書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○粟田。

2017年01月18日 22時43分11秒 | キンシヲ
1月18日

マイク入ってますか?

今朝シートベルトが取れなくて 一生このままかと思ったよ

これシュロかな これ実なのかな

横須賀市粟田 栗(くり)じゃありませんよ粟(あわ)です

五穀米とかに入っているのが粟らしいです

YRP野比



これハイランドじゃん ハイランドの麓なんだね粟田って

もしかしたら会えるかなと思って え!凄いね 有給とって 火曜日に撮影してるって話してたから

あっち行ったらYRPじゃん

光の丘隧道(ずいどう

光の丘橋だよ

トンネル抜けました

古墳がありそうだよ かろうとやま古墳

行く? 最近こんなの多くない?

どっちなの? これはどっちなの? これだと遊歩道って感じじゃないね

あーったー なんかしらないけど

どうゆうこと? かろうと山を切り開かずトンネルにすることで古墳を遺した




これ何か上行けるんじゃないの

え?! ここ凄いな(雑草原野

景色をみるための階段みたいになっているけど

ここさ、良いね斜め感が 私達は衣笠駅にやってまいりました

アーケードだよ 私達の大好きな

衣笠商店街 衣笠の人? 追浜です

「三浦や」さん これ300円ですって(コロッケ定食

あ電車だ 横須賀線

この石垣古いの? 昔はそこ原っぱだったの

「エスポワール衣笠店」 ハマダパン

ひらさく? へいさく? ないな川の名前

これ何川なんだろう 何食べよう そういえば給食っぽいね

ソフトフランス いただきます 安定な味だ 食べなくても大体わかる

ひらさく川だった

カメラとぼくだよ(地図に落ちる影

「いりやまず」がある 僕の横須賀です

衣笠から車で4~5分 不入斗(いりやまず

「当たり湯」じゃないですか

来週は… 遠くかも知れません 一緒に行きましょう ではまた来週



「KEIKO」からの即興イラスト 喜怒哀楽全部描けた





 ■goo地図リンク■

粟田小学校前

衣笠駅

300円コロッケ定食 三浦や

エスポワール衣笠(ハマダパン)

不入斗(いりやまず) 当たり湯 銭湯






Ende;
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○進化生物学上の立証というものは、人間性とは無関係である。

2017年01月18日 14時46分44秒 | 意識論関連
進化生物学者の中には、現在の食物連鎖のピラミッドのような環境調和性というものが、自然淘汰とは別の何らかの力学が働いて生じているというバカげたことを言い出す奴が後を絶たない

天文学における惑星同士の軌道干渉がなくなったという結果については、互いに軌道が干渉するような天体が長い期間に渡って徹底的に淘汰された結果であることを、当たり前の常識として認識しているのだが

進化生物学者達の多くは、こうした環境調和性というものが自然淘汰とは別の力学が存在していて、自動的に必ず調和の方向性に向かうかのような幻想神話を本気にしているオカルト野郎が多すぎる

現在の生物相における環境調和性というものは、長い生物史における度重なる大絶滅などの不調和の繰り返しの果てに偶発的に外見上調和しているように見えているだけであって、過去の生物史の中においては、天体の軌道干渉のような大絶滅カオス状態が何度も発生し、その中で偶発的に環境調和するような個体種の生物相に淘汰された一面的結果だけを取り上げて、あたかも全ての生物が常に環境調和の方向性を予め持っているかのような錯覚を抱いているに過ぎない

例えば、食物連鎖のピラミッドにおける肉食動物が、その下位にある草食動物などを食い尽くすような繁殖力と狂暴性を兼ね備えてしまった場合。環境を食い尽くして環境ごと自滅するという淘汰圧力が働くことで、自ずから環境調和するような繁殖力と狂暴性のバランスがとれた肉食動物しか生き残ることが出来なかったために、現在の生物相のような調和性が形作られたのであり。個体の生存というのは環境と不可分なものであって、結果的に生き遺った生物種が環境調和性も兼ね備えているのは当たり前の話であって、自然淘汰圧力とは別の構造や力学が働いたわけでも何でもない

生物学者の多くというのは、論理的に物事を考えることの出来ない文科系大衆観念者があまりに多く。オーガニック幻想のように自然由来の出来事の全ては人知を超えた進化生物学の神のようなものの意思が働くことで、自動的に常に全てが正しい方向へと自動的に進化するものであるという妄想神話を本気にしている

進化というのは、生存の結果である。それ以上の何の力学も働いてはいない

生存とはいっても、あくまで現在生存しているだけの話であって、未来永劫常に全ての生物種が環境調和性や、それこそ持続可能性や安全性を求めるような人間性までをも先天的に獲得できるわけではなく。あくまで今現在の生物相において暫定的に調和安定しているに過ぎないのである

従って、ヒトという種の生物が、長い間の世代交代を経たからといって、自動的に先天的な人間性を常に発揮可能な習性が組み込まれるというメカニズム力学が働くわけではない

一面的に多数派迎合性や、服従による権威統率の結果としての役割分担などの「社会形成習性」は組み込まれてはいると言えるとしても。こんな先天的で無意識条件反射的行動だけで人間性や倫理が立証できるわけがないのである

左脳優位なヒトというのは、極めて一面的な現象結果だけを根拠に全てを説明しようとする傾向があり。また、左脳優位なヒトほど言語による意識誘導(誘導されている時点で既に無意識なのだが)に流されやすいために、科学的論理検証よりも気分的納得感覚だけで簡単に思考停止に陥り、科学的探求を一切行わなくなってしまう性質がある

人間性というものは、自律的な論理検証による行動選択によって発揮されるものであって。先天的な行動バイアスに過ぎない行動習性で立証可能なものでは構造原理的にない

ヒトなどの生物に見られる習性としての「社会性」というものは、役割分担や権威統率などによって個体単体では行うことの難しい能力を発揮することは出来ても。こうした能力というものには方向性がなく、あくまで先天的な行動バイアスに過ぎないために、ISILやオウム真理教のようなカルト暴力集団の形成において働くこともしばしばある

こうした先天的な社会形成習性というものには自律がなく、あくまで環境依存的な行動バイアスの結果しか至ることがなく。こうした無意識な習性や行動バイアスこそが自律的な社会的責任判断選択を阻害し、むしろ人間性から遠ざかる原因としてしか働くことはない

神話や幻想にとり憑かれ、ありもしない立証方法に執着している現在の進化生物学界というのは、充分にオカルト集団であり、理論科学としての社会的役割を全く果しておらず、税金の無駄遣いにしかなっていない

一人の互換不能な人間性というものは、先天的な行動習性などの遺伝的要素によって自動的に発揮されるようなものではなく。あくまで自律的な論理検証に基づいた社会的責任行動によって発揮されるものであり、氏でも育ちでもなく、自覚や意識によって発揮されるものなのである

こうした人間性や倫理というものが、単なる生存の結果に過ぎない進化(変化変異)によって説明できるわけがないのであって。「行動習性から、人間としての社会性が立証できるかも知れない。」などという論理的に不可能な仮説を立てている時点で、科学者としては無能ポンコツとしか言えないのである

人間性や倫理というものが、ヒトという種の生物における淘汰圧力として働くメカニズム構造は存在せず。むしろ組織に迎合して自律的な社会的責任判断選択などしない方が、組織集団の内部においては生存価に適しているのであり。生存のためなら人間性や倫理は放棄するような先天的行動習性を持った個体種へとしか淘汰圧力は働かないのである

イジメや差別によって、一体何人の罪のない個体が殺されたら、ヒトという種の生物には人間性や倫理が組み込まれるというのであろうか。そもそもそんな淘汰圧力自体が存在しない以上、先天的な行動習性だけではイジメは増えることはあっても減ることはないのである





高橋みなみ氏に苦言となるかも知れないが、行動宣言などというのはイジメに対する問題意識のある人の中における自己満足(お花畑)にしかなっておらず。論理的な原因究明や対策にはほとんどつながっていない

川崎市近辺の中高生達が殺し合いにまで至る程の暴力性を発揮しているのだが、一つの殺人事件にまで発展する背景には、無数の暴力事件が存在していると考えるべきであり。ヒトという種の生物がどのようなメカニズムによって暴力的集団組織として統率行動を発揮するように至るのか、その構造原理について検証し、原因究明を再発防止策に生かすべきなのである

軍隊というのは、兵役訓練という環境によってヒトに殺人暴力を行うように洗脳する制度である

ヒトという種の生物は、その先天的な社会形成習性の中の一つである権威服従性を利用することによって、自律的な社会的責任判断選択を放棄し、「上」からの命令に機械条件反射的に服従することによって、戦争などというバカげた行為をもさせることが可能なのである

