宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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祈って任せる

2021-07-10 08:21:18 | 祈り
祈りというのはどういうものか
というのは、考えれば考えるほど
わからなくなる。
まじめな信者さんである程そういう
質問をよく受けます。
そういう人ほど良心的で考え込んで
しまって、自分ができていないのに
人に薦める訳にはいかないとか、
共に祈るような資格は私にはないん
じゃないかとか。
そうなるとちょっとノイローゼに
近いくらいに悩み込んでしまっている。

祈りというものは、神様と私の対話
なのです。
と同時に、世界人類と私の祈りでも
あります。
この場合の世界人類というのは、
地球の世界人類だけではなくて、
宇宙全体の宇宙の星の兄弟たちとの
一人一人との、その交信も含みますね。
ですから、真に広い幅になる訳です。
そこまで考えていくと、私どもの世界人類が
平和でありますようにという祈りというのは、
非常に大きいし深い。
そして、自分ができるかできないか
ということではなくて、もう向こうの方で
抱きとってもらってる訳なんですね。
ですから、何も考えずに祈るというのが
一番いい訳なのです。
四の五の言ってる間は理屈なんです。
祈りというのは理屈を超えたものなんです。

そんなこと言ったって祈れませんという
時は、祈れなくていいのです。
集会に行きたくないのに無理に集会に
行ったり、何か行事があるから絶対に
人数がいるからといって集めたって、
それはどうにもならないんです。
その人の気持ちがどうにも向かない
という時に、無理に勧めたってそれは
萎びるだけなんです。
本体と肉体は違う訳だから、本体は
行きたければ、さっさと霊体が行っちゃっ
てる訳です。

自分の肉体がどうであれ、霊体は行って
統一会に出たりなどしている訳ですから、
そこまで我々の肉体人間が神経質になる
ことはないんです。

ですから、真面目な人ほどいろいろいろいろ
考えるけれども、しかし、そうじゃなくて、
もう一回、子どもみたいに無邪気になって、
世界人類が平和でありますようにというふうに
祈る。
祈って任せる。
そこからでないと我々の道というのは
開いていかない。
そういうふうに思います。
      昭和63年6月13日(月)
          五井 昌久