《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》
〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
っているものが残っている。ほら鈴木、あれがあるじゃないか。例の〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〉が。
鈴木 あっ…、そうか、そうだった。
荒木 なんだ、その〈「押しかけ女房」的な痴態云々〉ってのは?
吉田 それは、上田が例の論文の中で、
高瀬露の場合は、小倉豊文のことばを借りれば〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〉とされているのである。
<『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学)89pより>
と述べていることなんだ。しかも、他ならぬ「小倉豊文のことば」であればその信憑性は高いぞ。
荒木 やべぇ。実際にもしそのようなことが本当にあったとすれば露にとってはかなり不利なことになるぞ。もしかすると、折角いままで耐え抜いてきた<仮説:露は聖女だった>がこの小倉の一言でぐらついてしまうのか。
鈴木 そのことは私も気になっていたので、以前、そのことが述べられているであろうはずの小倉の著書『宮澤賢治の手帳 研究』『「雨ニモマケズ手帳」新考』『解説 復元版 宮澤賢治手帳』には目を通してみたのだが、見つからなかったから諦めていた。
ただし、その中の一冊に似たような事は述べられていて、「高橋氏の話によれば」と前置きした上で、
高瀬さんの強引な単独訪問はその後もしげしげ続いたが、
とか、
関徳弥氏夫人に、賢治を悪しざまに告げ口した。その前に賢治は「自分の悪口をいいに来る者があるだろう」と、関氏と同夫人に話に来たという。このことは関氏と同夫人から私も聞いている。
<『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉著、筑摩書房)47p~より>
というようなことは記述されていた。
荒木 するとますますやばいぞ。「露の強引な単独訪問はその後も」続いたり、「賢治を悪しざまに告げ口した」りしたというんだべ。もしそのとおりだったとすれば、これらは〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ〉と似たり寄ったりで、どっちにしても、このことが本当であれば露のこのような行為は<仮説:露は聖女だった>の反例となるおそれがあるべ…。
鈴木 私もちょっと油断していた。先に話し合った、「全てが皆繋がった」と同じ様なことを言っているのかなと思ってあまり深刻に受けとめていなかったが、改めて吉田に指摘されて少し甘かったと今思ってる。
荒木 いよいよ足下に火が付いてきた感じだ。最後にどんでん返しを喰らうのか……。
吉田 すまん、折角ここまで頑張ってきたのに。変なことを言ってしまって。
荒木 いや、それはない。大事なことは何が真実かだ。もしそうであったとすれば、今までのことは徒労に終わってしまうかもしれんが、また一つ真実が明らかになるのだからそれはそれで甘受する。
鈴木 おっ、格好いいことを言ういうじゃないか。
荒木 へへぇ、ちょっと強がってみた。
吉田 しかし、ここまでこの<仮説>はどんなことがあっても検証に耐え続けてきたのだから、最後の土壇場でどんでん返しはなかろう。少なくとも、僕らがここまで調べてみた限りでは露はそんな言動をするような人ではないということを確信できているのだから、ここで諦めてどうする。
荒木 そうだよな……。よしっ、ここはあまり悲観的にならずに露のことを信じて闘い続けるべ。
鈴木 それじゃこうしよう。ここは一度冷静になって小倉の先ほどの著書等を読み直して、一週間後にまた集まって検討してみようじゃないか。
荒木 よし、ここは東北人の粘り強さを発揮してみるべ。
‡‡‡‡
さて、二人が帰ってから少し心を落ち着けて小倉の本を読み直してみた。するとまず気になったのが次の一文だった。
私は本書初版で森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べたが、私の行文が不備だった為に高橋氏から批難を受けたので、その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
