明治期のキリスト教は、明らかにマイナスからのスタートであった

2017-10-11 17:10:04 | 宗教分析

この記事は「続・明治以降になぜキリスト教は広まらなかったのか?」の続きであるが、議論を進めるにあたって補助線を引いておきたいと思う。

 

キリスト教が初めて伝わった戦国時代、それは南蛮文化と同じく新奇なものであるがゆえに先入観が少なく、またそれゆえに翻訳(どう伝えるのか)にも苦労したわけである。当時は戦国時代であったために「日本」という単位での統一的な宗教政策は無く、高山右近大友宗麟といった一部の戦国大名は貿易上の理由などもあってキリスト教に帰依し、また信長がキリスト教布教を許したがゆえに、下克上で価値観の大変動が起こっていた社会に新たな統一的世界観を持った宗教として急速に広がっていった。しかしそれは、信長亡き後、秀吉や家康が天下を統一すると、それに復せぬ思想を提供する危険な教えとして厳しく弾圧されていったのであった(このことは独りキリスト教を対象とした政策ではないく、当時の大勢力一向宗にも及んだ。信長による本願寺焼き討ち、家康の仲介・画策による一向宗の西本願寺派と東本願寺派への分裂といった政策はその好例である)。このような徹底的の弾圧の中で、キリシタン勢力は事実上壊滅し、「隠れキリシタン」として潜伏するしかなかったのである。

 

翻って、第二次大戦後の日本ではどうだろうか?少なくとも管見の限りにおいて、キリスト教が怪しげな宗教として見られたことも、その結果として社会的な排撃運動に遭ったことも、政府レベルでの弾圧を被ったことも存在しない。いなむしろ、どこか牧歌的にキリスト教を先進的で融和的な宗教だと思い改宗こそしなかったものの、アメリカと重ねて淡い憧れすら抱いていたのではないか?私がこう考える象徴的エピソードが一つある。

 

これは2005年、すなわちもう10年以上前のことだが、早稲田の大学院でTAをしていた時、教授の付き添いで早大本庄高校に行ったことがある。そこで高校の倫理の先生がやや戸惑いながら「生徒はだいたいキリスト教とかアメリカにいいイメージを持っているんですよね」言っていた。私は思わず「9.11やイラク戦争やそれに関する報道もあったのにですか?」と聞いたところ、色々考えながらもうなずいていた。ブッシュの「十字軍」発言が歴史を知らぬものと批判されたり、大量破壊兵器は本当にあるのかはっきりしないまま戦争に突入したり、と様々アメリカやキリスト教の負の側面も取り沙汰されているのに、どうして生徒はナイーブにも肯定的なものとして見ているのか?私には全く理解の埒外であった。早大本庄高校といえば、ロケーションゆえに首都圏の早稲田付属では最も入りやすいが、そのまま早稲田大学に進学できることもあって人気のある難関私立高の一つなのは間違いない。それに付属校であればこそ、大学受験を意識しないある意味「深い」授業もできるはずである。しかるにその生徒たちでさえ、そのような体たらくなのである。となれば、おおよその学生や大人たちのキリスト教イメージは推して知るべしであろう(まあさすがに2017年の今もまだ同じ状況が続いている・・・とはさすがに思わないし、思いたくもないが)。

 

再度繰り返すが、戦後の日本人はキリスト教に対して少なくとも負のイメージは持っていなかった、ということである。であるならば、それにかかわらずキリスト教徒が増えていかないのは、何かしらの要因があると考えられるわけで、「それが一神教のキリスト教は多神教の日本の風土に合わない」という言説につながったのではないか。思うに、ここでキリスト教が広まらなかった理由は、一神教云々よりまさしく「アメリカ的物質至上主義」に求められるように思う(さらに言えば、それが前面化する要因として、江戸時代~戦前で生じた神道・仏教の制度化・形骸化があったと推測される)。すなわち、敗戦とそれに伴う経済的苦難のどん底から這いあがるために、ひたすら豊かさを求めて働き続け、朝鮮戦争による特需などもあって急速な復興を遂げていく。その中で宗教というのは拠り所とされることが少なかったのである(これは出稼ぎのため田舎から都会へ出稼ぎに出る人間が多く、伝統的な宗教から切り離されたことも大きいだろう。なお、その中には寄る辺をなくして宗教に帰依する者たちももちろんいて、それが創価学会躍進の母体となった)。

 

しかるに、このような理解を明治期の日本とキリスト教にも適用してよいものだろうか?答えは否である。なぜならその時代には、キリスト教が邪教とされていた江戸時代の影響が色濃く残り、政府によるキリスト教禁止、民間のキリスト教排撃運動などが様々見られたからである。要するに、明治期のキリスト教は明らかなマイナスからのスタートだったのあり、タプラ・ラーサ的な戦国時代とも、アメリカへの憧れに重なるキリスト教への憧憬があった戦後とも異なるのだ。ゆえに、日本という風土との相性を云々する前に、そういった歴史的文脈を明らかにする方が先というものだろう。

 

というわけで次回は、それについて見ていきたい。

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