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§28. 千葉恭楽団ではマンドリン担当

 今回は大正15年の初夏の頃についての証言を取り挙げたい。
 それは伊藤克巳「先生と私達―羅須地人協会時代―」の中にある次のようなものである。
 苗代は蛙の聲で一杯で、農家は忙しい夏の初めの頃だつたと思ふ、今晩東京の有名なヴァイオリンを彈く人が來るからと云うので私達は胸を躍らせながら先生の家へ集まつた。
 暗い夜だつた。町の人達も二、三人來て居たので挨拶したりいろいろ雑談の後思ひ思ひ椅子に腰を下ろしてこの遠來の藝術家の奏でる妙音に耳を傾けたのである。
 曲は忘れてしまつたがいろんな練習曲等を注文して彈ひて貰ひ、先生はいろいろ質問したり氣分を出さうなどと云つてい布などで覆ふたりしてゐたが最後にはローソクを一本にして私達はすつかり沈黙して仕舞つた。と云ふのは、その頃私達の樂團(?)は惡戰苦鬪してゐたのである。皆んなでホーフマン教本の巻一をやつたが、その先はさつぱり上達しなかつたからである。それでも先生は熱心に根氣よく教へて下さつた。先生は殆ど毎晩のやうにオルガンを彈きセロを彈いてゐた。突然夜中の一時か二時頃林を通して聞こえてくる事もあつた。
 私達は毎週火曜日の夜集つて練習を續けたのである。林の中の一軒家で崖の上にある先生の家の周圍には松や杉や栗の木やいろいろの雑木生へて時々夜鳥が羽ばたいていたり窓にあたつたりして吾々を驚かしたものである。
 第一ヴァイオリンは私で、第二ヴァイオリンはさんと慶吾さんでフリユートは忠一さんクラリネツトは與藏さん、先生はオルガンとセロをやりながら教へてくれたのである。
 私達樂團のメンバーはこれだけだつたのである。練習に疲れると皆んな膝を突合はせて地質學や肥料の話しをしたり劇の話しをしたりラスキンの話をしたりした。夏はトマトを食べる日が多く、冬は藁で作つたつまごを履いて大豆を煎つて食べたりした。

          <『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版)より>
 ということは伊藤克巳の言に従えばこの楽団のメンバーは
   第一ヴァイオリン・伊藤克己
   第二ヴァイオリン・伊藤、高橋慶吾
   フリユート・伊藤忠一
   クラリネツト・伊藤與藏
   オルガンとセロ・宮澤賢治
ということが分かる。
 一方、この楽団のメンバーに関して『拡がりゆく賢治宇宙』の中では次のように書かれている。
 楽団のメンバーは
   第1ヴァイオリン 伊藤克己
   第2ヴァイオリン 伊藤清
   第2ヴァイオリン 高橋慶吾
   フルート     伊藤忠一
   クラリネツト   伊藤與藏
   オルガン、セロ  宮澤賢治
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。

         <『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)より>
という記載があった。
 私はこの記載を知って『したり』とほくそ笑んだ。この『拡がりゆく賢治宇宙』の中には
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
とあったからだ。〝千葉恭〟の名前がそこにあったからだ。
 実はこのことがあったので、私は千葉恭の三男M氏に『お父さんはマンドリンを持っていませんでしたか』と訊ねたのであった。そしてその回答は『はい持っていましたよ』というものであったし、同じく長男E氏からはそのマンドリンに関する面白いエピソードまで教えてもらった。これらの証言から『拡がりゆく賢治宇宙』の記載
 マンドリン・平来作、千葉恭
は間違いなかろうと確信している。つまり
 千葉恭は下根子桜で結成された楽団の仲間の一員であり、マンドリンを担当していた。
と確信している。 
 そして翻って、以前次のように
 千葉恭自身が書き残している賢治関連の資料は少なからず存在しているが、千葉恭と賢治との関係に言及している恭以外の賢治周辺の人物が書き残している資料は私の管見のせいか未だ知らない。千葉恭は賢治とおそらく8ヶ月間強を下根子桜で一緒に暮らしているはずなのに、また二人の付き合いは大正13年~少なくとも昭和2年頃までの足かけ4年の長期間に亘っていると思われるのに、賢治の周りのだれ一人として千葉恭に関して言及した資料を残していない。もっと正確に言えば、一切そのような資料はいままで明らかになっていないと思うのである。
と言及したことを恥じている。何のことはない私が知らなかっただけのことであり、誰かが千葉恭のことを書き記している資料が実在するに違いないということを覚らざるを得ないと思ったからである。
 なお、不思議なことにこの件に関して『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)』(筑摩書房)の年譜には
 しかし音楽をやる者はマンドリン平来作、木琴渡辺要一がおり、…
と記載されており、「千葉恭」の名前だけがなぜか抜け落ちている。

 どちらが正しいのか、真実はどうだったのか今のところ分からないが、私は必死になってこの出典を探している。

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