<『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)115pより>
かつて読んだ時には軽く読み流していたのだろう。余り気にも留めていなかったのだが、改めて読み直してみると、
・行文が不備だった
・為に高橋氏から批難を受けた
・その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
とは一体どういうことなんだ、と一気に疑問が膨らんだ。
そこで、まずは小倉の「雨ニモマケズ手帳」に関する著書を並べてみると次のようになる。
(1)『宮澤賢治の手帳 研究』(創元社、昭和27年)
(2)『宮沢賢治『手帳』解説』(生活文化社、昭和42年)
(3)『「雨ニモマケズ手帳」新考』(東京創元社、昭和53年)
(4)『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(筑摩書房、昭和58年)
さて、では小倉が言うところの「本書初版」とは何を指すのかだが、それは〝(3)〟の初版のことを指しているのだから、当然〝(1)『宮澤賢治の手帳 研究』〟のことを指している。
そして、小倉はその〝(1)『宮澤賢治の手帳 研究』〟に載せた「大略」が不備だったので「手帳複製版解説」では「全面的に取消した」ということだから、この「手帳複製版解説」とは〝(2)〟を指していることが判る。
そこで、これらの中で私が持っていないものは〝(2)『宮沢賢治『手帳』解説』〟だから、これを見てみる必要があると思ってあちこち探してみたがなかなか見つからなかった。が、やっとのことでそれをある場所で見ることができた。
「粗雑な推定」とは
一週間後三人はまた集まった。
鈴木 知ってのとおり、昭和42年に生活文化社から『雨ニモマケズ手帳』の複製版が出たわけだが、その解説書『宮沢賢治『手帳』解説』において、
拙著研究では、この詩のテーマになっていると思われる一人の女性について粗雑な推定を敢えてした。しかしその後思うところあり、右の推定は取消((ママ))にする。
<『宮沢賢治『手帳』解説』(小倉豊文著、生活文化社)39頁より>
と小倉は妙なことを述べていた。
荒木 俺も『「雨ニモマケズ手帳」新考』を調べていたら、やはりそれと似たような内容の、
私は本書初版で森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べたが、私の行文が不備だった為に高橋氏から批難を受けたので、その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
<『「雨ニモマケズ手帳」新考』115pより>
が気になった。
吉田 やはりな、僕もそうだった。
鈴木 それではまず、
「拙著研究」=『宮澤賢治の手帳 研究』
ということは決まりでいいだろ。そして、おそらく次のような顚末だったということになろう。
(a) 小倉は最初に出版した『宮澤賢治の手帳 研究』において、森・関両氏の著によって件の大略をこの詩のテーマと推考して述べた。
(b) ところが、この「大略」は「行文が不備だった為」に高橋慶吾から強く批難された。
(c) そこで、次に出版した『宮沢賢治『手帳』解説』において、先の「大略」では「一人の女性について粗雑な推定を敢えてした」ということを公に認め、かつその「粗雑な推定」を「取消し」た。
荒木 そこまでは納得。ただし小倉が「取消し」たというところのその中身そのもの、つまり「粗雑な推定」が見えない。
鈴木 それなんだが、私にもこの先がよく見えてこない。ただ、小倉は『宮澤賢治の手帳 研究』の中で、例の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕をまず取り上げ、「この詩を讀むと、すぐに私はある一人の女性のことが想い出される」と前置きして、続けてそれこそ「大略」を述べているということなのでその部分がどこかということだけがわかっただけだ。
この部分が小倉が言っているところの「大略」だろう。が、そのうちのどの部分が「粗雑な推定」に該当するのかわからん。
荒木 どれどれちょっと見せてくれ。……やっぱりだめだ。これじゃちょっとやそっとのことではどこが「粗雑な推定」なのかわからん。
吉田 そこでだ、実は僕は今回その「大略」の分析をしてみたからこのプリントを見てくれ。
│ 大正十五年四月、花巻郊外の櫻で自耕自炊の獨居生活をは│
│じめた賢治は…(略)…農業技術の指導講話をしたりしはじめ│
