「村上春樹の文学は日本の過去に免罪符を与えようとしている」
朝鮮日報 2007/04/02 17:47:30
『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』をはじめとした作品で韓国でも厚い読者層を持つ日本の小説家・村上春樹(写真)。この村上春樹文学に対し、「村上春樹が文学を通じ、帝国主義日本の過去に免罪符を与えようとしている」との批判が提起された。またこうした主張は、戦争被害国ではなく、加害国の学者により提起されたという点で、より注目を集めている。
先月30日から31日にかけ、高麗大100周年記念館で高麗大と東京大の共同主催で開かれた「東アジアで村上春樹を読む」シンポジウムに参加した小森陽一東京大大学院教授(言語情報科学)は、「記憶の消去と歴史認識」という主題発表で、「『海辺のカフカ』がヒットした背景には、日本の社会構成員らの集団的無意識の欲望と作家の文学表現が結合した極めて危険な転向の姿がある」と主張した。
小森教授は昨年にも日本で、『村上春樹論-『海辺のカフカ』を精読する』という著書を発表したことがある。小森教授の主張の核心は「日本社会では、戦争の記憶が無意識の傷として位置づけられており、その傷に対する集団的罪悪感の治癒を求めている」というものだ。小森教授は、特に『海辺のカフカ』が「侵略戦争をめぐる記憶を想起させるエピソードを数多く登場させているものの、わずかな間だけそれを読者に想起させ、“すべてのことは仕方のないことだった”という風に容認した後、記憶自体をなくしてしまう」と指摘した。
村上春樹は、私にとってちょっと特別な位置にいる作家です。
なのでつい反応してしまいました。
以前はものすごく好きで、新刊が出るのを待ち望んでた蜜月な時期もあったのに
急に苦手になってしまった。で、どうも関係修復は難しいのだけど
気になりつづける。で、苦手なのに、ついつい読んでしまって
「あ、やっぱり苦手」と再確認する行為がここ数年続いています。
ダメになったのは『ねじまき鳥クロニクル』が決定的なのですが
実は、短編集やエッセイでも 何度かすごく歪んだダークなオーラのような
まがまがしいエネルギーを感じたことがあります。
短編集だと「TVピープル」あたりから。
「加納クレタ」を読んだ時、なんとも奇妙な嫌悪感があったなぁ。
なんというか「致命的に暴力的な死」のにおい、というか
血は流れないけど、代わりに魂がどくどくと流れてく感じ。
全然ジャンルは違うけど、ある種「ジョジョの奇妙な冒険」にも似た
独特のシュールな痛みを感じる。
で、よくよく考えると、それって、どの作品にも流れていて
だからこそ、逆にどうしようもなく好きな時期もあったのかな、と。
作家と読者も出会いだな。
波長・波動・・・相互作用なのでしょう。
でもそれが、さすが村上春樹だ、と思う部分でもあって。
やっぱり私にとっても特別な作家の1人だと思う。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は今もって
マイベスト10なのは変わることはないと思います。
で、『海辺のカフカ』は、タイトルに魅かれて購入したのですが、やばいくらい苦手な作品。(あ、でもその前の『スプートニクの恋人』はさほどでもなかったのですが)
ある種、エヴァンゲリオンと同じ苦手さ。
(私にとって苦手なのって、男性の描く「少年性」なのかな?と今思った)。
村上春樹って自慰行為の描写が多いように思うんですが、
この作品はそうした少年の青いエゴそのもののような気がした。
それが日本人の幼い自我に通じるとしたら
この記事は興味深いひも解きになるなぁ、と思いました。
『ねじまき鳥クロニクル』でもノモンハン事件をベースにした部分があり
拷問シーンのあまりにも残虐な描写と、全体を支配する禍々しさ・・・
で、やっぱり隙がなくみっしりと暗い・・・。
手触りが、乾いてるのにじめっとしている違和感。またはその逆?
