゃいけない。だから、「人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という文で、この世から戦争をなくし、みんなが平和で安心できるようなそんな国、世界にしようといい、伝えていると気がする。
 だから、みんなで築こう!!一人ひとりの平和の砦。私はまだその平和の砦がなにかよくわからない。でも、きっと見つけ出して、心の中を平和にしたいと思う。私はこの学校で、全校生徒でボランティア活動をしたいなぁーって思った。使わなくなった物を集めていろんな国に送り、幸せを運べたらいいなぁーと思った。
 やろう!!先生。小さいことでもいいから。みんなの力を合わせて。

 <戦争は人の心の中で起こるものだから、人の心の中に、平和の砦を築かなければならない。  ☆ ユネスコ憲章 前文より>と言葉を提示すると生徒たちの心には事件が起こります。さまざまな体験が総動員され、思考力をフル回転し、想像力を駆使して、心の中に平和の砦を築きはじめるのです。そして実際に素晴らしい平和の砦を創りだしていきます。生徒たちの柔らかい心の豊かさに感動します。教員していて幸せを感じるのはこんな柔らかで、豊かな、そして創造的な心に出会えることです。

『21世紀を平和の世紀に!』へどうぞ。

<平和の砦100人実行委員会>発足

2005-03-21 20:34:33 | 心に築こう、平和の砦!
 <ドイツの哲学者エルンスト・ブロッホは、一九三〇年代に著した希望についての大作の冒頭に次のように記している――「この情動の仕事は、生成するもの――人間自身もそれに属している――のなかにとびこんで働く人間を求めている」。希望をもつということは、あなた自身を未来に捧げることであり、未来にかかわるからこそ、現在というときに住まうこともできるのだ。>というメッセージを受信しました。
 そして、愚仁も又希望を持ったのでした。愚人の希望は<新星子コンミューン>を一人ひとりのつながりとして創りだすことです。今はまだ愚仁一人の心の中の未来です。けれど、呼びかけて、もう一人の人の心の中の未来として確かなものにしていきます。もう一人の人の心の中の未来になる・・・。合わせて<平和の砦100人実行委員会>を発足します。これは誰にでも行動できる希望なのです。この希望を実現すると宣言すればいいことですから。戦争を推進するどんなプログラムにもNOと宣言すればいいのです。
 あなたもNOと宣言すれば、もう立派に<平和の砦100人実行委員会>のメンバーです。一切の規約も綱領も組織もありません。平和を実現したいと願うあなたの心が在れば十分です。<平和の砦100人実行委員会>を名乗って、友達に呼びかけてください。
 愚仁は愚仁として、小さな力を使って、愚仁の未来から戦争を排除します。一切の戦争に荷担しません。そう言える人が身近に一人でも二人でも現れることを願って呼びかけていきます。愚仁は<平和の砦100人実行委員会>のメンバーとして生きていきます。

『暗闇のなかの希望ーー非暴力からはじまる新しい時代ーー』

心が共振しています

2005-03-17 16:53:55 | 時事問題
現代の子供について。

  17歳の素晴らしい心さんに出逢うことができました。こんな心さんに出会えるとHAPPYになるし、未来に光が見えてきます。
 nonofさんの 『現代の子どもについて』を紹介します。
 共鳴したら、共鳴のコメントやエールを発信してくださいね。nonofさんの心に共振する人が多くなることは老仁の喜びになります。こんな心がたくさん、たくさんつながっていくことを願っています。
 四人目の師に出会ったようです。これからお願いしていきます。