│た。その頃、協會員の一人の紹介で、花巻の西の方の村で小│
│學校教師をしている若い一人の女性が賢治の家に出入りする│
│ようになつた。彼女はその勤めている學校で賢治が農業の指│
│導講話をした時に、はじめて彼を見たのである。當時田舎に│
│は珍しいクリスチャンであつたと言う彼女であるから、①恐│
│らく新しい科學や藝術にあこがれていた女性であり、それ故│
│に、賢治のはじめた仕事にも深い關心を抱いたであろうこと│
│は當然であろう。更に想像をたくましくすれば、當時田舎に│
│は數少ない高等教育を受けていた賢治であり、田舎はもとよ│
│り都會を含めて日本にも珍しい科學と藝術の天才であり、世│
│界でも珍しい仕事をはじめた賢治であり、當時三十一歳の獨│
│身生活者であつた賢治であるから、彼女の關心は賢治の仕事│
│よりも賢治その人にあつたのであるかも知れない。 │
│ とにかく、②クリスチャンらしい「聖女」として、新しい科│
│學や藝術を探究する「弟子」として、賢治と彼女との交渉はは│
│じまつたのである。男だけの集まる協會であるから、一人の│
│女性のいることは室内の整備にも、劇の出演者に女の必要な│
│場合にも便利であつた。賢治もはじめは「しつかりした人だ」│
│と協會員にも語つてよろこんでいたらしい。ところが、この│
│女性は來る每に花や食物やいろいろの品物を持つて來るよう│
│になつた。賢治は他人に物をやつたり御馳走したりすること│
│は好きだが、他人からそうした心配をされることは大きらい│
│であり、そうした行為には必ず過分の返禮するのを忘れなか│
│つた。こうした賢治の片意地と思われる程の「義理堅さ」につ│
│いては、實に多くの逸話があるが、こゝでは割愛する。とに│
│かく賢治はこの女性に對してもその都度何かしらきつと返禮│
│していた。しかし、③彼女の贈物と訪問は加速度に激しさを│
│加え、賢治の寢ている内に訪ねて來たり、遠いところを一日│
│に二度も三度もやつて來たりするようになつた。賢治はほと│
│ほと困つてしまつた。「本日不在」と貼紙をしたり、顏に墨を│
│塗つて會つたりしたこともあるという。だが、こうした賢治│
│の態度は益々彼の女の彼に對する思慕愛戀の情を燃えさから│
│すばかりであつた。賢治は返禮の品物に行きづまつたのであ│
│ろう。ある時は布團をお返しにおくつたこともあるという。│
│こうしたことは、賢治にとつては全く他意のあることではな│
│かつたのであるが、常識的にそうは思われない。彼女はその│
│勤めている村に新しい家を借り、世帶道具を調えて、いつで│
│も彼との結婚生活がはじめられるように設計もしていたとい│
│う。 │
│ ある時、近郊の村の人々が數人、賢治の家―羅須地人協會│
│―を訪ねた。賢治はその人たちを二階に招じて談笑していた。│
│その時、この女性はすでにそこに來ていて、しきりに台所で│
│何か體を動かしていた。間もなく彼の女はその手料理のライ│
│スカレーを二階の客の前に運びはじめた。全く新家庭の新婦│
│人振りである。賢治はほとほと困つてしまつて「この方は○│
│○村の小學校の先生です」と人々に紹介した。人々はぎこち│
│なく默つて彼と彼の女とライスカレーをぬすむように見まわ│
│した。そして、とにかくライスカレーを食べはじめた。しか│
│し賢治だけは食べない。彼女は勿論彼にもたつてすゝめた。│
│だが彼は「私にはかまわないで下さい。私には食べる資格が│
│ありません」と答えて頑として箸をとらなかつた。彼女は │
│④ヒステリックに身體をふるわせ、顔面蒼白になつて物も言│
│わずに階下にかけ下りてしまつた。と間もなく、荒れ狂う野│
│獸の⑤咆哮のような、オルガンの音がきこえはじめた。賢治│
│が注意深く外に音のもれないように工夫し、毎夜人がねしず│
│まつた頃を見計らつては練習していたオルガンを、その女性│
****************************************************************************************************
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
っているものが残っている。ほら鈴木、あれがあるじゃないか。例の〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〉が。
鈴木 あっ…、そうか、そうだった。
荒木 なんだ、その〈「押しかけ女房」的な痴態云々〉ってのは?