こうした習性というのは、別に軍隊でなくても先天的習性である以上、自然と発揮してしまうものであり。中高生が勝手に暴力組織集団を形成して、勝手に自滅の道を歩んでしまうことも珍しいことではない

文明以前の自然環境下においては、こうした組織的暴力性というものが生存価に適していた可能性は充分にあり。むしろ組織的暴力を発揮するといった「社会形成習性」を持った個体種へと淘汰圧力が働いた結果として、ヒトは野蛮な戦争を何度も繰り返すのである

頭の悪い左脳優位なバカの場合、このように「先天的に暴力的であるならば、もはや暴力をなくすことは不可能である。」などと短絡的帰結に至って、一切の対策を放棄して満足するであろう

バカというのは満足によって生ずる思考停止を意味するのであり、先天的な学習障害などとは全く別のものである

ヒトという種の生物は、自律的な理性(論理検証性)によって、自らの先天的行動習性という無意識に流されることない行動選択可能性を持っている(厳密に言えば、先天的な学習障害などの疾患がなければ。)

可能でありながらやらないというのは、単なる無責任であり、人間性の放棄に他ならない

「先天的な行動習性によって、人間としての社会性が立証可能かも知れない。」などというオカルト進化生物学者達の妄想錯覚に何の疑問も持たないお花畑で満足している頭の悪さこそが、地球の裏側で赤ん坊が燃やされる事態を止めることが出来なくしているという自覚を持たなくてはならない

地球のこっち側でも、川崎の学生の命が失われているのであり、決して対岸の火事ではないのである

先天的行動習性や本能というものは、自律的な社会的責任判断選択を放棄しても構わない理由になど一切ならないのである

進化生物学上の結果でしかない先天的な本能習性というものは、それによって人間としての自律的行動選択不可能の証明になどならない

行動習性や本能というのは「結果」であり、無意識な行動バイアス(傾向性)以上の意味など持っておらず。イジメや差別暴力をなくすという、意識的「目的」のための合理的行動選択に対して、何ら制限となる理屈は存在していないのである

それを何を勘違いしているのか知らないが、進化生物学上の行動習性さえ立証できれば全てが決定してしまうかのように錯覚している人が多すぎる。

現在の進化生物学上の立証というのは、ヒト以外の動物における傾向性の立証でしかなく。これによって人類の未来が決定してしまうような権限や証明か何かだと勘違いしてはいけない

それは先天的本能習性として人間性が立証することが不可能であるが、個人の意識によって人間性を発揮することが可能であることを意味するのであり。人間性というのは進化生物学とは無関係な領域であり、進化生物学上の立証で満足することも、絶望することも科学的には無意味なのである

ヒトという種の生物の先天的な行動習性や本能という「結果」がどのようなものであるのかに関わらず、自律的に社会的責任判断行動選択可能性がある以上、その可能性を行使することこそが人間性なのであり。その場限りの満足も絶望も先天的な習性の結果に過ぎず、人間性とは無関係なのである



我々の祖先がどのような経緯によって生存したのかは、もはや知る手だてはほとんどない。現在の犯罪ですら証拠が見つからなければ立証不可能であり、どのような悪どい手段によって「生存」という結果に至ったのか、わかったものではない

終戦後の焼け野原では、他人に危害を加えてでも生き残らなければ死んでしまう。戦後の闇市では燃料用アルコールを水で薄めてお茶で色をつけた偽造酒によって、失明した人もたくさんいたそうである。こうした過酷な「生存」競争の結果として生き残れたからといって、そこに人間性が宿るような淘汰圧力が存在していないことは明らかである

終戦後でなくても川崎の学生達にも、人間性が宿るような淘汰圧力など存在しておらず、一見平穏に見える日本社会全体においても、貧富格差が拡大するようなメカニズムによって、人間性など発揮しない企業やヒトへと淘汰圧力が働いているからこそ、貧富格差は一向に解消する構造力学は存在していない

そこに貧富格差を解消するための制度や仕組みといったものを新しく作り出すのは理性である

その場限りの気分的な「可哀相」などという憐れみでは、社会構造的欠陥の解消にはならないのである

高橋みなみ氏達が行っている行動宣言の類も、所詮はその場限りの憐れみで満足しているに過ぎず、イジメ問題の根源的原因究明にも、効果的で具体性のある再発防止策にもつながっていない

それが、むしろ残念で仕方がないのである



Ende;
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○オーガニック超人。

2017年01月18日 00時01分16秒 | 意識論関連
地球のヒトより高度な知能を持った太陽系外生物がいた場合

文科系大衆の多くは「侵略される」だとか「絶滅させられる」なんて言い出すんだが、こうした野蛮な発想自体が地球のヒトの発想であって、地球のヒトより高度な知能を持った生物が侵略だの略奪だのといった欲望のままの行動をするとは限らない

地球のヒトが脅えているのは、ヒト自身の野蛮性ゆえの勝手な妄想であって。地球のヒトのように暴力威圧で物事を解決しようとしたり、自分の惑星の環境維持すら出来ない頭の悪さ故に、太陽系外知的生命体の方が接触を控えていると考えるべきであろう



ヒトは、ヒトという種の生物種というものが生物進化によって自動的に人間性や倫理的行動バイアスが組み込まれた優秀な生物に進化するなどという、論理的根拠のない妄想錯覚を抱いており

フランシス:ゴルトンが提唱した優生学に基づき、生存に適した個体種への淘汰圧力によって、あたかも自動的に優秀な生物へと自動的勝手に進化が起きると妄想して安心したがる

ゾロアスター教が提唱する「超人」妄想などというのも、その場限りに安心満足して、自ら論理検証することを放棄させる危険性を持っているのである

生物進化というものは、淘汰圧力の結果的に生存に適した個体種への進化の結果であり。生存さえしていれば嘘つきだろうが暴力的だろうが死にさえしなければ淘汰を免れることができるのである

チンパンジーの眼球に白目がないのは、視線を他の個体に読まれず、隠しごとに適した個体種への淘汰圧力の結果である

生物習性的な社会形成性というものは、特に個体が他の個体や集団全体にとって利益になるような行動習性だけに淘汰が働くメカニズムがあるわけではなく。あくまで結果的に死にさえしなければ、適度に暴力的で嘘つきな個体種への淘汰が働いても構わないのである

ニーチェの言うような「超ヒト」とは、どのようなものであろうか

ヒトという種の生物には先天的にイジメや差別をする傾向が存在するが、こうした淘汰圧力の結果によって「進化」したヒトというのは、イジメや差別をしなくなるようなメカニズムは存在せず、むしろ積極的に加害者になるか、被害者にならないよう狡猾に傍観できるような性質を持った個体種への淘汰進化へと働くだけである

そんな「超ヒト」が、自律的な社会的責任判断選択を行うような倫理や人間性を先天的に備えていると言えるであろうか?

生物進化というものは、常に都合の良い方向性だけを持っているわけではなく。自らの性質ゆえに絶滅破綻への方向性へと淘汰圧力が働き絶滅に至ったとしても、何らおかしくはないし、問題にもならない。

個体種の一つや二つ、一億や100億くらい絶滅しても、進化生物学の神にとっては何の問題でもないからだ

特定の個体種の進化の果てが絶滅であっても、進化生物学上誰も困らないのである

それが進化生物学上の進化というものの正体である

しかし、文科系大衆の大多数は、進化というものが常に絶対に正しく生存に適した性質が自動的に組み込まれるような万能なものであるかのように妄想錯覚しているのである

天然由来の成分や素材でありさえすれば、常に絶対的に無害で健康にとって有益だというオーガニック幻想というものがあるが、こうした自然の結果に任せておけば、何でも自動的に安全で正しい結果へと自動的に導かれるかのような「神話」を鵜呑みにする性質があり。生物進化というものに対しても同様に論理的根拠のない盲目的信頼を抱いているのである

人間性というものの本質とは、自律的な社会的責任選択判断であり。他人の顔色をうかがうだけで自律のない他律的な行動習性とは全く別のものであり。これは先天的な遺伝的行動習性という「結果」によって発揮されるものではなく、あくまで自律的な論理検証性によって選択される「目的」意識によってのみ発揮されるものなのである

本質的な人間性であるところの自律的な社会的責任判断選択行動というものは、ヒトの先天的な社会形成習性の中においては、必ずしも生存に有利に働くわけではなく、むしろ不利に働く場合の方が圧倒的に多い

