かけがえのない天使

「障害児」ではなく「1人の子供」として。。。

脳性まひの子供から教えられた事

電動車椅子2

2006年01月28日 | 障害
夏に注文していた電動車椅子の仮合わせがありました。

れんに合った、れんの為の車椅子。
れんは、見るなり早速
「電動乗って冒険しに行ってくるわ!」と嬉しそう。

装具屋さんのお兄さんに乗せてもらい
ウズウズしているれん。

でも、まだ仮合わせだから
細かい微調整と園長先生に診てもらわないといけないのに
乗るやいなや
スイッチを押し走る走る!

そして、園の外に一人で出て行くのです。
私と装具屋さんを振り切り
それも満面の笑みで!

何度連れて入っても、またすぐ出て行ってしまうんです。

園長先生に診てもらう番になったのに
戻らず、園長先生が外まで出てきて下さいました。

それ程、自分で動ける事が嬉しかったようです。

そりゃ、嬉しいよねえ~

自分でどこでも行けるんだもん!

今までだったら
れんが「外に行きたい」と言っても
私が「だめ」って言うと、もう外には出れなかったのに
私がいくらダメって言っても
一人で行けるんだもんね。

こんな些細なイタズラが可愛くて仕方なかったです。

初めてれんがイタズラしたのは
2歳位の時かなあ。
レストランでコップのお水をこぼしたの。
普通ならすごく怒るところなんだけど
私はそれがすごく嬉しかったのを覚えています。

普通子供ってじっとしていないけど
れんは大人しいの。
って言うか、手が上手く使えなかったからと
言った方がいいかな。

だけど、その時は
私達が目を離した隙に机の上のコップを取ろうとして
ひっくり返したの。

お店の人に謝りながら
父と二人、れんもこんなことできる様になったんだと
喜んだ覚えがあります。

まだ細かい調整があるから、電動が来るまでに
1か月位かかるけど
早く来るといいね!

その時は、いっぱいお外、冒険してね。

紙ねんど

2006年01月26日 | Weblog
昨日、主人が紙粘土を買ってきました。

れんは夢中になって作っていました。

ちぎっては水をつけてやわらかくし
形を整える。

れんがこんなに夢中に造るの
久しぶりに見ました。

まるで、陶芸家のように
手もそこらじゅうも真っ白け!
後片付けが大変だなと思いながらも
こんなに一生懸命つくる姿に
父と目を細めていました。

そして、今日は色付け。

お迎えに行くと
「今日は帰って、さっそく色塗るわ」
だって。

できあがったのは
カラフルなかたつむり!

次は、だんごを作るそうです。

そんな時
テレビのニュースから
「青木鈴花ちゃん、保育園入園の仮決定が出ました」
と流れてきました。
そして、鈴花ちゃんのコメントが
「保育園に行ってねんどがしたい」
と言ってました。

偶然とは言え、れんがねんどをしている時に・・・

そのニュースを聞いて
3年前の自分たちにダブってしまいました。

保育園に断られ続けた日々・・・

知的のお子さんはいいけど
肢体のおこさんは危ない、
施設が不充分、などなど。

裁判までしなくてはいけない現状は
障害は違っても、障害児に対する対応は
あの時とほとんど変わってないんだなって。

でも、裁判所が入園の仮決定を出してくれて良かった!

そして、その裁判官の決定内容がすばらしい!!

「保育園に行く機会を奪うということは
 金銭を失うことよりも損失が大きい」と。

この裁判官、人間らしいって嬉しかった。

同じような事例でも
裁判官によって裁量が全く違うから。

鈴花ちゃんよかったね!
鈴花ちゃんも、保育園でお友達と
いっぱい粘土で遊べるといいですね。

入学説明会

2006年01月23日 | 入学前
今日は、新1年生の入学説明会がありました。

保護者は、2階の部屋でこれから準備するものや
いろいろな手続きや申し込みの説明を受け

その間、子供たちは
2年生と5年生の子供達と交流するというものでした。

行くまでれんは
「子供ばっかり嫌や!お母さんと一緒に行くわ」
と言っていましたが

説明会が終わってお迎えに行くと
満面の笑みで
「あ~楽しかった!早く学校に行きたくなったわ」
だって!

