まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

紫陽花を描く

2019年05月31日 | 日記

五月も今日で終わりです。
そろそろ梅雨だなあと思うとちょっと憂鬱です。
眺めている分にはいいものの
雨に濡れながら仕事をするのはやっぱり苦手ですねえ。
でも、雨には雨ならではの愉しみもあって・・・



紫陽花が色づいて来ました。
梅雨時といえばやはり紫陽花ですよねえ。
大好きな花の一つです。
これほど「雨が似合う花」というのはないと思いますねえ。
たいていの花は雨が降るとションボリするのに
紫陽花は雨に濡れると俄然イキイキと輝き始めるから不思議です。
ユーウツな梅雨の季節も
紫陽花さえあれば楽しく生きていけそうそうです。(笑)



久しぶりにスケッチを描いてみました。
そうは見えないかも知れませんがこれでも紫陽花です。
いつもとタッチを変えて細密画風に描きました。
結構、気合いを入れて描いたので一時間以上もかかってしまい
肩が凝ってドッと疲れました。
面倒くさいので「雨」は省略ました。
というより「雨に濡れた紫陽花」を表現したくても
悲しいかなその技術がないんですねえ。
でも、それはそれで雰囲気が出てると思いませんか?
いつもの「自画自賛」でした。(笑)

 


理不尽では済まない

2019年05月30日 | 日記

事件の一報を聞いたのはラジオだった。
朝のコーヒーを飲みながら
そろそろ仕事を始めるかと思っていた時だった。
小田急線の「登戸」という地名に聞き覚えがあった。

またしても無差別殺傷事件である。
とにかく最近は理解不能な事件が多すぎる。
犠牲になるのはいつも高齢者や障害を持つ人
子供といった「弱者」である。
大阪教育大池田小事件、相模原のやまゆり園事件・・
その度にやりきれない気持ちになり、自分なりに凶行の動機を考える。
犯人が自死してしまった今回は動機すら不明だ。
どう考えても子供たちの安全確保に手落ちがあったとは思えない。
スクールバスでの送迎というのは
今のところ教育現場では考え得る最良の方法ではなかろうか。
暴れる訳でもなく怒号をあげるわけでもなく
無言でいきなり刃物を振り回されては防ぎようもない。
男は若い頃からから粗暴者で引きこもりの傾向もあったと聞くが
そこらのチンピラではなく51歳の男である。
うーん、わからない、わからないだけによけいに理不尽さがつのる。



同じ紙面に理不尽な裁判の判決がならぶ。
憲法違反を認めながら国家賠償を退けるとはどういうことなのか。
頭の悪いオジサンは意味が分からない。
旧優生保護法はまさしく国家による「犯罪」である。
障害を理由に国が不妊手術を強制するなど理不尽極まりない。
つい最近までそんな法律があったこと自体が
信じられないし国家の恥だと思う。
この判決は法律論に終始して国の責任から逃げた感があるが
それより怖いのは根強く残る「優生思想」である。
先にも述べた相模原の知的障がい者施設襲撃事件もまさしくそうだが
犯人は社会の役に立たない人間の抹殺を真剣に考えていて
そのことにただただ慄然としてしまう。
彼は決して特殊な人間ではなくごく普通の常識人だった。
私たちの中にさえ「勝ち組・負け組」などと
いとも簡単に人間を差別・峻別するような輩がいかに多いかと思う。
それは理不尽を通り越して非道な人間である。


六本木のヤマボウシ

2019年05月29日 | 日記

六本木の交差点から俳優座の前を通り
東京ミッドタウンの方向にトコトコと坂道を下っていくと
前方のマンションに立派な木が聳えてます。



街路樹のようですが木立に白い花が咲いています。
この界隈ではあまり見かけない花です。
もうハナミズキは散ったはずなのになあ・・
と思いながらドンドン歩いて行くと見上げるような大木です。
あれれ、これはひょっとして・・・



植物オンチの私ではありますが
その乏しい知識をフル稼働しながら観察すると
これはひょっとして「ヤマボウシ」の花ではありませんか。
誰かに聞こうと思っても生憎早朝なので
誰も歩いていません。
特に花が好きなわけでもありませんが
名前がわからないと気になって気になって仕方がありません。
かなりの樹高なので近くで確かめることも出来ません。
そこで思い切り背伸びをして頭の上にスマホを掲げてパチリ!