内部告発者の末路というのは、大抵の場合損をするものである

カルト宗教集団やブラック企業内部において、社会的(人間性における社会性)に正しい選択を行おうとすれば、そんな奴は淘汰か排除の対象でしかない

学級内でイジメを止めるよう意見すれば、むしろイジメの対象にされるのがオチである

だからこそ東芝やオリンパス、三菱自動車などの学力偏差値が高いだけのエリート社員達には、組織腐敗を抑止することが全く出来ないのである

東電福島第一原発の危険性が放置されたメカニズムも同様である

こうした無責任な組織が引き起こした重大事象の結果として、何ら過失のない酪農家などが淘汰されることで、一体ヒトという種の生物がどのような進化(結果)に至るのかといえば

その進化に人間性が組み込まれるメカニズム構造など生物進化には存在しないのであり、正直者が淘汰されることこそあれ、嘘つきや無責任な奴ばかりが生き残ることができるのである。

つまり、ニーチェの言う「超人」だの、ゴルトンの優生学の結果というのは、社会的には無責任な人間性を欠いたヒトへの進化を遂げるだけなのである

むしろ、こうしたバカげた進化論に疑問を一切持たないバカしかいないよう進化(変化)した結果故に、私がいちいち説明してもなを、大半のヒトには問題意識すら働かないのであろう




Ende;
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○マウントアダプター。

2017年01月17日 13時21分49秒 | 日記
EF-Mマウントのカメラに古いNew FDレンズをくっつけるためのレンズマウントアダプターを、どうにか安上がりにできないものかと

いっちゃん安い方法としては、カメラのボディキャップとレンズのリアダストキャップをナントカあれしてくっつけるという方法がある

ただ、両方プラッチック製なので剛性強度の点で若干心配

New FD 80ー200㎜ F4L(確か800g超だったと思う)も使うことを考慮するとちょっと厳しいかも

二つめの方法としては、Tマウントレンズ用のEOS Mマウントアダプターを改造して、キヤノンT50あたりのジャンク品からFDマウントを無理矢理ナントカしてくっつける方法

キポン製 Tマウントアダプター



ケンコー製 Tマウントアダプター


キポン製のものは¥3,000-程で売っていて、T50あたりのジャンク品は千円もしないと思うので、合計4000円以下に抑えられ、一応共に金属製にはなるんだけれど、果してちゃんと改造できるのかどうかが、やってみないとわからないというリスクがある

そもそも改造するのに別途材料費がかかっちゃたりすると意味不明

てな具合に考えてみたんだけども、6000円もせずにデジタルホビー製のFD-EFM変換レンズマウントアダプターが売っているので、普通にこれ買ってみた

ヨドバシカメラが在庫切れだったので 届くのは来週くらいかも



ボディキャップに穴あけてピンホール写真てのもやってみたいかな

Ende;
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○必然的結果。

2017年01月14日 15時30分08秒 | 意識論関連
例えばである

ある学級内でイジメが発生し、何人かの生徒が自殺をしたとする

イジメというのはヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的本能習性であるから、通常問題意識を持った大人が介在しなければ殺人事件にまで発展する可能性をも持ったものである

こうした淘汰圧力によって選択された個体というのは、イジメを扇動するような暴力的個体や、それに同調する個体、そして大多数の傍観者であり。この淘汰圧力によって生き残った個体がイジメをなくす方向への先天的本能習性が組み込まれるメカニズムは存在していないばかりか、むしろ暴力性と同調性と傍観性ばかりが「進化」してしまうことになる

進化の全ては生存の「結果」であって、そこに意識的な目的のようなものなど存在していないからである

暴力者やその同調者、傍観者が結果的に生存に適していたからといって、その生存に意味(人間性)があると言えるであろうか

進化生物学者が、「ヒトという種の生物には、先天的に人間性が組み込まれている可能性がある。」などということがよくあるが、先天的本能習性というのは特定環境下においての限定的「結果」でしかなく。環境が異なれば発揮されることのない習性を、どんなにたくさん陳列枚挙しても、そこには人間性の源である「自律的な社会的責任判断選択」が介在していないのである

環境依存的な「結果」だけでは、個体の自律的「目的」行動選択性という人間性を論ずることは構造原理的に不可能なのである

人間性というのはヒトという種の生物の先天的本能習性によって立証できるようなものではなく、あくまで自律的な社会的責任判断選択によってのみ発揮されるものなのである

従って、進化生物学上の先天的本能習性によってヒトという種の生物の人間性を立証することなど、構造原理的に不可能なのである



進化という「結果」の全てが、あたかも全自動で絶対的に正しい本能習性だけが組み込まれるという妄想を、文科系大衆観念的な神話として、多くのヒトは信じて疑うことがない

これは、ある種の「オーガニック幻想」である

天然素材でありさえすれば、絶対に無害で健康的だという妄想錯覚が文科系大衆にはあり

天然鉱物のアスベストが無害だと信じ込まれていたのもそのためであろう

トラフグのテトロドトキシン毒も天然素材である

野生のキノコ類も猛毒を持ったものが多い

天然素材でありさえすれば、何でもかんでも安全で健康的であるわけではないのだが、天然素材信仰的なものが大多数の大衆観念上にはあるのだ




環境(育ち)が悪いのか、それとも先天性が悪いのかという議論をしたがるバカがいなくならないが

ヒトという種の生物というのは先天的には差別主義的で個人的好き嫌いが存在するものであり、差別というのは意識的に抑制しなければ無意識に発揮してしまうものでもある

そして意識的な抑制というものの重要性を、成育環境下で誰も認識していない場合には、発揮されずらい傾向性もある



果して、先天的に狂暴で差別的な個体が発生した場合。死刑などの人為的淘汰圧力を加えておけば、何万年後には狂暴な性質がヒトからなくなるとでも思っているのだろうか?

その淘汰圧力自体が非人間的であるとは思わないのであろうか?



環境要因だけが問題であるというのであれば、その環境自体を一体誰が整備してくれるというのであろうか?



人間性というものは、先天的習性や環境要因だけで論じられるべきものではなく。あくまで個人の自律的な論理検証性に基づいた、本質的な意識によって発揮されるものであって、「育ちか、氏か」だけで決定できるようなものではない

凶悪な集団、例えばかつてのシエラレオネの少年ゲリラ組織や、連合赤軍のような組織の中では、より凶悪で暴力的で多数を恐怖心で扇動できるような個体や、それに迎合的な個体こそが生き残ることが可能である

その結果、先天的に暴力に迎合的な個体への淘汰(先鋭化)が生じてしまうことにもなる

大多数の大衆は、こうした暴力的個体を、刑法懲罰で死刑にしておけば自動的にヒトの暴力性が淘汰されるとでも思っているからこそ、死刑制度を必要だと信じて疑わないのであろう

だが、死刑という遠回しな断種政策自体を凶悪だとは思っていないのであろうか?

犯罪者だけは特別に差別しても良いと思っているのであろうか?

自分達の暴力性や差別主義性だけを正当化しておいて、「差別や暴力がなくならないのは何でだろう。」と嘆いているのは、ほとんど痴呆としか思えないのだが

大多数の大衆は既存の刑法懲罰司法制度こそが唯一絶対的な犯罪抑止力であると信じて疑うことをしない

国家権力による懲罰や死刑という、恐怖心を用いた抑止力というものは、死ぬことをいとわぬ自暴自棄な相手に対しては意味を為さない

自爆テロや通り魔の類に刑法懲罰は無効なのである

ではこれらを抑止するためには何が必要かと言えば、「暴力で解決する。」という大衆的な短絡的発想を、大多数の人が捨てることである

ヒトという種の生物は暴力が大好きである

時代劇が人気なのは刀を振り回して悪漢を退治するからである

ヒーロー物語も勧善懲悪(悪人を懲らしめること)を解決とみなす

「悪漢」という区別(差別)をすることで、一方的に暴力的解決をしても良いものであると、大多数の大衆は思っているからである

しかし、こうした区別(差別)というものは、テロリストや通り魔の行動原理と何ら違いはなく。「悪者には懲罰や死刑を与えてしまえば、全ては解決だ。」という、合理性の全くない、その場限りの気分的安心満足を得るための観念に過ぎない

人生の中で、一度や二度は「こいつ死ねば良いのに。」と思ったことはあるはずである

なかったら多分白痴であろう

もしないと言うのであれば死刑制度の存続を望んだりもしないはずであるから、現状死刑制度廃止反対派が過半数を占める日本においては、大半のヒトが殺意くらい持つことはあることの証明でもある