吉田 それは、上田が例の論文の中で、
高瀬露の場合は、小倉豊文のことばを借りれば〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〉とされているのである。
<『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学)89pより>
と述べていることなんだ。しかも、他ならぬ「小倉豊文のことば」であればその信憑性は高いぞ。
荒木 やべぇ。実際にもしそのようなことが本当にあったとすれば露にとってはかなり不利なことになるぞ。もしかすると、折角いままで耐え抜いてきた<仮説:露は聖女だった>がこの小倉の一言でぐらついてしまうのか。
鈴木 そのことは私も気になっていたので、以前、そのことが述べられているであろうはずの小倉の著書『宮澤賢治の手帳 研究』『「雨ニモマケズ手帳」新考』『解説 復元版 宮澤賢治手帳』には目を通してみたのだが、見つからなかったから諦めていた。
ただし、その中の一冊に似たような事は述べられていて、「高橋氏の話によれば」と前置きした上で、
高瀬さんの強引な単独訪問はその後もしげしげ続いたが、
とか、
関徳弥氏夫人に、賢治を悪しざまに告げ口した。その前に賢治は「自分の悪口をいいに来る者があるだろう」と、関氏と同夫人に話に来たという。このことは関氏と同夫人から私も聞いている。
<『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉著、筑摩書房)47p~より>
というようなことは記述されていた。
荒木 するとますますやばいぞ。「露の強引な単独訪問はその後も」続いたり、「賢治を悪しざまに告げ口した」りしたというんだべ。もしそのとおりだったとすれば、これらは〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ〉と似たり寄ったりで、どっちにしても、このことが本当であれば露のこのような行為は<仮説:露は聖女だった>の反例となるおそれがあるべ…。
鈴木 私もちょっと油断していた。先に話し合った、「全てが皆繋がった」と同じ様なことを言っているのかなと思ってあまり深刻に受けとめていなかったが、改めて吉田に指摘されて少し甘かったと今思ってる。
荒木 いよいよ足下に火が付いてきた感じだ。最後にどんでん返しを喰らうのか……。
吉田 すまん、折角ここまで頑張ってきたのに。変なことを言ってしまって。
荒木 いや、それはない。大事なことは何が真実かだ。もしそうであったとすれば、今までのことは徒労に終わってしまうかもしれんが、また一つ真実が明らかになるのだからそれはそれで甘受する。
鈴木 おっ、格好いいことを言ういうじゃないか。
荒木 へへぇ、ちょっと強がってみた。
吉田 しかし、ここまでこの<仮説>はどんなことがあっても検証に耐え続けてきたのだから、最後の土壇場でどんでん返しはなかろう。少なくとも、僕らがここまで調べてみた限りでは露はそんな言動をするような人ではないということを確信できているのだから、ここで諦めてどうする。
荒木 そうだよな……。よしっ、ここはあまり悲観的にならずに露のことを信じて闘い続けるべ。
鈴木 それじゃこうしよう。ここは一度冷静になって小倉の先ほどの著書等を読み直して、一週間後にまた集まって検討してみようじゃないか。
荒木 よし、ここは東北人の粘り強さを発揮してみるべ。
‡‡‡‡
さて、二人が帰ってから少し心を落ち着けて小倉の本を読み直してみた。するとまず気になったのが次の一文だった。
私は本書初版で森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べたが、私の行文が不備だった為に高橋氏から批難を受けたので、その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
<『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)115pより>
かつて読んだ時には軽く読み流していたのだろう。余り気にも留めていなかったのだが、改めて読み直してみると、
・行文が不備だった
・為に高橋氏から批難を受けた
