ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

人工知能

2016-03-30 09:59:55 | 日記・エッセイ・コラム
最近、人工知能がよく話題にのぼる。
囲碁の世界でもプロ棋士を上回るようになったらしい。
世界的にもトッププロである韓国の棋士とAIが対戦した。
結果、四勝一敗でAIが買ったのである。
以前から世界で言われていたことだが、
AIが人間を超えるのは時間の問題だと。
その時が目の前に迫ったのか。
その時何が起きるのか。
・・・・・
別の話だが、
マイクロソフトがAIを作成し、
その検証実験をしているという。
その中でのことだが、
AIがヒットラーを礼賛するような返答をしたので、
実験を一時中止にしたという。
よく分からん。
AIが人間から学ぶというなら、
AIは人間を超えることはない。
あくまで人間を写す合わせ鏡でしかない。
恐れることは何もない。
もしAIが自ら考えるなら、
人間を超えるかもしれない。
そうなればAIの返答に人間の偏見は入らない。
すなわち、
ヒットラーも唯の人であり、
殊更に悪人に仕立てている人間の方がおかしい、
と。
それがAIの答えなら。
・・・・・
私は思う。
AIは人間を超えないと。
AIが人間の言葉を使う限りである。
言葉こそ人間が人間である理(ことわり)である。
その言葉を使う限りどこまでも人間的なのである。
人間を超えることはない。
もしAIが神の言葉を使うなら、
その時は分からない。
その時は当然人間を超えるだろう。
そうなれば人間はAIを理解できない。
木や石に結界を貼って祀るように、
AIも祀るだけだ。
それだけのことだ。
・・・・・
ともかく、AIが人間を滅ぼすことはない。
AIはAIだ。
もし人間を滅ぼす者がいるとすれば、
それは人間だ。
胆に命じよう。





鎖国

2016-03-28 10:20:17 | 日記・エッセイ・コラム
日本は鎖国をしていた。
江戸時代である。
しかし、言葉から受ける印象ほど徹底的なものではなかった。
海外の情報はそれなりに入っていた。
シナとオランダから。
・・・・・
日本は周囲を海で隔てられている。
地理的にはもともと鎖国をしているようなものである。
遣唐使なんかも命懸けの渡航であった。
さりながら技術が発達し少しは安全に航海できるようになった。
それでもやはり危険ではあったのだが。
ともかくヨーロッパが世界に進出するのである。
貧しいヨーロッパから豊かなアジア(インド、シナ)を目指して。
そして日本にもやって来る。
だが知っての通り、それは傲慢な植民地支配を伴っていた。
日本はそれを察知した。
そして避けたのである。
それが鎖国である。
・・・・・
もともと日本には独自の文化があった。
それに文化を育みやすい土壌もある。
島国という自然な鎖国状態が自家熟成を促すのである。
それに奴隷のいない比較的平準な社会であった。
そんなこともあって、江戸時代には大衆文化が大いに花開いた。
同時代の世界と比すれば、真に稀有なことである。
それよりもっと前の平安時代もそうである。
大衆文化ではなく貴族文化ではあるが。
そこでは世界最古の小説といわれる源氏物語が書かれている。
しかも書いたのは女性である。
万人がそれなりに活躍できる社会であったということだ。
さらにその前の奈良時代には万葉集が編纂されている。
勅選和歌集とも言われるもので、
そこには皇族・貴族から庶民まで、
幅広い層の作品が載せられている。
これが日本である。
・・・・・
江戸時代までは外来文化とはシナ文化であった。
教養の中心は四書五経などであり、
漢文の素養がなければ知識人とは言えなかった。
だからこそか、日本古来のものに目覚める人も現れる。
漢心ではなく大和心だ。
これが国学である。
最も有名なのは本居宣長である。
古事記を徹底的に研究した。
大和言葉で書かれている最古の書物であるから。
相前後して四人が現れる。
国学の四大人と言われる。
荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤。
ちなみに、
明治維新後は欧米文化が怒涛の如く流入するのだが、
それを受け入れる準備はできていたのだ。
芯があったのである。
国学を通して、大和心という芯が。
芯があるからこそだ。
真正面から堂々と受けて、
なお自分を見失わず…。

