本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

「聖女の如き高瀬露」(102p~105p)

2015-12-29 08:30:00 | 「聖女の如き高瀬露」
                   《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》







              〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
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*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
しまう。彼のような上品な人間は、告げ口などという下品なことはしたことがないから、上手な告げ口にすぐ乗るのである。「聖女のさましてちかづけるもの」の詩は、まさにこの種の告げ口(告げ口として常套な誇張と悪意とによる)によつて成つたものである。
と結論している。
吉田 そうか、賢治は善良なる人物である忠吉の方を疑ってしまったということか。まして、その告げ口が賢治と親しい人からのものであったならばなおさらその傾向があると、佐藤は賢治を見ていたことになる。だから、このことが〔聖女のさまして近づけるもの〕にまつわる不思議を解く「たしからしい鍵」であると佐藤は言いたいのだな。
◇実は二つは同じエピソード
鈴木 そして実際この「たしからしい鍵」を使って、今度は次のようなエピソードを紹介しながら「手記成立の」理由がわかったと佐藤は言っている。
 私は、「賢治○○」の著者から、病床の彼にその後のT女の行為について話したら、翌日大層興奮してその著者である彼の友人の家にわざわざ出かけて来て、T女との事についていろいろと弁明して行つたと、直接聞いたのである。その時はそんなにむきになつて弁解した賢治を一寸おかしいと思つたぐらいであつたが、その後にその手記が発表になり、後日「賢治○○」の著者の性格を知り、その後で又このような忠吉さんの話を聞くに及んで、この手記成立の理由が私には明確に解けたのである。(「賢治○○」の著者は、彼の手許に置いていた私の原稿を、無断でそのままラジオ放送に利用したこと一つでその性格が知られよう。)
<以上いずれも『四次元50』(宮沢賢治友の会)10p~より>
荒木 あれっ、これってさっきのエピソード「それは賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的云々」とそっくりじゃないか。
吉田 言われてみれば、確かに。ちょっと分析しながら比較してみるとするか。大体のところ、
  病床の彼=賢治
  T女=賢治氏知人の女の人
  T女の行為=賢治氏を中傷的に言ふ
  大層興奮し=違つた場合を見た樣な感じを受けました
  著者の友人の家=関登久也の家
  いろいろと弁明=一應の了解を求め
  むきになつて弁解=曾て賢治氏になかつた事
となるから、この二つはほぼ同じエピソードだと判断できるね。
荒木 さてはて、〝「賢治○○」の著者〟とは一体誰なんだべがね。だいたいは想像が付くけど。
吉田 そう、その想像どおりだよ。それでは次に、佐藤が伝えるこのエピソードを僕なりに翻訳してみるとするか。
 賢治と親しい〝「賢治○○」の著者〟Xが病床の賢治にその後の露に関する「噂話」を告げ口をしたところ、賢治はそれを真に受けて、翌日大層興奮してXの友人でもある関登久也の家にわざわざ出かけて行き、露との事についていろいろと弁明して行った。
 その時はそんなにむきになって弁解したという賢治を一寸おかしいと勝治は思ったが、実はそうではなかったということが後にわかった。
