道端鈴成

エッセイと書評など

鮑のし

2006年04月04日 | 雑談
  60GigaのiPodを手に入れて、CDを整理している。音楽から落語、朗読までいくらでも入る。100枚ちかく入れてもまだ4Gigaにもならない。ひとまとめにポケットに入れておくと、歩きながらでも聴けるのがうれしい。
  そんなことで、久しぶりに落語を聴いた。志ん生の「鮑のし」は、こんなはなし。
「ちょいと人間がポーッとしている甚兵衛さん。仕事もしないで家に帰ってきて、腹が減ってしょうがないからめしを食わせてくれという。おかみさんは大層腹を立てたけれど、これからしっかり働くから食わしてくれよと頼み込まれて、仕方なく許してやる。けれど、なにしろ家に食うものなんぞありゃあしない。そこでおかみさんは、甚兵衛さんに入れ知恵をしてやった。まず山田の旦那に五十銭借り、魚屋で尾頭つきを買う。ちょうど大家のうちに嫁入りがあるから、その尾頭つきを持っていけば礼に一円もよこすだろう、そうしたら山田さんに五十銭返して、のこりの五十銭で米を買って食えばいい――。甚兵衛さんはたいそう感心して言うとおりにしたが、魚屋に行ったら尾頭つきは鯛しかない。高くて買えないから、仕方なく鮑を買って大家の家へ。ところが大家、鮑は「磯の鮑の片想い」と言って縁起が悪いとヘソを曲げ、突っ返されてしまった。」(http://zaba.fromc.com/neta/awabinoshi.html)
  火焔太鼓などと同じく、しっかりものの女房とぼんやり旦那の定番コンビである。志ん生が一番油ののった時期の録音で、酔った蟹のタテ歩きのまくらから始まって爆笑の連続。甚兵衛さんは、鯛を金魚の取り締まりと言ったり、素敵で罪のないまぜっかえしを連発する。「うけたまわりますれば」は言葉が丸まってまっつぐでない(実際発音してみると、舌が前後に動く)など、まくらの陽の手と陰の手もそうだけど、観察もするどい。わたしとお前の人称代名詞をつかった意図的なイロジカルなまぜっかえしなどは、志ん生ならではである。比喩も「おめえさんに金を貸しゃあ出しっぱなしになっちゃう。公園の水道みてえんなっちゃうからダメだ。」など、意表をついて的確だ。ぼけぶりが秀逸で、洒落ていてシュールで人情味があり、まさに絶品。だけど、歩きながら、これを聴いて一人で笑っているのって、どうなんだろう。

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