道端鈴成

エッセイと書評など

Loach watching: 合理的な思考が出来ない細野原発相

2011年09月06日 |  Loach watching
細野原発相、放射能帯びた廃棄物貯蔵で「痛み分かち合う」――広がる反発と困惑

  細野豪志環境・原発相が4日、東京電力福島第一原発事故にともない放射性物質で汚染された廃棄物や土壌の貯蔵について、「最終的には日本全国で福島の痛みを分かち合うべきだ」と発言したことに対して「低線量被曝の危険性を全国に広げる」などと反発が広がっている。また、被災地の廃棄物を受け入れる自治体からは困惑の声も上がった。
  ツイッターやフェイスブック上では「誰が放射性物質の拡散を分かちあうことを望んでいるのか」「放射能は徹底的に封じ込めないと日本全体の将来がなくなる」「拡散させたら手の施しようがなくなる」などと、発言を疑問視する声が相次ぐ。
                                9月6日(オルタナ編集部=斉藤円華)


「痛みを分かち合う」の意味を取り違えている。素手で便所掃除をするというか、自分はしないだろうから、させる下士官メンタリティーだ。ズル管は去ったが、こういう合理的な思考能力を欠如した人間が原発事故処理のトップに居続けてはダメだ。どじょう首相はルーピーみたいな基地外ではないし、空き管・ズル管より人間的にはまともだろう。しかし、財務大臣の時に、市場を注視することしかできなかった人だ。ズル管が最後にしかけた、朝鮮学校の無償化をとめられるか、そのまま民主党の売国勢力に押されてずるずるいってしまうかが、新首相の最初の試金石だろう。

Goodbye Kan: 支持母体への最後のご奉公

2011年08月29日 | Tube's dilemma
菅首相、朝鮮学校無償化の審査再開を指示

 政府は29日、北朝鮮による韓国砲撃を受け、審査手続きを停止している朝鮮学校への高校授業料の無償化適用について、審査を再開した。
 菅首相が同日午前、高木文部科学相に指示した。首相は「昨年11月の砲撃以前の状況に戻ったと判断した」と述べたという。
 朝鮮学校の無償化を巡っては、文科省が昨年11月、朝鮮学校を含めた外国人学校などについて、適用の可否を審査するための基準を発表したが、審査開始直前の同23日に韓国砲撃が発生し、菅首相の指示で朝鮮学校に関しては審査手続きを停止していた。
(2011年8月29日14時56分 読売新聞)

菅直人と北朝鮮の実態

国会で北朝鮮の拉致実行犯と関連した団体への巨額献金を追及されるもまともに答えず、
領収書の提出も拒み、そして首相をやめる前日にこれだ。最後の最後までズル管だった。

仮設住宅に関する二つの記事:国内メーカーを見捨てる民主党政府

2011年06月18日 | 時事
用地不足解消に2階建て仮設住宅 海外製を輸入へ
 東日本大震災の被災地に、海外メーカー製のコンテナ式2階建て仮設住宅が数千戸できる見通しになった。国土交通省が輸入業者を募り、数十社が名乗りをあげた。用地不足のなか、国内メーカー製の平屋建てよりも、効率よく土地を使える利点がある。
 中国や韓国、タイなどのメーカーが意欲を示している。国内製仮設住宅は壁や床を被災地に運んで組み立てるのが一般的。海外製はコンテナごと輸入するので建設に人手や時間がかからない。ただ輸送費が割高なため、1戸あたりの建設費用は国内製と同程度の約400万~500万円する。
 標準的なタイプの2階建て仮設住宅は、台所、風呂、トイレ、押し入れを備え、和室(約4畳)と洋室(約3畳)の2部屋。1戸あたりの広さは国内製仮設住宅とほぼ同じ30平方メートル弱だ。今後、国交省が業者を審査し、岩手、宮城、福島の3県に紹介する。
 各県は早ければ5月に発注し、7月には完成する見込み。県側には「うなぎの寝床のよう」と敬遠する声もあるが、国交省は利点を訴え、数千戸を供給したい考えだ。(朝日新聞ニュース、4月27日)