心が共振しています (青柳仁) 2005-03-17 16:24:15

 nonof さん、青柳仁といいます。
 『BLOG好奇心全開! 時事問題を語ろう』を運営しています。BLOGサーフィンして若い人たちの声を聞き、学び続けていきたいと願っています。鈴音さんやユキさんに出逢い、弟子入りさせてもらって、一緒に生きていく、側に寄らせてもらう了解をもらった幸せ者です。
 nonof さんの『世界の宝』より『現代の子どもについて』へ、そして、『nono17歳女子高生』へワープしてきました。nonofさんの心の表出のさわやかさに感動しました。老仁が17歳だったら同じように言いたいなと共感します。17歳じゃないけれど、同じように言いたいと願います。そんな心を持ち続けたいと願い続けてきました。
 老仁は高校の教員をしています。そんな心を持ち続けようよ、と呼びかけてきました。現代社会を担当しています。今年のテーマは<新しい人になろうよ!>でした。たくさんの心さんたちと出会い、心をもらうことができました。『現代の子どもについて』を来年度の<私って何?>自分探しの旅に出ようや、テーマの呼びかけのモデル資料に使わせて欲しいと切実に感じました。ご了解いただけるとHAPPYです。そして、できれば、たくさんのnonofさんの心を生徒たちに伝達できればいいなぁと願っています。
 圧かましついでにお願いすれば、昨日ユキさんに弟子入り志願を許してもらった喜びの中にいますけれど、nonofさんにも、いつか、弟子入り志願して、もっと心を分けてもらえるようになりたいと思っています。
 初めての人に話しかけるようなものではないですけれど、nonofさんの心に撃たれてしまいましたので、あるがまんまに、老仁の願いを書いてしまいました。
 まずはともかく、『現代の子どもについて』の使用願いを叶えてください。よろしくお願いします。

【転載】戦争告発に生きた報道記者が突き付けられた”重い真実”です

2005-03-16 17:07:25 | 時事問題
戦争告発に生きた報道記者が突き付けられた”重い真実”です。
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「私たちの車はゆっくり走っていた。アメリカ人は理由なく発砲してきた。ニコーラは私の腕の中で死んだ」――ジュリアーナ・ズグレーナ記者はイタリアに帰国し、拘束事件と血まみれの解放劇について語りました。

 単なる事故だと主張する米国に異議を唱える生の証言は圧巻です。それだけではありません。この戦争がイラク社会にいったい何をもたらしたのか、報道に何ができるのか、そして人生でもっとも大切なものは何なのか。その“真実”を突き付けられて戸惑う、一人の人間の姿が浮き彫りになります。

 銃撃の二日後、イル・マニフェスト紙上に発表されたこの手記は、アメリカのCNN、英国のガーディアン紙、フランスのリベラシオン紙によって、いち早く全文が翻訳されています。ただそれらには、原文から大きくニュアンスのずれた表現や省略、明らかな誤訳があることが判明しました。そこで今回TUPでは、すばらしい原文のニュアンスがなるべく忠実に伝わるよう、イタリア語から生の翻訳をお届けすることにしました。
                      今村 和宏/TUPメンバー

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「私の真実」
ジュリアーナ・ズグレーナ
イル・マニフェスト紙(イタリア)
2005年3月6日

 私はまだ闇の中にいる。あの金曜は人生の中でもっとも劇的な日だった。拉致されて何日もたっていた。拉致犯たちと直前まで話していた。彼らは何日も前から私を解放すると言っていた。だから私は何時間も待ち続けていた。彼らが話していたのがどれだけだいじなことだったかは、後になってからしかわからなかった。「移動に関する」問題について話していたのだ。私は、毎日「お守りしてくれた」見張り番二人の態度からその場の空気を感じ取れるようになっていた。特に私の望みに気を遣ってくれた一人は信じられないほど得意げだったので、何が本当に起こっているかを確かめるために、ちょっと挑発的に、私がいなくなるから嬉しいのか、それとも居続けるから嬉しいのか、たずねてみ
た。すると、「あんたが帰ることはわかっている。いつになるかははっきりしないけどね」と、私がびっくりし喜ぶことをはじめて言ったのだ。何か新しいことが起こっているのは確かだった。ちょっとしてから、二人がいっしょに部屋に入ってきて、私を慰めるように冗談っぽく言った。「よかったな。ローマへ出発だぞ」と。「ローマへ」とまさにそう言ったのだ。

 何か変な気分になった。その「ローマへ」という言葉にすぐ解放感を感じたが同時に一種の空虚感が心の中に生まれたからだ。拉致されてから今までで一番むずかしい瞬間が迫っていたのがわかった。今までに体験してきたことがすべて「確かなもの」だとしたら、今や「不確かなものだらけの箱」が開かれようとしていた。それは今までより厄介なものだった。

 服を着替えると、そこへ見張りが戻ってきた。「さあ、送って行くぞ。でも、俺たちといっしょにいることを悟られるような素振りはしないこと。さもないとアメリカの連中が介入してくるかもしれない」と言われた。聞きたくなかったが、やっぱりそうだった。一番嬉しいその瞬間は同時に一番危険な瞬間でもあったのだ。誰かに、いやアメリカ兵に鉢合わせしたら、銃撃戦が始まっただろうし、拉致犯たちは当然応戦しただろうから。

