仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 4月1日 (80年:唐招提寺、81年:ディスコ、83年:CHSAC飮み會)

2011-04-01 00:25:05 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

奈良
H 阪急梅田驛 改札の右
西大寺、垂仁天皇陵、唐招提寺、藥師寺


入學式はまだだが、一應この日から大學生になつた。
Hは當時私が好きだつた女の子。
浪人時代、彼女が神戸から東京へ聲樂のレッスンに來てゐたので、月に1度會ふことが出來た。
私が京都の大學に合格したので、かうしてデート出來るやうになつた。
この日は、さういふ意味での關西初デートだつた。

行き先は奈良、西ノ京。
阪急・梅田驛で待ち合せ、地下鐵、近鐵と乘り繼ぎ、西大寺へ。
西大寺 はいまでこそ小さな寺だが、往時は東大寺と竝ぶ大寺であつた。
猫がウンコをしようと踏ん張つてゐたなんていふ、つまらぬことを覺えてゐる。

西大寺を出て、南へのんびりと歩き、垂仁天皇陵の脇を通つて 唐招提寺 へ。
南大門を入つたところで金堂をバックにHの寫眞を撮つた。
寫眞を撮られるのが好きではないやうだつたので、その後は寫眞を撮らず、私が撮つたHの寫眞はこの1枚だけになつた。
彼女がお弁當を持つて來てくれてゐたので、講堂の裏手で頂いた。
私が女の子の作つてくれた弁當を食べたのはこれが初めてのことだつたので、ひそかに感激したのを覺えてゐる。
講堂裏から御影堂、開山御廟にかけての靜けさは、私の氣に入つた。
いまでも唐招提寺は大好きな寺のひとつだ。

唐招提寺からさらに南へ歩いて 藥師寺 へ。
塔は東塔しかなく、「凍れる音樂」とも評される三重の塔の端正な美しさに感動した。
西塔は、この時にはまだ建築中だつた。
いま調べてみたら、西塔は翌年(1981年)に復興されたとのこと。
金堂に安置されてゐる本尊の藥師三尊像も見てゐる筈なのだが、あまり記憶にない。
何の音樂だつたのか、スピーカーからひびわれた音で流れてゐる音樂がひどく興醒めだつた。
唐招提寺の靜謐さと較べて、藥師寺の喧噪は私は好きになれなかつた。

この日の想ひ出は、私の學生時代の想ひ出のうちでもベスト3に入る、倖せな想ひ出だつた。
倖せは長くは續かないのが世の常である。
しかし若い私はまだそんなことを知るよしもなかつた。




【1981年】(2囘生)

上洛
麻雀(ヨコタ、コクボ)
ディスコ(トップテン) モギ、ヨシダさん
エガワカヨコ(?)の兄の下宿


「上洛」なんて、戰國武將みたいだ。
京都に戻ることを指してゐるのだが、言葉に困つたのだらう。

京都に歸つて來て、いきなり麻雀をしてゐる。
ヨコタは産大の2囘生で、コクボは産大の1囘生。
コクボは私の部屋の下の部屋に住んでゐて、産大應援團に入つてゐたので、よく下から學歌や應援歌が聞えて來た。
氣合を入れられて顏を腫らして歸つて來たこともしばしば。
2人しか名前がないといふことは3マだつたのだらう。

麻雀の最中に私あてにモギから電話がかかつて來た。
モギは高校・豫備校・大學・會社と一緒だつた男。
いまディスコにゐて女の子をナンパしたのだが、男の數が足りないので是非來てくれ、とのこと。
私は、麻雀の最中でもあつたので、一度は斷つた。
ところが、モギが何としてでも來てくれといふので、やむを得ず出かけて行つた。
ヨシダさんといふのは同志社の4囘生で、大學をまたがつたテニスサークルの創設メンバーらしい。
正直なところ、私はテニスサークルとかスキーサークルといふ、女の子と付き合ふために創られた軟弱なサークルが嫌ひだつた。
モギはそのサークルに入つてゐたので、さういふ意味ではヨシダさんの後輩にあたる。
どうやらモギはヨシダさんの命令で男を一人集めなければならなかつたやうだ。

エガワカヨコ(?)といふのは、その時にナンパされた女の子3人のリーダー格。
彼女の兄が八坂の塔の近くに下宿してゐて、彼女たちはそこを據點にして京都觀光に來てゐた。
兄は旅行だかなんだかで、とにかくゐなかつた。
ディスコで酒を飮み踊つた男女6人は、その兄の部屋に轉がりこんだ。
ヨシダさんは不埒なことを目論んでゐたらしいが、私にはそんな氣がまるでなかつたので、あとからヨシダさんに嫌味を云はれた。
そんなこと云はれてもなあ・・・
「据膳喰はぬは男の恥」なんて言葉は思ひつきもしなかつたし。




【1982年】(3囘生)

歸京
麻雀 +500円


「上洛」から「歸京」に言葉が變つてゐるが、要するに京都に歸つたといふこと。
前年同樣、歸つたその日に麻雀をしてゐる。
ささやかながら勝つたらしい。




【1983年】(4囘生)

小澤征爾 京響 シンフォニーホール 19:00 (線で消されてゐる)
18:00 國鐵千葉驛
酒 クサカ、オオクサ、ヌマタ
ヌマタ腹痛
日下宅泊


シンフォニーホールで小澤征爾指揮の京都市交響樂團!
いまなら是非とも聽いてみたいところだが、この時は既に千葉に歸省してゐたので聽くことは出來なかつた。

C高山岳部(CHSAC)の仲間と千葉で酒を飮んだ。
クサカは同期、オオクサは1つ下、ヌマタは2つ下。
私、オオクサ、ヌマタは歴代山岳部長。
オオクサは後年、岩登りをしてゐて墜落死してしまつた。
ヌマタとはこの年の正月、南アルプスの甲斐駒・仙丈に登つてゐた。

千葉で飮んでゐて、さらにクサカの家にお邪魔して飮み續けた。
ヌマタは途中で腹痛に襲はれリタイア。
オオクサは、自宅がクサカ宅から歩いて歸れるところにあるので、歸つていつた。
私は歸る術なく、そのままクサカ宅に泊めて頂いた。
高校時代から通算して、たぶんこの時が3度目か4度目だつたかな?
お世話になりました!







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