凶悪事件を起こすような奴であれば、こんな奴は死ねば良いと誰もが思うはずである

その「感覚」自体はヒトという種の生物としては異常ではないが、主観的「感覚」が社会制度に直結しているというのは、その間に理性が完全に抜け落ちていて人間としては異常なのである

悪人と決め付けた相手に暴力を振るうと、自分が正義の鉄鎚を下したと称して満足する習性がヒトにはある

しかし、その気分的満足では、「なぜ自暴自棄なテロや通り魔が発生するのか?。」という原因の究明やテロの再発防止策には一切到達出来ず。その場限りに気分(大脳辺縁系)を満足させるだけである

刑法懲罰を与えて、罪人を懲らしめておけば。刑務所が自動的に善人に仕立て上げてくれるとでも妄想しているのかも知れないが。実際には刑法懲罰というものは再犯抑止にはほとんど効果がなく、強盗殺人で25年服役し出所後数週間で殺人を犯すということも時折見られ。再犯率は40%にも達する合理的根拠のない制度に過ぎないのだが、それ以外(以上)の問題解決策への言及は誰も行うようには出来ていない

こうした非合理性というのは、テロや通り魔の行動と全く同じものである

合理的に問題を解決することをせずに、その場限りに気分的に満足することばかりを優先している点において何の違いもないからだ



ヒトという種の生物の先天的本能習性というものが、あたかも自動的に全て正しい結果をもたらすものであるという観念があるからこそ、ヒトの多くは目先の気分的満足ばかりを優先して合理的解決策を蔑ろにするのである

こうした無責任さに対して、進化生物学界もヒトという種の生物があたかも先天的に人間性を持ち、常に正しい行動を採るように先天的に出来ているかのような非科学的嘘によって大衆人気取りを行うことによって助長しているのである

進化生物学者が嘘によって人気取りをしているから、大衆の多くが騙されていても罪はないと思うのであろうか?

大多数の大衆が騙されているから責任が薄まるとでも思っているのであろうか?

その結果、解決可能な問題が解決されなくても、回避可能な危険性が回避出来なくても、それは個人に責任はないとでも思っているのであろうか?

こうした当事者意識の欠如というのは、東京電力社内における原発の危険性放置の心理的構造と何の違いもないではないか



人間性や倫理というものの根源とは、あくまで自律的な社会的責任判断選択にあるのであって。多数派同調性や傍観主義や権威への責任転嫁こそが人間性の欠落を招く大きな要因となっているのである

自律には育ちも氏もなく、あくまで個人の意識の問題である

本質的な意識としての自律的論理検証性なくして、人間性や倫理を語ることなど構造原理的に不可能であり、それこそ先天的に不可能でもない限りは社会人である限りは本来全員が持たなくてはならないはずのものでもある

進化生物学上の大嘘で満足し、何の疑問も持たずに鵜呑みにすることも。司法懲罰だけが唯一絶対的な犯罪抑止力だと信じ込み、それ以上の何の制度も存在していない現状に何の疑問も持たないことも。これらは自律的判断選択の欠落した無責任な行動であることの自覚が誰にもない

バカの集団が問題解決を出来ないのは当たり前の話である




Ende;
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○キャッシュバックが思った以上に面倒臭い件。

2017年01月12日 19時54分38秒 | 日記
EOS M10買うたった。

んで、最初に製品登録をせにゃならんので

「イメージゲートウェイ」でサーチかけると出てくるサイトのURLが

「https://ptl.imagegateway.net/top」なんだけど、同封されてたパンフレットには「canon.jp/cig」って書いてあって、これをURLとして入力すると

「http://ptl.imagegateway.net/top?id=canonjp」というページに自動転送される

つまり「canon.jp/cig」っていうURLは単なるジャンプページでしかなかったんだけど、個人情報を入力するサイトになるので一文字でもURLが違うと気持ち悪い




まとにかく¥3,000-のキャッシュバックに応募しなきゃならんので製品登録後にキャッシュバック手続きをしたんだけど、Android2.2PCでは必要書類の「印刷する」ボタンを押して出てきたPDFを認識できなくて、仕方なく書類用紙の画像を一枚づつダウンロードしたんだけど、画像をロードしようと一回画像自体表示させると書類用紙のページに戻ることが出来なくて、何度も最初から応募し直すという異常に面倒臭い作業を強いられてしまった。

しかも「書類D」の画像が3分割になっているとか、ページ上では表示されてた二次元バーコードが消えているとか、途中通信が途切れてブラウザごと落ちるとか、ホント面倒臭過ぎて鼻から悪魔が出てきそうになったよ。

 ◇追記:書類ページには登録後に送られてきたメールのリンクから何度でも同じページに入ることができた( ̄□ ̄;)



久方ぶりにMac G4 733Mhzを起動してphotoshopelementでつなげて、サイト上では表示されていた二次元バーコードもスクリーンショットしたものを貼付けて大きさ合わせて、何となく*.jpgに変換して別名保存

 ◇追記:二次元バーコードは単体の*.gifだったよ

うちにはプリンターがないので応募書類のデータをSDカードに入れて近所のコンビニのプリンターに読み込ませたら「書類D」と封筒のPDF以外認識しない…

なぬ

なんだこれ

は! *.pngは認識しないのか!

ああ面倒臭い

再び家に戻って残りの書類もJPGに変換して再度コンビニで出力、保証書と納品書(ヨドバシカメラだけは納品書でも構わないらしい)もコピーして、やっと必要書類が揃った

で、封筒を切って貼って内職作業

製品箱のバーコード部分を切り取るのも結構な手間

キャッシュバックなんだか仕事なんだかわからなくなってきたよ

キャッシュバックに応募するためにかかった諸経費はA4カラーコピーが5枚にモノクロコピーが2枚で¥270-

郵便局に持っていったら郵便切手が¥120-で合計¥390-

なので実質¥2,610-のキャッシュバックということになるんだけど、まるまる半日仕事だったので、得したんだか何だかもうようわからん。

今回はとりあえずキャッシュバックに間に合わせるためにカメラ本体だけ買ったので、実際に撮影するためにはレンズマウントアダプターとか液晶保護フィルムとかSDメモリーカードとかも調達してこないといけないので、今回はこれでおしまい。

でわまた。

◇追記:Canon EOS M10(ボディのみ)の箱の大きさ

W: 220㎜
H: 145㎜
D: 165㎜

Ende;
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○茄子作。

2017年01月12日 13時55分57秒 | キンシヲ
1月11日

これを見てどこかはわからないですよね

私達は今回関東にはいません 大阪府です 「1,2,3の旅」の十三(じゅうそう)以来です

茄子作(なすづくり)一丁目五番地

枚方(ひらかた




バス停があるよ 「茄子作住宅」だよ 「天の川」だって 「星のブランコ」

お殿さまに茄子を献上したら…

今日の一食目 タコ焼きです

おいしい!

ヤキソバもうまそうだな

12個で500円は安いよね

柿 茄子ないね(小さな畑

☆晴の輔 土地こばなし 平安時代 鷹につける名鈴(なすず)説が有力だ 茄子にはヘタ(下手)がつきものだもの(ドンドン

交野(かたの)市(府道18号線)

川沿いいこうぜ

私部(きさべ)西

逢合橋 「あいあいばし」だ 逢合橋西(交差点

万葉集 七夕伝説の地 天野川

(道端の畑に一つだけ萎(しお)れた)茄子だ でもここは交野なんだよ

星だよ 踏切 私市(きさいち)行き 僕らコーヒー飲みたいんですよ 私市駅前でコーヒー飲めますよ

京阪電車 私市駅 終着駅ってことですよね

(駅の)名前「橋」ばっかだよ

喫茶がんび 山小屋系 ハニーコーヒー

ハチミツここで作ってます *:急に大勢のお客さんで店内混雑

星のブランコという吊橋があるので来ました

吊橋まで300m 最近こういう場所あったね 大岡川だよ

開けた 星のブランコだよ 素晴らしいね 疲れが吹っ飛ぶくらい

I'll see you again next time *:って言っているような気がする…




揺れないので怖くないんだけど、覗くと凄いね カメラ落としたらどうしようとか思ったでしょ 来週も見てね~




 ■goo地図■

大阪府枚方市茄子作

京阪電鉄 私市駅

喫茶がんび

星のブランコ



Ende;
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○のん。

2017年01月09日 14時56分09秒 | 日記
フォルダ整理してたら能年玲奈時代のかんぽ生命の画像が出てきたので貼っておく











画像と画像の間がやたらと開くのはなんでだろう?

