けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマと現代世界

2010年02月18日 | Weblog
ファチマ・パースペクティヴ第600号:典礼と世界(2010年1月19日)クリストファー・A. フェララ

イタリアの雑誌イル・フォリオ Il Foglio において、礼拝および秘跡聖省の長であるアントニオ・カニザレス・ヨヴェラ枢機卿(Antoniko Cardinal Canizares-Llovera)は第二バチカン公会議後の「刷新」の40年以上も後に、そして公会議の名において不当にも課されてきた偽の禁止からラテン語ミサを解放するという教皇の歴史的な決定がなされたときに、今日のカトリック典礼の状態に関して驚くべき見解を述べられた。




この聖省を指導して一年後に毎日私は、あらゆる大陸において、一つの強いそして厳しい典礼的な欲求を教会において促進する必要性をより大きな力をもって経験し感じている...そこに、疑いもなく、われわれの未来そして世界それ自体の未来がかかっている。私がこのことを言うのは、教会の未来そしてすべての人類の未来が神のうちに、神の生命のうちに、そして神から来るもののうちに置かれているからである。そしてこのことは典礼においてそして典礼を通じて起こる。教会だけが、典礼の真理を生きているとき、世界を刷新し、変形しそして再創造することができるであろう。神、そしてただ神と神の恩寵だけがそうできる。典礼は...神の現前であり、神の救いのそして再生的な働きである...それはわれわれを救うことができる唯一のものである。(翻訳は筆者)




ここで枢機卿は、典礼の崩壊の現在の状態が実際に世界における神の救いの恩寵の働きに対して一つの障害であるということ、そしてその理由のために世界が危険にさらされているということを暗黙のうちに示唆しておられる。このやや黙示録的な暗示は御自分のモートゥ・プロプリオ スンモールム・ポンティフィクムでもって伝統的なラテン語ミサを教皇が「解放なさること」についての一つの注目すべき声明に付随してなされている。




ある人にとってはこれ[Summorum Pontificum]は不快なことであるけれども、これまでに到達してきたそして到達し続けてきた諸々の反応から判断するならば、モートゥ・プロプリオは後退の一歩ではないし、また過去への復帰でもない、と言うことは正しいことであり、また必要なことである。それは、典礼のうちにその最も真正で深い表現を持っている一つの偉大な伝統の諸々の富と遺産とを単純さをもって、そのすべての十全さにおいて認めそして受け入れることである。教会は、ローマ典礼のうちに含まれているこの伝統の世襲的豊かさと財宝から身を引いたり、忘れたりあるいは断念したりすることを自らに許すことはできない。それはまさに教会それ自体に対する裏切りであり、否定であろう。




しかし、聖霊の保護によって、モートゥ・プロプリオを引用すれば、たとえ伝統的なミサが「決して無効にされたのではなかった」としても、教皇パウロ六世の承認とともに、信徒が伝統的なラテン語ミサから「身を引き、忘れそして断念する」ことをまさに要求した人々の側で公会議の後に伝統的なラテン典礼を廃止しようとする試みのうちに含まれていたことは、まさに「教会それ自体に対する裏切りであり否定」ではなかったか?



聖なる典礼は実際、枢機卿が示唆しておられるように、全世界の救いと密接に関係している。そして今日の世界の状況はカトリック典礼の状況と明白に関連している。世俗的社会秩序の急進的にキリスト教的な批判へと向かう増大する知的な趨勢を代表しているアングリカンの学者ジョン・ミルバンク(John Milbank)でさえ、次のような驚くべき仕方でこの確信を表明した:「ただ一つのグローバルな典礼的組織体だけが、今や文字どおりの暴力からわれわれを救うことができる。」しかし一つのグローバルな典礼的組織体は、パウロ六世によって是認されあるいは許容された「典礼改革」以前に教会がそうであったものであり、その典礼改革は伝統的なローマ典礼における信仰の統一を、数百の各国語版へと翻訳されたミサの新しい典礼を含む典礼的なバベルの塔と置き換えたのである。



今、もし少なくとも典礼上の危機の重大さを認識するバチカンにいる人々が「われわれを救うことができるただひとつのもの」 - ミサの聖なる犠牲 - を護ることについて真剣であるならば、そのとき彼らは世界中のあらゆる小教区におけるあらゆる祭壇に伝統的なローマ典礼を回復するために可能なあらゆる手段をとるであろう。ただそのときにのみ、未来のピオ十二世が、ファチマのメッセージの光に照らして話しながら、「典礼において信仰を変えることの自殺行為...」として予見なさったことの諸結果を避けることができるであろう。その救いをもたらす典礼の復興 - われわれはおそらく今その始まりを見ているのだ - はロシアの奉献に続いて起こるであろう聖母の汚れなき御心の勝利にとって絶対に必要なことであろう。




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