けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

主よ、あわれみ給え / 「聖と俗」雑感

2009年10月18日 | Weblog
Gregorian Chant: Kyrie X



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=HVFTBKWnz8o

Kyrie eleison.
キリエ エレイソン。
主よ、あわれみ給え。
Christe eleison.
クリステ エレイソン。
キリスト あわれみ給え。
Kyrie eleison.
キリエ エレイソン。
主よ、あわれみ給え。

8月18日参照


「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感

 愚見では、聖は天主(Deus)に関わり、俗は人間社会(hominum communitas)に関わる。聖は縦の関係つまり天主と人間との関わりであり、俗は横の関係、人間同士の関わりである。聖は一であり、俗は多であるとも言える。天主は御一体であり、数多の天主というのは絶対矛盾であるからして、天主と人間の関係は一つしかない。天主と人間の関係を宗教と言うが宗教は常識的には多数あると考えられている。しかし唯一の天主の啓示し給うた真の宗教はただ一つ、それはカトリック教会によって2000年以上にわたって守られてきたものである。多である人間社会において真の宗教は一つである。それがカトリック教会である。以前にキリシタンについて触れた折にも、言ったことであるが、このことを主張するカトリック教会は他の諸宗教から憎まれる。カトリック以外のすべての宗教(ユダヤ教は天主が建てられたものであるから、他の諸宗教とは異なるが)は人間が開祖であるが、ユダヤ教とキリスト教(カトリック教会)は天主御自身が建て給うたものである。カトリック教会から離れたすべてのキリスト教諸宗派は、例えばカルヴィン派はカルヴィンが、ルター派はルターが、作ったものである。 「公教要理」 の第18課ー第20課は「公教会」(カトリック教会のこと)について述べているので参照していただきたい。

 共産主義はこの聖の世界を否定し、人間社会である俗だけしかこの世にはないと主張するだけでなく、公教会に対して積極的に破壊工作、弾圧を行う。フリーメーソンは聖なる世界の主人公をサタンとし、サタンを礼拝する。サタンは被造物である天使が創造主である天主を否定して堕落した存在であり、人間をも天主に対して反逆させ、堕落させることを目的として活動している。これら両者はカトリック教会の敵である。彼らはカトリック教会を不倶戴天の敵として、これを滅ぼそうと全力を傾ける。旧ソビエト連邦が崩壊したとき、共産主義も崩壊したと世間では言われているが、とんでもない。ただ従来の形を少し変えただけであり、ファチマの聖母が「ロシアの諸々の誤謬」と言われた様々のものをロシアはそのまま受け継いでいる。ロシアは誤謬を世界中に広め共産中国や北朝鮮と友好関係を維持している。

 聖と俗は対立、敵対するものではない。人間はこの両世界に生きている。天主は人間をお創りになったとき、独りでいるのはよくない、と言われて、女を創り、男と女の間に子どもたちを生ませ、育てさせ、共同社会の原型を創られた。俗の中で聖が保たれるべきことを神は望み給うたのである。天主の十戒は第一から第三までが聖に関わり、第四戒から第十戒までが人間社会にかかわる掟である。先に俗は横の関係と言ったが、神との垂直関係に比して水平であるという意味であり、人間社会に縦の関係がないという意味ではない。天主の十戒の第四は「なんじ、父母を敬うべし」であり、親と子は横、水平の関係であるべきだとか、政治の世界で支配者と被支配者があるべきではないと考えることは誤りである。

 俗は多である、と先に言ったが、人間社会においては、民族、言語は多様であり、そのどれか一つを絶対化したり、あるいは多を否定して一にしようとすることは誤りである。共産主義もフリーメーソンも俗における多を否定して、「万国の労働者よ、団結せよ」と叫んで国民を無国籍者にしたり、世界政府を主張して民族、言語の多様性を否定する。その一方で、共産主義者は独裁を主張し、フリーメーソンは世界政府を樹立しようとする。彼らは真の聖を否定した上で、おのれを聖なるものの地位に置こうとするのである。(続く)