 ◇追記:もしかして*.pngなので上下左右に透明部分があるのかも PCで開かないとAndroid2.2上では原因がわからない









いまかんぽ生命って高畑みつきちゃんなのよね。

Ende;
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○40匹のネズミ。

2017年01月07日 16時29分01秒 | 意識論関連
現状の心理学における精神異常診断というのは犯罪との直接的因果関係がない

ナチス政権下の多くのドイツ人は精神異常とは診断されていないし

ISIL構成員や幹部も違う

ここから導き出されるのは、一つは現状心理学における精神異常判定の信頼性の低さである

これは精神異常と判定された人であっても必ずしも凶悪犯罪者になるわけではないという面と

精神異常と判定されていない人でありながら凶悪犯罪者になる面の両面がある

まあ、要するにアテにならないということである



相模原の障害者施設での虐殺事件を起こした精神異常者と言われる加害者は、明らかに他人からの評価報酬を求めている形跡がある

自律的な社会的責任判断選択というものは、他人からの評価報酬が基準になっている限り発揮されることがない

時折文科系観念者が「他人の為になることをすることこそが、人間にとって一番幸福感を得られる。」的なことを言うのだが、これは身勝手な奴が後を絶たない現実を無視した大衆迎合的嘘でしかない。

「他人の為」を思うためには、まず「自分自身の満足感」がなければ成立しない

自分自身が生きていることに意義を見出だせないのであれば、他人の為など配慮が働かないのは当たり前の話である

「自己中心的な者には、自己はない。」という、一見矛盾した話があるが。これはあくまで外見上自己中心「的」に見える身勝手な者には、本質的な自己がないという意味であり

本質的自己があれば自律的な社会的責任判断を負おうという自律が働くので、自己中心的行動にはつながらないのである



他人からの評価報酬を得ようとするのは、動物的な本能習性としての「社会形成習性」の名残であり、これが人間としての社会性とは全く異なるものであることは何度も述べたつもりである

自律とは自発の中にあり、他にはない

この定理は、本質的自発性を持たない者には自律が成立しないことも意味する

なぜ自発性を失い、他人からの評価報酬だけでしか行動や思考が働かなくなってしまうのか

その原因として、一つは先天本能習性であるからであり。もう一つは自発性を抑圧するような環境要因である。


時折、「先天的本能習性には逆らうことが出来ない。」と堂々と言い張るバカげた呟きを見るが、これは先天的本能習性としての気分感情を短絡的に自由意志とか意識の全てだと錯覚しているためである

この錯覚もまたアプリオリな先天性のものであり、論理的によくよく考えてみれば錯覚に過ぎないことは理解可能である

何せ自分の遺伝子は自分で選択していないのであるから、そんな遺伝子から作られた自分の脳(大脳辺縁系)から発する先天的本能習性や気分感情といったものが、自己自身の本質的選択とは無関係であることは論理的に反証不可能な厳然たる事実であり

また、自分自身で先天的な本能習性が制御不可能であることの証明も出来ない




ここで勘違いしては困るのは、先天的な本能習性の全てが全面的に悪であるかのように錯覚することである

人間性としての自律的な社会的責任判断選択の基準として、社会安全性や持続可能性を求めることもまた、一つの「欲望」でもあるからだ

子供達や次世代の人達の未来に配慮する意識の広さが働かなければ、目先の利己的利益追求などの意識狭窄に陥り、身勝手で「外見上自己中心的に見える行動」もするようにもなる

つまり、重要なのは意識の広さを担保する自律的な論理検証性(理性)による選択可能性であり

選択可能性を阻害するのは他者からの強制的抑圧なのである




日本では保育施設が騒音被害原因と見なされ増やすことが困難であるとされているが、ある保育施設では子供の自発的意思を尊重することで、子供の精神的ストレスを減らし、絶叫などの迷惑行為が自然となくなるという事例がある

子供自身の主体的意向というものを尊重することによって、精神的ストレスがなくなり、結果的に絶叫などの問題行動が激減するのだ

これはつまり、主体性を尊重しない抑圧性こそが精神的ストレスとなり、問題行動の原因となっていることを意味する



清原和博氏は「社会の為になる人間になりたい。」という思いがありながら、薬物に手を染めてしまったわけだが

これはむしろ、「社会の為になる人間になりたい。」という欲求の源に、「他人から評価されたい。」という自発的ではない欲求による、いわば強迫観念である可能性が非常に高い

強迫観念は精神的には抑圧となるので、結果的に意識狭窄性を促し、反社会的行動にまで発展してしまうと考えられるのである

なので、清原和博氏には、もっと自分自身の個人的な好き嫌いを主張しても良いのではないかと思っている

自己自身の人生が強迫観念で抑圧されていて、他人の為など配慮が働かないのは必然的結果だからである

違法薬物に限らず、タバコや酒を断つには、根性とか辛抱とか我慢などの精神論が最も重要だと思われているが、実際の禁煙治療では、そういった強迫観念こそが間違いの素なのだ

「あれはダメ、これもダメ。」といった抑圧ばかりされていたのでは、いわば追い詰められる形になってしまい、いわば逃避行動として自己中心的行動に陥ってしまうのであり、誰も自ら望んで犯罪者になるわけではない



犯罪者が出ると、ヒトという種の生物の先天的本能習性として、懲罰という報復感情を満たすことを優先しがちであり

また、社会制度的にも司法はそれ以上取り立てて何もないのだが

懲罰というのは国家権力による報復感情の代行であり、それ以上の徹底的原因究明も再発防止も制度として組み込まれてはおらず、現状の信頼性のない精神鑑定で異常と判定されれば無罪となり、原因究明や再発防止どころか報復感情すら満たすことは出来ない制度なのである



大衆は短絡的な勧善懲悪の物語を好む傾向があるが、悪人を懲らしめることで気分的に安心満足して、それ以上の再発防止策への配慮が働かなくなるという、一種の欠陥をヒトという種の生物は先天的に持っている

そのため、清原和博氏が自分の好きなことを探す自由までをも、法的に何の根拠もないのに剥奪しようとする性質があり

また清原和博氏自身も、自分が薬物になど手を出さなくても済むような精神的自由など求めてはいけないものだと勝手に錯覚してしまっている

何が言いたいのかといえば、ヒトという種の生物は他人を抑圧しておけば社会安全性が担保されるものであるという先天的妄想を持っているということである

こうした妄想というのは、自分自身が自律的に社会的責任判断選択をせず、多数他人や国家権力からの抑圧にさえ従っておきさえすれば良いという、自律の欠落した発想から出てくる帰結でもある

相模原障害者施設での虐殺事件では、加害者には罪の認識がなく、この状態で精神的自由を求めては危険極まりないことは明らかであるが、清原和博氏には罪の自覚があり、同列に扱うべき事例ではない



「一番悪い奴は誰なのかを見つけ出し、暴力的攻撃を加えれば全てが解決する。」という短絡的で子供じみた発想が刑法罰の基礎であるが

相模原障害者施設での虐殺というのも、こうした短絡的発想であることに基本構造的な違いは何もないのである

また、この加害者の場合、「歴史に残るような大きなことを成し遂げたい。」という評価報酬中毒特有の発想も見られる

重大犯罪を引き起こすことで、とにかく歴史に名前を遺すことを、社会的評価か何かと勘違い錯覚しているヒトというのは、実際に重大犯罪者以外にも見られる歪んだ価値観であり

こうした価値観の歪み自体を歪みや錯覚であることを論理的理解に基づいた共通認識として持つことが何より再発防止において重要である

社会貢献や科学的発見や発明によって、歴史上名前が遺ることが評価であるからといって、短絡的に名前さえ遺れば社会的評価であるという発想には、自律的論理検証性がスッポ抜けている

「結果的に名前さえ遺れば良い」という発想には、他人からの評価だけが目的であって、社会安全性や持続可能性に基づいた自律的な社会的責任判断選択が介在していないのである