KBS:仮設住宅はほとんどを韓国メーカーに発注

迷走政権のツケずしり だぶつく仮設住宅、資材の在庫山積 住宅業界が悲鳴
 みなし仮設住宅制度の導入が遅れたことは、住宅メーカーにも大きな打撃を与えた。仮設住宅の建設予定戸数がいきなり減少したためで、震災直後から政府の求めに応じて建設資材を準備してきたメーカーは、行き場のない在庫の山に頭を抱えている。
 「柱や合板からユニットバスまで、1千戸分以上の在庫を抱えそうだ」
 大手住宅メーカーの担当者がため息をついた。
 政府は震災直後からプレハブ建築協会に仮設住宅の供給を要請。必要な戸数は4月上旬、約7万2千戸に達し、専門のプレハブリース業者のほか、通常はプレハブを扱っていない住宅メーカーも含めて、住宅業界が総掛かりで対応した。
 そんな状況がみなし仮設導入後に一変。必要戸数が激減し、約2万1千戸分が宙に浮いた。各社は発注済み資材のキャンセルを強いられ、間に合わない分は大量在庫となった。
 住宅メーカー幹部は「仮設用に通常の住宅資材を短く切断して利用したり、ユニットバスも小型のものを特別に注文したりして対応してきた。今さら通常の顧客向けに転用することはできない」と指摘。「最終的に廃棄処分も考えなければならない」(大手住宅メーカー)との声もある。
 業界側は水面下で政府と対応策を協議している。しかし、政府は「資材調達は業者の責任だ。国費での負担軽減などは一切考えていない」(国土交通省)とにべもなく、業界からは「今後は政府への協力を控えたいのが本音だ」(別のメーカー)との不満が漏れる。(産経ニュース、6月16日)


「お笑い民主党外交」を後押ししたマスゴミと愚民

2011年06月15日 | 時事
 思えば、麻生政権時代、日本で『週刊現代』の政治記者をしていた私は、毎週のように、麻生首相の批判記事を書いていた。「麻生総理、この漢字読めますか? 」「ゴルゴ13を見て外交するなかれ」…。いまでも当時のタイトルが頭に浮かぶが、先週、2年ぶりにご本人を間近で見て、懺悔したい気分に駆られた。菅外交に較べたら、麻生外交には何と華があったことか!  民主党外交に較べたら、自民党外交は何と老獪だったことか!  

 私たちはなぜ、「一度任せてみて下さい」などという甘言に騙されて、民主党に政権を託してしまったのだろう?  この2年間、北京から見ていて、民主党外交の杜撰さ、幼稚さには、一日本人として怒りを通り越して、涙が出るほどだ。

 中国はすでに昨年、GDPで日本を追い抜いた。今後、日中間の「経済格差」は、ますます広がっていくだろう。象徴的な例を挙げれば、5月21日~22日に、温家宝首相が訪日し、第4回日中韓サミットが開かれたが、中国ではほとんどニュースにさえならなかった。2008年暮れに当時の麻生首相が音頭を取って、自らの故郷・福岡で第1回日中韓サミットを開いた際には、中国は大型取材陣を日本に送り込み、華々しく報じたものだ。 

 それがたった3年で、中国からすれば、もはや日本など、目に入らなくなってしまった。それは、一つには、G8(主要先進国)の時代からG20(主要国)の時代へ、もしくはG2(米中)の時代へと変遷したからであるが、もう一つは「お笑い民主党外交」を、相手にしなくなってきているのだ。                               
現代ビジネス 6月13日


ここ二年間の民主党政権下で生じた、基地、二酸化炭素削減、バラマキと財政赤字の加速、尖閣、震災対応での無定見・無責任な対応は国を危うくするような大失策の連続で、政治資金に関する無責任な対応ぶりもひどかった。麻生政権の時には海外にいたので、漢字の読み間違えだの、カップラーメンの値段だの、顔の絆創膏だのを大げさにとりあげた日本のマスゴミのバカ騒ぎには直接には接してなかったが、いったい日本国民は何を選択したのだろう。麻生政権当時の二酸化炭素排出削減目標は鳩山氏のような無茶なものではなかったし、エコカー減税やエコポイントなどはリーマンショックからの回復を助けた。自由と繁栄の弧など一応はビジョンも出した上での戦略的外交も試みた。経済危機の時の1年の短命政権で、それなりの成果というところだろうが、ここ二年間の出鱈目と無惨とは比較にならない。上の記事の著者のように愚かな選択を悔いている人はまだ良いが、いまだにその選択を正当化しようとする人は、要は組合のしがらみなどの個別利害が重要なのか、化石化したイデオロギーやその影響下にあるマスゴミに頭をハイジャックされているのか、自虐なのか変態なのか知らないが本当は日本がダメになることが望みなのか、あるいは、これらの複合ということなのだろう。

無能なトップを替える能力の欠如はそのトップをいだく集団を滅ぼす

2011年05月28日 | 時事
Fact-Finding Mission Visits Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant
"Visiting Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant was a once-in-a-lifetime experience - once in 10 lifetimes, I suspect. Our team left with great admiration for the extraordinary workers who have been undertaking such immensely difficult tasks," said team leader Mike Weightman, the United Kingdom's chief inspector of nuclear installations.  (IAEA International Fact-Finding Mission Updates 27May)(「福島第一原発の訪問はおそらく生涯に一回あるかないか(十回の人生に一回だろう)の経験だった。我々のチームの誰もが、このようにひどく困難な課題に取り組んでいる並外れた作業員達に大きな感銘を受けて現場を後にした。」と視察チームのリーダーで、英国核施設主任視察官のMike Weightmanは語った。)

