俗説・社会の関係と思想研究

2005-11-14 17:07:56 | 宗教分析
これまで「感想:『キリスト教と日本人』」などにおいて、思想そのものの研究[教義史・哲学史]と社会思想の研究[思想史]の間に意識的に距離を置くことの必要性と、その二つが同等の価値を持つことを述べてきた。最近読んだ本の中で、それに関連した興味深い記述を見つけたので引用してみよう。

愚かしい空想について学問的に研究し、必要な時間とエネルギーを惜しみなく注ぎ込むなどということは、到底受け入れ難いことだろう。(中略)しかし読む価値のある著述とは、教養ある正気な者が真面目に受け入れることのできるものだけだ、と考えるのは大きな誤りである。なぜならペテン師やいいかげんな知識しか持たない狂信者によって、思想として偽装された病的な空想が、無知蒙昧な者を対象に大量に生み出されている地下世界が存在するからである。この地下世界が深淵から突然地上に姿を現すことがある。そしてふだんなら理性的で責任感もあった大勢の人びとの魂を奪い、虜にして、思いのままに操るようになる。そのとき人々は正気を失い、責任を放棄してしまう。そしてやがてはこの地下世界が地上で政治の権力を握る日が来て、歴史の進路を変えてしまうことさえあるのだ。(『大量虐殺の令状―ユダヤ人陰謀説とシオン賢者の議定書の神話』14ページ)

やや表現はきついが、俗説や社会思想のあり方と、それへの研究姿勢をよく表現している。

※関連事項としては、魔女狩りやジャポニズム、ノストラダモスの大予言、新興宗教の出現とそれに対する民衆の反応[支持するのもそうでない場合も]などなど…
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