 目隠しをされた。ときどき目が見えない状態になるのには慣れはじめていた。外の様子としてわかったのは、バグダッドでは雨が降ったということだけ。車はぬかるみ道をゆっくり走って行った。いつもの拉致犯二人と運転手がいた。たちまち聞きたくもない音が聞こえてきた。車が止まったあたりの上空をヘリコプターが低空で飛んでいたのだ。「落ち着け。向こうから探しにくるから。10分もすれば向こうが探しにくるから。」彼らはずっとアラブ語で話していた。あとはわずかのフランス語、そしてたくさんのひどい英語で。今度もそんな話し方だった。

 そして車を降りて行った。私は身動きもできず目隠しのまま取り残された。目には綿をかぶせられサングラスをかけられていた。じっとしていた。どうしようかと考えた。今とは違う状況になるまでの秒数でも数えようかな。それって自由かな。そう思って頭の中で秒数を数えかけた瞬間、味方の声が耳に飛び込んできた。「ジュリアーナ、ジュリアーナ。ニコーラだよ僕は。心配しなくていい。ガブリエレ・ポーロ(マニフェスト紙社長)と話した。もう安心して。自由になったんだから。」

 ニコーラは綿の「眼帯」と黒のサングラスをとってくれた。私は安心した。でもそれは、その場の状況のおかげではなかった。第一どんな状況かもよくわからなかった。そうでなくて、この「ニコーラ」の話しぶりにほっとしたのだ。彼は、止めどもなく話した。優しいことばや冗談を浴びせかけてきた。体を撫ぜてもらったような温かい慰め、ずっと忘れていた「ことばの慰め」をやっと感じることができた。

 車はガード下を走り続けた。水溜りを避けようとしてスリップしそうになりながら。みんなバカみたいに笑った。なんという解放感だ。ここまできて、バグダッドの泥道でスリップした上に、交通事故でも起こしたら、そんな話、かっこ悪くて誰にも話せない。ニコーラ・カリーパリは私の横に座りなおした。運転手は二度ほど、空港に向かう途中だと大使館とイタリアに報告していた。米軍がそこらあたりを厳重警備していたのは明らかだった。空港から1キロ足らずにさしかかったころ、ああ・・火花しか思い出せない。火と銃弾の雨を浴びせかけられ、その1、2分前までの楽しそうな声は押し殺されてしまった。

 運転手がイタリア人だと怒鳴り始めた。「イタリア人だ、こっちはイタリア人だ」ニコーラ・カリーパリは私を守ろうと私に覆いかぶさってきた。そしてすぐさま、そう、すぐさま息を引きとったのがわかった。私の上で。私も体に痛みが走ったはずなのだが、わけがわからなかった。とその瞬間、拉致犯たちの言っていたことが稲妻のように頭によみがえった。彼らは私を解放することに最後までとことん責任を持つと約束していたが、気をつけるようにとも忠告していたのだ。「あんたが帰還することを望まないアメリカ人がいるから」と。あの時は、それを偏見に満ちた、取るに足らない言い草だと切り捨てていた。ところが今や、そのことばに、何よりも苦い真実の味を感じつつあった。

 でもこれについては、もうこれ以上、話せない。

 私にとって一番劇的な一日だった。だが、拉致されてからの一ヶ月は私の人生を根底から変えてしまった。一ヶ月間、ずっと自分自身と向き合った。自分の一番根深い信念にとらわれて。一時間一時間、自分の仕事の意味を徹底的に問い直した。彼らはときどき私をからかっては、なぜ帰りたいのか、残ればいいじゃないかと迫った。プライベートな人間関係をしつこく聞いてきた。ふだんは疎かにしているけれど本当は一番たいせつなもの、それに私の注意を向けたのは彼らだった。家族に。「あんたの夫に助けを求めろ」そう言った。実際、皆が見た最初のビデオで私はそうした。私の人生は変わってしまった。NGO「バグダッドへの架け橋」のイラク人エンジニアで二人のシモーナといっしょに拉致されたラード・アリ・アブドゥラジズも「私の人生はまったく変わってしまった」と言っていた。ただ、そのときはピンとこなかった。でも今ならわかる。真実のつらさと無力感を身をもって体験したからだ。

