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331〝定期の集まり〟案内状(T15/11/22付)

               《↑『羅須地人協会案内状』》
              <『宮沢賢治の世界展』(原子郎総監修、朝日新聞社)より>

 堀尾青史の『年譜宮沢賢治伝』(中公文庫)に依れば、大正15年11月22日の夕方、下根子桜で農耕自活の生活をしていた宮澤賢治は隣家の伊藤忠一にこの日付の(このブログの先頭に挙げたような)「案内状」を持参し、近所の人に配ってくれるように頼んだという。その中味は次のようなものである。

1.案内状の中味
 この案内状はお気付きのように謄写版刷りのもので、
一、今年は作も悪く、お互ひ思ふやうに仕事も進みませんでしたが、
  いづれ、明暗は交替し、新らしいいゝ歳も来ませうから、農業
  全体に巨きな希望を載せて、次の仕度にかかりませう。

二、就て、定期の集りを、十二月一日の午后一時から四時まで、
  で開きます。日も短しどなたもまだ忙しいのですから、お
  出でならば必ず一時までにねがひます。辨当をもってきて、こ
  っちでたべるもいいでせう。

三、その節次のことをやります。豫めご準備ください。
    冬間製作品分担の協議
    製作品、種苗等交換賣買の豫約
    新入会員に就ての協議
    持寄競売…本、絵葉書、楽器、レコード、農具、不要のも
         の何でも出してください。安かったら引っ込
         ませるだけでせう。…

四、今年は設備が何もなくて、学校らしいことはできません。けれ
  ども希望の方もありますので、まづ次のことをやってみます。
     十一月廿九日午前九時から
                                  ◎
     われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学を
     われわれのものにできるか      一時間
                 ◎
     われわれに必須な化学の骨組み   二時間
  働いている人ならば、誰でも教へてよこしてください。
五、それではご健闘を祈ります。       宮沢賢治


というものであった(なおこの書面には”11月22日”の日付の記載は見えないから、日記をつける習慣があったと思われる伊藤忠一から堀尾は聞き出してその期日を確定したのだろうか)。

 同じく堀尾の『年譜』に依れば
十一月二十九日 午後九時より三時間、羅須地人協会講義。「肥培原理習得上必須ナ物質ノ名称」
とあり、
十二月一日 羅須地人協会定期集会。持ち寄り競売を行う。
とある。

2.案内状からの推理
 したがって先ず一つ言えることは、賢治がどのように認識していたかというと
(1).「案内状」には12月1日に定期の集まりを協会で開くとあるのだから、「協会」とは下根子桜の宮澤家の別荘の別称のことである。そして「協会」とは「羅須地人協会」のことである。
(2).「羅須地人協会」の活動とは11月29日以降に行われたような講義のことだけをさすのではなくてなく、レコードコンサート、楽団結成演奏練習、子ども達への童話語り聞かせ、農閑期の副業製品作成、種苗交換売買、持ち寄り競売なども含むものである。
ということではなかったであろうか。

 なお、この案内状には単に協会と記載されていることから、協会員の間にはこの別荘のことを「協会」とも呼ぶと云うことは周知のことであったであろうとことも推測できる。ただしこの「協会」が「羅須地人協会」と常に呼び慣わされていたかという点には疑問が残るが。

 次に言えることは、案内状に「定期の集り」とあることから、それ以前にも定期の集まりが「協会」で開かれていたであろうと容易に推察できる。したがって、この「案内状」にある「定期の集まり」だけが特殊な集まり(例えば「最初の集まり」とか)というものでもなかったと考えてよかろう。
 そこで疑問に思うのだが、はたしてその都度このような案内状を賢治はわざわざ印刷して伊藤忠一のところに持って行き、近所の人に配ってほしいと依頼したのであろうかと。
 もしそうであるならば、几帳面と思われる伊藤忠一は他の案内状のことも日誌に書き記していたり、保管していたりしていたであろう。さすれば、そのような案内状が公になっても良さそうだがそういうことはなさそうだ。

 そこで私は推測するのだが、賢治はこの「案内状」に限っては他の定期の集まりの場合と異なり、わざわざ書面にて配布して周知徹底を図りたかったのではなかろうかと思うのである。

 ではそれは何の為にか。それは
 実は、この時期に賢治はどうしても持寄競売を開きたかったからである。
と私は推論してみたのである。

 では賢治がどうしてこの「持寄競売」を開きたかったのか、その理由を次回は述べてみたい。

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