学習性無気力症候群のような、暴力を受け続けた人間のような
無気力さや諦め、ねじ伏せられた希望の残骸・・・そういうものを感じたり。
読んだあと内蔵感覚の嫌悪感に襲われ、本を手元においておけず、長らく本箱に封印。近所にブックオフができた時に即売ってしまいました。
コメントや他の方のブログ等で前にも書いたのだけど、彼はなにかの(もしかしたら日本兵の・・・)亡霊に取りつかれてる、と本気で思っています。
で、この記事を読んだ時、ちょっとドキッとしました・・・。
いや、記事の内容に同意したわけでは決してないのだけど。
&本は読み手の意識次第な部分があるし、どう解釈されようと
村上氏は多分、「そうなんだ」という客観的な態度しかとらないようにも思います。
どうして『海辺のカフカ』が高校生の推奨本になってるのか、&世界中の若者に支持されてるのかが、実は私には理解できないんだけど、それは私がもう、村上春樹を通りすぎてしまったからかもしれない、と思いました。
なんというか、次元の違う時間の流れがあって、
村上作品はある時間で止まってる気がします。多分、意図的に・・・。
(あ、あくまで私見ですよー。でもって、研究本は一切読んでないので
読み違い多々あると思います。)
でも『アンダーグラウンド』のような緻密なノンフィクションを
自分の好奇心から仕上げてしまうものすごい粘り(なのか?濃い好奇心というべきか)を感じる創作意欲も含めて、視点が凄いと思うし、
切り口・語り口はどこまでも明快だし、
エッセイは上質だし、・・・・やっぱり気になる作家ではある。
そういう意味で、別れたのに気になる独身の恋人のような作家なのです。
※リストを見ていたら、長編では『アフターダーク』が未読でした。
いつかまたトライしてみたくなる日も来るかも・・・。
追記:
村上春樹の怪談で、鏡のない部屋に住む僕、の話に出てくる
人間の本質的な絶対的な「悪」・・・、
もしそういうものを描こうとしているのなら、
彼はものすごく成功している・・・といえそうだなぁ。
村上 春樹(wiki)
過去記事:
村上春樹★東京奇譚集
好きな本たち・1『姑獲鳥の夏』他
朝鮮日報 2007/04/02 17:47:30
『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』をはじめとした作品で韓国でも厚い読者層を持つ日本の小説家・村上春樹(写真)。この村上春樹文学に対し、「村上春樹が文学を通じ、帝国主義日本の過去に免罪符を与えようとしている」との批判が提起された。またこうした主張は、戦争被害国ではなく、加害国の学者により提起されたという点で、より注目を集めている。
先月30日から31日にかけ、高麗大100周年記念館で高麗大と東京大の共同主催で開かれた「東アジアで村上春樹を読む」シンポジウムに参加した小森陽一東京大大学院教授(言語情報科学)は、「記憶の消去と歴史認識」という主題発表で、「『海辺のカフカ』がヒットした背景には、日本の社会構成員らの集団的無意識の欲望と作家の文学表現が結合した極めて危険な転向の姿がある」と主張した。
小森教授は昨年にも日本で、『村上春樹論-『海辺のカフカ』を精読する』という著書を発表したことがある。小森教授の主張の核心は「日本社会では、戦争の記憶が無意識の傷として位置づけられており、その傷に対する集団的罪悪感の治癒を求めている」というものだ。小森教授は、特に『海辺のカフカ』が「侵略戦争をめぐる記憶を想起させるエピソードを数多く登場させているものの、わずかな間だけそれを読者に想起させ、“すべてのことは仕方のないことだった”という風に容認した後、記憶自体をなくしてしまう」と指摘した。
村上春樹は、私にとってちょっと特別な位置にいる作家です。
なのでつい反応してしまいました。
以前はものすごく好きで、新刊が出るのを待ち望んでた蜜月な時期もあったのに
急に苦手になってしまった。で、どうも関係修復は難しいのだけど
気になりつづける。で、苦手なのに、ついつい読んでしまって
「あ、やっぱり苦手」と再確認する行為がここ数年続いています。
ダメになったのは『ねじまき鳥クロニクル』が決定的なのですが
実は、短編集やエッセイでも 何度かすごく歪んだダークなオーラのような
まがまがしいエネルギーを感じたことがあります。
短編集だと「TVピープル」あたりから。
「加納クレタ」を読んだ時、なんとも奇妙な嫌悪感があったなぁ。
なんというか「致命的に暴力的な死」のにおい、というか
血は流れないけど、代わりに魂がどくどくと流れてく感じ。
全然ジャンルは違うけど、ある種「ジョジョの奇妙な冒険」にも似た
独特のシュールな痛みを感じる。
で、よくよく考えると、それって、どの作品にも流れていて
だからこそ、逆にどうしようもなく好きな時期もあったのかな、と。
作家と読者も出会いだな。
波長・波動・・・相互作用なのでしょう。
でもそれが、さすが村上春樹だ、と思う部分でもあって。
やっぱり私にとっても特別な作家の1人だと思う。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は今もって
マイベスト10なのは変わることはないと思います。
で、『海辺のカフカ』は、タイトルに魅かれて購入したのですが、やばいくらい苦手な作品。(あ、でもその前の『スプートニクの恋人』はさほどでもなかったのですが)
ある種、エヴァンゲリオンと同じ苦手さ。
(私にとって苦手なのって、男性の描く「少年性」なのかな?と今思った)。
村上春樹って自慰行為の描写が多いように思うんですが、
この作品はそうした少年の青いエゴそのもののような気がした。
それが日本人の幼い自我に通じるとしたら
この記事は興味深いひも解きになるなぁ、と思いました。
『ねじまき鳥クロニクル』でもノモンハン事件をベースにした部分があり
拷問シーンのあまりにも残虐な描写と、全体を支配する禍々しさ・・・
で、やっぱり隙がなくみっしりと暗い・・・。
手触りが、乾いてるのにじめっとしている違和感。またはその逆?