自律的な社会的責任判断選択というのは、人間性の源である

その人間性の源である「自律」の源が「自発」であり、これは多数他人や権力による抑圧では発揮されることはなく

むしろ抑圧こそが自発性を喪失させる最大の要因なのである



幼い子供が道路に飛び出す危険性を避けるために、「道路に飛び出すと、親に怒られるから。飛び出さない。」といった行動抑制を用いることがある

これは、幼い子供にとって、滅多に自動車が来ない道路への飛び出しの危険性を論理的に理解させることが困難であることから便宜的に行われる措置であって

こうした恐怖心を用いた行動抑制だけでは自律的な社会的責任判断を行うような人間性や倫理は身につくことはない

DQNの類が迷惑行動を平気で行うのは、それが「怖くない」という短絡的行動原理でしか決定していないからであり、幼稚性の証明でもある

ヒトという種の生物は、この世に産まれてくれば初期的に全て子供であり、幼稚であることは避けようのないものではあるが

こうした幼稚な短絡的行動原理でしか行動が決定することができないという自律不可能であるわけではない

「何か先天的疾患の類でもなければ」という限定はあるものの、この文章を読んでいる限りにおいては論外であろう



国家権力や学術権威に任せておけば、全ては自動的に社会安全性や持続可能性が担保されるものであるという、ある種の責任放棄があるからこそ、批判精神を失い、その代わりに根拠のない差別排除にばかり邁進するという子供じみた行動ばかりをヒトは行うようになるのである

イジメというのは大人のヘイトスピーチと同じものであり、誰でもいいから悪者と規定した相手を攻撃することで、その場限りの気分的安心満足感を得るための動物的行動習性が引き起こす「結果」である



動物行動習性という「結果」の全てに意味があると見なして、生物進化というものがあたかも目的意義のために自発的選択によってもたらされたものであるかのようなこじつけを、生物学者の誰も疑問を持たずに平気で行う

ヒトという種の生物でさえあれば、自動的に人間性が発揮されるように、進化的に全て自動的に組み込まれているものであるかのような嘘を陳列しておけば、バカな大衆は気分的に満足して鵜呑みにし、人気が得られるからである

あたかもヒトという種の生物が、進化によって常に人間性を自動的に発揮するよう予め出来上がっているかのような錯覚を促し、これが大衆にとって、あたかも自分が完全無欠の絶対的人間か何かと勘違いさせることで、身勝手な安心満足感を得られるからである



もし、ヒトという種の生物が完全であるならば、なぜイジメや差別はなくならないのか

それは、むしろ、イジメや差別のような淘汰圧力によってこそ、生存価に適した結果である可能性が高い

より威圧的で多数の人心を誘導出来る個体や、その誘導に簡単に流されるような無意識で条件反射的な行動しか採らない大多数の傍観者だけが生き残るような淘汰圧力の結果として、ヒトという種の生物はイジメや差別を行うようになったと言えるのである

人間性や倫理観というのは、別に生存価には特に適さないのである

生物進化というのは、結果的に生存していた種への淘汰という結果であり、そこに人間性や倫理観が働くような淘汰圧力など特に必要ないのである

死ななきゃ嘘つきでも暴力的でも何でも構わない、それが生存価だからである

結果的生存でしか淘汰圧力が働かない生物進化というものに、どうして人間性の進化が働くと言えるのであろうか?

ある程度においては、集団内部での協調性のようなものは生存価に適するとは言えるが

それは食物連鎖のピラミッド形成と同じように、肉食動物の繁殖能力が適度に少なくなることで結果的にピラミッド全体とのバランスがとれた「結果」と同様

適度に悪人で差別主義であるよう淘汰圧力が働いた「結果」である

40人前後の学校の教室において、一人や二人の自殺者が出たところで、生存価においてはほとんど影響を及ぼさない

40匹のネズミの飼育箱の中で、一匹やニ匹のネズミが死んだところで、種の存続において影響がないのと同じことである

生物進化の過程においては、生き残りさえすれば生存という結果が得られるのであって、進化過程における淘汰圧力というものは、結果的生存に適した個体や種でさえあれば良いのであって

そこに人間性や倫理が自動的に組み込まれているなどという話は、嘘ペテン誇大妄想の類でしかない

生物進化というものが、常に絶対的に正しい方向にしか働かないなどという都合の良いものではなく

あくまで生存価にとって有利に働いた結果以上の何か(人間性や倫理など)までもが獲得出来るわけではない




これで京都大学学長や松沢哲郎などの進化生物学者達が、どれだけ無能な非科学的オカルトなのかが少しは理解できたであろうか

先天的にバカなんだったら精神異常者と同様に無罪なんだろうな

その結果、避けられる可能性のある危険性が回避出来なくても、おいらの責任じゃないからね





Ende;
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○溝口醤油店前。

2017年01月04日 22時10分22秒 | キンシヲ
1月4日 *:冒頭部分見逃した

溝口醤油店前(バス停?



結構道路車通る ほら 急に静かになるよ

(放送は)2017年1月?

醤油の工場あったんですか 醤油屋さんがなくなってコメリができた

収録は11月の何日かなんですが

2017年一発目 醤油ですよ

踏切 (久留里線 *:ああ 名前聞き逃したー(*_*)

綺麗な花がいっぱいあるよ(ビニールハウス

これ何の花なんですかね パンジー

シクラメンもあるよ

☆晴の輔  醤油の旅で袖ケ浦 オトタチバナヒメが荒れた海に飛び込んで鎮め着物の袖が流れついた しょうゆうことか 千葉県は醤油の生産量は日本一だ 最近は醤油が空気に触れない容器を開発しているな 醤油の海も容器(陽気)が大事なんだね(ドンドン

貝がいるよ

葛田園芸

土から作っている

これが赤土って言って 君津とか市原から

電車きた

かっこいい!

あの黄色い蛍光灯 虫よけ

シクラメン パンジー ビオラ 夏は野菜

四川飯店

天候だ何だで 台風で飛ばされちゃったり

従業員は30~40人くらいかな

おれはお酒飲まないんで

「KUZUTA」からの即興イラスト 喜怒哀楽(にならなかった

「ともかず」からのイラスト ともかずさんお酒飲まないから

金Pいてよかったな

葛田園芸さん

駅じゃん 横田駅(久留里線)

四川大飯店 俺は餃子は食べるよ 来る途中コンビニで餃子買ったからね

オイナリさんもオハギも食べてないよ

焼き目を見せるために上にしてるじゃん

坦々麺 そこで一回撮れば(ターンテーブル

うん! うまいなー

麺がおいしい スープもおいしい

国道16号 横浜までちょうど200キロ

じゃ帰ろっか アクアラインで



金Pどっから来るの? 今年もよろしくねー



 ■goo地図

溝口醤油店バス停

葛田園芸

四川大飯店

横田駅



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○淘汰圧力。

2016年12月26日 00時47分09秒 | 意識論関連
勤労閾値の高い蟻が淘汰されないのは、そんな淘汰圧力環境が存在していないからであり、何でもかんでも最適化が起きるわけではない。

生物進化というのは結果であって、目的のために進化しているわけではない。ゆえに生存などの特定目的に適さない行動習性を持った種が存続していても何ら不思議ではない。

アホロートル(山椒魚の幼形成熟)のような極めて弱い生物種が存在しているのも、決して最適化が働くわけではないことの証明である。

効率が良かろうが悪かろうが、結果的に死にさえしなければ存続可能であり、進化というものが絶対に効率が良くなるような変異でなければならない理由などない。

そもそも弱肉強食のピラミッドが成立するのは、特定種の生物がむやみに大量繁殖するなど。環境調和に適さない程強力で繁殖力が高い種が環境を喰い潰してしまうような個体が発生しても、その他の生物との間における環境調和が成立しないので、結局淘汰対象となりピラミッド全体で絶滅してしまった結果である。

このように変異に基づいた進化過程自体がそもそも非効率なものであって、進化そのものに論理的合理性なんぞ存在していおらず、進化というものが絶対的に合理性を持ったものであるという文科系大衆観念的妄想がダーウィンの進化論に幻想を抱き、間違った解釈をしているのである。

進化というものは個体の論理的合理性の追求によって知的選択が働いて起きるようなものではなく、ランダムな変異の結果、偶発的に死ななかった個体種への淘汰の結果に過ぎず、これが非合理で非効率なのは当たり前の話である。



永続性の原理もまた、環境調和が成立しなければバランスを崩して全てが淘汰されてしまうのであるから、永続性(環境調和/持続性)であってもダーウィンの進化論で説明可能なのである。



生物進化の結果に過ぎない現在の生物相だけを見て、あたかも進化変異の全てが絶対的に効率的で合理性を持ったものであるという観念を抱くのは間違いであり。

数億年にわたる生物進化過程においては数え切れない程の大失敗も繰り返しているはずなのである。

実際、生物史の中では幾度もの大絶滅の証拠が遺されており、進化変異の全てに意味があるわけではない。



菌類が抗菌剤への耐性を獲得する過程においても、耐性を獲得するために意図的に変異をしているわけではなく、変異の結果として偶発的に耐性を獲得する個体が発生するのであって。そもそも変異自体の大半が生存に適さないことからも、進化過程というのは極めて非効率で非合理な大量の屍の上に成り立つ「結果」でしかない。