「何してたん?」と聞くと
「ボーリングや駒やいっぱい遊んでくれた。
 おねえちゃん、優しかったわ」
とご満悦。

ほんとうに迎えに行った時、一緒にいてくれた
おねえちゃんは、可愛くて優しそうなお子さんでした。

でも、学校に良い印象を持ってくれて良かったです。

れんが楽しんで学校に行ける事
それを一番大切にしたいから・・・

このままずっと、楽しい学校生活を送れたらなという気持ちでいっぱいでした。



生まれる前の記憶

2006年01月21日 | 私の天使 
私はれんに、何年かに1度
れんが忘れた頃に、決まって聞くことがあります。

それは、お腹の中に居た頃のこと。

きっかけは、れんが3歳になる少し前のこと。

れんは、小さい頃からピンク色が大好きでした。
絵を描く時も、何か色を選ぶ時も
決まってピンクを選ぶのです。

男の子なのにピンク色かあ・・・と思いながら
まあ、好きなんだからいいか、くらいに思っていました。

でも、ある時
「れんは、なんでそんなにピンク色すきなん?」
と聞くと
「だって、お母さんのお腹の中に居る時
 ピンク色やったから!」と言うんです!

私は、ビックリしたのと
感動でいっぱいになりました。
れんは、私のお腹の中に居た時のこと
覚えてるんだって・・・

私は、れんを産む前に、何かの本で
「子供の頃は、生まれる前の記憶がある。
 2歳だと語彙が少なくて上手く表現できないから
 3歳~4歳くらいに聞くのがベスト。
 それ以降は、忘れてしまったり知恵がついて
 つくり話をする可能性が高い」という記事を思い出しました。

そこで早速、私も試してみることに。

「れん、お母さんのお腹に居る時どんなんやったん?」
と聞くと
「お母さんのお腹の中、ピンク色やった」

「お父さんの声、聞こえてた?」

「うん、聞こえてた」

「産まれる時はどんなんやったん?」

「お腹がパカッっと開いてまぶしかった」

(れんは帝王切開だったのでこれもびっくりしました)

なんだかとても感動しました。


そして、昨日、
もう忘れてるかなと思いながらも
久しぶりに聞いてみました。

「なあれん、お母さんのお腹の中に居る時どんなんやった?」

「お母さんのお腹の中
 ピンクとむらさきが混ざった色してて
 なんかネチャネチャしててん。
 それで、れん、寝たり起きたり
 寝たふりしてることもあってん。
 それでな、足とか手とかのばしたりしててん。」

ほんとかな・・・

なんかすごいな!
やっぱり、言葉が増えた分
状況がさらに詳しくなってるし。

そしたら、やっぱり
れんは、私を選んで生まれて来てくれたのかしら・・・

そうだったら嬉しい!

そう信じたい!

れん、生まれてきてくれてありがとう。

また、命の神秘と素晴らしさを
れんから教えらた気がしました。





少し前進?

2006年01月20日 | 入学前
昨日、行って来ました学校に!

校長先生にはじめ、教育相談の結果の書類を渡され
読んでおいて下さいと渡されました。

「お母さん、何か言っておきたいことありますか?」と言われたので

主人が「原学級で是非、お願いします。」
というと
また、校長の一方的な話が始まりました。

いつもいつも、この調子で最後まで押し切られるので
これではダメだと今回は、校長の話を途中で切りまくり
「こちらの話も最後まで聞いて下さい」とキツク訴えました。

それで始めて校長はこちらの話を聞く事をしてくれました。

そこからは主人がなぜ地域の学校に
れんを行かせたいと思うようになったのかを話しました。

養護学校や養護学級を否定している訳ではない。
ただ、れんはみんなと一緒にいたいと思っている。
学びたいと思っている。
だから、私達も障害があっても
れんをみんなと一緒に学ばせ、育てていきたい。

私達も、はじめはれんに合う特別なことをしてもらった方が
れんにとっていいことだと思っていたが
そうではないということを、れん自身から教えられたこと。

私達は、同じ過ちをもう2度と繰り返したくないと言う事を。

そして、障害をもっている子供は周りのお子さんにも
いい影響を与えられると・・・

その話から校長の話の内容に少し変化がでました。

今まで、予算がない、人が足りないなど
同じ事しか繰り返さなかった校長が

「本当は私も同じ意見です。自分も、それは現場で見てきています。
 でも、大阪市では養護籍をとると
 原学級には交流という形にしかなりません。
 なるべく、原学級に居られるようにしたいとは思いますが
 他の障害児とのバランスを考えてもらわないといけません。
 だから、ずっと居るというのは無理なんです。」

と少しだけ変化が出てきました。

そして、
「保護者にも、色んな人がいて理解してくれる人ばかりではありません。
 障害児と同じ教室だと勉強できないと、苦情が来る事もあります。
 だけど、それに対してはこちらでしっかりと
 理解をしてもらえるように努力します」と。

