blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

今ある現実

2017-11-22 20:09:38 | 日記
土曜の夜に、文字通り夢のような時間を過ごし、日曜はゆっくり休んで月曜からの三日間はやはり淡々と進んだ。
大ポカをかましたわけでもなく順調といえば順調だったが、仕事を離れた時間には夢ではないまさに今ある現実に思いを巡らすことになった。

10人にも満たない我がチームにあって、私はついに私の中の「人間」を消し去ってしまわないことには今いる環境で心穏やかには過ごせないことを悟った。
人間を消すということはすなわち感情を消すということと同義で、周りの人間の言動をいちいち気にしていたらイライラするばかりなので、仕事中は感情というものを持たないことにしたのである。
私自身はひたすら目の前にある仕事だけを見て、周囲に余計な手出し口出しなどは一切しないで、とにもかくにも無難な道を行く。
小さなチームの中でも、もはや私に話しかける者はない。
当地に来て二年を経過してこの現実、三年目に入ったからといって大変わりするものでもないだろう。
仕事そのものが性格に合うこと、これ一つを支えに毎日会社に通う、今できることはそれだけである。

土曜、まさしく夢だったライブが終わり、打ち上げも兼ねて軽く飲みに名古屋市内某所に出た。
店の営業時間の都合で滞在時間は一時間足らず、酒量も伸びずほろ酔い程度ではあった。
駅ナカの店だけに改札口はエスカレーターを下りてすぐそこ、電車が私と逆方向の同行者はこちらに一瞥もくれることなく改札口に足を向けて去っていった。
会っている時間は普通だが、別れる刹那に視線も合わさずにそそくさと去っていく印象を受けたのは10月に会った時もそうだった。
彼の背中は疲れているようにも見えるし、寂しげにも映る。
そうさせるのは、私などよりはよほど責任ある立場にある彼の今の日常か、住んでいる地域でのしがらみか、考えたくはないが三十数年にも及ぶ私との関係そのものが彼にとって重い十字架となっているのか。

いくら彼と私がガキの頃に知り合っているとは言っても、中学、高校と進むうちに、より気も合いより楽しく過ごせる友人と巡り合うことなど至って自然なことで、彼の中での私の「相対的地位」が下がったところで私が文句を言える筋合いはない。
彼の結婚式には幸い呼んでもらえたが、友人代表でスピーチしたのは彼が高校で意気投合した別の人間だった。
人間は変わっていくものであり、それは彼も例外ではないし、私だってガキの頃からはずいぶん変わった。

かりそめにも、お互いに変わった中でもまだつながっている関係が自らの重荷になっているなら、そんなものは下ろしてもらって構わない。
もう夢の時間も一度共有できたことだし、心から身軽になってもらって、今よりも生き生きとした毎日を送っていってほしい。
典型的な「気は優しくて力持ち」タイプ、長年の付き合いにはいろんなことがあり、一言では言い尽くせない。
そんな彼の幸せを心から願うからこそ、余計な荷物は下ろしてくれ、俺は大丈夫だから、と伝えたい。
せっかく会っても、別れ際、疲れた表情で逃げるように去っていく姿をこちらも見たくはないのである。

明日からは今年最後の旅に出る。
楽しむことも大事だが、会社から、そして当地から離れた数日間の中で考えられることもあるのだろうと思う。
幸いにして天気には恵まれそう、名うての雨男からは完全に卒業したようである。

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