仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 3月15日 (80年:天狗岳登頂)

2011-03-15 00:50:00 | 昔の手帳から
【1980年】(浪人)

カレー雜煮
しらびそ小屋~中山峠~黒百合平~天狗岳ピストン

しらびそ小屋(7:30發)
ワカン裝着(8:20-8:45)
サングラス(9:15-9:25)
中山峠(10:30-10:40)
黒百合平、晝食(10:50-11:50)
東天狗(12:55-13:10)
西天狗(13:20-13:30)
黒百合小屋(14:20着)



前日の雨は夜が更けると雪に變つてゐた。
そして、この日の朝は、うつてかはつて快晴。
夜に降つた雪のお蔭で、小屋の周りは踏跡すらわからないほどの銀世界。

小屋を出て暫くは冬道の所在がかすかに判る程度の積雪だつたが、1ピッチ(50分)歩いたところで雪が膝あたりになつてきたのでワカンを裝着。
ワカンといふのは、竹を丸く輪にしたもので、長徑40cmほど短徑25cmほどの橢圓形をしてゐる。
それを靴に取付けると足が雪にもぐり難くなるといふ、日本古來のすぐれもの。
念のためにと持つて來てゐたのだが、これが大正解。
しらびそ小屋から中山峠まで、無雪期なら1時間もあれば行けるところを、3時間もかかつた。
中山峠の登りは、雪が腰まで積つてゐたので、目の前の雪をピッケルのシャフトで手前にかき落とし、それをまづ膝で固め、さらにワカンをつけた足で踏み固めつつ登つた。
しかも、中山峠直下には雪庇が出來てゐて、頭上に庇のやうに覆ひ被さつてゐる雪をピッケルで崩して、やうやく峠に辿り着いた。
もしワカンを持つて來てゐなかつたなら、中山峠に登りつくことは出來なかつたに違ひない。

中山峠から黒百合平に下り、黒百合ヒュッテの前で晝食。
荷物をそこにおいて、天狗岳をピストン。
1976年12月のC高山岳部の冬山山行以來 の天狗岳だつた。
東天狗、西天狗の山頂を極め、頂上から八ヶ岳の展望を滿喫してから黒百合平に下る。
テントを持參してゐた筈なのでテント泊だつたと思つてゐたのだが、手帳には「黒百合小屋」と書かれてゐる。
前日の雨と當日のラッセルに疲れて小屋泊にしたのかもしれない。
でも、そんな記憶は全然ないんだけどなあ・・・
小屋泊りだつたとすれば、條件の變化に柔軟に對應した判斷、なんていへば聞えは良いけど、要するに根性なしだ。




【1983年】(3囘生)

ギレリス フェス 19:00


この日、 エミール・ギレリス のリサイタルが大阪のフェスティバルホールであつたらしい。
ギレリスはリヒテルと同世代のソ連のピアニスト。
彼のピアノは「鋼鐵のタッチ」などと形容されたが、私はリヒテルのはうが好きだつた。
この記載は聽きに行つた記録ではなく、單にリサイタルがあるといふ備忘のためだと思はれる。
ギレリスはこの2年後に亡くなつてしまふので、おそらくこれが最後の日本公演だつたのではなからうか。
さう思ふと、この時に聽いておけば良かつたと思ふ。
もつとも、そんな金があつたのかといはれれば無かつたわけだが。






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