 他人の原稿を無断でラジオ放送に利用するようないい加減なXのことだから、病床の賢治に「噂話」程度の露の行為を告げ口、それも告げ口の常套である誇張と悪意によるそれだったことと、忠一の証言から判るように、人の告げ口を信じやすい賢治のことだからそれを真に受けてしまった。それが元で、賢治は翌日大層興奮して関登久也の家にわざわざ出かけて行き、露との事についていろいろと弁明して行った。
 また、後にXは「賢治○○」において露に関わる手記を発表したが、その手記のいい加減さは、他人の原稿を無断で利用するようないい加減さによるものだと捉えれば説明がついたので、私とすればこの手記成立の理由が明確に解けたのであった。
どうやら、佐藤はこう言いたいかったようだな。
荒木 そうすると結局、
   「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふ」
     ≒「誇張と悪意に満ちた告げ口をXがした」
という近似式が成り立つ可能性が極めて高いわけだ。
吉田 一方で、果たしてその女の人が中傷したかどうかは確たる証拠があるわけではない。その中傷の中身を云々する以前の問題として、中傷行為そのものが事実あったのかどうなのかという問題があるということか。これが、先に鈴木が「それ以前の問題がそこにはありそうなんだ」と言った意味だったのだな。
鈴木 うん、そういうこと。実は、この頃肝に銘じていることの一つに、何を証言しているかだけではなくて誰が証言したものか、ということも極めて大切なのだということがある。その点から言えば、『佐藤勝治はとても信頼の置ける人だった』ということを私は勝治と親交の深かった人から直接教わっているので、この勝治の証言は信じることができると確信している。したがって、この「賢治二題」の趣旨に従えば、先程の吉田の翻訳はほぼ妥当だろう。
吉田 要するに、「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に」果たして言ったかどうかは定かではないし、はたまたこの「女の人」が露であるのかさえも怪しい。ついては、そのようなあやふやなものに基づいて検証することなどは無意味、検証以前の話ということになりそうだな、またもや。
荒木 したがって、
 関登久也の「面影」における『賢治氏知人の女の人』絡みのエピソードによって<仮説:高瀬露は聖女だった>を棄却などする必要はない。
ということになる。いやあ嬉しいな。
吉田 おっ、今度は『いやあ嬉しいな』が出たな。
鈴木 今回も露にとっては好ましい結果だったので抃舞している荒木を見て私はほっとしているのだが、つい「稲コキ用のモーター」の件を喋ってしまったので、賢治を尊敬する荒木に対してはちょっと気の毒なことをしてしまったと思っている。
荒木 いやそれとこれとは別だ。先に教えてもらった追想「面影」の中の一節で、
 それだけ賢治が普通人に近く見え、何時よりも一層親しさを覺えたものです。其の時の態度面ざしは、凛としたといふ私の賢治を説明する常套語とは反對の普通の親しみを多く感じました。
と関が心情を吐露していたわけだが、俺も賢治に一層親しみが増した。それこそ《創られた賢治から愛すべき賢治に》ということで、歓迎すべきことだよ。
吉田 とかく賢治の言動となると、一般に良心的解釈をする傾向があるが、まずは常識的な見方を大切にしないとな。人間賢治のことを考える場合でも特別扱いなどせずに、普通の感覚で見ていかないと肝心なことを見誤ってしまって、賢治以外の人を傷つけてしまいかねない。
荒木 そういう点から言えば、この件に関しては賢治に非があったことは明らかであり、関登久也の言うとおりであったということだよ。いくら賢治が好きな俺だって、それぐらいのことは弁えている。また賢治にしたって、他人を傷つけてまでして自分を庇ってもらうというような卑怯な扱い方など、ちっとも望んでいないはずだ。
 それではこれで検証作業は全て完了か。