 拉致されて最初の数日間は一粒の涙も流さなかった。私はとにかくひどく腹を立てていた。質問を投げつけたものだ。「でもなぜなの! この戦争に反対の私をなぜ拉致するの?!」と。そうすると、彼らも頭から煙を上げて反論してきた。「おまえが町にいるイラク人と話しに出て行くからさ。ホテルに閉じこもっているようなジャーナリストは絶対に拉致しないさ。それに戦争に反対なんて言っているのは、ただのカモフラージュかもしれないだろう。」私も負けてはいない。「私のように、か弱い女を拉致するのは楽でしょ。アメリカ兵で試してみたらどう?」と挑発する。イタリア政府に軍隊を撤退するように働きかけても無駄だとも主張した。彼らの交渉相手になれるのは、イタリア政府でなくて、戦争にずっと反対してきたイタリア国民だけだと。

 ジェットコースターのような一ヶ月だった。明るい希望とどん底の憂鬱の間を往復する。拉致された金曜日の二日後の日曜日、パラボラアンテナの立つバグダッドの家の中に拘束された私は、ユーロ・ニュース・チャンネルのテレビ・ニュースを見せてもらった。ローマ市役所の建物の正面に巨大な私の写真が掲げられているのが見えた。心がじわっと温かくなった。と次の瞬間、イタリアがその軍隊を撤退させないなら私の死刑が執行されるとの宣言が告げられた。私は恐怖におののいた。でもすぐさま彼らは、それが別のグループだと保証してくれた。そんな宣言は信じなくていい、単なる「挑発者グループ」だと。彼らは二人とも兵士のなりをしていた。でも一人は愛想がよさそうな顔をしていたので、彼によく尋ねたものだ。「本当のこと話して。私を殺すの?」 かと思うと、一風変わった相互理解が進むこともあった。こともあろうに彼らと。頭のてっぺんから足先まで隠した信心深いワッハーブ派(スンニ派原理主義)の女が家の中を廻り私の世話をしていると、「さあ、テレビの映画をいっしょに見よう」と誘いに来たりした。

 拉致犯たちはとても信心深いグループに見えた。コーランのことばで祈り続けていた。でも私が解放されたあの金曜日、毎朝5時に起きて祈っていた一番信心深そうな彼が「おめでとう」と言いに来た。イスラム原理主義者にはめずらしく、私の手をびっくりするほど強く握り締め、「おとなしくしていたら、すぐにでも出発できる」と付け加えた。愉快ともいえるこんな話もある。二人の見張りのうちの一方がテレビを見て、青い顔をして私のところへやってきた。理由は、ヨーロッパの街々に掲げられた私の顔写真とトッティ(人気サッカー選手)だった。そう、トッティ。彼はローマのファンだと白状し、お気に入り
の選手が「ジュリアーナを解放してくれ」と書かれたユニフォームを着て、グラウンドに下りてきたのを見て、困惑していたのだ。

 私は、もはや何の拠り所も見出せない「空間」で暮らした。とてつもなく弱々しく感じた。自分の確信をすべて失った。以前はあの汚い戦争を告発しなければならないと考えていた。そしていま選択を迫られていた。ホテルでじっと待つのか、それとも仕事をしに出て拉致されてしまうのか。「もうだれも来てほしくないんだ」拉致犯たちは私に言った。でも私はファルージャの虐殺について避難民のことばで話したかったのだ。ところが、その朝にはもう、避難民やその「リーダーたち」は私の話を聞こうとしなかった。私はイラク社会が戦争のために成り果ててしまった状態をありありと指し示す例をまさに目の前にしていた。彼らは私に彼らの真実を突きつけてきた。「もう誰もいらない! どうして自分の家にじっとしていないんだ! 俺たちにインタビューして何の役に立つと言うんだ!?」 最悪の副作用。「コミュニケーションを殺す戦争」が私にも襲いかかってきた。今まであらゆる危険を冒してきたのは何だったのだろう。ジャーナリストをイラクに行かせまいとするイタリア政府に挑戦し、戦争と「選挙」のせいでこの国が成り果てた真の姿を報道する私たちを嫌う、あのアメリカ人に挑戦して――。

さて、こうした拒否反応を示す彼らイラク人たちは間違っているのだろうか?