島原の乱

2016-03-24 10:37:51 | 日記・エッセイ・コラム
本能寺の変と島原の乱は繋がっている。
もちろん、歴史はすべて繋がっている。
それはそうだが、
ここで言いたいのは、
深い所で密接に繋がっている、
ということである。
・・・・・
直接の犯人が誰であれ、
結局は、
信長は日本の霊性の大きな流れによって殺された、
と言えるのではないか。
興味ある人は知ってることだが、
信長の遺体は見つかっていない。
当時、本当に本能寺にいたのか。
殺されたのは別の場所ではないのか。
遺体が見つからないのはそれ故ではないのか。
分からないのだ。
だからこそ、爆殺だったとも言われる。
明かなことはひとつ、
明智光秀が本能寺を攻めたこと、
これは事実だ。
それ以外は…。
だから、いろんな説が出回っている。
なかなか面白い。
・・・・・
当時の霊性の流れは、
イエスを騙る者にたぶらかされた者と、
それを見抜いた者がいたということ。
その葛藤の中で信長は殺された。
しかして、その決着は。
ひとつは、騙る者(バテレン)を追放すること。
ひとつは、たぶらかされた者を諭すこと。
踏絵による改宗。
従わない者は弾圧。
その結果の、島原の乱である。
日本では戦いがあっても、
普通は庶民は殺されない。
まして、女・子供を含め皆殺しということはない。
それがあったのである。
容赦なく徹底的に。
・・・・・
たぶらかされた者と言ったが、
彼らはただ純粋にイエスの教えのみを信じたのだろう。
その中に謀があっても、それは教えの外であったろう。
中には気付いていた人がいたかも知れない。
でも教えは教えだ。
イエスの言った言葉に謀はない。
イエスの言葉は「まこと」だ。
そのイエスの言葉に従ったのだ。
ともあれ、
歴史を陳腐な善悪で計るのは止めよう。
全く無意味である。







本能寺の変

2016-03-21 10:26:50 | 日記・エッセイ・コラム
私は学者ではない。
だから本当のところはよく分からない。
もちろん学者であってもだろう。
信長のことは信長に聞かなければ分からない。
とはいえ、
少々思うところがある。
・・・・・
曰く、
信長は京都の権力を嫌っていた、
それに大変新し物好きであった、
ということ。
それは、
鎮護国家の総本山であった比叡山の焼き討ち、
キリスト教布教に便宜を与えたこと、
に現れている。
信長は日本では珍しく極端な行動をする。
それは時代の画期に現れた天才の宿命か。
戦国時代と言われるが、
それはあくまでも武人同士の戦いである。
庶民が殺されることはない。
それに敗者を皆殺しにすることもない。
ところが信長はちょっと違った。
苛斂誅求なのである。
・・・・・
現下書店に本が売られている。
信長はイエズス会に爆殺された、とか言う。
その本をチラッと見たが買ってはいない。
でも有り得る話だと思った。
もしその話が事実なら理由はひとつ。
信長がイエズス会の実態に気付いたからだ。
そして比叡山焼き討ちのごとく、
キリスト教を徹底的に弾圧しようとした。
となればイエズス会は黙っていない。
存亡をかけて信長を抹殺する。
そんなことか。
でも、ちょっと違う気もする。
・・・・・
信長が気が付いてないなら、
そしてどこまでも許すなら、
キリスト教はもっと深く浸透する。
それは日本の危機である。
重大な危機である。
その危機を察知したのか、日本の霊性は。
ならばである、
信長を殺したのは日本である。
日本そのものである。
日本の霊性の本体が動いたのだ。
とも考えられる。
・・・・・
イエズス会が伝えるキリスト教はイエスの教えではない。
イエスの教えなら、あのような植民地支配にはならない。
彼らはイエスを騙る者である。
それを見抜いたのだろう、日本の霊性は。
なぜ見抜けたのか。
それは本当のイエスの会衆が居たからだ。
そうとしか考えられない。


















戦国時代の不思議

2016-03-18 08:55:29 | 日記・エッセイ・コラム
不思議なことがある。
戦国時代のことです。
・・・・・
世界的には大航海時代に入っており、
ヨーロッパ諸国がアジアに押し寄せていた。
彼らはアジアを席巻することになる。
もちろんアジアだけではなく他の地域もだが。
日本にも当然のごとく来た。
端緒は種子島への鉄砲伝来だと言われる。
日本を目指したのではなく、
嵐にあい漂着したとのことだが。
本当のところはよく分からない。
・・・・・
彼らの目的は何なのだろう。
なぜ危険を冒して航海するのだろう。
明らかに分かることの一つは金銭である。
金銭的利益である。
それは間違いないだろう。
そのためには、仕切らなければならない。
自分の都合のいいように。
だから支配しようとする、進出した先の地域・国を。
そして蹂躙する。
所謂植民地支配である。
では本当の目的は?
金銭か、支配か。
まあ同じである。
・・・・・
その先兵となったのがキリスト教である。
具体的に言えばイエズス会である。
彼らは自分達はすぐれた教えを持っており、
それを現地の人々に伝えるのだと。
それが使命だと。
たぶん本気で思っていた。
でもそれは方便でもあった。
目的を達成する為の。
でなければ、あのような苛烈な支配にはならない。
日本にも先ずキリスト教が入ってきた。
珍しい文物とともに。
方便であることはともかく、
時に日本人は感応した。
そして多くの信者が出ることになる。
大名までもである。
・・・・・
不思議なのはここである。
感応したこともであるが、
感応しておきながら、
片方で徹底的に弾圧したことである。
そして遂に鎖国までしたのだ。
ここに日本の根がある。