その言葉、嬉しかったです。

でも、そこまで分かってくれているのなら
なぜ、できないんだろう。

もう一息かな。

でも校長から、少し前向きな意見が聞けて少しほっとしました。





嬉しい出来事。

2006年01月18日 | 入学前
嬉しいことがありました。

というのも

26日にもう一度、教育センターに行く事に
なっていましたが
私の都合が悪く、日にちを変更してもらおうと思い電話しました。

以前、れんを担当した方が今回も担当になっているので
その方あてに変更の電話をしました。

こちらはただ、変更の電話をしただけなのに

「お母さん、次回学校にはいついかれるんですか?
 何か、心配事や不安に思っている事はないですか?」と
聞いて下さいました。

私は「次回は、先日の教育相談の結果を聞きに19日に行きます。
   どういう対応をされるか、心配と不安だらけなんです。」というと

「もう、今月は予定がいっぱいなんですが
 相談は早い方がいいですね。
 電話でよろしければ、お母さんの相談を聞きたいのですが。
 19日も良い対応であればいいのですが
 もし、何かありましたら20日に一度お電話下さい。」と。

とても、嬉しかったです!
この方が、私の担当だったら良かったのに!

前回、私の聞き取りをした人とは大違い!!!

なぜ、人によってこんなにも対応が違うんだろう。

でも、教育相談1回で終わらせなくて良かった。

あのままだと、納得いかないままだったけど
こうして、一人でも理解してくれようとする人に出会えて
ねばった甲斐がありました。


それと最近、「ボランティアでれん君の学校に介助に行ってあげる!」
といって下さる方もいて本当に有難い限りです。

最初それを聞いた時、耳を疑いました。
本当に嬉しくて鳥肌が立ちました。

そして、本当に行き詰まっていた私に
光を与えてくださいました。

「なんとかなるかもしれない」

また、いっぱい力が湧いてきました。


あ~明日、またどんな事言われるんだろう・・・

ちょっとでも、前向きな事言ってくれたらいいけど。

明日は主人も仕事を休んで一緒に行きます。
さっき、なんかノートに
校長に言う事を一生懸命、書きためていました。

みなさん、応援しててね!








久しぶりのコンサート

2006年01月17日 | Weblog
主人と2人で
アース・ウィンドアンドファイアーのコンサートに行ってきました。

れんもアース大好きなんですが
未就学児は入れないことと
れんは暗い所で、バーンと大きな音が鳴るのが
苦手なので
今回は2人で行きました。

久しぶりのライブに主人も私もワクワク。

会場に入ると年齢層が高いのにビックリ!
私達はまだ若い方でした。

でも、曲が始まると
もう年齢なんか関係なく
おじさんもおばさんも、懐かしい曲に
総立ちでノリノリでした。

れんがもう少し大きくなったら
今度は3人で行こうね。

たまには、お父さんとお母さんに息抜きさせてね。

あ~楽しかった!

次は、ボンジョビに行く予定で~す。

れんの名前の由来

2006年01月15日 | 私の天使 
昨日、「れんと言う名前はどうして付けたの?」
と質問を受けました。

れんは「蓮」ハスという漢字で
ハスという華は、泥水の中でも綺麗にお花を咲かせます。

だから、この子にも、どんなに悪い環境や困難な状況でも
それに負けず、強く
自分なりの綺麗な華を咲かせて欲しい
そう願ってつけました。

なんか、今考えると
れんにピッタリの名前をつけてしまったんだろうか・・・
改めて考えてしまいました。

これから本当に
自分自身で乗り越えていかなければならない
困難がいくつも出てくると思います。

そんな時
じっくり自分なりの華を咲かせていってくれたら
いいなあと願っています。




カナダとの不思議な縁

2006年01月14日 | Weblog
この間のスケートでカナダの方との偶然の出会いがあったのですが

私達は「カナダの方」と聞いて

本当に不思議な「縁」を感じました。

実は、私達夫婦はれんを授かる少し前にカナダに移住する予定でした。

それは、今から15年程前初めてカナダに行って
カナダの魅力に二人とも、とりつかれたからでした。
その自然の雄大さはもちろんのこと
カナダはとても福祉が進んだ国だと実感しました。
「税金が高くても住むなら、こんな国だ!」と。

日本では、まだまだバリアフリーという事が
それ程普及していない時代でした。

そんな時からカナダは、階段の横にスロープがあり
身障者用のトイレ、身障者用の駐車場、町では車椅子の方が
普通に買い物を楽しんでいる。
すれ違いざまに皆が声をかける、
そんな姿が、私にはとても新鮮に映りました。