(翻訳:今村 和宏/TUPメンバー)
原文(イタリア語)URL:
http://www.ilmanifesto.it/Quotidiano-archivio/06-Marzo-2005/
http://www.ilmanifesto.it/Quotidiano-archivio/06-Marzo-2005/art7.html

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初心に返れ 老子第40章

2005-03-13 14:53:07 | パラダイムレボリューション
初心に返れ

春が萌えいでて夏になり、
冬がまた春になるように、
生もまた燃焼し、元素に戻り、新しいものになるんだよ。 
人もまた青年期に生まれ変わり、
自己実現を果たし、嬰児に戻っていくんだよ。
季節は巡り、みどりに戻る。人も命に回帰する。
TAOな人はいつだって初心に戻るんだよ。

初心に戻るTAOな人は、
赤子のように、肌も心も柔らかいよ。
ちょっと傷ついても壊れそうに繊細だけど、
傷ついても壊れても、再生する力は水のようにしなやかなんだ。
TAOは宇宙の始まり、いのちの始まりだから、
はじまりの柔らかさがTAOな人の生きる力なのさ。

この世の全てのものは一から始まるけれど、
この私もやっぱりこの私から始まったんだ。
一は無から誕生したように、
この私もまた私の中の無から誕生するんだよ。
私の中の無というのはね、宇宙のように広大無辺で、
孫悟空のように変幻自在なんだよ。
夢見る力が無の力だから、いつだって新しい人を創造できるんだ。

 『老仁のTAO 第40章』へどうぞ!

老子的パラダイムへの接近

2005-03-12 22:15:04 | パラダイムレボリューション
 はじめに

 <学を絶てば憂いなし>とは強烈なフレーズです。逆説なのでしょうか・・・。
 <柔よく剛を制す>の理解のされ方を考えると、順説と理解する方がいいようです。
 古来学問の道は、東洋的にみれば、「孔子的世界」の追求と成就を志向してきたと考えられます。いわば「現実路線」です。西洋的にみれば、「アリストテレス的世界」の追求と成就を志向してきたと考えられます。いわば「科学する世界」です。唯物論の世界と括ってもいいのでしょうか。
 この学問の道のパラダイムに対峙して、東洋的にみれば、「老子的世界」の受容がありました。孔子がついに受容できず、恐怖した世界です。「孔子的世界」の破壊ないしは自己否定の廃墟に成り立つ世界です。けれどそれは宇宙の根源的成り立ちに重なる世界だと把握されてきました。西洋的にみれば、「プラトン的世界」の想起があります。プラトンが「イデア」という言葉で開示しようとしたものが何であるのか、量子論からのアクセスが期待されます。
 「老子的世界」のパラダイムで「教育」の在り様について考えてみたいと思います。
 

 
 1・教育の責務

 第19章は例によって「治政の書」風に書かれています。そして「治政」の原則は「見素抱樸、少私寡欲」にあると説いています。この治政の原則に依拠しない「三悪」を老子は例示します。つまり「聖と智」、「仁と義」、「巧と利」です。この「三悪」を棄てて、本性を自覚させれば、人民は幸せに暮らせると説いています。
 教育に関わって、この意味を考えると、「本性を自覚させる」のが教育の根本だということでしょう。
 教育の現在を「荒廃」と危機的に捉えた文部省は、教育理念のパラダイムを大転換しました。
 すなわち<生きる力>と<ゆとり>をキーワードとするいのちの価値の創造を提唱しました。
 世界の現在を「破滅」と危機的に捉えた国連は、「国連人権教育の10年」を全世界に発信しました。(1995年)。



 2・世界の現在

 はじめに、でみたように、学問の道はひたすら「孔子的世界」の追求と成就を志向してきました。
 つまりは、老子のいう「三悪」の追求です。「人間的な、あまりに人間的な」現実路線としての「立身出世」コースを謳歌礼賛してきたのでした。その頂点に「軍産学共同戦略」がヘゲモニーを握っていました。米ソ冷戦時代の科学の躍進と悪魔支配ともいうべき核戦略構造は依然として「破滅」を増殖させています。


 3・<道>に立つ

 新しく教育理念の根幹に据えられた<生きる力>をどこに求めればいいのでしょうか。
 老子のいう<本性を自覚する>というのはどういうことでしょうか。
 結論を先にいえば、「老子的世界の受容」という<道>を歩き始めることでしょう。


 4・気づく

 <生きる力>は「教えて」「与えられる」ものではありません。
 <生きる力>は、自分の中に<生きる力がある>と気づくことから始まります。
 その<気づき>は<生きる力>を実際に生きている人との<出会い>によって成り立ちます。