それをどう勘違いするのかは知らないが、あたかも生存のために耐性を自発的に選択獲得しているかのように解釈すること自体が非科学的オカルトなのである。

これらの勘違いも、進化生物学が結果と目的の区別が出来ていないからであり。もはや痴呆としか言いようがない。

それでもポンコツ進化生物学者が淘汰されないのは、ポンコツをポンコツと認識する淘汰圧力が働く環境が存在していないからである。




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○お花畑は狂気の予兆。

2016年12月25日 10時59分54秒 | 意識論関連
歴史教育の主体というのが、戦争為政者の歴史ばっかりで、しかも英雄視しているような話が出てくるので。若い人の認識の偏りの原因になっているんじゃなかろか。

戦争で勝った国こそが正義という野蛮な結果だけを、ただ漫然と陳列してたら戦争こそが安全保障だと錯覚してもおかしくはないのかも。

生物学における「進化」というものが、あたかも努力辛抱根性的な精神論で実現可能だとでも錯覚しているフシがあって。これは進化生物学における「結果」と「目的」の区別が出来ていないことが原因。

「戦争で人類が窮地に陥れば進化する。」なんてことを、まさか本気で言い出す子がいるとは思わなかったよ。

戦争という野蛮行為から脱することが出来てこそ社会進化なのに、生物学的な個体の生存価だけが唯一絶対の進化だと信じて疑わないんだろう。

何だろう、淘汰圧を率先して無理矢理作り出しておけば自分が進化して生き残れるとでも思っているのかしら。

現在の学校教育とメディアの垂れ流しを真に受けて鵜呑みにしていると、こういう子が出て来ちゃうんだと思う。

マトモな人なら冗談か「変な子(お花畑)」くらいにしか思わないのか知れないけど、オウム真理教もテロやるまで誰も本気にしてなかった。

こういう「ヒヤリ、ハッと。」事象もキチンと検証して拾っていかないと、テロとか通り魔の再発防止策にはならないよ。



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○萩山町。

2016年12月23日 12時58分45秒 | キンシヲ
12月21日

こんにちは ようこそ

先週は埼玉県幸手市の玉子橋

団地 電車の音がします 萩山 東村山市って書いてある 東村山市萩山町だよ 小平だと思ってた

「おはぎ」は本当は山口県萩市に行きたかったんですけどね



ここで自転車撤去された人は東村山市に取りに行くんだ いくらだ 1100円だ 安いとか思っちゃった

こっちは小平だ 小川東町

短冊状の地割り

水道の自転車道と西武線が交わる 大正12年に作られた水道施設の上に整備された

☆晴の輔 土地こばなし 「おはぎ」と「ボタモチ」は同じ つぶあんは萩の花に似ている こしあんは牡丹の花に似ている 彼岸の中日ドラゴンズ 中日と西武が試合することもあるのかな どっちも優勝が悲願(彼岸)だな(ドンドン



職業物語 こんにちは 横浜駅から錦江町 MYX(マイクス) 担当の藤原応人(まさと) アウトドアのショップも併設している 初代クラウン 細いハンドルが凄いカッコイイ エンジン今かかっているんですけど ウインカー(ぴょこ) アウトドアのセレクトショップということですね 元々アウトドア好き 荷物積む時は重いものを下に積むと安定する 町名としては栄町

青梅街道駅 青梅街道沿いの両側に小川用水 昔は原野だったんですよ 書いた方がいいよ 小川用水

流れているじゃん小川用水

定食屋 サンドイッチハウス「トマト」 タマゴ メンチと三元豚カツが人気ありますけど タマゴサンドイッチ

一橋学園駅 画材買ったことあるよ パーカー ティッシュ入れたまま洗っちゃった

「どん太」さん 噛みごたえ 武蔵野うどん

来週は「稲荷」です どこの稲荷かはお楽しみ

See you next time



来週も見てね

*:イベント会場にSOGOって書いてある そごうの店舗は 横浜店 千葉店 神戸店 広島店 大宮店 川口店 西神店 徳島店 武蔵小杉店があり 職業物語で横浜行ってたので横浜店かも



 ■goo地図リンク

萩山町

自転車道と西武線との踏切 *:多分ここだと思うんだけどStreetViewが使えなくなっちゃったので確認不能

トヨタ MYX

青梅街道駅

一橋学園駅





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○雑。

2016年12月21日 15時03分14秒 | 意識論関連
今村核を法務大臣にしたら良いんじゃないかと思ったよ





何か、ヒトという種の生物は神話をこさえて絶対だと信じ込みたがる習性があって。刑法懲罰こそが唯一絶対的な犯罪への抑止力になるとでも妄想しているんじゃなかろうか。

原発の安全性とか、核兵器による抑止力とか、外交努力だとか、何か「これさえやっときゃ、全ては解決。」的な神話をこさえて安心満足しとけば何も進歩しなくても良いとでも思っているんではなかろか。

刑法懲罰というものが唯一絶対的な犯罪抑止の対策であることの合理的証明なんて本当はないんだけど、罰というのは被害者感情的には満足感が得られるので非合理な判決であろうとも、それ以上の対策や制度について誰も言及することがない。

犯罪というものを便宜的に二つに分類すると、過失事故と意図的犯罪に分けることが出来る。

アクセルとブレーキの踏み間違いによる重大過失事故というのは、意図的に犯したものではない。これを意図的犯罪と同列に語ることは本来出来ないはずであり。過失事故というのは結果の大小に関わらず危険学/失敗学的な分析と再発防止対策を立て、これを当事者達に周知徹底することが重要である。

ヒトは誰でも間違える。

私も踏切を充分に渡り切れずに遮断棒が車体後部に当たったことがあるが、この時は電車が来る前に脱出して難を逃れた。

しかし、これはたまたま結果的に何も起きなかっただけであって、過失という点においては充分重大であると考えるべきであり。もし踏切を渡り切れずに車体が電車と接触したりすれば人身事故にも発展しかねない事象であった。

たまたま偶発的に重大な結果になったかどうかだけで、罰の程度が変わってしまう刑法懲罰というのは、事象の分析や予防といったことに全然言及しておらず、たまたま発生した被害者や遺族の気分的満足を与えているに過ぎないのである。

結果の小さな失敗であっても、重大な結果に至る可能性がある事象であれば、これは共有して再発防止策として生かす必要性がある。しかし、刑法裁判制度ではこうしたことは一切行われることがない。

誰かが死ななければ大騒ぎしないのが刑法裁判制度であり、その陰に潜む無数の小さな事象を放置している制度でもあるのだ。

こうした重大事象しか扱わない点においてはマスコミも同様で、その場限りの視聴率稼ぎや大衆迎合にしかなっておらず、マスコミとしての社会的責任を放棄しているとも言える。



アクセルとブレーキの踏み間違いというのも経験がある。若い時だったので瞬時に踏み間違いに気づき踏み直すことが出来たが、加齢によって耳が遠くなったり、身体機能が低下してくればそうはいかない可能性は誰にでも有り得る。

重大事故に至った踏み間違い事故の事例を見ると、アクセルを踏み続けた場合がほとんどである。これを見ると、自分が踏んでいるアクセルペダルがブレーキペダルであるという思い込みが発生していると考えるべきであろう。

これは、いわば、感覚的無意識に操作をしているから起きる現象であり。加齢だけではなく「馴れ」が原因であることが大きいのではなかろうか。そのため結果的に運転歴の長い高齢者で起きやすい事故になっているとも考えられる。

「いままで、ずっと大丈夫だった。」という過去の経験則だけを根拠に、「自分だけは絶対に大丈夫だ。」という過信は生まれる。

これもまた一種の「神話」であろう。

「自分だけは絶対に大丈夫だ。」という過信は、振り込め詐欺師のカモでしかない。それこそが大きな失敗を引き起こす頭の悪さの大きな要因なのである。

「神話」の類というのは、気分的満足安心を与えるため、合理的判断をすっ飛ばしてしまう習性というものも、ヒトという種の生物にはある。

厳罰化さえしておけば犯罪や事故の抑止になるという妄想も、一種の「神話」であろう。だが、これは実質的には効果が薄く、危険に対する意識の低い相手程効果が薄い。

こうした危険に対する意識の低さというものが、どうして生ずるのか。そこで出てくるのが意図的犯罪者に見られる「自律的な社会的責任判断の欠落」である。

責任意識というものもスペクトルでありグラデーションである。また、個人差によっては意識を持つ事柄にムラがあるということもあるだろう。 自動車の運転には慎重でも、火のついたタバコには無神経だったりすることもあるかも知れない。

