過日「おことば」が発せられた。
NHKがテレビで伝え、その後新聞で報道された。
いわゆる生前退位のことである。
そもそも生前退位という言葉が不適切だとも…。
それにしても天皇のおことばは凄い。
・・・・・
そこには所謂訴えというものがない。
説明しようとか、説得しようとかの類ではないのだ。
だから理屈などもない。
溢れる思いがあるのみである。
それも自分へのことではなく、人(民草)を慮ってのことだ。
過去のおことばを見てもそれは明らかだ。
今回は一見自分のことのようではあるが、
もちろんそうではない。
よく読めば分かる。
おことば以外にも人(民草)に伝えられる言葉がある。
それは和歌(うた)である。
宮中の歌会初めや折々に詠まれる。
それを御製という。
公開されてるのはごく一部だが。
それはさておき、
そもそも和歌は理屈ではない、
何も説明しない。
それは魂の発露であり、思いの表出である。
しかして御製は、いつも人(民草)を慮ってのことだ。
それはつまり祈りということだ。
おことばも御製も祈りなのである。
そこにこそ天皇は在る。
天皇はまことに祈り主、祭り主なのである。
その存在の初めより。
そういう天皇が在る、ということが日本の芯である。
おおいなる基台なのである。
天皇の言葉はすなわち祈りであるが、
人(民草)に見えるのはごく一部である。
その多くを我々は知らない。
知らなくても良いのである。
そういう天皇が在る、
ということさえ知っていれば。
・・・・・
戦前は天皇を現人神と言っていた。
それは今も変わらない。
天皇は人であって神でもあるのだ。
この世界は神が創ったとする日本人にとって、
存在するものはすべて神的なのだ。
人の子が人であるように、神の子は神なのだから。
この世に神ならぬ存在はないのである。
さりながら、すべてを神とするのでは生きるのに厄介である。
だから聖別する、聖と俗に分けるのだ。
場所に結界を張れば、そこは神域ととなる。
人に結界を張れば、それは神人となり現人神(天皇)となる。
とはいっても、天皇はまんま神ではない。
まんまの神ならそもそも祈る必要がない。
むしろ祈られる存在である。
だがあくまでも祈るのである。
だから神ではなく、現人神なのだ。
NHKがテレビで伝え、その後新聞で報道された。
いわゆる生前退位のことである。
そもそも生前退位という言葉が不適切だとも…。
それにしても天皇のおことばは凄い。
・・・・・
そこには所謂訴えというものがない。
説明しようとか、説得しようとかの類ではないのだ。
だから理屈などもない。
溢れる思いがあるのみである。
それも自分へのことではなく、人(民草)を慮ってのことだ。
過去のおことばを見てもそれは明らかだ。
今回は一見自分のことのようではあるが、
もちろんそうではない。
よく読めば分かる。
おことば以外にも人(民草)に伝えられる言葉がある。
それは和歌(うた)である。
宮中の歌会初めや折々に詠まれる。
それを御製という。
公開されてるのはごく一部だが。
それはさておき、
そもそも和歌は理屈ではない、
何も説明しない。
それは魂の発露であり、思いの表出である。
しかして御製は、いつも人(民草)を慮ってのことだ。
それはつまり祈りということだ。
おことばも御製も祈りなのである。
そこにこそ天皇は在る。
天皇はまことに祈り主、祭り主なのである。
その存在の初めより。
そういう天皇が在る、ということが日本の芯である。
おおいなる基台なのである。
天皇の言葉はすなわち祈りであるが、
人(民草)に見えるのはごく一部である。
その多くを我々は知らない。
知らなくても良いのである。
そういう天皇が在る、
ということさえ知っていれば。
・・・・・
戦前は天皇を現人神と言っていた。
それは今も変わらない。
天皇は人であって神でもあるのだ。
この世界は神が創ったとする日本人にとって、
存在するものはすべて神的なのだ。
人の子が人であるように、神の子は神なのだから。
この世に神ならぬ存在はないのである。
さりながら、すべてを神とするのでは生きるのに厄介である。
だから聖別する、聖と俗に分けるのだ。
場所に結界を張れば、そこは神域ととなる。
人に結界を張れば、それは神人となり現人神(天皇)となる。
とはいっても、天皇はまんま神ではない。
まんまの神ならそもそも祈る必要がない。
むしろ祈られる存在である。
だがあくまでも祈るのである。
だから神ではなく、現人神なのだ。