・その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
とは一体どういうことなんだ、と一気に疑問が膨らんだ。
そこで、まずは小倉の「雨ニモマケズ手帳」に関する著書を並べてみると次のようになる。
(1)『宮澤賢治の手帳 研究』(創元社、昭和27年)
(2)『宮沢賢治『手帳』解説』(生活文化社、昭和42年)
(3)『「雨ニモマケズ手帳」新考』(東京創元社、昭和53年)
(4)『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(筑摩書房、昭和58年)
さて、では小倉が言うところの「本書初版」とは何を指すのかだが、それは〝(3)〟の初版のことを指しているのだから、当然〝(1)『宮澤賢治の手帳 研究』〟のことを指している。
そして、小倉はその〝(1)『宮澤賢治の手帳 研究』〟に載せた「大略」が不備だったので「手帳複製版解説」では「全面的に取消した」ということだから、この「手帳複製版解説」とは〝(2)〟を指していることが判る。
そこで、これらの中で私が持っていないものは〝(2)『宮沢賢治『手帳』解説』〟だから、これを見てみる必要があると思ってあちこち探してみたがなかなか見つからなかった。が、やっとのことでそれをある場所で見ることができた。
「粗雑な推定」とは
一週間後三人はまた集まった。
鈴木 知ってのとおり、昭和42年に生活文化社から『雨ニモマケズ手帳』の複製版が出たわけだが、その解説書『宮沢賢治『手帳』解説』において、
拙著研究では、この詩のテーマになっていると思われる一人の女性について粗雑な推定を敢えてした。しかしその後思うところあり、右の推定は取消((ママ))にする。
<『宮沢賢治『手帳』解説』(小倉豊文著、生活文化社)39頁より>
と小倉は妙なことを述べていた。
荒木 俺も『「雨ニモマケズ手帳」新考』を調べていたら、やはりそれと似たような内容の、
私は本書初版で森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べたが、私の行文が不備だった為に高橋氏から批難を受けたので、その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
<『「雨ニモマケズ手帳」新考』115pより>
が気になった。
吉田 やはりな、僕もそうだった。
鈴木 それではまず、
「拙著研究」=『宮澤賢治の手帳 研究』
ということは決まりでいいだろ。そして、おそらく次のような顚末だったということになろう。
(a) 小倉は最初に出版した『宮澤賢治の手帳 研究』において、森・関両氏の著によって件の大略をこの詩のテーマと推考して述べた。
(b) ところが、この「大略」は「行文が不備だった為」に高橋慶吾から強く批難された。
(c) そこで、次に出版した『宮沢賢治『手帳』解説』において、先の「大略」では「一人の女性について粗雑な推定を敢えてした」ということを公に認め、かつその「粗雑な推定」を「取消し」た。
荒木 そこまでは納得。ただし小倉が「取消し」たというところのその中身そのもの、つまり「粗雑な推定」が見えない。
鈴木 それなんだが、私にもこの先がよく見えてこない。ただ、小倉は『宮澤賢治の手帳 研究』の中で、例の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕をまず取り上げ、「この詩を讀むと、すぐに私はある一人の女性のことが想い出される」と前置きして、続けてそれこそ「大略」を述べているということなのでその部分がどこかということだけがわかっただけだ。
この部分が小倉が言っているところの「大略」だろう。が、そのうちのどの部分が「粗雑な推定」に該当するのかわからん。
荒木 どれどれちょっと見せてくれ。……やっぱりだめだ。これじゃちょっとやそっとのことではどこが「粗雑な推定」なのかわからん。
吉田 そこでだ、実は僕は今回その「大略」の分析をしてみたからこのプリントを見てくれ。
│ 大正十五年四月、花巻郊外の櫻で自耕自炊の獨居生活をは│
│じめた賢治は…(略)…農業技術の指導講話をしたりしはじめ│
│た。その頃、協會員の一人の紹介で、花巻の西の方の村で小│
