”東根山(その2)”の続きである。
では、蛇石展望台を後にして頂上を目指す。道沿いには
《1 カタクリが多くなってきた》(平成19年5月4日撮影)
《2 キクザキイチリンソウも多い》(平成18年5月20日撮影)
《3 カタクリとキクザキイチリンソウ》(平成17年5月21日撮影)
《4 ヒオドシチョウ》(平成19年5月4日撮影)
羽が大分傷んでいる、越冬したのだろうか。
《5 カタクリ》(平成17年5月21日撮影)
《6 シロバナエンレイソウの兄弟》(平成19年5月4日撮影)
《7 カタクリ》(平成17年5月21日撮影)
《8 〃 》(平成19年5月4日撮影)
《9 〃 》(平成20年4月28日撮影)
この辺りには11月になると
《10 紅葉》(平成17年11月6日撮影)
《11 〃 》(平成17年11月6日撮影)
《12 〃 》(平成17年11月6日撮影)
《13 〃 》(平成17年11月6日撮影)
《14 スミレサイシン》(平成20年4月28日撮影)
《15 咲き競う》(平成19年5月12日撮影)
以下の写真は同じ場所を年次の順に観測したものである。
まず、平成17年
《16 カタクリ》(平成19年5月12日撮影)
《17 〃 》(平成17年5月21日撮影)
《18 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《19 〃 》(平成19年5月12日撮影)
次は平成18年
《20 カタクリ》(平成18年5月20日撮影)
《21 〃 》(平成18年5月20日撮影)
《22 〃 》(平成18年5月20日撮影)
次は平成19年
《23 カタクリ》(平成19年5月12日撮影)
《24 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《25 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《26 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《27 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《28 〃 》(平成19年5月12日撮影)
この付近、平成18年と比較してカタクリの数が減ったような気がする。土を掘り起こしたような形跡もある。それを心配したのだろうか誰かが上の写真のように柴で道の端を塞いであった。
次は平成20年
《29 カタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《30 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《31 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《32 〃 》(平成20年4月28日撮影)
上の写真の左側に網目状のもの発見。おそらく
《33 昨年のカタクリの葉っぱの葉脈》(平成20年4月28日撮影)
《33 〃 》(平成20年4月28日撮影)
残念ながら特に東根山は、年々カタクリの数が減ってきている様な気がする。実際すぐ上の写真の場所でも盗掘した形跡が窺えた。
聞くところによると、実生のカタクリが花を咲かせるまでには7、8年を要するとも云う。また、持ち帰ったってうまく育たないことも多いはずだ。盗掘はもうやめてほしい。
では、長くなったので山頂広場に行こう。すぐその場所に着ける。
山頂広場展望台からの
《35 岩手山方向》(平成15年5月21日撮影)
《36 秋田駒ヶ岳方向》(平成15年5月21日撮影)
《37 紫波方向》(平成20年4月28日撮影)
の眺め。ここからはほぼ360°の眺望が可能である。
そこの
《38 展望案内盤》(平成20年4月28日撮影)
《38 〃のカタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《39 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《40 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《41 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《42 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《43 〃 》(平成20年4月28日撮影)
さて、山頂広場といってもここは東根山の頂上ではない、東根山の
《44 三角点(頂上)への標識》(平成20年4月28日撮影)
が直ぐ見つかるはずだ。そこから北東方向の尾根筋に沿って行けばよい。15分ほどで頂上に立つことができるはずだ。
4月末ならば東根山で霙や雪に遭うこともある。そんなときの道沿いの
《46 霙に打たれたカタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《47 〃キクザキイチリンソウ》(平成20年4月28日撮影)
《48 雪に見舞われたカタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《49 〃キクザキイチリンソウ》(平成20年4月28日撮影)
《51 間もなく頂上》(平成20年4月28日撮影)
《50 頂上》(平成15年5月21日撮影)
ただし、頂上ではあるがブナの林の中にあるので眺望は良くない。
《51 頂上のキクザキイチリンソウ》(平成20年4月28日撮影)
《52 頂上の標識》(平成20年4月28日撮影)
《53 木々の間から秋田駒ヶ岳》(平成20年4月28日撮影)
《54 頂上の一等三角点》(平成20年4月28日撮影)
さて、この岩頸列の一つ東根山(928.4m)であるが、前掲の2作品以外には賢治の作品に登場していないようだ。しかし、賢治は”岩頸”をことのほか愛していた?ようであちこちの作品にに登場している。
例えば、賢治は『楢ノ木大学士の野宿』の中で
「ははあ、あいつらは岩頸だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
そこで大学士はいゝ気になって、
仰向けのまゝ手を振って、
岩頸の講義をはじめ出した。
「諸君、手っ取り早く云ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸頸を出した太い岩石の棒である。その頸がすなはち一つの山である。えゝ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたといふなら、そいつは蓋し簡単だ。えゝ、こゝに一つの火山がある。熔岩を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。(以下略)」
<「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房 より>
と”岩頸”のことを説明している。
意外なことに、「東根山(928.4m)」の頂上には石塔や獅子頭などはない。したがって、その点では「経埋ムベキ山」らしくない東根山である。
とはいえ、花巻からよく見える賢治の愛した岩頸であり、頂上には三角点もある山なので「経埋ムベキ山」に入っているのは当然かなとも思う。