 賢治と中舘武左衛門
鈴木 いや、実はまだ一つ残ってるんだ。
荒木 ええっ、そうなんだ。じゃあもう一踏ん張りしてみっか。
鈴木 ではその最後だが、それは以前、荒木が『そこに露の名が出ているぞ』と教えてくれた『年表作家読本 宮沢賢治』に載っていることに関してだ。
荒木 あっ、そういえばそんなことがあったな。
鈴木 念のため、当該個所をもう一度見てみよう。昭和7年6月の出来事の一つとして、このようなことがそこには述べられている。
 二二日 中舘武左衛門(盛岡中学の先輩で、自称「行者」)宛返書。賢治の病気の原因が、父母に背いたことや女性との関係にあるというような内容の手紙がきたらしい。「大宗教」の教祖、中舘に対して、言葉は丁寧だが厳然たる調子で反発している。
<『年表作家読本 宮沢賢治』(山内修編著、河出書房新社)    
197pより>
荒木 そうそう思い出した。ここには露の名は出てこないが、その頁の下段のところに註釈があってそこに露の名が出ていたはずだ。どれどれ、やはり
 一時噂のあった高瀬露との関係についても「終始普通の訪客として遇したるのみ」と一蹴している。普通こうした中傷めいたことは、一笑に付して黙殺するはずだが、わざわざ反論しているのは、妹の死・父母への反抗・高瀬との関係、それぞれが、賢治の心の傷だったからかも知れない。
<『年表作家読本 宮沢賢治』197pより>
となっている。
吉田 なお、賢治は『昭和二年日記』の断片の1月7日(金)分に、
中館((ママ))武左エ門、田中縫次郎、照井謹二郎、伊藤直美等来訪
<『校本全集第十二巻(上)』(筑摩書房)409pより>
と書いていて、中舘は正月松の内に下根子桜の賢治の許を訪れるような人物でもあった。
鈴木 ところがこの中舘宛の「返書」、正確には「返書の下書」なのだが、これが全く賢治らしからぬものなんだな。
荒木 えっ、賢治らしからぬとな。
鈴木 ちなみにそれは、昭和7年6月22日付中舘宛書簡下書〔422a〕のことであり、
  中舘武左衛門様                          宮沢賢治拝
     風邪臥床中鉛筆書き被下御免度候
拝復 御親切なる御手紙を賜り難有御礼申上候 承れば尊台此の度既成宗教の垢を抜きて一丸としたる大宗教御啓発の趣御本懐斯事と存じ候 但し昨年満州事変以来東北地方殊に青森県より宮城県に亘りて憑霊現象に属すると思はるゝ新迷信宗教の名を以て旗を挙げたるもの枚挙に暇なき由佐々木喜善氏より承はり此等と混同せらるゝ様有之ては甚御不本意と存候儘何分の慎重なる御用意を切に奉仰候。
 次に小生儀前年御目にかゝりし夏、気管支炎より肺炎肋膜炎を患ひ花巻の実家に運ばれ、九死に一生を得て一昨年より昨年は漸く恢復、一肥料工場の嘱託として病後を働き居り候処昨秋再び病み今春癒え尚加養中に御座候。小生の病悩は肉体的に遺伝になき労働をなしたることにもより候へども矢張亡妹同様内容弱きに御座候。諸方の神託等によれば先祖の意志と正反対のことをなし、父母に弓引きたる為との事尤も存じ候。然れども再び健康を得ば父母の許しのもとに家を離れたくと存じ居り候。
 尚御心配の何か小生身辺の事別に心当たりも無之、若しや旧名高瀬女史の件なれば、神明御照覧、私の方は終始普通の訪客として遇したるのみに有之、御安神願奉度、却つて新宗教の開祖たる尊台をして聞き込みたることありなどの俗語を為さしめたるをうらむ次第に御座候。この語は岡つ引きの用ふる言葉に御座候。呵々。妄言多謝。  敬具
<『新校本全集第十五巻 書簡本文篇』(筑摩書房)407p~より>
というものだ。
吉田 最初は「御親切なる御手紙を賜り」と慇懃に始まったと思いきや、最後はなんと、吃驚仰天「呵々。妄言多謝」という皮肉たっぷりの言葉で賢治は締めくくっている。
荒木 いくら賢治とはいえども、盛岡中学の先輩に対して「この語は岡つ引きの用ふる言葉に御座候。呵々。妄言多謝」と言うのもな。俺が今まで抱いていた賢治のイメージとは程遠い。
鈴木 ところが米田利昭はこの「書簡下書」について、「まじめに対応し、真実を吐露した手紙である」とか、「こんな相手にではあってもわるびれずに真実を告げている」(『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店)271pより)と…
荒木 えっ、いくらなんでもそれはないべ。ちょっと良心的過ぎるよその見方は。
吉田 そうだよな。仮に賢治を振り子に例えてみれば、〔聖女のさましてちかづけるもの〕で極端にまで振れ、そして〔雨ニ
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』




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