 5・創造の主体

 <出会い>が教育の成り立ちの始まりであり、根本であるということについて考える必要があるでしょう。
 「知識」と「技能」は「教える」ことのできるものですが、そして「経過」も「結果」も目に見えるものですが、<生きる力>は「教える」ことのできないものです。そして「経過」も「結果」も目に見えるものではありません。
 <生きる力>は<共に生きる>ことによって<共に育つ>ものなのです。
 <生きる力>は共生・共育の中で自ずから創造されていくものです。
 人間は自己自身を創造していくものなのです。


 6・相互変革

 教育が「功利」追求の手段となり、教育の真の目的が見失われてきたことを、深く反省する時期が到来していると考える必要があります。教育においても新しいパラダイムの創造が世界の潮流となっています。
 教師として、教育者として、この新しいパラダイム創造に参画していく意志と主体性の確立が、今、個人に課された焦眉の課題ではないでしょうか。
 教師が変われば学校が変わる。
 学校が変われば生徒が変わる。


 7・己を知る

 「学を棄てれば憂いなし」は、功利追求の手段と化した教育状況を放棄して、教育の真の目的を成就する教育状況を創造しなさい、という戒めとして理解したいと思います。
 「自知者、明也」と『老子』第33章にあります。教育の真の目的は<己を知る>ことにあります。
 「自勝者、強也」と続きます。<己を知る>ことは同時に<己に克つ>ことなのです。
 古来、とりわけソクラテスによって、<汝自身を知れ>が教育の目的とされてきました。
 <私>の中に全てが存在します。
 <私>の中に<道>が存在します。
 <道>が<全て>です。 
 <道>に戻れば<知足>の豊かな世界が開かれます。


 おわりに

 <生きる力>を「聖と智」、「仁と義」、「巧と利」に求めることを棄てて、「見素抱樸」、「少私寡欲」ことに求めることが教育の根本理念となる日が来ることを切望しています。
                      


 と、とても真面目な文章を、珍しく書いてみました。
 といっても、冗談ではありません。やはり真面目なTAOの基本的なテーマなんです。
 これほど真面目で、根源的なテーマはないでしょう。
 これからこの基本テーマに沿って、遊びながら、TAOに迫っていきたいと思います。

 『老仁のTAO』へどうぞ!

つながれ、新星子のこころ

2005-03-08 13:18:03 | パラダイムレボリューション
 今日授業で生徒たちに<新星子コンミューンのこころ>を『なしかね?』通信にして、メッセージを発信しました。明日から入試で、おそらくこのクラスは最後の授業になるはずでしたから、1年間を振り返って、最後のメッセージを送ったのでした。
 何人かがノートに感想を書いてくれました。


 新しい人になろう by 樹優     
 人とは、人と人はつながっている。
 星の子→新しい星の子→新星子コンミューン
 シンクロニシティ→共時性・・・時間を共有すること
 心はどっかでつながっている!!!

 あたしも、誰かのことをすっごく思ってて、それでメールしてみると、その人からも同時にメールがくることがよくある!!やっぱりシンクロニシティがあるんだね☆なんかすごいと思う。科学的にはよくわからんけど、科学的にはわからない何かがあるってすごい。人間ってすごいと思う。自分にもこんな力があるなんて・・・。きっと、お母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、ひい×1000おばあちゃん・・・ってずっとたどっていくと、世界中の人は、みんな血がつながっているんだと思う。だから、「他人」なんていないはず。世界中の人はみんな家族!!
 早くみんながそれに気づいて、よく考えてみれば、戦争なんて起こらない。殺していい人なんていない。無知は差別、無知は人殺しっていう言葉の意味が、今日の授業で、すっごくわかった。毎日が学習。無駄な時間なんてないはず。だから、毎日、毎日、新しい自分になりたい。明日は、今日の自分よりも素晴らしい自分になっているといいな。
 ありがとう、仁。仁も家族だよね♪
 自分の力は∞(無限大)。

  『新星子コンミューンのこころ』 へどうぞ!