だからこそ、誰しもが無神経に陥っている事柄というものが存在するかも知れないという自覚を持つべきであり。その自覚がないからこそ自律的な社会的責任を失うことにも陥るのである。



ここで勘違いして欲しくないのは、社会的責任の自覚がない相手を糾弾排除してさえおけば全てが解決するという、短絡的発想である。

社会的責任の自覚がない原因というのは、主に成育環境に依存する傾向がある。 それなら当人だけの責任とは言えないので、社会全体の問題として扱う必要性がある。

虐待をされて育った人が、虐待を自分の子供に連鎖したり。テロリストの勧誘に加担してしまったりする原因となるケースというのは非常に多い。

自律的な社会的責任まで意識が働かず、その場限りの気分感情の赴くままに行動が無意識条件反射的に決定してしまうからこそ、破滅にまで暴走することに至ってしまうのである。

自律というのは自発の中にあるものであって、「罰が恐いから法律を守る。」という短絡的発想からは出てこない。 実際に原発事故では法律違反はなく、法律そのものの整備が追いつかなかった故の事故なのであり。ゆえに国会原発事故調査委員会としては、「個人が自律的な社会的責任を負うことが最も重要である。」という結論に至ったのである。

法律さえ守っておけばブラック企業だろうが、自殺者が出ようが構わないという発想に人間としての「心」はない。

倫理というのは人間としての「心」に直結する話であり。人間としての「心」というのは、単なるその場限りの気分感情に左右されるような動物的行動習性では説明することは構造原理的に不可能な、理性を伴った行動判断が必要不可欠なものである。

ところが、理性というと文科系大衆の多くは短絡的に「利己的利益追求の側面がある。」などという大嘘を鵜呑みにするなど。都合の悪いことは全て理性が悪いことにしておいて、あたかも動物的な先天的本能習性こそが自動的に「心」を発生させてくれるという進化生物学上の「神話」を鵜呑みにして満足し、何も考えなくなる。

その結果が「松沢哲郎に文化功労賞」などというトンチンカンな評価を下すことになるのである。



世の中では、それ単体ではさして害のない間違いがたくさん積み重なることによって、結果的に大きな間違いに誰も気付かないという状態に陥っているのである。

ヒトという種の生物は、特定の重大結果だけを多数派で糾弾してさえおけば全てが解決したかのように錯覚するという先天的習性があるため。個々の小さな間違いを丹念に修正するという地道な積み重ねを一切したがらない。

その結果、大きな根源的間違いに誰も気付かず放置してしまい。ISILやオウム真理教のような集団暴走が発生してから大騒ぎするだけで何の進歩もないのである。

このように大多数のヒトの無意識こそが、重大事象を引き起こす原因を見逃す要因となっているのであり。こうした無意識性というのは、犯罪者の無責任さ(無意識さ)と程度の差こそあれ構造的には同じものなのである。

自分達の無意識さや無責任さをほったらかしにしておいて、結果的に重大になった事柄だけ大騒ぎするという大衆迎合的発想こそが、事物に対する精密検証を失わせる原因となるのである。



精密検証性が欠けているというのは、要するに雑なのよね。





Ende;
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○自暴自棄な相手に抑止力が効くのか?。

2016年12月17日 13時45分37秒 | 意識論関連
原発避難者がイジメや差別に遭うって話が時折ニュースで流れるんだけど

原発避難者だけが特別にイジメや差別に遭うわけではなくて、イジメや差別する相手は誰でも良いんであって、原発避難者のイジメや差別だけ取り扱うのは偏重報道なんじゃねぇのかな

なんか原発避難者だけが特別に可哀相的なバイアスがかかっているように見えてしまうよ

いや別に「原発避難者が可哀相ではない」という意味ではなくて

原発避難者ではないイジメや差別被害者をなかったことにしている感が拭えないのが気になる子ちゃん

NHKニュース

原発避難者とか障害者とかだけがイジメや差別を受けるわけじゃなくて、イジメや差別をするヒトっていうのは相手なんか誰でも良くて、特定他者を敵視することでたかも自己正当化になるような気分的満足欲しさに差別中毒に陥っている精神疾患症状なんだろうと思う。

こういう「患者」というのは、イジメや差別をしていないと不安で仕方ないからやるんであって、被害者意識にさいなまされているノイローゼなんじゃなかろか。

ヒトという種の生物というのは、被害者の報復感情であれば全面的な正義か何かと錯覚する性質があって。それゆえに社会防衛上実効性のない刑法懲罰を短絡的に解決だと信じて疑わないという痴呆状態に陥っているわけで。

イジメや差別をしているヒト達というのは、その場限りの目先の満足(脳内麻薬が促す行動バイアス/行動習性)に流される無意識性に原因がある。

自分達は被害者だから懲罰的報復が許されていると勝手に勘違いしている。

だからイジメや差別をしているヒトに懲罰を与えても、彼らは「運が悪かった」「世の中が間違っている」という観念に変化はなく。結局は再び差別対象としての「敵」をでっちあげてでもイジメや差別をやめることが出来ないのである。

こういうのは精神疾患なんだから麻薬中毒と一緒で更正プログラムで治療すべきであって。刑法懲罰でもマスコミによるその場限りの糾弾も、むしろ逆効果。

大衆観念的には差別に対してカウンターで差別をすることが正義だと勘違いしているフシがあるんだけど、それじゃ差別の応酬にしかならない。

そりゃ差別スピーチなんてやっている奴はオラも嫌いではあるんだけど、そんなのは結局個人の主観であることに違いなどなくて、個人の主観の多数決を集めても論理的正当性の論証にもならなければ、原因究明や再発防止にもつながらない。

だから感情論は感情論として、刑法懲罰とは異なる合理性ある社会制度は別個必要なのですよ。

それをやらないから重大事象にまで発展してから大騒ぎすることに陥る。

ISILなんて、その典型なんですよ。

規模の差こそあれ、学生による集団殺人に至るメカニズムであってもイスラム(を名乗っているだけの)過激派の行動原理と根源的な部分では違いはないのよ。

何度も言ってるんだけど、ハインリッヒの法則に則って鑑みれば、一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れているわけで、その意味においてもイジメのような小さな事象(被害者にしてみれば充分重大なんだが)の精密分析を行う社会制度を作る必要性があるのです。

ヒトという種の生物には差別をする先天的本能習性があって、自律的抑制が効かなければイジメや差別は本能習性として発生するものであって。ヒトという種の生物の先天的欠陥であることを認識する意識、論理検証性なしに差別なんぞなくなるわけがない。それなのに進化生物学者達は「先天的な行動習性から人間としての社会性を立証出来るかも知れない。」などという原理的に立証不可能な大衆迎合的エセ理論を公言しており。それをまた大多数の大衆は鵜呑みにして満足している。

人命に係わる重大事象だけ大騒ぎしておいて、その陰に隠れている無数の小さな事象を無視するというのは。社会人として無責任なんだという自覚を持つべきなんですよ。

司法警察なんて被害者が出なけりゃ何にもしてくれませんよ。だってそういう社会制度なんですから。

それで良いんですか? ってことです。

根源的防止対策を一切行わずに、事態が重大化してから刑法懲罰という感情論任せにしているというのは、極めて上っ面な社会制度しか存在していないってことなんですよ。

厳罰化や軍事拡大競争の根拠とする威圧的抑止力というのは、実際には合理的根拠がなく、中国では麻薬取締法違反は死刑なんだが全然減らないし。厳罰化を推進しても酔っ払い運転も減らないことからも、犯罪を根本的に減らすためには個人の自律的な社会的責任判断選択こそが必要であり。これは国家権力を用いた報復の代行とは全く異なるものなんですよ。

そもそも自暴自棄なテロリストや通り魔に対して厳罰化は全く意味がない。

極刑を望んでいる相手に極刑は抑止にならないばかりか、むしろ促進にすらなってしまいかねない。



原発避難者だけが特別にイジメられて可哀相というのは、完全に偏った報道だと言えます。

それじゃなんですか、原発避難者以外ならイジメられていても構わないとでも言うんでしょうか。

イジメというのは原発避難者だけの専売特許じゃありませんから、もっと普遍的な報道や対策をすべきなんじゃないですかね。



Ende;
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