韓国首相が「日本が無能」
 韓国内では、日本から事前連絡がなかったことに不満が噴出しているが、議員がこれに関し「韓国の外交的な無能ぶりを示した」と指摘したのに対し「『韓国ではなく、日本が無能だ』と言いたい」と答えた。金首相はまた「(日本政府と東京電力が)全ての問題を臨機応変に解決していく指導力を示すことができなかった」と述べ、強力なリーダーシップの欠如が事態を深刻化させた大きな要因との見方を示した。 (日刊スポーツ 4月7日)

「なお日本軍を圧倒したソ連第一集団司令官ジューコフはスターリンの問いに対して、日本の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能であると、評価していた。」(「失敗の本質」戸部他、中公文庫、p68)


「失敗の本質」からの引用はノモンハン事件における証言である。大東亜戦争における諸作戦の失敗と原発事故には共通点がある。トップは無能だが現場が優秀だから良いなどと言ってはいられない。とくに危機や状況が大きく変わる際にはそうだ。トップの戦略と決断の失敗は、現場の努力ではカバーできないことが多い。問題は二つある。一つは優秀なトップが育つような環境や教育の機会である。もう一つはトップの選択である。ここは組織のあり方が関係して難しいところもあるが、仲間内の論理でトップを選ぶと失敗する。また、無能さが明確になったら本人がどのように言い逃れをしたり逃げをうとうと、重要な立場であればあるほど、とっとと替えなければだめだ。あの人なりに頑張っている、しかたないなどと言って、無能なトップをいつまでも許容している集団は危機を生き延びられない。

なぜ爆発を防げなかったのか:想定外との責任逃れのごまかしを看過するな

2011年04月24日 | 時事
東京電力福島第一原発事故収束にむけての工程表が東電から発表された。水の垂れ流しの冷却から、どのような形であれ循環式の冷却の実現が安定化の鍵で、現場は自衛隊などのバックアップもうけて懸命の努力を続けているが、3月12日から3月15日にかけての三度の爆発による破壊と放射能汚染のため、作業はきわめて困難で危険なものになってしまった。今後、大きな放出がなかったとしても、原発周辺の地域の人々はすでに容易に消えず継続する大きな苦しみと困難を課せられてしまったし、日本全体も大きな痛手を負ってしまった。

現在は東電が非難の矢面にたっているが、東電のトップは想定外の地震と津波といった言い訳をして、安全対策を疎かにしてきたことを認め真剣に謝罪と反省することは出来ていないようだ。ただ東電は、矢面にたっているだけましで(事故の責任に関してで、発電と送電を一体化した独占を政治的に維持してきて、エネルギー産業の停滞を招いてきた罪はまだ十分に批判され、是正される方向での議論と検討がほとんどなされていない)、安全対策で監督責任のある保安院や原子力安全委員会などは、東電の後ろに隠れ、自らの誤りを認め謝罪することも責任をとることも出来ていない。事故直後、勉強目的の首相を案内しながら呑気な発言をしていた斑目原子力安全委員会委員長が、爆発後に初めて福島を訪れたのは、4月17日になってからという当事者意識のなさだ。前資源エネルギー庁長官で東電に天下りした石田徹・東京電力顧問は事故後、東電を辞任したが、それで原子力行政への責任を免れるつもりなのだろうか?

想定外などの誤魔化しの言い訳を公に許容したまま流通させて、誤りの原因を明確にできず、責任の追求が出来なければ、また同じ誤りをくりかえすことになるだろう。住民の不安をおさえ原発を推進してきた電力会社や御用学者は、住民への安全性の宣伝やメディア対策に熱心だったようだが、そうした無批判なリスク無視の宣伝に自らも思考停止してしまったかに見える。しかし、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故の調査にあたったファインマンが言ったように、メディアや国民をだませても自然はだませない。官僚や御用学者や政治家やメディアのごまかし、これらの結託を決して許容してはいけない。でないと、自らの内で誤りを淘汰できない集団は、何度も同じ誤りの犠牲になり、結果としてその集団自体が淘汰の対象となってしまう。

今後、事故の原因については、遠因もふくめて徹底的な究明と、責任追及が必要だ。

人間の手で修正しようがない地震や津波に原因をもとめてもしかたない。またリアス式海岸で日本海溝を近くにひかえた三陸地方ではこれまで何度も巨大津波は生じており(ここ100年でも明治29年、昭和8年、昭和35年)想定外などという言い訳が通用しないことは明白だ。

爆発にいたる直近の要因には、「福島第1原発事故は二重の人災だった」(JcastNews、4月23日)の記事で指摘されているように、全電源喪失事態へのあらかじめのそなえがなされていなかったことと事故後にベントや海水注入などの対応がすみやかにできなかったことの二点がある。