老仁のTAO 第15章 <新しい人>はいつだって自分の中にいるよ

2005-03-06 13:08:53 | パラダイムレボリューション
 『TAO 第15章 顕徳』

 春雷に呼び覚まされた愚仁の中の<新しい人>を思っていると、祥造さんのTAOの言葉が浮かんで、雪のように踊り始めました。仁もつられて、雪になり、雪と一緒に踊ってみました。雪のように小さくなって、雪の結晶さんたちの虹色の舞いを見ながら、自分も雪の結晶のように舞っているのでした。音楽や芸術と無縁に生きてきた愚仁ですが、なにやらコスミックなリズムを体感しているような気がします。
 その後で、祥造さんのTAO第15章を読んでいたら、自ずから言葉さんたちが湧いてきて、踊るようにメッセージを発信しています。おもしろいんで、それを記述してみました。記述が追いつきませんでしたけれど、そのメッセージはもっとシンプルで、おっとなるほどと感心していたのですけれど、記述の段階で、愚仁の解説に変わってしまうようで、ちょっとがっかり、色あせてしまいましたが、紹介してみます。


昔からたくさんのTAOと友達になった人がいるけれど、
その人たちはちょっと風変わりで、人生の達人と呼んでもいいよ。
見た目は隣のおっちゃんだけど、
あるいは無邪気に山野で遊びまわっている子どものようだけど、
つき合ってみると、奥が深いんだ。
どこまで行っても先が見えないくらい大きいよ。
達人さんたちの世界は銀河のようなものだね。

そんな大きな人たちが昔も今もたくさんいるんだよ。
あんまり大きすぎて、あんまり深すぎて、つかみとることはできないけれど、
あえてこんな人だよとイメージできるように例えてみるようね。
TAOと友達な人を「TAOな人」と呼ぶことにしてみよう。
「TAOな人」はあなたの中にもちゃんといるんだ。
不器用で、ナイーブだけど、
空気のように気づかないことが多いけれどね・・・

TAOな人は、まず、目立ったことはしないね。
人の後ろからついて行くんだ。
だから、自分がどうすればいいかよく見えている。
要するに、慎重なんだ。いいかえれば、よく学ぶ人なんだ。
自分がどこにいるかよく知っているし、
自分の周りのことをよく知っているから、
危険な冬の川を渡ることだって、普通に、できるんだよ。

人と交わる時でも、世間とつき合う時でも、
いつも知らない森の中を歩く時のように、
一歩一歩、確かめながら、進んでいくんだよ。
トゲを踏んで怪我したり、毒虫に刺されて熱を出したり、
獣に襲われてひどい目に遭うのが恐いからね。
知ってるつもりにならないんだ。
信じているふりはしないんだ。 
 
どんな立場の人とでも同じスタンスでつき合うんだよ。
お偉いさんに媚びたり、卑屈になったり、
弱い立場の人を蔑んだり、いじめたりしないんだ。
あるがまんまの自分のままで、
自分を大切にするように人を大切にするから、
心は乱れることもなく、心は驕ることもなく、
客人のように穏やかでいることができるんだ。

だからTAOな人とつき合っていると、
自分も、だんだん素直になって、
警戒心も緊張も、不安も欲も消えていくよ。
氷が溶けるように、
心のバリアが解けていくんだ。
拘りを消し去ってくれる人と時空を共にできると、
とてもハッピーになれるんだよ。

ほんと、TAOな人って素朴な人と呼び替えてもいいくらいだよ。
飾りっ気はなく、おしゃべりでもなく、
目立った才能をひけらかすわけでもない。
山から切り出した材木が、
荒削りのまま、無造作に放り出されている材木置き場の
材木の一つのようなものなんだ。
そんな材木あなたの中にあるでしょう。

荒削りの材木だから、何にでも創りだすことができるんだよ。
出会った人に合わせて、何にでもなるんだ。
そんな大きな心を持った人がTAOな人なんだ。
例えていえば、深い深い谷のようなものだ。
谷は宇宙の気の集まるところ、
地球の気の放射されるところ。
空即是色の人間劇場と呼んでもいいよ。

ともかくも、TAOの人には何でもありだね。
好きなものも嫌いなものも、美しいものも汚れたものも
ごったごったに自分の中にあるでしょう。
TAOな人は下流の濁った川の水のように、
流れ来るものは何でも受け入れる寛容な器なんだ。
何でも受け容れて、ごちゃごちゃ混沌としているけれど、
いつのまにかそれぞれが所を得て、清らかに澄んでいくのだ。

また、山河のように穏やかで、安定していて、
けれど自然の営みは休むことなく、
さまざまないのちを育み、天地を動かして調和を保つのだ。
そのようにTAOな人も穏やかに人の中にあって、
いのちとこころの深いところでつながっているから、
人と共に動き、人と共に苦しみ、人と共に喜び、
人と共に幸せを生みだしていくのだよ。