撮った写真はまさしくヤマボウシでした。
いや、もともと植物オンチですからアテにはなりません。
ハナミズキとヤマボウシは同じミズキ科で親戚のようなものですから
ひょっとしてこれはハナミズキかも知れません。
うーん、ややこしいなあ・・(笑)
でも、ビル街に咲く白く可憐な花は大好きです。
コンクリートだらけの無機質な風景と大自然の輝きが一つになって
都会ならでは得も言われぬ風情がありますねえ。
通りがかりに見かけただけのヤマボウシ(ハナミズキ?)に
さわやか気分満開でした。


降旗康夫さん逝く

2019年05月28日 | 日記

映画監督の降旗康夫さんが亡くなりました。
旗を降るという名字がカッコよく
どんな人なのだろうと常に畏敬の目で見ていました。
もともと長野県に多い名前とかで
清和源氏の子孫にあたる由緒正しき武士の家柄だそうです。
確かに「古武士」然とした面差しで
自らの旗を降り続けた気骨の映画監督でした。



長野県の名門・松本深志高校から東大の仏文を卒業。
古き良き旧制高校時代のバンカラ気風と
仏文出身ならではの深い教養に裏打ちされたインテリでした。
東映の東京撮影所に入社されてからは
菅原文太や高倉健と組んでヤクザ映画の全盛期を築きました。
とにかく寡黙な人で高らかな演出論をぶつこともなく
作品が出来上がってみればいつの間にか「降旗流」になっているという
不思議な磁力を持った監督さんだったようです。
同じ「寡黙どうし」で健さんとはウマが合ったのでしょうか。
高倉健さんと組んだ「駅・STATION」や「居酒屋長治」「夜叉」など
数々の健さん映画のメガホンをとりました。
そうそう「鉄道員」や「あ・うん」もそうでしたねえ。
どの作品も決して大見え切ったような派手な演出はありませんが
人間の感情のひだを丁寧に掬い取るような映画でした。
どこかの新聞が「滋味あふれる映画」と表現していましたが
まさに言い得て妙だと思いますねえ。
健さんに続いて監督の降旗さんも逝ってしまわれて
もうあの世界は見られないのかと思うと
やはり寂しさを禁じ得ません。

 


運動会でした。

2019年05月27日 | 日記

近所の中学校の運動会でした。
かつてわが家の息子が通っていた母校です。
朝っぱらから花火の号砲がとどろき
やがて生徒たちの歓声が風にのって聴こえて来ました。
思わず懐かしい写真を探していました。

もう何年前になるでしょうか。
息子の学校行事にはめったに参加したことのない私ですが
運動会だけは皆勤賞だったような気がします。
やはり運動会は「血沸き肉躍る」感覚があるからでしょうか。
小学校の運動会は微笑ましいものですが
中学校となると何かにつけてガチンコ勝負の傾向が強く
見ているだけで興奮しますねえ。
誰ははがかることなくわが子を大声で応援できるところは
競馬場の雰囲気に似ているかも知れません。



我ながら躍動的なナイスショットが多いですねえ。
それだけ無心に対象を追いかけていて
写真によけいな「邪念」や「演出」が入らないからでしょうか。(笑)
中学三年生たちには最後の遠藤会。
息子は学年別リレーでみごと一等賞に輝いたのですが
余りに興奮しすぎて応援したので
肝心の写真を撮り忘れるという失態をおかしたのも
今となってはいい思い出です。



私が選んだ運動会の「紅一点」です。
息子の写真を撮り忘れるオヤジもこういう写真はバッチリなんですねえ。
今では「盗撮」などと問題にされる一枚でしょうか。
この美少女も今では二十歳の年齢で
どんな素敵な美人に成長したのだろうと想像します。
みんなピカピカに輝いていました。



短パンの泥だらけの尻が勲章のようでした。
たかが運動会・・・と言ってしまえばそれまでですが
人生はいくつもの「たかが」の積み重ねで
それがいつの日か思わぬ力になる体験もあるんですよねえ。
息子が中学を卒業してしまって
運動会もすっかり遠い記憶となってしまいました。
季節外れの「猛暑日」でしたが
この暑さもかけがえのない思い出かも知れません。