全電源喪失の危険は、すでに国会の質疑でも指摘されており、これに東電・原子力安全委員会・保安院・政府がまともに対応していれば今回のような事故は起きないですんだ。これについては今回の事故後、他の原発でもようやく対策が講じられるようになってきたようだが、こうした重要な安全上の問題点の指摘をなぜ、当該企業・原子力安全委員会・保安院・政府がまともにとりあげないですますことが可能だったのか、今後こうした重大な看過が起きるのを許さないためには、組織や運営方針などどう変更したら良いかなどは、徹底的な責任追及を経て、行われなければならない。

また、事故後の東電・原子力安全委員会・保安院・政府のすばやい意志決定を欠いたちぐはぐな対応は、爆発をふせぐために最もCriticalな時期を無策のまま失する結果をもたらしてしまった。「排気の遅れ、水素爆発招いた」(「朝日新聞」4月23日)の記事にあるように、意志決定の遅れが致命的になる場合に、官僚的な形式的管理体制にがんじがらめにされ、実効的ですばやい意志決定ができなかったという制度的な要因もあるようだ。実効的ですばやい意志決定のルートをいかに確保するかは、福島第一原発事故がよりゆっくりとしたフェーズに入ってきてはいるものの、今後の安定化作業においても重要で、早急の対応が必要だ。

放射線のリスクと災害弱者

2011年04月09日 | 時事
低いレベルの放射線の人体への影響に関して、近藤氏の著書を参考に、閾値説が妥当ではないかと前回の記事で書いたが、その後、直線閾値なし説を支持する2006年に出た有力な報告書があることを知った。低線量放射線被曝リスクをめぐる最近の動向──BEIR VII報告を中心としてに簡単な紹介がある。例えば、100ミリシーベルトの放射線を被曝した場合、100人に約41名程度発生するガンが、1名増えるという見積もりだ。100ミリシーベルトよりも弱い線量の被爆だと影響はより小さくなるが、閾値はなく、わずかであってもガン発生のリスクは増すと結論をしている。

低レベルの放射線に対し生体には修復機構があるとの事実は基本的で、大多数の人にこれが当てはまるとしても、ガンの発生は確率的で、低レベルの線量でも影響を受ける場合もあり、大規模調査をするとこの効果が検出されるということのようだ。修復機構の個人差を独立に測定できないと疫学的な調査からだけでは結論を出すのは難しそうで、素人には判断がつきかねるが、閾値説が根拠とする、低レベル放射線事故の被爆者におけるガンの発生率や年間10ミリシーベルトといった自然放射線レベルの高い地域でガンの発生率などが有意に多くなっていないなどの調査結果は、一つには放射能以外の原因による発ガン(例えばタバコや有害物質など)の方がはるかに影響が大きく放射能による影響が検出しにくいだけではなく、もしかすると高リスクの個体が十分な数入っていないためなのかもしれない。

したがって一般的には弱い放射線の被曝をむやみに怖がる必要はないが、集団として相対的にリスクの高い個体の保護は重要である。放射線に対して相対的にリスクの高い個体は子供である。したがって、放射線に関しては、災害弱者は子供であり武田氏が言うように、子供の保護を優先しなくてはならない。

損失とリスクの計量

2011年03月30日 | 時事
原発事故は早期の収束は望めず、より悪い事態を長期的にどう回避していくかという難しい局面に入ったようだ。最善が望めない時には、損失の比較計量が必要になってくる。例えば、注水量を減らすと炉の危険が増し、注水量を増すと放射線に汚染された水の排出が増すというような場合、適当なバランスを探るとしても炉の危険の回避を優先せざるをえない。炉が大きく破損すればより多量の放射性物質を周囲にまき散らしてしまい、他の炉などへの対応も出来なくなってしまうからである。プルトニウムが問題だとしても、呼吸による肺への侵入が危険なら、海水への流失は多くの害をもたらすとしても、相対的に損失はすくないなどの判断も必要になってくる。事故の最初の対応でも、廃炉の前提での素早い断固とした対応がとれれば、早期収束も可能だったかもしれない。指、あるいは腕を惜んで命をうしなうようなことをくりかえしてはならない。

これまで多くの日本人は、牛肉やコンニャクマンナンなど食品等に神経質なまでにゼロリスクを求めてきた。しかし福島を中心にすでに放射性物質が拡散し、ゼロリスクとばかり言ってはいられなくなってしまった。すぐには身体には影響のないレベルだの呪文を唱えてもゼロリスクは戻ってこない。武田邦彦氏のサイトは、放射線量などの判断、被曝を避けるための注意など、工学者らしく具体的な数字と指針を示しているので有益である。武田氏が指摘しているように、リスク査定に基づく行動を助けるために風向きによる放射性物質拡散の予測は重要なので、政府や気象庁はぜひ公開して欲しい。放射線予防学の公式見解は放射線の生体への影響について線量に比例して障害が生ずるとの立場だが、近藤宗平氏など放射線医学では放射線の身体への影響にはしきい値があり弱い線量なら、もともと生体には紫外線や身体内のカリウム同位体からの放射線などによるDNAの切断を修正する機構やアポトーシスなどの防御機構があるので、問題ないとの立場もあるようだ。この辺は専門家ではないので断定はできないが、弱い線量によるプラスの生理的効果(放射線ホルミシス効果)は実証されているし、「人は放射線になぜ弱いか」などであげられている実験結果や疫学的なデータを見ると、すこしでも放射線は害と言うのではなく、放射線の身体へのマイナスの影響には一定のしきい値があり、それより少ない線量では影響がないか、むしろプラスの効果もあるとの説の方が妥当なように思える。

