仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

阪神大震災から15年

2010-01-17 16:47:48 | 日々雜感
15年前の1月17日、午前5時46分。

あのショッキングな體驗以來、今日で15年。
それなのに、今日がその日だといふことを忘れてゐた。
そんな自分に呆れてしまつた。



大きな搖れを感じて目が醒めた。
關東で生まれ育つた私は、地震には慣れてゐるところがある。
しかし、この地震はこれまでに經驗した地震のなかでも最大級で、建てたばかりの家がバキバキと音をたてて軋むのが不氣味だつた。

地震の時は下手に動かないはうがいい。
特に、大きな部屋のある1階は、壓潰する恐れがあるので危險だ。
さういふ知識は持つてゐたので、2階の寢室にゐるはうが安全だと思つた。
で、
「このままここにゐるはうがいいぞ」
と家人に告げて、また眠つた。

起きてから、會社に行かうとして驛に行つたら、阪急電車が止まつてゐた。
仕方なく、家に戻つてTVをつけたら、衝撃的な映像が目に飛込んで來た。
阪神高速が倒れてゐる!

會社に電話しようとしても電話がつながらない。
公衆電話でなんとか聯絡できたが、會社に行く手立てはなく、自宅待機。
思へば、我が家には携帶電話もパソコンもない時代だつた。

さうかうしてゐるうちに、ガスと水道が止まつた。
やむを得ず、豐中にある家内の實家に避難。
結局、ガスと水道が復舊し自宅に戻つたのは1ヵ月ほど後になつた。

自宅の損害は、グラスがいくつか割れたのと、クロスが數箇所切れた程度。
(じつは、家の基礎部分にクラックが入つてゐたのだが、その時は氣づかなかつた)
しかし、線路を挾んで反對の南側はひどい状態だつた。
古い木造家屋が多かつたのか、全壞家屋がそこここに見られた。
すぐ近くであつても、地盤や建物の状態次第で損害の大きさはまつたく違つてくるといふことを知つた。


あれから15年。
數年間は、ザックに水や食糧、懷中電燈などを詰めこんで、枕元に備へてゐたのだが、いまはもう何もしてゐない。
喉元過ぎれば熱さ忘るるの言葉とほり。
そんなことではいけないと思ひつつも、中身を入れ替へるのが面倒になつて今に至つてゐる。

關東大震災を忘れぬやうに9月1日は「防災の日」になつてゐるが、阪神間の人間にとつては1月17日こそ「防災の日」だらう。
地震への備へを見直さなくてはならないと思ふ。




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4 コメント

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黙祷 (かんさいや)
2010-01-17 22:01:16
お正月を過ぎるとちらほらと話題が出てくるんですよね
今年で15年であったのかと思いました
新しい家は激震部でも倒壊しなかったと聞きました
地震の備えは何もしていないですね
何かしておかないといけないのですが
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かんさいやさん (仙丈)
2010-01-17 22:09:00
私は直接的な被害を殆ど受けなかつたのですが、すぐ近くで建物が崩れてゐたりしてました。
六甲アイランドの開發に携はつてゐたもので、最初の頃は往復6時間ほどかかりました。
電車が寸斷されてゐたので、阪急、JR、阪神を歩いてつなぎながらの通勤でした。
東灘のあたりは煙がたちのぼつてゐて、終戰直後の日本がこのやうな状態だつたのではないかと思ひました。

あれから15年。
時のたつのは早いものですが、記憶にはしつかりと留めておきたいものです。


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15年 (giichan0817)
2010-01-17 22:21:35
こんばんは。

当たり前と思っていたことが
当たり前じゃないと感じた日でした。
水のありがたさとか。。。
1.17防災への意識を
見直すのに大切な日ですね。
返信する
giichan0817さん (仙丈)
2010-01-17 23:14:15
さうでしたね。
日本で水があれほど手に入らないなんて、あの時の阪神間だけかもしれません。
六甲アイランドでは、人工的に作られた川に溜まつてゐる水を汲んで風呂に入れてゐました。
その貴重な水で洗車してゐる馬鹿モノもゐましたけれど・・・

水の備へだけはしておきたいですね。

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