まだ、れんを授かる前だったのに
今思えば、そんなことばかり見ていました。

カナダは、移民奨励国なので
移民は、条件の点数さえ満たしていれば誰でも受け入れてくれます。

特に、主人はその時
寿司職人だったので、得点が高く殆ど条件を満たしていました。

カナダの大使館はフィリピンにしかなく
ビザの手続きが大変でした。

日本の領事館で就職先と住む所を探し
飛行機の手配も準備オッケーでした。

そして、カナダには
飛行機でロスまで行きそこからは
アムトラックという電車でアメリカを一周してから
カナダに入ることにしていました。
(アムトラックはカナダまで続いているので)

電車の時刻も全て調べ、日程も完璧でした。

大変な作業でしたが
毎日がとても充実し、また、これからどんなことが
待っているのかと思うだけで楽しくて仕方ありませんでした。

まさに今から行く!というそんな時
れんが授かったのでした。

待ちに待った待望の赤ちゃんでした。
私達は、とても嬉しい反面
なんだか正直複雑な心境でした。

その後、すぐ
切迫流産で入院し、絶対安静の状態でした。
そして、全てをキャンセルしたのでした。

でも、不思議なことがもう1つ。

私達が乗るはずだったアムトラック。
その場所の、まさにその時刻のアムトラックが
脱線事故を起こし、日本でも大きなニュースになりました。

私と、主人はそのニュースを見てぞっとしました。
もし、あのままあの列車に乗っていたら
私達も確実にあの事故に巻き込まれていました。

れんが私達を救ってくれたんだって。

れんは、私達を守るために生まれてきてくれたんじゃないかって
今でも、時々主人とそんな事を話します。

だから、この出会いをきっかけに
今度は3人で、また、カナダに行けたらいいなって
本当に思っています。










楽しかったスケート

2006年01月11日 | Weblog
昨日3人でスケートに行ってきました。

はじめ、椅子のようなものにれんを座らせ滑っていたのですが
そのうち「自分で立って滑りたい」と言い出しました。

それもそうだなと思い、れんを椅子から降ろし
2人で滑らせるのですが
私たちも安定が悪いし、
れんも一人で立てないうえに安定が悪い。

なので、スピードが全然でないから
れん面白くないだろうなっと思っていたら

私たちの予想を裏切りれんは大喜び!

足をバタバタさせて
自分では上手く滑っているつもりが可愛い。

でも、この靴どうにかならないかなあと
主人とヒーヒーいいながら滑っていると

外国人の親子が、私たちの横を滑って行きました。

ふと、その子どもさんの足元を見ると
なんと!普通は刃が1本しかないのに
そのスケート靴は、両端に刃が2本付いているものでした。

私は、これだ!と思い
「あの外国人の方に靴の事を聞いて欲しい」と
主人に頼みました。

その方は、カナダの方で
そのスケート靴は、カナダでは子どもたちが一番最初に
スケートを楽しむためのものだと教えてくれました。

そして、向こうで沢山買ってきているから
わけてあげると。

ラッキーでした!

そして、名刺を下さいました。

名刺には、ENGLISH SCHOOLと書いてありました。

家に帰り早速電話をしました。
奥様といろいろ話しているうち
毎年夏に英会話教室の子ども達を連れてカナダに行くという事を聞き
「私たちも、是非参加したい!」ということになりました。

私たち夫婦は旅行が好きで
れんが生まれる半年前まで、何度も海外旅行に行っていました。

そして、その感動をれんにも
あじわわせてあげたいとずっと思っていました。

いろんな国のいろんな価値観

そして、そら、風、温度、色、匂いや

日本の国では当たり前のことが実はそうではないこと等

れんが自分で気付き、いろんな事を感じとって欲しいと。

また、良い出会いができました。

そしてまたひとつ、私の思いが実現しそうです!


ところで余談ですが、
家に帰ってかられんが
「お父さん、今日外国人の人と英語しゃべってたな!
 すごかったな!なんで、れんたちは日本語しかしゃべられへんのに
 お父さんは英語しゃべれるの?」と羨望の眼差し!

(ハローとか少し話しただけなのに(笑))

父が「だって、お父さん英語しゃべれるもん」と言うと
「お父さんすごい!れんも英語しゃべりたいから
 ファンファンキッズかけて!」と英語のビデオを見ていました(笑)

その後も「今日はお父さんと2人でお風呂はいるわ!」と
父を尊敬しっぱなしでした。

そんなれんの眼差しに
スケートの疲れも吹っ飛んだ父でした。

また、行こうね!