学習性無気力症候群のような、暴力を受け続けた人間のような
無気力さや諦め、ねじ伏せられた希望の残骸・・・そういうものを感じたり。
読んだあと内蔵感覚の嫌悪感に襲われ、本を手元においておけず、長らく本箱に封印。近所にブックオフができた時に即売ってしまいました。
コメントや他の方のブログ等で前にも書いたのだけど、彼はなにかの(もしかしたら日本兵の・・・)亡霊に取りつかれてる、と本気で思っています。
で、この記事を読んだ時、ちょっとドキッとしました・・・。
いや、記事の内容に同意したわけでは決してないのだけど。
&本は読み手の意識次第な部分があるし、どう解釈されようと
村上氏は多分、「そうなんだ」という客観的な態度しかとらないようにも思います。
どうして『海辺のカフカ』が高校生の推奨本になってるのか、&世界中の若者に支持されてるのかが、実は私には理解できないんだけど、それは私がもう、村上春樹を通りすぎてしまったからかもしれない、と思いました。
なんというか、次元の違う時間の流れがあって、
村上作品はある時間で止まってる気がします。多分、意図的に・・・。
(あ、あくまで私見ですよー。でもって、研究本は一切読んでないので
読み違い多々あると思います。)
でも『アンダーグラウンド』のような緻密なノンフィクションを
自分の好奇心から仕上げてしまうものすごい粘り(なのか?濃い好奇心というべきか)を感じる創作意欲も含めて、視点が凄いと思うし、
切り口・語り口はどこまでも明快だし、
エッセイは上質だし、・・・・やっぱり気になる作家ではある。
そういう意味で、別れたのに気になる独身の恋人のような作家なのです。
※リストを見ていたら、長編では『アフターダーク』が未読でした。
いつかまたトライしてみたくなる日も来るかも・・・。
追記:
村上春樹の怪談で、鏡のない部屋に住む僕、の話に出てくる
人間の本質的な絶対的な「悪」・・・、
もしそういうものを描こうとしているのなら、
彼はものすごく成功している・・・といえそうだなぁ。
村上 春樹(wiki)
過去記事:
村上春樹★東京奇譚集
好きな本たち・1『姑獲鳥の夏』他
それでも「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」「ねじまき鳥・・・」「世界の終わりと・・・」ほか数冊を過去に読んでいましたね。
個人的な感想ですが、村上春樹氏の作品には『暴力&性&酒(幻想)』が不可欠な三要素で、これを主軸にしてプロットを構築されている作品が多いように感じられます。
特に暴力と性の描写が、タブーとされている領域に敢えて踏み込むことで独特の世界観を醸し出している作家であるが故に根強いファンが付いているのでしょうね。(個人的な考えです)
売れる本の三要素というのがあって確かに「酒(ドラック)と性と暴力」を描けばノンフィクション系は売れると出版社は言うのですが・・・。
「スリルとロマンとサスペンス」も言い換えれば同じ様な三要素に置き換えられるものですからネ。
※「亡霊に憑かれているのでは?」
これは、作品のストーリー若しくは主人公そのものが、そもそも幻想や幻影で自分自身の頭の中で作り出された正に亡霊に他ならないし、取り憑かれていると読者に思われることは作家冥利に尽きますね。
ありえない展開から導かれる意外性や嫌悪感もある意味、読者の価値観と経験値、趣味、嗜好により受け取り方も違うことを計算した上での村上ワールドでしょうね。
思想的、性癖的な部分は、やや偏り歪んでいる作品が目立つし、話題になるのは、逆に売れている証拠だとも言えますし、売るための策略もあってのことでしょう。
あれ?ちょっと言い過ぎたかな?
