仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

七草ふたたび

2009-01-08 11:50:49 | 日々雜感
昨日の記事 で、次のやうに書いた。

「1月7日に「せり」やら「なずな」やら「はこべら」やらが手に入るといふのも奇妙な話だ。
舊暦の1月7日は今の暦でいへば2月下旬。
それでもまだそれらの季節には早いやうな氣がする。
昔は春が來るのが今より早かつたのだらうか・・・」

これをご覽になつて、調べて下さつたかたがゐる。
「(まめ)たぬきの雜記」 さんの 『地球気候変動と春の七草』 といふ記事だ。(ありがたうございました!)

こちらの記事にリンクされてゐる『氣候と人間模樣』といふ記事には、地球が經て來た氣候變動について記されてゐる。
それによると、「繩文海進」の温暖な時代から彌生の寒冷な時代を經て、700年から1300年代にかけては世界的に比較的温暖で「氣候小最適期」と呼ばれてゐるらしい。

奈良・平安時代はその温暖な氣候の眞つただ中。
といふことは、もしかすると、いまの2月下旬でも「七草」が生えてゐたのかもしれないといふわけだ。

「七草粥」が庶民に定著したのは江戸時代らしい。
1400年から1850年あたりまでの「小氷期」の期間に入る、寒冷な氣候。
この期間はいまよりも氣温が低かつたらしいのだが、毎年毎年、毎日毎日、いまより低いといふことでもないらしい。
とすれば、年によつて舊暦1月7日の氣温は變動し(あたりまへか)、七草が手に入る年もあつたのだらう。
その頃の庶民がどうやつて舊暦1月7日に七草を入手したのか興味のあるところだ。

ところで、いまは大氣中の二酸化炭素の増大による地球温暖化が進行中。
私の感覺でも、40~30年前の冬はもつと寒かつた。
このまま行けば、これから數十年の後には、2月下旬に「せり」やら「なずな」やらが生えることになるのかもしれない。
それどころか北極の氷がすべて溶けてしまふ日も遠くはない。
さうなれば、「繩文海進」のやうに、關東平野や大阪平野の一部は海になつてしまふ。

日本も自ら出來ることをするのは當然として、あの「中國」といふ暴君のやうな「環境後進國」をなんとかしなければ!


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七草粥 (七種粥) | トップ | こま廻し »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご紹介ありがとうございました ((まめ)たぬき)
2009-01-08 14:29:46
行事として行っていたのですから、江戸幕府はいまの吹上御苑のあたりにでも七草を栽培していたのかもしれないですね。

田舎にいた頃は手に入りやすい「すずな・すずしろ」だけで済ませていた覚えがあります。(雪の中、芹を摘みにいく気にはなりませんでした)江戸期の庶民にも、私のように手に入るものだけで済ませる横着モノもいたのかもしれません。
返信する
(まめ)たぬきさん (仙丈)
2009-01-08 18:12:20
こちらこそ、どうもありがたうございました。
確かに地球の氣候變動の要素が關係してゐるかもしれませんね。
「すずな」「すずしろ」は俳句では冬の季語だつたと記憶してゐますが、「春の七草」なんですねえ。
なんだか不思議な氣がします。

ご紹介いただいたサイトを讀んで、彌生時代が比較的寒冷な時代だと知りました。
邪馬臺國について「魏志倭人傳」に南方系風俗の記述がありますので、ますます奈良縣のイメージからは遠いなあ、といふ氣がしました。
新しい知識をインプットできて感謝です。

返信する

コメントを投稿