現場の作業員のサポートと長期戦にそなえた手はずを

2011年03月27日 | 時事
福島第一原発の現場の作業員の人たちはかなり劣悪な環境で苦闘しているとの報道があり愕然とした。極度のストレスと疲労のなかで危険な作業を継続していたら、さらに食事や睡眠もまともにとれなければ、人間まいってしまうし、誤りも出てくる。政府は、恫喝や叱責、注文をするだけではなく、なぜ現場で頑張っている人のサポートができないのか?東電に責任はあるにしても、政府も当事者なのだから。これは政治家というより人間としての問題だ。政治家としては、すでに被害は出ているが、さらに大きな被害と悲劇が生じないよう、まずは長期戦にそなえて不測の事態が生じないように手はずをしなけらばならない。東電に丸投げして、まともなサポートができていない政府の様子を見ていると、これも不安になってくる。

友人の助言

2011年03月24日 | 時事
「あらゆる資源使って」=インド首相が菅氏に伝える

 菅直人首相は23日、インドのシン首相と電話で会談し、福島第1原発の事故について「今後も正確な情報を迅速かつ最大限の透明性をもって提供していきたい」と強調した。シン首相は「インドのあらゆる資源を思うままに使っていただきたい。日本がより強い国家として回復することは疑いなく、成功を祈念する」と述べ、全面支援を表明した。(時事ドットコム3月23日)

事態を心配した友人の助言だ。その前に日本は問題の解決に向けてあらゆる資源を動員できているのか?現場は緊張と疲労でぎりぎりの状態だと思う。バックアップ体制はあるのか?丸投げとその場しのぎの対応ではなく、責任をもって先を見越した対応ができているのか?政府は国家の最高権力者としての立場を自覚し役割を果たしているのか?野党も危機を乗り越えるために政府が役割を果たすよう求め、それを支えてほしい。

事故のスイスチーズモデルと多重防御

2011年03月18日 | 時事
陸自部隊「任務こなすだけ」 ヘリ放水、被曝と隣り合わせ

 「与えられた任務を確実にこなすだけです」――。福島第1原子力発電所への上空散水の任務にあたった陸上自衛隊中央即応集団所属の第1ヘリコプター団(千葉県木更津市)の隊員らは17日の出発前、陸自幹部にこう言い残して離陸した。
 原発上空での作業は被曝(ひばく)による人体への影響が懸念される。陸自幹部は「彼らは『行け』と言われたら確実に任務を遂行する。1日だけ家族に相談する時間を与えられたが誰一人断る者はいなかった」と語る。投下作戦には普段から山火事などに出動することが多く、バケットの扱いや放水技術の練度の高い隊員9人が抜てきされた。(日経新聞、3月18日)

現場で頑張っている人の気持ちを思うと涙が出る。より効果的な冷却の確保が事態を収束させる最後の希望として残されている。菅氏現内閣の体質は前から知っていたが、保安委員という化け物や東電の隠蔽体質は初めて知った。大規模な惨事はスイスチーズのような複数の要因の穴をくぐり抜けて生ずる。このうちどれかひとつででも防御できれば惨事は防げるが、すべての層で防御に失敗すると稀な出来事である大惨事が生ずる。したがって原因はどれか一つではなく多重的なものである。原発立地選定の問題、巨大地震と津波、原発の安全設計、それに加えて、原発の運営管理と事故への対応におけるこれらの要因を国民が許容してきたことの巨大なつけがきている。


追記(3月20日):その後、消防車などによるより効率的な放水や通電の回復などにより事態改善のきざしもみえてきた。また、ホウ酸とコンクリートによる封印の記述はABCニュースのMichio Kakuの解説を参考にしたが、プールに入った燃料棒もある状態で、十分な冷却の前の封印は難しらしいので削除した。Kakuは理論物理の一般向け著作で有名だが、具体的な問題に関して、十分な細部の知識なしに、We Physician believeなどと明快な意見をいうこともある人のようだ。大前研一は、コンクリートによる封印は、数年にわたる冷却(通電と冷却系の回復による)と燃料棒の取り出しの後と解説している。冷却が十分ならそのまま封じ込めても良いような気がするが大前研一の提案の妥当性や他の案はよく分からない。いずれにせよ、一電気会社にまかせられるものではなさそうだ。長期展望のもとに事態の収束にむけた難しい作業をする必要があり、そのためには能力の高い司令塔と政府を中心としてそれをバックアップする体制が必要である。大前研一の解説では、四号機のプールになぜあんなに沢山の燃料棒が保管されていたのかの説明もされていたが、この辺も頭が痛い。原発事故については、反原発派か原発推進派で、爆発が生じた場合の被害の見積もりなどが大きくことなり、素人としてはどう評価すべきかとまどう。いずれにせよ、高い放射能と四台の事故への対応という困難な状況のなかでの懸命な作業が続いている。どうか危機を乗り越え、事態の収束に向かって欲しい。

