あまい実とすっぱい実

やさしい気持ちとせつない気持ちの日記です

今年のきもち

2008年12月28日 | 日記
「今年一年を漢字一字で表したら、何になる?」
と上司に聞かれて、うーん、と考えて出した答えは
「『決』かなぁー?」

このブログを見てくださっている方たちはご存知のことでしょう、
今年の春に、ずっと付き合っていた彼とお別れしました。
とても好きだったし、愛されていたと思っているし、
彼からもらったたくさんの優しさも、
彼から学んだ私の未熟さも、
これからも一緒にいたいというお互いの気持ちも、
こうしてブログに書き記してきました。

だから、あまりにも急な別れで、
私のまわりの人たちはとてもビックリしていたし、
またいつものケンカで、
またいつものように元通りになるのだろう、
と思っていたようです。

あの別れ話がいつものと違うってことは、
私はなぜか初めから感じていて、
きっと元通りにならないだろうことも、
元通りになってもうまくいかないだろうことも、
不思議と確信のようなものがありました。

だけど彼への気持ちはそう簡単に割り切れるものではなく、
存在の大きさや、
包まれていた優しさから離れることは容易ではないことで、
そのバランスをどうとったらいいものか模索する毎日でした。

「決定的な理由もなく、どうして別れを選ぶの?」
と聞かれることは今でもあるし、
年齢的にもその決断が不必要に感じる人もいると思いますが、
ハッキリした答えは思いつかなくて、
でも後悔はしていなくて、
ただ「そうしたほうがいいような気がした」としか言えない情けない私です。

本気で将来を考えていただけに、
乗り越えるのは簡単ではなかったけれど、
不器用なりにどうにかこうにかバランスをとって、
自分に正直に歩いてきました。
いつも遠回りしてばっかりの私にしたら、
ずいぶんと上手に抜け出せたな~って自分を誉めちゃうくらいです。

まさか別れちゃうなんて、思ってもなかったのに。
こうして未来にうきうきしてる自分がおめでたい。

彼とのことを留めておきたくて始めたブログですが、
こうして歩いていく中で、
いつかまた私を愛してくれる人が現れたら、
その相手とのいろんな出来事を綴っていけたらいいな、と思っています。

まだまだ未熟な女で、
読んでいるかたにとっては歯がゆいことも多いとは思いますが、
夢を叶えるべく努力していきたいと思いますので、
皆様にとってどうか来年も、笑顔の絶えない一年になりますように!


ねこ

2008年12月23日 | 日記

100万回死んだねこは、何度死んでも泣いたことがありませんでしたが、
100万1回目に生きたとき、白くてうつくしいねこと出会い、
初めて自分以外を愛するということを知ります。


この歳になってはじめて読みました。

ありのままのお互いを愛し合うことの悦びと、

愛するものがこの世から消える悲しみ。

そのすばらしさと、重さを感じる絵本です。

ステキな、愛の形。

とてもやわらかい雰囲気の、ねこの本です。

えらそうにも。

2008年12月15日 | 日記
ときどき、他愛もない会話をしているときに、

「あなたって、素直に育ったのね」

というような言葉をかけられることがある。

私は隠し事ができないので、
どうしても自分の気持ちを言ってしまうし、
失敗したことは笑い話に変えれば、
自分もスッキリするしみんなも笑ってくれるし一石二鳥だ、なんて思う。

それがいいことばかりではないのだけど。

「きっと、親の育て方がいいのね」と言いながら、
それに比べて私は不幸だわ、という目をする人を何人か見たことがある。
そんな様子を見ながら、
自分と彼女の違いは、
しあわせの基準の違いなんだろうな、と
ぼんやりと、思ったりする。

私よりも多くのものを持っているように思えるのに。
きっと彼女のしあわせの基準は、
私よりもずっとずっと高いところにあるんだろうな。

ほんとうに、考えとは人それぞれで、
いつまで人のせいにしててよくて、
いつから自分で責任を持たなければならないのか。

適当な返事を見つけられない自分を不甲斐なく感じながら、
彼女のまわりにちりばめられているたくさんのしあわせが、
早く彼女の視界に入りますように、と思う。

まじめ

2008年12月05日 | 日記
ある日何気ない会話の途中、上司に言われた。

あなたは真面目すぎる。
もっと楽に考えてごらん。

とても、ショックだった。
「そんなことないですよ」と返事をするので精一杯だったことを覚えている。
そう言われたあの日から、2年も経っただろうか。
随分と、私は変わった。

ハタから見たら大して変わってないのかも知れないけれど、
自分らしくいられることが多くなった。

「ミチルって、○○だよね」と言われた否定的なその言葉に、
「そんなことないよ」とわけもなく必死で抵抗していた私は、
「そうかなー、そうかも」と受け入れることが出来るようになった。
プライドの高い人間にとって、
とっさの返事で余裕を見せることは難しい。
「ありがとう」も「ごめんね」も、
前よりもずっと素直に言えるようになった。

自分を高く高く見せていったい何になるというの。
汚点を隠して溜めて苦い思いをするのは自分なのに。
そのプライドは、何の役に立つの…
そう思うようになった。

あの日のあの言葉がなかったら、今の私はいつ手に入れられただろう。

気付きは自分でつかまなければ意味がない。
だから俺が正解を教えるのでは意味がないんだよ。
出来ることは、きっかけを与えることだけだ。
あなたは変わったね、とても、良くなった。
先日、上司にそう言われた。

人を導くことは難しい。
時間のかかるその成長を、
気にかけながらゆっくりと見守っていける彼の人間性を、とても尊敬している。

きっかけを与えてくれる存在の貴重さに感謝をするとともに、
そのきっかけを受け止められる人でありたいと改めて思う私でした。