カフカ読んでないので、いい加減なコメントになりますが。
>村上氏は多分、「そうなんだ」という客観的な態度しかとらないようにも
間違いなくそうでしょうね。
まあ、内心いろいろ思われるでしょうが。
>ある種、エヴァンゲリオンと同じ苦手さ
ここが、すごく面白い。
意図的に、性と暴力を導入して、文学的な匂いを醸し出している部分や、「私」に「世界」が集約されていく作品構造とか、いろいろ共通点があるわけだし。
で、ねじまき鳥と、世界の終りと~を再読中なので、そのうち記事にします。
ああ、こういう予告をすると、たいてい記事にしないという雑派日誌の法則が…
でも、します。必ず。たぶん。
ねじまき鳥で、決別というか、何となく読まなくなった原因を探りたいなと。
あと、いま読むと、どういう印象になるのかも、気になるので。
なので、
>別れたのに気になる独身の恋人のような作家
というのは、すごくわかります。
で、村上春樹の作品は、永久に「理解できた」と感じることができないという部分が、別れた恋人気分なんじゃないかと。自己分析。
(1つの作品をめぐって、他の方の感想を聞くのって
けっこう好きなんです♪)
「ノルウェイの森」はなんであそこまでベストセラーになったのかは
やはり謎ではありますが、まだ好きな作品なんですよ。
やっぱり苦手なのは「ねじまき鳥」だなぁ。
>暴力と性の描写が、タブーとされている領域に敢えて踏み込む
そうかー。
暴力も作風としては確かにアリですね。
でもって、あまり暴力を書く作家という印象がなかったのですが(それがポイントな気がします)、言われてみたら、ものすごく暴力的表現多い(犯すとか拷問とか)のを思い出しました。
なんかエッセイでメチャ楽しくって知的なイメージを前面に出してるから、そのあたり誤魔化されてしまうのかも。
(村上龍は暴力的でも一貫してズレがないから今も好きなんですが・・・)
作戦だとしたら、すっかりはめられてるなぁ・・・私。
>「スリルとロマンとサスペンス」も言い換えれば同じ様な三要素
なるほど、それも興味深いですね!
随分印象違って、スマートで、そっちのほうが断然好きですが。
嫌悪感を誘発すること含めて、計算・演出できるのって凄いですよね。でもって村上春樹氏のは、なんというかたまにブログの記事なんかでも見かけるけど、精神的なダメージを狙ったもの確信犯かな、と(死体の写真とか、ひどいエロ写真とかと同じく)。
で、そういう作風だと思えないジェントルマンな部分を出してるのがうまいのかな?
(読者とのQ&Aとか、ものすごく親しみやすい印象あります)
とkeiのコメントで自分なりに考えてみました。
うん、もっときちんと分析してみたくなりました!
非常に興味深いコメントをありがとうございましたー♪
小森教授はそういうキャラなのかー。ふむ。
や、でもそういう反応がおかしくない作品ではあるかも。
なんか村上春樹氏は、いろんなものをカモフラージュしたり」
刷り込ませるスキルは、確かに高いと思う。
オウムの洗脳とかに通じる、人間をコントロールすることへの
関心がない作家ではないと思うのです<ややこしい?
>意図的に、性と暴力を導入して、文学的な匂いを醸し出している部分や、「私」に「世界」が集約されていく作品構造とか、いろいろ共通点があるわけだし。
あら?なにげなく書いたけど、ホントですね!(え?
母親との関係も・・・
村上春樹風エヴァなのか???
>ねじまき鳥と、世界の終りと~を再読中なので、そのうち記事にします。
めっちゃ期待してますから!!!
片や超苦手、片や超大好き作品ゆえに、
じっぱ様がどう料理されるのかものすごく関心あり!
>あと、いま読むと、どういう印象になるのかも、気になるので。
うーん、『海辺のカフカ』をよむかぎり、
嫌悪感は助長されてくわけですが、
再読したら印象かわるものは確かにあるかも・・・
でもネジはよむ気がしないなぁ。
解釈本の多い作家ですが、理解よりは共感したいんじゃないかと。
で、理解できたら別れた恋人もすっぱり忘れられちゃうのでしょうか?
理解=自分なりの情報整理だとしたら、
そのあたり、また別の意味で興味深いかも?