津波の恐怖と地獄の業火の釜

2011年03月14日 | 時事
地震が起きたときには、震源から離れていたためにやけに長く揺れるな程度にしか感じなかったが、自宅に戻ってインターネットでニュースを見て驚いた。津波に家がのみこまれる映像は恐怖だった。不安な気持ちで寝入ろうとする時に、のみこまれた人の顔がぼんやりうかんだような気がした。

地震と津波の被害の大きさはその後のニュースで次々と明らかになった。テレビがないので、ラジオやインターネットで報道に接するだけだが、福島原子力発電所の事故についての報道や関係者の説明は、子供むけのオブラートにつつんでいるようで、何が生じていて、見通しがどうで、どんな対策をとるべきかが、見えてこないもどかしさを感ずる。津波の地獄の後に、より永続的に続く地獄の業火の釜があいてしまう可能性があるのに、オブラートのなかにいてどうするんだろうと思った。

Japan Nuclear Situation – 14 March updates

上のサイトは、今回の福島原子力発電所の事故から何を学べるかというスタンスで書かれているが、何が生じているのか、原因をどう評価すべきか、どうすべきか、事態の深刻さを認識しながら、危機をあおらず、非常にわかりやすく解説している。

今、なすべき対策は炉の冷却と住民の避難である。住民の避難については、およそ十分な体制がとられているようだが、肝心の炉の冷却は2号機“炉心溶けた可能性”の記事にあるように、全く適切に行われていない。現場の職員の方々は危険ななかで大変な作業にとりくんでいる。問題は指揮系統とバックアップ体制である。押さえ込み失敗は、原子炉の性質と四台炉がならんでいることもあり、致命的である。余震があるかもしれない状態なのだし、他の電力会社のポンプや発電機や自衛隊、米軍などの協力も得て万全の体制にしないのだろうか。なぜ肝心なタイミングにスムーズにリソースを集中できないのだろうか?政府は危機管理ということが分かっているのだろうか?

上のサイトのFukushima Nuclear Accident – a simple and accurate explanationの記事で、あるretired nuclear professionalのコメントは、"Let us hope that the scenario does play out as forecast in the article (i.e no new unpleasant surprises) and that the worst is over."とむすばれている。全く同感だ。しかしこのコメントを読んだあとで、2号機の空だきのニュースがあり、また驚かされてしまった。

初音ミクとヴォーカロイドの可能性:クラシック・ポップス・デジネッツ

2011年02月20日 | 言葉・芸術・デザイン
初音ミクはヤマハの音声合成ソフトを元に、北海道に本社のあるクリプトン・フューチャー・メディアが2007年8月末に販売したヴォーカロイド(アンドロイドなどと同様に、人造歌い手といった意味)である。初音は初めての音で、ミクは未来で、未来の初めての音といった意味になる。様々な楽器の音を合成するシンセサイザーは1980年代以降、PCでも簡便に使えるようになってきたが、その音声版といえる。

人間の音声が、歌として聴くにたえる合成の対象となると、単なる楽器音の合成にはとどまらない一連の効果が生ずる。声は性別や感情、性格などさまざな情報をつたえ、意見や考えという意味もあり、我々は声と人格を密接したものとして受け取る傾向があるからだ(Nassらの研究やジェインズのBicameral Mindsに関する議論など)。ヴォーカロイドという名称は、単なる音声シンセサイザーソフトをこえた、人格的な存在にも関わる製品であることを含意している。

CGを使ったヴァーチャル・アイドルの試みはこれまで色々あったがみんな失敗している。ヴォーカロイドがこれらと違うのは音声を基盤にしていることで、クリプトン・フューチャー・メディアでは声優の選択や音源のサンプリングにはかなりの時間をかけてやっているようだ。画像の方も、基本は提示しているが、ユーザーの自由な創作を許容している。異様に長い青緑の髪(Long Tailのもじりというわけではないだろうが、なんだか巫女っぽい感じもする。)などはトレードマークとして、あとは三次元CGのものから、よりギャク漫画チックな(なぜかネギを振り回している。「和ませる」の意味の古語「ねぐ」からきた禰宜と関係あるというわけではないだろうが。)ものまで様々である。クリプトン・フューチャー・メディアが成功したのは、音にこだわって、自由な制作のプラットフォームを提供した点にあるのだろう。初音ミクは、世界初のメジャーなヴァーチャル・アイドル歌手となった。