続きの
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では、蛇石展望台を後にして頂上を目指す。道沿いには
《1 カタクリが多くなってきた》(平成19年5月4日撮影)
《2 キクザキイチリンソウも多い》(平成18年5月20日撮影)
《3 カタクリとキクザキイチリンソウ》(平成17年5月21日撮影)
《4 ヒオドシチョウ》(平成19年5月4日撮影)
羽が大分傷んでいる、越冬したのだろうか。
《5 カタクリ》(平成17年5月21日撮影)
《6 シロバナエンレイソウの兄弟》(平成19年5月4日撮影)
《7 カタクリ》(平成17年5月21日撮影)
《8 〃 》(平成19年5月4日撮影)
《9 〃 》(平成20年4月28日撮影)
この辺りには11月になると
《10 紅葉》(平成17年11月6日撮影)
《11 〃 》(平成17年11月6日撮影)
《12 〃 》(平成17年11月6日撮影)
《13 〃 》(平成17年11月6日撮影)
《14 スミレサイシン》(平成20年4月28日撮影)
《15 咲き競う》(平成19年5月12日撮影)
以下の写真は同じ場所を年次の順に観測したものである。
まず、平成17年
《16 カタクリ》(平成19年5月12日撮影)
《17 〃 》(平成17年5月21日撮影)
《18 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《19 〃 》(平成19年5月12日撮影)
次は平成18年
《20 カタクリ》(平成18年5月20日撮影)
《21 〃 》(平成18年5月20日撮影)
《22 〃 》(平成18年5月20日撮影)
次は平成19年
《23 カタクリ》(平成19年5月12日撮影)
《24 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《25 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《26 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《27 〃 》(平成19年5月12日撮影)
《28 〃 》(平成19年5月12日撮影)
この付近、平成18年と比較してカタクリの数が減ったような気がする。土を掘り起こしたような形跡もある。それを心配したのだろうか誰かが上の写真のように柴で道の端を塞いであった。
次は平成20年
《29 カタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《30 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《31 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《32 〃 》(平成20年4月28日撮影)
上の写真の左側に網目状のもの発見。おそらく
《33 昨年のカタクリの葉っぱの葉脈》(平成20年4月28日撮影)
《33 〃 》(平成20年4月28日撮影)
残念ながら特に東根山は、年々カタクリの数が減ってきている様な気がする。実際すぐ上の写真の場所でも盗掘した形跡が窺えた。
聞くところによると、実生のカタクリが花を咲かせるまでには7、8年を要するとも云う。また、持ち帰ったってうまく育たないことも多いはずだ。盗掘はもうやめてほしい。
では、長くなったので山頂広場に行こう。すぐその場所に着ける。
山頂広場展望台からの
《35 岩手山方向》(平成15年5月21日撮影)
《36 秋田駒ヶ岳方向》(平成15年5月21日撮影)
《37 紫波方向》(平成20年4月28日撮影)
の眺め。ここからはほぼ360°の眺望が可能である。
そこの
《38 展望案内盤》(平成20年4月28日撮影)
《38 〃のカタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《39 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《40 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《41 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《42 〃 》(平成20年4月28日撮影)
《43 〃 》(平成20年4月28日撮影)
さて、山頂広場といってもここは東根山の頂上ではない、東根山の
《44 三角点(頂上)への標識》(平成20年4月28日撮影)
が直ぐ見つかるはずだ。そこから北東方向の尾根筋に沿って行けばよい。15分ほどで頂上に立つことができるはずだ。
4月末ならば東根山で霙や雪に遭うこともある。そんなときの道沿いの
《46 霙に打たれたカタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《47 〃キクザキイチリンソウ》(平成20年4月28日撮影)
《48 雪に見舞われたカタクリ》(平成20年4月28日撮影)
《49 〃キクザキイチリンソウ》(平成20年4月28日撮影)
《51 間もなく頂上》(平成20年4月28日撮影)
《50 頂上》(平成15年5月21日撮影)
ただし、頂上ではあるがブナの林の中にあるので眺望は良くない。
《51 頂上のキクザキイチリンソウ》(平成20年4月28日撮影)
《52 頂上の標識》(平成20年4月28日撮影)
《53 木々の間から秋田駒ヶ岳》(平成20年4月28日撮影)
《54 頂上の一等三角点》(平成20年4月28日撮影)
さて、この岩頸列の一つ東根山(928.4m)であるが、前掲の2作品以外には賢治の作品に登場していないようだ。しかし、賢治は”岩頸”をことのほか愛していた?ようであちこちの作品にに登場している。
例えば、賢治は『楢ノ木大学士の野宿』の中で
「ははあ、あいつらは岩頸だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
そこで大学士はいゝ気になって、
仰向けのまゝ手を振って、
岩頸の講義をはじめ出した。
「諸君、手っ取り早く云ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸頸を出した太い岩石の棒である。その頸がすなはち一つの山である。えゝ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたといふなら、そいつは蓋し簡単だ。えゝ、こゝに一つの火山がある。熔岩を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。(以下略)」
<「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房 より>
と”岩頸”のことを説明している。
意外なことに、「東根山(928.4m)」の頂上には石塔や獅子頭などはない。したがって、その点では「経埋ムベキ山」らしくない東根山である。
とはいえ、花巻からよく見える賢治の愛した岩頸であり、頂上には三角点もある山なので「経埋ムベキ山」に入っているのは当然かなとも思う。
続きの
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