│學校教師をしている若い一人の女性が賢治の家に出入りする│
│ようになつた。彼女はその勤めている學校で賢治が農業の指│
│導講話をした時に、はじめて彼を見たのである。當時田舎に│
│は珍しいクリスチャンであつたと言う彼女であるから、①恐│
│らく新しい科學や藝術にあこがれていた女性であり、それ故│
│に、賢治のはじめた仕事にも深い關心を抱いたであろうこと│
│は當然であろう。更に想像をたくましくすれば、當時田舎に│
│は數少ない高等教育を受けていた賢治であり、田舎はもとよ│
│り都會を含めて日本にも珍しい科學と藝術の天才であり、世│
│界でも珍しい仕事をはじめた賢治であり、當時三十一歳の獨│
│身生活者であつた賢治であるから、彼女の關心は賢治の仕事│
│よりも賢治その人にあつたのであるかも知れない。 │
│ とにかく、②クリスチャンらしい「聖女」として、新しい科│
│學や藝術を探究する「弟子」として、賢治と彼女との交渉はは│
│じまつたのである。男だけの集まる協會であるから、一人の│
│女性のいることは室内の整備にも、劇の出演者に女の必要な│
│場合にも便利であつた。賢治もはじめは「しつかりした人だ」│
│と協會員にも語つてよろこんでいたらしい。ところが、この│
│女性は來る每に花や食物やいろいろの品物を持つて來るよう│
│になつた。賢治は他人に物をやつたり御馳走したりすること│
│は好きだが、他人からそうした心配をされることは大きらい│
│であり、そうした行為には必ず過分の返禮するのを忘れなか│
│つた。こうした賢治の片意地と思われる程の「義理堅さ」につ│
│いては、實に多くの逸話があるが、こゝでは割愛する。とに│
│かく賢治はこの女性に對してもその都度何かしらきつと返禮│
│していた。しかし、③彼女の贈物と訪問は加速度に激しさを│
│加え、賢治の寢ている内に訪ねて來たり、遠いところを一日│
│に二度も三度もやつて來たりするようになつた。賢治はほと│
│ほと困つてしまつた。「本日不在」と貼紙をしたり、顏に墨を│
│塗つて會つたりしたこともあるという。だが、こうした賢治│
│の態度は益々彼の女の彼に對する思慕愛戀の情を燃えさから│
│すばかりであつた。賢治は返禮の品物に行きづまつたのであ│
│ろう。ある時は布團をお返しにおくつたこともあるという。│
│こうしたことは、賢治にとつては全く他意のあることではな│
│かつたのであるが、常識的にそうは思われない。彼女はその│
│勤めている村に新しい家を借り、世帶道具を調えて、いつで│
│も彼との結婚生活がはじめられるように設計もしていたとい│
│う。 │
│ ある時、近郊の村の人々が數人、賢治の家―羅須地人協會│
│―を訪ねた。賢治はその人たちを二階に招じて談笑していた。│
│その時、この女性はすでにそこに來ていて、しきりに台所で│
│何か體を動かしていた。間もなく彼の女はその手料理のライ│
│スカレーを二階の客の前に運びはじめた。全く新家庭の新婦│
│人振りである。賢治はほとほと困つてしまつて「この方は○│
│○村の小學校の先生です」と人々に紹介した。人々はぎこち│
│なく默つて彼と彼の女とライスカレーをぬすむように見まわ│
│した。そして、とにかくライスカレーを食べはじめた。しか│
│し賢治だけは食べない。彼女は勿論彼にもたつてすゝめた。│
│だが彼は「私にはかまわないで下さい。私には食べる資格が│
│ありません」と答えて頑として箸をとらなかつた。彼女は │
│④ヒステリックに身體をふるわせ、顔面蒼白になつて物も言│
│わずに階下にかけ下りてしまつた。と間もなく、荒れ狂う野│
│獸の⑤咆哮のような、オルガンの音がきこえはじめた。賢治│
│が注意深く外に音のもれないように工夫し、毎夜人がねしず│
│まつた頃を見計らつては練習していたオルガンを、その女性│
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守 電話 0198-24-9813☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
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