みくみく菌にご注意♪(マンガ版ミクが歌でヴォーカロイドの世界への案内とお願いをしている。左腕の01はクリプトンでの製造番号。)

2010年春には初音ミクなどのヴァーチャル・アイドル歌手の3DのCG映像を透明なスクリーンに提示し、ニコニコ動画などのネットでヒットした曲を、実際のバンドと観客の前で演奏するコンサートが開催されている。コンサートの様子はミクの日感謝祭 39's Giving DayProjectとして、DVDやCDになって発売されている。ほとんどの曲がYoutubeなどにアップされており、大多数の視聴者はネットやそこからのコピーで視聴しているようだ。Youtubeでのコメントなどを見ると、ほとんど世界中に熱心なファンがいることに驚かされる。アニメファンというだけでなく、既存のポップスに不満足で新しい音楽を求めている人もひきつけているようだ。

39's Giving Day 2nd OP Live

例えば、上の動画では最初が「裏表ラバーズ」でその後、初音ミクがバンドを紹介し、「パズル」、「Voice」、「1/6」とメドレーで歌われる。仕草や声などは完璧といってよいほど水準が高く、バンドや聴衆とシンクロしているさまは、歴史的といいたい感じがする。裏表ラバーズは人間の限界を超えた速さで歌われるが、恋の混乱と痛みをいたたまれないような速さで歌った歌として面白いし、「パズル」、「Voice」はゆったりとした感じで、「1/6」はやや生硬だが、それぞれ生活の場から立ち上がったつぶやきみたいな感じがあり、音楽産業の型にはまってつくられた既成の歌にはない魅力がある。

Double Lariat - Vocaloid - Hatsune Miku 39's Giving Day Concert

巡音ルカは、初音ミクよりすこし声の低いやや大人の感じがするヴォーカロイドである。"Double Lariat"も歌の標準的な定型をはなれた即物的な表現がアレゴリーとなっていて面白い。

World is Mine Live

「世界で一番のお姫様」で始まるWorld is Mineは、Youtubeで再生回数がすでに400万回を越えていて、曲の内容はより一般のポップスに近い。

こうしたヴォーカロイドの曲の多様性と、CGもあわせた完成度は、作詞、作曲、作画にきわめて多数のアマチュア職人が参加し、ネットを通じて共同し、作品をネットにアップし、視聴者によって選択されていくという過程によっている(「動画共有サイトにおける大規模協調的な創造活動の分析」)。テレビなどのように多数の興味をそこそこ満たすという作品供給時の隘路がないので、特異な規格外の作品でも自由にアップされ保存され、一部でも熱心な視聴者がいれば選ばれていく。初音ミクの長い青緑の髪が象徴するようなクールなLong tailの選択が可能になっている。

既存の曲についても、音楽のジャンルを自由に越えて歌われる。

初音ミクに はじめてのチュウ を歌わせてみた
Ievan Polkka
初音ミクが歌う「アヴェ・マリア」 05.シューベルト

さらには、祝詞やお経まである

【ミク・オリジナル】天津祝詞
歌って覚える般若心経

こうしたヴォーカロイドをハブにした領域を越えたゆるいつながりについては、プロの音楽家で注目している人もいる(5年間で激変したメジャーとネット)。ようするにLong tailでは個人の趣味、嗜好が反映されるが、これらがヴァーチャルなアイドル(偶像)を通じて、ゆるやかなつながりをも持ちうるということである。

Introducing the World's Next Rock Superstar(Lew Rockwell.com, 2010年8月9日)

Mike Rogersは上の記事で、初音ミクについて音楽におけるMusci3.0革命を導入する新しいスターだといって紹介している。Mike Rogersの記事は、自由と市場を志向するジャーナリストらしい生きの良い内容で、ヴォーカロイドの革命性の認識はおそらく正しい。ただ音楽進化に関する説明は不十分である。

望月(2010)は「ウェブ時代の音楽進化論」で、録音技術がポップスをもたらし、デジタル技術は新しいよりパーソナルで多様な音楽作りつつあり、それをFuture MusicつづめてFusicと呼ぼうと提案している。作曲家中心で複雑で長い曲が作られたクラシック、スター歌手中心でプロが多数の聴衆の獲得を競い曲を提供するポップスの時代に続く、アマチュア中心にデジタル技術を駆使しネットで音楽の共有を行っていくヒュージックの時代である。望月氏の議論は非常に面白く参考になるが、ヒュージックのネーミングは、はずしている感じがする。

0:土着(Indigenous) 地域地域で継承されてきた歌
1:クラシック(Classic) 記譜法にもとづく作曲家の高度に複雑な作品 
2:ポップス(Pops) 録音とマスメディアが生むアイドル歌手の数分の人気曲
3:デジネッツ(Diginets) デジタル化とネットの共同によるパーソナルで多様な小曲