少しイメージできたかい?
TAOな人を自分の中に見つけることできたかい?
このようにTAOな人として生きていく人は
いつだって満足というものを求めようとしないものさ。
生々流転のエネルギーそのものだから、疲労さえ知らないんだよ。
いのちが新陳代謝するように、自分がボロボロに使い尽くされても、
そのボロボロのまんまでまた<新しい人>に生まれ変わっていけるんだよ。


木乃実さんのマスターへの道

2005-03-06 00:30:38 | パラダイムレボリューション
 <「真っ白な年、まだ未来は心(ここ)の中。素敵な未来を思い描くと、きっと素敵な未来が足音立てて遊びに来ますよね」って、いいフレーズですね。
アメリカのお医者さんでディーパック・チョプラという人がいるのですが、彼によれば、私たちは太陽と同じようにそれぞれ固有の光の波長を持っていて、心で思い描いていることが波となって現実の世界に波及して、その波長と同じ現実を引き寄せるらしいです>
 光の先輩さんたちのメッセージを読みとる力を得た木乃実さんがいて、読みとる力は共振だから、共振の中で波長が同じになっていくんでしょうね。光が波動であるように、愛もまた波動だから、光さんたちの愛は木乃実さんの愛となって生命を得ることになる。命を得た愛は波動としてあらゆるものに分け与えられるでしょう。波動は時に生きるエネルギーとなり、時には道しるべの言葉になり、時には愛のドラマになる。一つぶの滴は流れて、大河になり、大河は雲となって山に戻るんですね。降りては昇り、降りては昇り、多くの光さんたちが、星のように瞬き、太陽のように燃え、銀河のように広がっていきます。
 聖マリア病院で診察を待つ間、洞ののマリアさんを見ていました。雪が降りかかります。風に舞う雪さんたちが光さんに変わるような気さえします。変幻自在の舞いを幻想さえするのです。それらはみなマリアさんから解き放たれているような気もしました。マリアさんが佇んでいる洞は雪も届かず暗いのです。その暗さの中から波動が吹き出していて雪と光を舞わせているのでしょうか・・・。<天と地の出てきた神秘の門、あれを開いて、母と遊ぶことができるんだ>そういう思いをもちながら、祥造さんのTAO第10章を読んでいたんです。昨日、<もう先輩さんたちの言葉か木乃実さんの言葉か区別がつかないほどに木乃実さんは光さんたちの世界になじんでいた。どうしてこんな奇跡が起きるんだろう・・・。>と不思議に思っていました。でも、答はすごくシンプルだとわかりました。<われら心と肉体を持つものは、ひとたびタオの道につながれ、体と心は離れないようになる>。素直に戻れば玄の力が湧いてくる。直観で感じたように、セドナの旅が木乃実さんのバリアを解き放ってくれたので、木乃実さんは神秘の門をくぐることができたんでしょうね。玄の又玄。<ひとの玄(おく)にある深い力が、いちばんよく働く>ところに木乃実さんは行くことができたんだ。
 <やっとここまで来たね>、セドナの旅で木乃実さんを初めて迎えてくれた天の声です。そして、今、<「よく来たね。つらい思いをして、手放して、よく来た」>と迎えてくれる天の声があります。マスターになるには資格試験があるのかどうか愚仁は知りませんけれど、「よく来たね」はマスターの世界の市民権を獲得した人へのねぎらいの言葉なのではないでしょうか。・・・木乃実さんは、光の先輩さんたちのメッセンジャーなのではなく、光の先輩さんたちの仲間入りをしたひとりの光さんになったのでした。
 貫いて我を撃ちたる春の雷    仁
 遠くで轟く春雷が鈍く鈍く近づいてきて、足元に舞い始め、そして螺旋状に舞いあがって、脳天を駆け抜けていきました。外に目をやると洞のマリアさんに雪は同じように舞いかかっています。愚仁は木乃実さんというマスターに出会っているように感じました。
 数十日前、鈴音さんというTAOな人に出会い、弟子入り志願をして、鈴音さんから弟子入りを認めてもらったばかりです。二人の師を持つなんて不届きで、罰当たりなのでしょうけれど、学びの喜びはかけがえのないものですから、この喜びをあたえてくれる人は老仁にはかけがえのない師なのです。欲張りですけれど、もっともっと、たくさんの師に出会えるようにシンクロニシティの旅を続けたいと思います。シンクロニシティの旅はフローの旅と呼び替えてもいいのかなぁと思っています。

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