デジネッツ、あるいはデジネット音楽は、Mike RogersのMusic3.0、望月(2010)が言うヒュージックに相当する。Mike Rogersが指摘するように、クラッシック音楽における作家主義をベートーベン、ポップスにおけるアイドル歌手をプレスリーで代表させるとすれば、デジネッツは初音ミクということになるだろう。望月(2010)はヴォーカロイドが日本を越えて広がるか懐疑的だが、声と人格のつながりの重要性から言って、より一般性をもつという議論もなりたつ。この辺、技術が文化に与える影響や声とエージェントの問題、媒体としての偶像の役割など検討すべき面白い問題が多い。また機会をあらためて論ずることにしたい。

Tube's dilemma:ミンス三兄弟

2011年02月18日 | Tube's dilemma
ある兄弟の歴史

1996年:「バカ」と「ズル」の兄弟、天下を目指して旗揚げ。以後、「バカ」と「ズル」が代わる代わる組織のトップを務め、組織は少しずつ発展。
2003年:いつまでたっても天下が取れないことに気づき、外から「ワル」とその仲間を招聘する。
2004~2005:「ワル」は神妙にしている。
2006年:仲間の自爆が相次ぐ。このままでは天下は取れそうにない。万策尽きて、「ワル」に代表をお願いする。
2007~08年:「ワル」の下で組織は快進撃を続ける。「バカ」と「ズル」は、「ワル」に心服する。
2009年5月:「ワル」が自爆。自分の言うことを聞きそうな「バカ」を代わりに据える。
2009年8月:「バカ」が戦いで大勝利を収め、とうとう天下を取る。
2010年6月:案の定、「バカ」が自爆。トップを降りるついでに、「ワル」を道連れにしたら拍手喝采を浴びる。「ズル」がその後を継ぐ。
2010年9月:我慢できなくなった「ワル」が「ズル」に挑戦する。ここでなぜか「バカ」は「ワル」の味方をするが、やっぱり「ズル」が勝利。
2011年1月:「ズル」は我が身を守るために「ワル」イジメに精を出す。「バカ」はまたまた「ワル」の味方をする。
2011年2月?:「ズル」に対する怒り収まらず。「ワル」と「バカ」、組織を割る構え(←今ここ)。

○この三兄弟(トロイカ体制とも呼ばれる)の物語、そろそろ終わりにしてほしいです。あまり生産性が高いとは思えませんし。しかし、こうやって振り返ってみると、いちばん罪が重いのは「バカ」ですな。(かんべいの不規則発言、2月17日)

Tube's dilemma:Good bye Kan and farewell to Minsu

2011年02月17日 | Tube's dilemma
内閣支持17.8%、民主政権で最低=不支持63.7%

時事通信社が10~13日に実施した2月の世論調査によると、菅内閣の支持率は前月比3.5ポイント減の17.8%となり、昨年6月の発足以来初めて2割を割り込んだ。鳩山内閣が退陣する直前だった同年5月の19.1%も下回り、2009年9月の政権交代後最低を記録した。不支持率も同4.5ポイント増の63.7%と、菅内閣では最悪となった。(時事通信、2月17日)



会派離脱願16人、菅政権に「見切り」(読売新聞、2月17日)

一方、ルーピーも背後で強烈な自爆攻撃。

鳩山発言は「人生で一、二を争う衝撃」
鳩山前首相が米軍普天間飛行場の県外移設を断念した理由として海兵隊の抑止力を挙げたのは「方便だった」と発言したと報じられた問題で、北沢防衛相は16日の衆院予算委員会で、「私の人生の中でも一、二を争う衝撃的なことだった」と述べた。また、自民、公明両党は質疑の中で、鳩山前首相の参考人招致を要求した。(読売新聞、2月16日)


Good bye Kan. 戦後最悪の首相ルーピーの基地外ぶりよりはましだったが、国家観がなく国際情勢も経済もわからないこずるい市民活動家あがりの最低の首相だった。この後、民主党は偽メールの口だけ男などでさらに誤魔化し詐欺政権の延命をはかるのではなく、解体して、しっかり誤りを反省し出直してほしい。

Pigeon Watching:Good bye Loopy お花畑政権から管理政権へ(2010年6月6日)
「市民活動家経験、労組支援の背景で、独自の経済理解に基づいて、増税をして福祉に回したり賢く公共投資を行えば日本経済が成長力をとりもどすと本気で考えているらしい。菅氏による社会主義的管理経済路線の選挙管理内閣というところだろうか。」

Pigeon Watching:鳩の喜劇の幕開け(2009年9月28日)
「自民党が二日酔いドライバーだったとしたら、鳩山民主は薬中ドライバーだろう。二日酔いドライバーが気にくわないからといって、薬中ドライバーに運転を任せようとする人たちの気が知れん。」